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表現の自由(プライバシー)
「宴のあと」事件 東京地判昭和39年9月28日
概要
①モデル小説はフィクションであっても、その内容から特定の人物を描写したものと受け取られる場合プライバシーの問題を生じうる。
②私生活をみだりに公開されないという意味でのプライバシーは、不法な侵害に対しては法的救済が与えられるまでに高められた人格的な利益であり、人格権に包摂されるものではあるけれども、なおこれを一つの権利と呼ぶことを妨げるものではない。
③私生活をみだりに公開されないというプライバシーの侵害に対し法的な救済が与えられるためには、公開された内容が(イ)私生活上の事実または私生活上の事実らしく受け取られるおそれのあることがらであること、(ロ)一般人の感受性を基準にして当該私人の立場に立った場合公開を欲しないであろうと認められることがらであること、換言すれば一般人の感覚を基準として公開されることによって心理的な負担、不安を覚えるであろうと認められることがらであること、(ハ)一般の人々に未だ知られていないことがらであることを必要とし、このような公開によって当該私人が実際に不快、不安の念を覚えたことを必要とする。
②私生活をみだりに公開されないという意味でのプライバシーは、不法な侵害に対しては法的救済が与えられるまでに高められた人格的な利益であり、人格権に包摂されるものではあるけれども、なおこれを一つの権利と呼ぶことを妨げるものではない。
③私生活をみだりに公開されないというプライバシーの侵害に対し法的な救済が与えられるためには、公開された内容が(イ)私生活上の事実または私生活上の事実らしく受け取られるおそれのあることがらであること、(ロ)一般人の感受性を基準にして当該私人の立場に立った場合公開を欲しないであろうと認められることがらであること、換言すれば一般人の感覚を基準として公開されることによって心理的な負担、不安を覚えるであろうと認められることがらであること、(ハ)一般の人々に未だ知られていないことがらであることを必要とし、このような公開によって当該私人が実際に不快、不安の念を覚えたことを必要とする。
判例
事案:モデル小説の主人公のモデルとされているXは、小説の作者及び出版社を被告として、プライバシー侵害を理由に謝罪広告・損害賠償を求めて出訴した。
判旨:①「モデル小説というものは…モデルの知名度言葉を換えればモデルに対する社会の関心が高ければ高いだけ、モデル的興味(実話的もしくは裏話的興味)が読者の関心を唆る傾向にあることは否定できないところであり、このようなモデル小説は、味わうために読まれるばかりでなく知るために読まれる傾向が作者の意図とは別に否応なく生じるものである。…このようにモデル小説におけるプライバシーは小説の主人公の私生活の描写がモデルの私生活を敷き写しにした場合に問題となるものはもちろんであるが、そればかりでなく、たとえ小説の叙述が作家のフイクシヨンであったとしてもそれが事実すなわちモデルの私生活を写したものではないかと多くの読者をして想像をめぐらさせるところに純粋な小説としての興味以外のモデル的興味というものが発生し、モデル小説のプライバシーという問題を生むものであるといえよう。」
②「被告等は私生活をみだりに公開されないという意味でのプライバシーの尊重が必要なことは認めるけれども、それが実定法的にも一つの法益として是認され、したがって法的保護の対象となる権利であるかどうかは疑問であると主張する。しかし近代法の根本理念の一つであり、また日本国憲法のよって立つところでもある個人の尊厳という思想は、相互の人格が尊重され、不当な干渉から自我が保護されることによってはじめて確実なものとなるのであって、そのためには、正当な理由がなく他人の私事を公開することが許されてはならないことは言うまでもないところである。このことの片鱗はすでに成文法上にも明示されているところであって、たとえば他人の住居を正当な理由がないのにひそかにのぞき見る行為は犯罪とせられており(軽犯罪法1条1項23号)その目的とするところが私生活の場所的根拠である住居の保護を通じてプライバシーの保障を図るにあるとは明らかであり、また民法235条1項が相隣地の観望について一定の規制を設けたところも帰するところ他人の私生活をみだりにのぞき見ることを禁ずる趣旨にあることは言うまでもないし、このほか刑法133条の信書開披罪なども同じくプライバシーの保護に資する規定であると解せられるのである。ここに挙げたような成文法規の存在と前述したように私事をみだりに公開されないという保障が、今日のマスコミユニケーシヨンの発達した社会では個人の尊厳を保ち幸福の追求を保障するうえにおいて必要不可欠なものであるとみられるに至つていることとを合わせ考えるならば、その尊重はもはや単に倫理的に要請されるにとどまらず、不法な侵害に対しては法的救済が与えられるまでに高められた人格的な利益であると考えるのが正当であり、それはいわゆる人格権に包摂されるものではあるけれども、なおこれを一つの権利と呼ぶことを妨げるものではないと解するのが相当である。」
③「プライバシー権は私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利として理解されるから、その侵害に対しては侵害行為の差し止めや精神的苦痛に因る損害賠償請求権が認められるべきものであり、民法709条はこのような侵害行為もなお不法行為として評価されるべきことを規定しているものと解釈するのが正当である。…ここにいうような私生活の公開とは、公開されたところが必ずしもすべて真実でなければならないものではなく、一般の人が公開された内容をもって当該私人の私生活であると誤認しても不合理でない程度に真実らしく受け取られるものであれば、それはなおプライバシーの侵害としてとらえることができるものと解すべきである。けだし、このような公開によっても当該私人の私生活とくに精神的平穏が害われることは、公開された内容が真実である場合とさしたる差異はないからである。…そうであれば、右に論じたような趣旨でのプライバシーの侵害に対し法的な救済が与えられるためには、公開された内容が(イ)私生活上の事実または私生活上の事実らしく受け取られるおそれのあることがらであること、(ロ)一般人の感受性を基準にして当該私人の立場に立った場合公開を欲しないであろうと認められることがらであること、換言すれば一般人の感覚を基準として公開されることによって心理的な負担、不安を覚えるであろうと認められることがらであること、(ハ)一般の人々に未だ知られていないことがらであることを必要とし、このような公開によって当該私人が実際に不快、不安の念を覚えたことを必要とするが、公開されたところが当該私人の名誉、信用というような他の法益を侵害するものであることを要しないのは言うまでもない。」
②「被告等は私生活をみだりに公開されないという意味でのプライバシーの尊重が必要なことは認めるけれども、それが実定法的にも一つの法益として是認され、したがって法的保護の対象となる権利であるかどうかは疑問であると主張する。しかし近代法の根本理念の一つであり、また日本国憲法のよって立つところでもある個人の尊厳という思想は、相互の人格が尊重され、不当な干渉から自我が保護されることによってはじめて確実なものとなるのであって、そのためには、正当な理由がなく他人の私事を公開することが許されてはならないことは言うまでもないところである。このことの片鱗はすでに成文法上にも明示されているところであって、たとえば他人の住居を正当な理由がないのにひそかにのぞき見る行為は犯罪とせられており(軽犯罪法1条1項23号)その目的とするところが私生活の場所的根拠である住居の保護を通じてプライバシーの保障を図るにあるとは明らかであり、また民法235条1項が相隣地の観望について一定の規制を設けたところも帰するところ他人の私生活をみだりにのぞき見ることを禁ずる趣旨にあることは言うまでもないし、このほか刑法133条の信書開披罪なども同じくプライバシーの保護に資する規定であると解せられるのである。ここに挙げたような成文法規の存在と前述したように私事をみだりに公開されないという保障が、今日のマスコミユニケーシヨンの発達した社会では個人の尊厳を保ち幸福の追求を保障するうえにおいて必要不可欠なものであるとみられるに至つていることとを合わせ考えるならば、その尊重はもはや単に倫理的に要請されるにとどまらず、不法な侵害に対しては法的救済が与えられるまでに高められた人格的な利益であると考えるのが正当であり、それはいわゆる人格権に包摂されるものではあるけれども、なおこれを一つの権利と呼ぶことを妨げるものではないと解するのが相当である。」
③「プライバシー権は私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利として理解されるから、その侵害に対しては侵害行為の差し止めや精神的苦痛に因る損害賠償請求権が認められるべきものであり、民法709条はこのような侵害行為もなお不法行為として評価されるべきことを規定しているものと解釈するのが正当である。…ここにいうような私生活の公開とは、公開されたところが必ずしもすべて真実でなければならないものではなく、一般の人が公開された内容をもって当該私人の私生活であると誤認しても不合理でない程度に真実らしく受け取られるものであれば、それはなおプライバシーの侵害としてとらえることができるものと解すべきである。けだし、このような公開によっても当該私人の私生活とくに精神的平穏が害われることは、公開された内容が真実である場合とさしたる差異はないからである。…そうであれば、右に論じたような趣旨でのプライバシーの侵害に対し法的な救済が与えられるためには、公開された内容が(イ)私生活上の事実または私生活上の事実らしく受け取られるおそれのあることがらであること、(ロ)一般人の感受性を基準にして当該私人の立場に立った場合公開を欲しないであろうと認められることがらであること、換言すれば一般人の感覚を基準として公開されることによって心理的な負担、不安を覚えるであろうと認められることがらであること、(ハ)一般の人々に未だ知られていないことがらであることを必要とし、このような公開によって当該私人が実際に不快、不安の念を覚えたことを必要とするが、公開されたところが当該私人の名誉、信用というような他の法益を侵害するものであることを要しないのは言うまでもない。」
過去問・解説
(H23 共通 第3問 ア)
「宴のあと」事件判決(東京地判昭和39年9月28日)は、いわゆるプライバシー権は私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利であるとし、公開を欲するか否かについては、本人の感受性を基準にして判断するとした。
「宴のあと」事件判決(東京地判昭和39年9月28日)は、いわゆるプライバシー権は私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利であるとし、公開を欲するか否かについては、本人の感受性を基準にして判断するとした。
(正答) ✕
(解説)
「宴のあと」事件判決(東京地判昭39.9.28)は、「プライバシー権は私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利として理解される」としているから、本肢前段は正しい。
しかし、本判決は、プライバシーの侵害に対し法的な救済が与えられるための要件の一つとして、「(ロ)一般人の感受性を基準にして当該私人の立場に立った場合公開を欲しないであろうと認められることがらであること、換言すれば一般人の感覚を基準として公開されることによって心理的な負担、不安を覚えるであろうと認められることがらであること」としており、公開を欲するか否かについては、本人の感受性ではなく「一般人の感受性」を基準にしている。したがって、本肢後段は、「公開を欲するか否かについては、本人の感受性を基準にして判断するとした。」としている点において、誤っている。
しかし、本判決は、プライバシーの侵害に対し法的な救済が与えられるための要件の一つとして、「(ロ)一般人の感受性を基準にして当該私人の立場に立った場合公開を欲しないであろうと認められることがらであること、換言すれば一般人の感覚を基準として公開されることによって心理的な負担、不安を覚えるであろうと認められることがらであること」としており、公開を欲するか否かについては、本人の感受性ではなく「一般人の感受性」を基準にしている。したがって、本肢後段は、「公開を欲するか否かについては、本人の感受性を基準にして判断するとした。」としている点において、誤っている。
総合メモ
ノンフィクション「逆転」事件 最三小判平成6年2月8日
概要
①ある者が刑事事件につき被疑者とされ、さらには被告人として公訴を提起されて判決を受け、とりわけ有罪判決を受け、服役したという事実は、その者の名誉あるいは信用に直接にかかわる事項であるから、その者は、みだりに右の前科等にかかわる事実を公表されないことにつき、法的保護に値する利益を有する。
②ある者の前科等にかかわる事実を実名を使用して著作物で公表したことが不法行為を構成するか否かは、その者のその後の生活状況のみならず、事件それ自体の歴史的又は社会的な意義、その当事者の重要性、その者の社会的活動及びその影響力について、その著作物の目的、性格等に照らした実名使用の意義及び必要性をも併せて判断すべきもので、その結果、前科等にかかわる事実を公表されない法的利益が優越するとされる場合には、その公表によって被った精神的苦痛の賠償を求めることができるものといわなければならない。
②ある者の前科等にかかわる事実を実名を使用して著作物で公表したことが不法行為を構成するか否かは、その者のその後の生活状況のみならず、事件それ自体の歴史的又は社会的な意義、その当事者の重要性、その者の社会的活動及びその影響力について、その著作物の目的、性格等に照らした実名使用の意義及び必要性をも併せて判断すべきもので、その結果、前科等にかかわる事実を公表されない法的利益が優越するとされる場合には、その公表によって被った精神的苦痛の賠償を求めることができるものといわなければならない。
判例
事案:喧嘩により被害者1名を死亡・もう1名を負傷させたという公訴事実の一部について有罪判決(確定)が受けたXは、服役後、バス運転手として就職し、結婚もしていたが、会社にも配偶者にも前科を秘匿していた。本件事件については、当時米国の統治下にあった沖縄(時点発生地)では大きく新聞報道されたが日本国内では新聞報道もなく、東京で暮らすXの周囲に前科にかかわる事実を知る者はいなかった。本件裁判の陪審員の一人であったYは、その体験に基づいてノンフィクション作品を執筆し、1977年8月に刊行したが、その中でXの実名が無断で使用されていたことから、XがYに対し不法行為に基づく損害賠償請求訴訟を提起した。
判旨:「ある者が刑事事件につき被疑者とされ、さらには被告人として公訴を提起されて判決を受け、とりわけ有罪判決を受け、服役したという事実は、その者の名誉あるいは信用に直接にかかわる事項であるから、その者は、みだりに右の前科等にかかわる事実を公表されないことにつき、法的保護に値する利益を有するものというべきである(最高裁昭和52年(オ)第323号同56年4月14日第三小法廷判決・民集35巻3号620頁参照)。この理は、右の前科等にかかわる事実の公表が公的機関によるものであっても、私人又は私的団体によるものであっても変わるものではない。そして、その者が有罪判決を受けた後あるいは服役を終えた後においては、一市民として社会に復帰することが期待されるのであるから、その者は、前科等にかかわる事実の公表によって、新しく形成している社会生活の平穏を害されその更生を妨げられない利益を有するというべきである。
もっとも、ある者の前科等にかかわる事実は、他面、それが刑事事件ないし刑事裁判という社会一般の関心あるいは批判の対象となるべき事項にかかわるものであるから、事件それ自体を公表することに歴史的又は社会的な意義が認められるような場合には、事件の当事者についても、その実名を明らかにすることが許されないとはいえない。また、その者の社会的活動の性質あるいはこれを通じて社会に及ぼす影響力の程度などのいかんによっては、その社会的活動に対する批判あるいは評価の一資料として、右の前科等にかかわる事実が公表されることを受忍しなければならない場合もあるといわなければならない(最高裁昭和55年(あ)第273号同56年4月16日第一小法廷判決・刑集35巻3号84頁参照)。さらにまた、その者が選挙によって選出される公職にある者あるいはその候補者など、社会一般の正当な関心の対象となる公的立場にある人物である場合には、その者が公職にあることの適否などの判断の一資料として右の前科等にかかわる事実が公表されたときは、これを違法というべきものではない(最高裁昭和37年(オ)第815号同41年6月23日第一小法廷判決・民集20巻5号118頁参照)。
そして、ある者の前科等にかかわる事実が実名を使用して著作物で公表された場合に、以上の諸点を判断するためには、その著作物の目的、性格等に照らし、実名を使用することの意義及び必要性を併せ考えることを要するというべきである。
要するに、前科等にかかわる事実については、これを公表されない利益が法的保護に値する場合があると同時に、その公表が許されるべき場合もあるのであって、ある者の前科等にかかわる事実を実名を使用して著作物で公表したことが不法行為を構成するか否かは、その者のその後の生活状況のみならず、事件それ自体の歴史的又は社会的な意義、その当事者の重要性、その者の社会的活動及びその影響力について、その著作物の目的、性格等に照らした実名使用の意義及び必要性をも併せて判断すべきもので、その結果、前科等にかかわる事実を公表されない法的利益が優越するとされる場合には、その公表によって被った精神的苦痛の賠償を求めることができるものといわなければならない。なお、このように解しても、著作者の表現の自由を不当に制限するものではない。けだし、表現の自由は、十分に尊重されなければならないものであるが、常に他の基本的人権に優越するものではなく、前科等にかかわる事実を公表することが憲法の保障する表現の自由の範囲内に属するものとして不法行為責任を追求される余地がないものと解することはできないからである。この理は、最高裁昭和28年(オ)第1214号同31年7月4日大法廷判決・民集10巻7号785頁の趣旨に徴しても明らかであり、原判決の違憲をいう論旨を採用することはできない。
そして、ある者の前科等にかかわる事実が実名を使用して著作物で公表された場合に、以上の諸点を判断するためには、その著作物の目的、性格等に照らし、実名を使用することの意義及び必要性を併せ考えることを要するというべきである。
要するに、前科等にかかわる事実については、これを公表されない利益が法的保護に値する場合があると同時に、その公表が許されるべき場合もあるのであって、ある者の前科等にかかわる事実を実名を使用して著作物で公表したことが不法行為を構成するか否かは、その者のその後の生活状況のみならず、事件それ自体の歴史的又は社会的な意義、その当事者の重要性、その者の社会的活動及びその影響力について、その著作物の目的、性格等に照らした実名使用の意義及び必要性をも併せて判断すべきもので、その結果、前科等にかかわる事実を公表されない法的利益が優越するとされる場合には、その公表によって被った精神的苦痛の賠償を求めることができるものといわなければならない。なお、このように解しても、著作者の表現の自由を不当に制限するものではない。けだし、表現の自由は、十分に尊重されなければならないものであるが、常に他の基本的人権に優越するものではなく、前科等にかかわる事実を公表することが憲法の保障する表現の自由の範囲内に属するものとして不法行為責任を追求される余地がないものと解することはできないからである。この理は、最高裁昭和28年(オ)第1214号同31年7月4日大法廷判決・民集10巻7号785頁の趣旨に徴しても明らかであり、原判決の違憲をいう論旨を採用することはできない。
そこで、以上の見地から本件をみると、まず、本件事件及び本件裁判から本件著作が刊行されるまでに12年余の歳月を経過しているが、その間、被上告人が社会復帰に努め、新たな生活環境を形成していた事実に照らせば、被上告人は、その前科にかかわる事実を公表されないことにつき法的保護に値する利益を有していたことは明らかであるといわなければならない。しかも、被上告人は、地元を離れて大都会の中で無名の1市民として生活していたのであって、公的立場にある人物のようにその社会的活動に対する批判ないし評価の1資料として前科にかかわる事実の公表を受忍しなければならない場合ではない。…本件著作は、被上告人ら4名に対してされた陪審の答申と当初の公訴事実との間に大きな相違があり、また、言い渡された刑が陪審の答申した事実に対する量刑として重いという印象を強く与えるものではあるが、被上告人が本件事件 に全く無関係であったとか、被上告人ら4名の行為が正当防衛であったとかいう意味において、その無実を訴えたものであると解することはできない。以上を総合して考慮すれば、本件著作が刊行された当時、被上告人は、その前科にかかわる事実を公表されないことにつき法的保護に値する利益を有していたところ、本件著作において、上告人が被上告人の実名を使用して右の事実を公表したことを正当とするまでの理由はないといわなければならない。そして、上告人が本件著作で被上告人の実名を使用すれば、その前科にかかわる事実を公表する結果になることは必至であって、実名使用の是非を上告人が判断し得なかったものとは解されないから、上告人は、被上告人に対する不法行為責任を免れないものというべきである。」
過去問・解説
(R5 予備 第2問 イ)
ある者が刑事事件について被疑者とされ、被告人として公訴提起されて有罪判決を受け、服役した事実は、その者の名誉あるいは信用に直接に関わる事項であり、その者は、みだりに上記の前科等に関わる事実を公表されないことにつき、法的保護に値する利益を有すると考えられ、この点は、前科等に関わる事実の公表が公的機関によるものであっても、私人又は私的団体によるものであっても違いはない。
ある者が刑事事件について被疑者とされ、被告人として公訴提起されて有罪判決を受け、服役した事実は、その者の名誉あるいは信用に直接に関わる事項であり、その者は、みだりに上記の前科等に関わる事実を公表されないことにつき、法的保護に値する利益を有すると考えられ、この点は、前科等に関わる事実の公表が公的機関によるものであっても、私人又は私的団体によるものであっても違いはない。
(正答) 〇
(解説)
ノンフィクション「逆転」事件判決(最判平6.2.8)は、「ある者が刑事事件につき被疑者とされ、さらには被告人として公訴を提起されて判決を受け、とりわけ有罪判決を受け、服役したという事実は、その者の名誉あるいは信用に直接にかかわる事項であるから、その者は、みだりに右の前科等にかかわる事実を公表されないことにつき、法的保護に値する利益を有するものというべきである…。この理は、右の前科等にかかわる事実の公表が公的機関によるものであっても、私人又は私的団体によるものであっても変わるものではない。」としている。
ノンフィクション「逆転」事件判決(最判平6.2.8)は、「ある者が刑事事件につき被疑者とされ、さらには被告人として公訴を提起されて判決を受け、とりわけ有罪判決を受け、服役したという事実は、その者の名誉あるいは信用に直接にかかわる事項であるから、その者は、みだりに右の前科等にかかわる事実を公表されないことにつき、法的保護に値する利益を有するものというべきである…。この理は、右の前科等にかかわる事実の公表が公的機関によるものであっても、私人又は私的団体によるものであっても変わるものではない。」としている。
総合メモ
長良川事件 最二小判平成15年3月14日
概要
①少年法61条が禁止しているいわゆる推知報道に当たるか否かは、その記事等により、不特定多数の一般人がその者を当該事件の本人であると推知することができるかどうかを基準にして判断すべきである。
②名誉毀損については、その行為が公共の利害に関する事実に係り、その目的が専ら公益を図るものである場合において、摘示された事実がその重要な部分において真実であることの証明があるとき、又は真実であることの証明がなくても、行為者がそれを真実と信ずるについて相当の理由があるときは、不法行為は成立しない。
③プライバシーの侵害については、その事実を公表されない法的利益とこれを公表する理由とを比較衡量し、前者が後者に優越する場合に不法行為が成立する。
②名誉毀損については、その行為が公共の利害に関する事実に係り、その目的が専ら公益を図るものである場合において、摘示された事実がその重要な部分において真実であることの証明があるとき、又は真実であることの証明がなくても、行為者がそれを真実と信ずるについて相当の理由があるときは、不法行為は成立しない。
③プライバシーの侵害については、その事実を公表されない法的利益とこれを公表する理由とを比較衡量し、前者が後者に優越する場合に不法行為が成立する。
判例
事案:Xは、成人又は当時18歳、19歳の少年らと共謀の上、連続して犯した殺人、強盗殺人、死体遺棄等の刑事事件により起訴された。「週刊文春」と題する週刊誌を発行するYは、当該事件を題材に週刊誌に記事を掲載したところ、XがYに対して名誉毀損及びプライバシー侵害を理由に不法行為に基づく損害賠償を求めて訴えを提起した。
判旨:「原判決は、本件記事によるXの被侵害利益を、(ア) 名誉、プライバシーであるとして、Yの不法行為責任を認めたのか、これらの権利に加えて 、(イ) 原審が少年法61条によって保護されるとする「少年の成長発達過程において健全に成長するための権利」をも被侵害利益であるとして上記結論を導いたのか、その判文からは必ずしも判然としない。しかし、Xは、原審において、本件記事による被侵害利益を、上記(ア)の権利、すなわちXの名誉、プライバシーである旨を一貫して主張し、(イ)の権利を被侵害利益としては主張していないことは、記録上明らかである。このような原審における審理の経過にかんがみると、当審としては、原審が上記(ア)の権利の侵害を理由に前記結論を下したものであることを前提として、審理判断をすべきものと考えられる。
Xは、本件記事によって、ZがXであると推知し得る読者に対し、Xが起訴事実に係る罪を犯した事件本人であること(以下「犯人情報」という。)及び経歴や交友関係等の詳細な情報(以下「履歴情報」という。)を公表されたことにより、名誉を毀損され、プライバシーを侵害されたと主張しているところ、本件記事に記載された犯人情報及び履歴情報は、いずれもXの名誉を毀損する情報であり、また、他人にみだりに知られたくないXのプライバシーに属する情報であるというべきである。そして、Xと面識があり、又は犯人情報あるいはXの履歴情報を知る者は、その知識を手がかりに本件記事がXに関する記事であると推知することが可能であり、本件記事の読者の中にこれらの者が存在した可能性を否定することはできない。そして、これらの読者の中に、本件記事を読んで初めて、Xについてのそれまで知っていた以上の犯人情報や履歴情報を知った者がいた可能性も否定することはできない。したがって、Yの本件記事の掲載行為は、Xの名誉を毀損し、プライバシーを侵害するものであるとした原審の判断は、その限りにおいて是認することができる。なお、…少年法61条に違反する推知報道かどうかは、その記事等により、不特定多数の一般人がその者を当該事件の本人であると推知することができるかどうかを基準にして判断すべきところ、本件記事は、Xについて、当時の実名と類似する仮名が用いられ、その経歴等が記載されているものの、Xと特定するに足りる事項の記載はないから、Xと面識等のない不特定多数の一般人が、本件記事により、Xが当該事件の本人であることを推知することができるとはいえない。したがって、本件記事は、少年法61条の規定に違反するものではない。」
ところで、本件記事がXの名誉を毀損し、プライバシーを侵害する内容を含むものとしても、本件記事の掲載によってYに不法行為が成立するか否かは、被侵害利益ごとに違法性阻却事由の有無等を審理し、個別具体的に判断すべきものである。すなわち、名誉毀損については、その行為が公共の利害に関する事実に係り、その目的が専ら公益を図るものである場合において、摘示された事実がその重要な部分において真実であることの証明があるとき、又は真実であることの証明がなくても、行為者がそれを真実と信ずるについて相当の理由があるときは、不法行為は成立しないのであるから、…本件においても、これらの点を個別具体的に検討することが必要である。また、プライバシーの侵害については、その事実を公表されない法的利益とこれを公表する理由とを比較衡量し、前者が後者に優越する場合に不法行為が成立するのであるから…、本件記事が週刊誌に掲載された当時のXの年齢や社会的地位、当該犯罪行為の内容、これらが公表されることによってXのプライバシーに属する情報が伝達される範囲とXが被る具体的被害の程度、本件記事の目的や意義、公表時の社会的状況、本件記事において当該情報を公表する必要性など、その事実を公表されない法的利益とこれを公表する理由に関する諸事情を個別具体的に審理し、これらを比較衡量して判断することが必要である。」
判旨:「原判決は、本件記事によるXの被侵害利益を、(ア) 名誉、プライバシーであるとして、Yの不法行為責任を認めたのか、これらの権利に加えて 、(イ) 原審が少年法61条によって保護されるとする「少年の成長発達過程において健全に成長するための権利」をも被侵害利益であるとして上記結論を導いたのか、その判文からは必ずしも判然としない。しかし、Xは、原審において、本件記事による被侵害利益を、上記(ア)の権利、すなわちXの名誉、プライバシーである旨を一貫して主張し、(イ)の権利を被侵害利益としては主張していないことは、記録上明らかである。このような原審における審理の経過にかんがみると、当審としては、原審が上記(ア)の権利の侵害を理由に前記結論を下したものであることを前提として、審理判断をすべきものと考えられる。
Xは、本件記事によって、ZがXであると推知し得る読者に対し、Xが起訴事実に係る罪を犯した事件本人であること(以下「犯人情報」という。)及び経歴や交友関係等の詳細な情報(以下「履歴情報」という。)を公表されたことにより、名誉を毀損され、プライバシーを侵害されたと主張しているところ、本件記事に記載された犯人情報及び履歴情報は、いずれもXの名誉を毀損する情報であり、また、他人にみだりに知られたくないXのプライバシーに属する情報であるというべきである。そして、Xと面識があり、又は犯人情報あるいはXの履歴情報を知る者は、その知識を手がかりに本件記事がXに関する記事であると推知することが可能であり、本件記事の読者の中にこれらの者が存在した可能性を否定することはできない。そして、これらの読者の中に、本件記事を読んで初めて、Xについてのそれまで知っていた以上の犯人情報や履歴情報を知った者がいた可能性も否定することはできない。したがって、Yの本件記事の掲載行為は、Xの名誉を毀損し、プライバシーを侵害するものであるとした原審の判断は、その限りにおいて是認することができる。なお、…少年法61条に違反する推知報道かどうかは、その記事等により、不特定多数の一般人がその者を当該事件の本人であると推知することができるかどうかを基準にして判断すべきところ、本件記事は、Xについて、当時の実名と類似する仮名が用いられ、その経歴等が記載されているものの、Xと特定するに足りる事項の記載はないから、Xと面識等のない不特定多数の一般人が、本件記事により、Xが当該事件の本人であることを推知することができるとはいえない。したがって、本件記事は、少年法61条の規定に違反するものではない。」
ところで、本件記事がXの名誉を毀損し、プライバシーを侵害する内容を含むものとしても、本件記事の掲載によってYに不法行為が成立するか否かは、被侵害利益ごとに違法性阻却事由の有無等を審理し、個別具体的に判断すべきものである。すなわち、名誉毀損については、その行為が公共の利害に関する事実に係り、その目的が専ら公益を図るものである場合において、摘示された事実がその重要な部分において真実であることの証明があるとき、又は真実であることの証明がなくても、行為者がそれを真実と信ずるについて相当の理由があるときは、不法行為は成立しないのであるから、…本件においても、これらの点を個別具体的に検討することが必要である。また、プライバシーの侵害については、その事実を公表されない法的利益とこれを公表する理由とを比較衡量し、前者が後者に優越する場合に不法行為が成立するのであるから…、本件記事が週刊誌に掲載された当時のXの年齢や社会的地位、当該犯罪行為の内容、これらが公表されることによってXのプライバシーに属する情報が伝達される範囲とXが被る具体的被害の程度、本件記事の目的や意義、公表時の社会的状況、本件記事において当該情報を公表する必要性など、その事実を公表されない法的利益とこれを公表する理由に関する諸事情を個別具体的に審理し、これらを比較衡量して判断することが必要である。」
過去問・解説
(H27 司法 第4問 ウ)
少年法61条が禁止する推知報道に該当するか否かは、少年と面識のある特定多数の者あるいは少年の生活基盤としてきた地域社会の不特定多数の者が、少年を当該事件の本人であると推知することができるかを基準にして判断すべきである。
少年法61条が禁止する推知報道に該当するか否かは、少年と面識のある特定多数の者あるいは少年の生活基盤としてきた地域社会の不特定多数の者が、少年を当該事件の本人であると推知することができるかを基準にして判断すべきである。
(正答) ✕
(解説)
長良川事件判決(最判平15.3.14)は、「少年法61条に違反する推知報道かどうかは、その記事等により、不特定多数の一般人がその者を当該事件の本人であると推知することができるかどうかを基準にして判断すべき」とした上で、「本件記事は、被上告人について、当時の実名と類似する仮名が用いられ、その経歴等が記載されているものの、被上告人と特定するに足りる事項の記載はないから、被上告人と面識等のない不特定多数の一般人が、本件記事により、被上告人が当該事件の本人であることを推知することができるとはいえない。」としており、「被上告人と面識等のない不特定多数の一般人が、本件記事により、被上告人が当該事件の本人であることを推知することができる」か否かを基準にしている。
したがって、本肢は、「少年と面識のある特定多数の者あるいは少年の生活基盤としてきた地域社会の不特定多数の者」を基準にしている点において、誤っている。
したがって、本肢は、「少年と面識のある特定多数の者あるいは少年の生活基盤としてきた地域社会の不特定多数の者」を基準にしている点において、誤っている。
(R5 司法 第3問 ウ)
少年法61条が禁止する推知報道に当たるか否かは、少年と面識のある特定多数の者あるいは少年が生活基盤としてきた地域社会の不特定多数の者ではなく、不特定多数の一般人が、当該事件報道記事等により、少年を当該事件の本人であると推知することができるかを基準にして判断すべきである。
少年法61条が禁止する推知報道に当たるか否かは、少年と面識のある特定多数の者あるいは少年が生活基盤としてきた地域社会の不特定多数の者ではなく、不特定多数の一般人が、当該事件報道記事等により、少年を当該事件の本人であると推知することができるかを基準にして判断すべきである。
(正答) 〇
(解説)
長良川事件判決(最判平15.3.14)は、「少年法61条に違反する推知報道かどうかは、その記事等により、不特定多数の一般人がその者を当該事件の本人であると推知することができるかどうかを基準にして判断すべき」とした上で、「本件記事は、被上告人について、当時の実名と類似する仮名が用いられ、その経歴等が記載されているものの、被上告人と特定するに足りる事項の記載はないから、被上告人と面識等のない不特定多数の一般人が、本件記事により、被上告人が当該事件の本人であることを推知することができるとはいえない。」としており、「被上告人と面識等のない不特定多数の一般人が、本件記事により、被上告人が当該事件の本人であることを推知することができる」か否かを基準にしている。
長良川事件判決(最判平15.3.14)は、「少年法61条に違反する推知報道かどうかは、その記事等により、不特定多数の一般人がその者を当該事件の本人であると推知することができるかどうかを基準にして判断すべき」とした上で、「本件記事は、被上告人について、当時の実名と類似する仮名が用いられ、その経歴等が記載されているものの、被上告人と特定するに足りる事項の記載はないから、被上告人と面識等のない不特定多数の一般人が、本件記事により、被上告人が当該事件の本人であることを推知することができるとはいえない。」としており、「被上告人と面識等のない不特定多数の一般人が、本件記事により、被上告人が当該事件の本人であることを推知することができる」か否かを基準にしている。
総合メモ
和歌山カレー事件報道訴訟 最一小判平成17年11月10日
概要
①人は、みだりに自己の容ぼう等を撮影されないということについて法律上保護されるべき人格的利益を有するが、人の容ぼう等の撮影が正当な取材行為等として許されるべき場合もあるのであって、ある者の容ぼう等をその承諾なく撮影することが不法行為法上違法となるかどうかは、諸般の事情を総合考慮して、被撮影者の上記人格的利益の侵害が社会生活上受忍の限度を超えるものといえるかどうかを判断して決すべきである。また、人は、自己の容ぼう等を撮影された写真をみだりに公表されない人格的利益も有すると解するのが相当であり、人の容ぼう等の撮影が違法と評価される場合には、その容ぼう等が撮影された写真を公表する行為は、被撮影者の上記人格的利益を侵害するものとして、違法性を有する。
②人は、自己の容ぼう等を描写したイラスト画についても、これをみだりに公表されない人格的利益を有すると解するのが相当である。もっとも、人の容ぼう等を描写したイラスト画を公表する行為が社会生活上受忍の限度を超えて不法行為法上違法と評価されるか否かの判断に当たっては、写真とは異なるイラスト画の上記特質が参酌されなければならない。
②人は、自己の容ぼう等を描写したイラスト画についても、これをみだりに公表されない人格的利益を有すると解するのが相当である。もっとも、人の容ぼう等を描写したイラスト画を公表する行為が社会生活上受忍の限度を超えて不法行為法上違法と評価されるか否かの判断に当たっては、写真とは異なるイラスト画の上記特質が参酌されなければならない。
判例
事案:和歌山毒物カレー事件に関する和歌山地方裁判所の法廷において、Xの被疑者段階における勾留理由開示手続が行われところ、写真週刊誌のカメラマンは、小型カメラを上記法廷に隠して持ち込み、本件刑事事件の手続におけるXの動静を報道する目的で、閉廷直後の時間帯に、裁判所の許可を得ることなく、かつ、Xに無断で、裁判所職員及び訴訟関係人に気付かれないようにして、傍聴席からXの容ぼう、姿態を写真撮影し(この写真は、手錠をされ、腰縄を付けられた状態にあるXをとらえたものである)、その写真を掲載した週刊誌が出版された。
また、Xの上記刑事事件の法廷内における容ぼう・姿態を描いた3点のイラスト画(Xが手錠・腰縄により身体の拘束を受けている状態、Xが訴訟関係人から資料を見せられている状態、及びXが手振りを交えて話しているような状態が描かれたもの)と文章から成る記事を掲載した週刊誌も出版された。
そこで、Xは、これらの週刊誌を出版した株式会社などを相手取って、肖像権侵害などを理由として損害賠償を求める訴えを提起した。
判旨:①「人は、みだりに自己の容ぼう等を撮影されないということについて法律上保護されるべき人格的利益を有する(最高裁昭和40年(あ)第1187号同44年12月24日大法廷判決・刑集23巻12号1625頁参照)。もっとも、人の容ぼう等の撮影が正当な取材行為等として許されるべき場合もあるのであって、ある者の容ぼう等をその承諾なく撮影することが不法行為法上違法となるかどうかは、被撮影者の社会的地位、撮影された被撮影者の活動内容、撮影の場所、撮影の目的、撮影の態様、撮影の必要性等を総合考慮して、被撮影者の上記人格的利益の侵害が社会生活上受忍の限度を超えるものといえるかどうかを判断して決すべきである。
また、人は、自己の容ぼう等を撮影された写真をみだりに公表されない人格的利益も有すると解するのが相当であり、人の容ぼう等の撮影が違法と評価される場合には、その容ぼう等が撮影された写真を公表する行為は、被撮影者の上記人格的利益を侵害するものとして、違法性を有するものというべきである。
これを本件についてみると、前記のとおり、Xは、本件写真の撮影当時、社会の耳目を集めた本件刑事事件の被疑者として拘束中の者であり、本件写真は、本件刑事事件の手続でのXの動静を報道する目的で撮影されたものである。しかしながら、本件写真週刊誌のカメラマンは、刑訴規則215条所定の裁判所の許可を受けることなく、小型カメラを法廷に持ち込み、Xの動静を隠し撮りしたというのであり、その撮影の態様は相当なものとはいえない。また、Xは、手錠をされ、腰縄を付けられた状態の容ぼう等を撮影されたものであり、このようなXの様子をあえて撮影することの必要性も認め難い。本件写真が撮影された法廷は傍聴人に公開された場所であったとはいえ、Xは、被疑者として出頭し在廷していたのであり、写真撮影が予想される状況の下に任意に公衆の前に姿を現したものではない。以上の事情を総合考慮すると、本件写真の撮影行為は、社会生活上受忍すべき限度を超えて、Xの人格的利益を侵害するものであり、不法行為法上違法であるとの評価を免れない。そして、このように違法に撮影された本件写真を、本件第1記事に組み込み、本件写真週刊誌に掲載して公表する行為も、Xの人格的利益を侵害するものとして、違法性を有するものというべきである。」
②「人は、自己の容ぼう等を描写したイラスト画についても、これをみだりに公表されない人格的利益を有すると解するのが相当である。しかしながら、人の容ぼう等を撮影した写真は、カメラのレンズがとらえた被撮影者の容ぼう等を化学的方法等により再現したものであり、それが公表された場合は、被撮影者の容ぼう等をありのままに示したものであることを前提とした受け取り方をされるものである。これに対し、人の容ぼう等を描写したイラスト画は、その描写に作者の主観や技術が反映するものであり、それが公表された場合も、作者の主観や技術を反映したものであることを前提とした受け取り方をされるものである。したがって、人の容ぼう等を描写したイラスト画を公表する行為が社会生活上受忍の限度を超えて不法行為法上違法と評価されるか否かの判断に当たっては、写真とは異なるイラスト画の上記特質が参酌されなければならない。
これを本件についてみると、前記のとおり、本件イラスト画のうち下段のイラスト画2点は、法廷において、Xが訴訟関係人から資料を見せられている状態及び手振りを交えて話しているような状態が描かれたものである。現在の我が国において、一般に、法廷内における被告人の動静を報道するためにその容ぼう等をイラスト画により描写し、これを新聞、雑誌等に掲載することは社会的に是認された行為であると解するのが相当であり、上記のような表現内容のイラスト画を公表する行為は、社会生活上受忍すべき限度を超えてXの人格的利益を侵害するものとはいえないというべきである。したがって、上記イラスト画2点を本件第2記事に組み込み、本件写真週刊誌に掲載して公表した行為については、不法行為法上違法であると評価することはできない。しかしながら、本件イラスト画のうち上段のものは、前記のとおり、Xが手錠、腰縄により身体の拘束を受けている状態が描かれたものであり、そのような表現内容のイラスト画を公表する行為は、Xを侮辱し、Xの名誉感情を侵害するものというべきであり、同イラスト画を、本件第2記事に組み込み、本件写真週刊誌に掲載して公表した行為は、社会生活上受忍すべき限度を超えて、Xの人格的利益を侵害するものであり、不法行為法上違法と評価すべきである。」
過去問・解説
(H27 司法 第4問 ア)
法廷内における被告人の容ぼう等につき、手錠、腰縄により身体の拘束を受けている状態が描かれたイラスト画を被告人の承諾なく公表する行為は、被告人を侮辱し、名誉感情を侵害するものというべきで、その人格的利益を侵害する。
法廷内における被告人の容ぼう等につき、手錠、腰縄により身体の拘束を受けている状態が描かれたイラスト画を被告人の承諾なく公表する行為は、被告人を侮辱し、名誉感情を侵害するものというべきで、その人格的利益を侵害する。
(正答) 〇
(解説)
和歌山カレー事件報道訴訟判決(最判平17.11.10)は、「被上告人が手錠、腰縄により身体の拘束を受けている状態が描かれたものであり、そのような表現内容のイラスト画を公表する行為は、被上告人を侮辱し、被上告人の名誉感情を侵害するものというべきであり、同イラスト画を、本件第2記事に組み込み、本件写真週刊誌に掲載して公表した行為は、社会生活上受忍すべき限度を超えて、被上告人の人格的利益を侵害するものであり、不法行為法上違法と評価すべきである」としている。
和歌山カレー事件報道訴訟判決(最判平17.11.10)は、「被上告人が手錠、腰縄により身体の拘束を受けている状態が描かれたものであり、そのような表現内容のイラスト画を公表する行為は、被上告人を侮辱し、被上告人の名誉感情を侵害するものというべきであり、同イラスト画を、本件第2記事に組み込み、本件写真週刊誌に掲載して公表した行為は、社会生活上受忍すべき限度を超えて、被上告人の人格的利益を侵害するものであり、不法行為法上違法と評価すべきである」としている。