現在お使いのブラウザのバージョンでは、本サービスの機能をご利用いただけない可能性があります
バージョンアップを試すか、Google ChromeやMozilla Firefoxなどの最新ブラウザをお試しください
裁判所(団体の内部問題) - 解答モード
地方議会議員の除名処分の司法審査 最大判昭和35年3月9日
概要
判例
判旨:「地方自治法(134条、135条および137条)に基き議員の懲罰として行われる除名は、議員たる身分を剥奪する処分であつて、その処分に対し違法を理由として除名処分の取消を求める訴は、判決による除名処分の取消によつて除名処分のなかりし状態に復帰し、もつて、剥奪された議員たる身分の回復を図ることを目的とするものに外ならないのである。従つて、既に議員の任期満了等の事由によつて議員の身分を失つている者については、最早除名処分を取り消しても議員たる身分を回復するに由ないのであるから、かかる場合においては除名処分の取消を求める訴は、訴訟の利益がなくなつたものとして、許すべからざるものと云わなければならない。
被上告人は本訴において、昭和26年3月28日上告人のした被上告人に対する除名議決の取消を求めるのであるが、本件除名当時の板橋区議会議員の任期は、昭和26年4月29日をもつて満了していることは本件当事者間に争ない事実であるから既に本件判決を求める実益は失われているものと云わなければならない。然るに原判決は本件除名議決が取消されるときは除名議決当時に遡つて被上告人の議員たる資格に伴う報酬請求権その他の権利が回復されることになるから、本訴のような判決を求める利益がないものとする上告人の主張は理由がない旨判示する。しかし本訴は除名議決の取消によつて議員たる身分の回復を求むものであること明白であるから、議員たる身分に随伴して派生する報酬請求権等を考慮して、これがため既に任期満了した者に対し議員たる身分の回復を認めることは許されないものと解すべきである。従つて、被上告人の本訴請求は許すべからざるものとして棄却すべきものであつて、原判決は破棄および第一審判決は取消を免れないものである。」
過去問・解説
(H30 司法 第17問 ア)
自律的な団体の内部紛争に対して司法審査が及ぶかという問題に関して、地方議会には、国会の両議院のような自律権はないものの、地方議会議員に対する懲罰としての除名処分は、内部規律の問題であるから、司法審査の対象とはならないとした判例がある。
岩沼市議会出席停止事件 最大判令和2年11月25日
概要
判例
補足意見:「私は、法廷意見に賛成するものであるが、地方議会の議員に対する出席停止の懲罰の司法審査について、補足して意見を述べることとする。
1.法律上の争訟
過去問・解説
(H23 予備 第9問 ウ)
地方議会における自律的な法規範の実現については、内部規律の問題として自治的措置に任せるのが適当であるが、数日間に及ぶ議会への出席停止の懲罰は、議員の重大な権利行使に対する制限であり、単なる内部規律の問題に止まらないから、司法審査の対象となる。
(正答) 〇
(解説)
山北村会議会出席停止事件判決(最大判昭35.10.19)は、「思うに、司法裁判権が、憲法又は他の法律によつてその権限に属するものとされているものの外、一切の法律上の争訟に及ぶことは、裁判所法3条の明定するところであるが、ここに一切の法律上の争訟とはあらゆる法律上の係争という意味ではない。一口に法律上の係争といつても、その範囲は広汎であり、その中には事柄の特質上司法裁判権の対象の外におくを相当とするものがあるのである。けだし、自律的な法規範をもつ社会ないしは団体に在つては、当該規範の実現を内部規律の問題として自治的措置に任せ、必ずしも、裁判にまつを適当としないものがあるからである。本件における出席停止の如き懲罰はまさにそれに該当するものと解するを相当とする。」として、従来の部分社会論の立場から、村議会による村会議員に対する3日間の出席停止の懲罰は司法審査の対象とならないとした。
しかし、その後、岩沼市議会出席停止事件判決(最大判令2.11.25)は、「普通地方公共団体の議会の議員に対する出席停止の懲罰の適否は、司法審査の対象となるというべきである。これと異なる趣旨をいう所論引用の当裁判所大法廷昭和35年10月19日判決その他の当裁判所の判例は、いずれも変更すべきである。」として。本判決については、従来の最高裁判例の「部分社会の法理」ではなく、学説の外在的制約論に立っていると理解されている。
(R4 司法 第17問 ア)
地方議会の議員に対する出席停止の懲罰に関し、その懲罰を受けた議員が取消しを求める訴えは、法令の適用によって終局的に解決し得る法律上の争訟に当たるところ、議会により出席停止の懲罰処分を科されると、その議員は、住民の負託を受けた議員としての責務を十分に果たすことができなくなるから、当該処分が議会の自律的な権能に基づいてなされたものとして、議会に一定の裁量が認められるとしても、裁判所は、常にその適否を判断することができ、司法審査の対象となる。
地方議会議員の発言方法に関する地方議会の決定と司法審査 名古屋高判平成24年5月11日
概要
判例
前記のように、市議会における委員会及び本会議の議事進行等について、広く市議会の自主性、自律性が認められていることは否定しえないところである。しかし、このような市議会の自主性、自律性は、市議会議員各自に議会において発言する権利、自由が認められることを前提として、各議員の発言方法や発言時期、場所等を調整し、地方議会としての統一的な意思を適正・円滑に形成するためのものであるから、その前提となる各議員の発言の自由や権利そのものを一般的に阻害し、その機会を奪うに等しい状態を惹起することは、市議会の自主性、自律性の範囲を超えるものといわなければならない。
一審原告は、一審被告らによる一連の加害行為により、一市民として、障害者が代替手段を自ら選ぶ権利、すなわち、自らのあり方を決める権利(自己決定権)を侵害され、かつ、一審原告個人の表現の自由及び地方議会議員としての表現の自由、参政権、平等権を侵害されたと主張しているが、地方議会議員の議会における発言方法の制約如何によっては、議会における発言を一般的に阻害し、その機会そのものを奪うに等しい事態も生じうるところであり、特に、一審原告のような発声障害者の場合、健常者と異なり、その発言し得る方法が限定されることから、議会における発言方法の制約により、議会での発言の機会そのものを奪われる結果となるおそれが大きいといえる。
したがって、地方議会における議員の発言方法の制約も、上記のような状態を惹起する場合には、一般市民法秩序に関わり、一審原告の一審被告らに対する訴えは、裁判所法3条1項にいう「法律上の争訟」にあたるというべきである。」
過去問・解説
(H30 司法 第17問 イ)
判例の考え方からすると、発声障害により自ら発声することができない地方議会議員が、第三者による代読等、自らの発声以外の方法による発言を希望したのに対し、これを認めないという地方議会の決定は、純然たる内部規律の問題であるから、司法審査の対象にはならないことになる。
(正答) ✕
(解説)
裁判例(名古屋高判平24.5.11)は、「地方議会議員の議会における発言方法の制約如何によっては、議会における発言を一般的に阻害し、その機会そのものを奪うに等しい事態も生じうるところであり、特に、一審原告のような発声障害者の場合、健常者と異なり、その発言し得る方法が限定されることから、議会における発言方法の制約により、議会での発言の機会そのものを奪われる結果となるおそれが大きいといえる。したがって、地方議会における議員の発言方法の制約も、上記のような状態を惹起する場合には、一般市民法秩序に関わり、一審原告の一審被告らに対する訴えは、裁判所法3条1項にいう「法律上の争訟」にあたるというべきである。」としている。
富山大学事件 最三小判昭和52年3月15日
概要
②国公立大学が専攻科修了の認定をしないことは、実質的にみて、一般市民としての学生の国公立大学の利用を拒否することにほかならないものというべく、その意味において、学生が一般市民として有する公の施設を利用する権利を侵害するものであると解するのが相当であるから、専攻科修了の認定・不認定に関する争いは司法審査の対象になる。
判例
事案:国立大学の学生Xらが、同大学に対して単位取得認定の義務確認を求めて出訴した事案において、国立大学における授業科目の単位認定行為は司法審査の対象となるかが問題となった。
そこで、次に、右の見地に立つて本件をみるのに、大学の単位制度については大学設置基準(昭和31年文部省令第28号)がこれを定めているが、これによれば…、大学の教育課程は各授業科目を必修、選択及び自由の各科目に分け、これを各年次に配当して編成されるが(28条)、右各授業科目にはその履修に要する時間数に応じて単位が配付されていて(25条、26条)、それぞれの授業科目を履修し試験に合格すると当該授業科目につき所定数の単位が授与(認定)されることになつており(31条)、右教育課程に従い大学に4年以上在学し所定の授業科目につき合計124単位以上を修得することが卒業の要件とされているのであるから(32条)、単位の授与(認定)という行為は、学生が当該授業科目を履修し試験に合格したことを確認する教育上の措置であり、卒業の要件をなすものではあるが、当然に一般市民法秩序と直接の関係を有するものでないことは明らかである。それゆえ、単位授与(認定)行為は、他にそれが一般市民法秩序と直接の関係を有するものであることを肯認するに足りる特段の事情のない限り、純然たる大学内部の問題として大学の自主的、自律的な判断に委ねられるべきものであつて、裁判所の司法審査の対象にはならないものと解するのが、相当である。
【富山大学事件②】
事案:国立大学の学生Xらが、同大学に対して専攻科修了認定の義務確認を求めて出訴した事案において、国立大学における専攻科修了の認定行為は司法審査の対象となるかが問題となった。
判旨:「思うに、国公立の大学は公の教育研究施設として一般市民の利用に供されたものであり、学生は一般市民としてかかる公の施設である国公立大学を利用する権利を有するから、学生に対して国公立大学の利用を拒否することは、学生が一般市民として有する右公の施設を利用する権利を侵害するものとして司法審査の対象になるものというべきである。そして、右の見地に立つて本件をみるのに、大学の専攻科は、大学を卒業した者又はこれと同等以上の学力があると認められる者に対して、精深な程度において、特別の事項を教授し、その研究を指導することを目的として設置されるものであり(学校教育法五七条)、大学の専攻科への入学は、大学の学部入学などと同じく、大学利用の一形態であるということができる。そして、専攻科に入学した学生は、大学所定の教育課程に従いこれを履修し専攻科を修了することによつて、専攻科入学の目的を達することができるのであつて、学生が専攻科修了の要件を充足したにもかかわらず大学が専攻科修了の認定をしないときは、学生は専攻科を修了することができず、専攻科入学の目的を達することができないのであるから、国公立の大学において右のように大学が専攻科修了の認定をしないことは、実質的にみて、一般市民としての学生の国公立大学の利用を拒否することにほかならないものというべく、その意味において、学生が一般市民として有する公の施設を利用する権利を侵害するものであると解するのが、相当である。されば、本件専攻科修了の認定、不認定に関する争いは司法審査の対象になるものというべく、これと結論を同じくする原審の判断は、正当として是認することができる。
論旨は、法令上専攻科修了なる観念は存在せず、したがつて、専攻科修了の認定というのも法令に根拠を有しない事実上のものであるから、専攻科修了の認定という行為は行政事件訴訟法三条にいう処分にあたらない、と主張する。しかしながら、大学の専攻科というのは、前述のような教育目的をもつた一つの教育課程であるから、事理の性質上当然に、その修了という観念があるものというべきである。また、学校教育法57条は、専攻科の教育目的、入学資格及び修業年限について定めるのみで、専攻科修了の要件、効果等について定めるところはないが、それは、大学は、一般に、その設置目的を達成するために必要な諸事項については、法令に格別の規定がない場合でも、学則等においてこれを規定し、実施することのできる自律的、包括的な権能を有するところから、専攻科修了の要件、効果等同法に定めのない事項はすべて各大学の学則等の定めるところにゆだねる趣旨であると解されるのである。そして、現に、本件富山大学学則においても、「専攻科の教育課程は、別に定めるところによる。」(60条)、「専攻科に1年以上在学し所定の単位を履修取得した者は、課程を修了したものと認め修了証書を授与する。」(61条)と規定しているのであるから、法令上専攻科修了なる観念が存在し、専攻科修了の認定という行為が法令に根拠を有するものであることは明らかというべきである。そして、このことと、前述のように、国公立の大学は公の教育研究施設として一般市民の利用に供されたものであつて、国公立大学における専攻科修了の認定、不認定は学生が一般市民として有する右公の施設を利用する権利に関係するものであることとにかんがみれば、本件専攻科修了の認定行為は行政事件訴訟法3条にいう処分にあたると解するのが、相当である。それゆえ、論旨は、採用することができない。
論旨は、また、専攻科修了の認定は、大学当局の専権に属する教育作用であるから、司法審査の対象にはならないと主張する。しかしながら、富山大学学則61条によれば、前述のように、1年以上の在学と所定の単位の修得とが同大学の専攻科修了の要件とされているにすぎず(ちなみに、大学設置基準(昭和31年文部省令第28号)32条によれば、大学の卒業も、4年以上の在学と所定の単位124単位以上の修得とがその要件とされているにすぎない。)、小学校、中学校及び高等学校の卒業が児童又は生徒の平素の成績の評価という教育上の見地からする優れて専門的な価値判断をその要件としている(学校教育法施行規則27条、55条及び65条参照)のと趣を異にしている。それゆえ、本件専攻科の修了については、前記の2要件以外に論旨のいうような教育上の見地からする価値判断がその要件とされているものと考えることはできない。そして、右2要件が充足されたかどうかについては、格別教育上の見地からする専門的な判断を必要とするものではないから、司法審査になじむものというべく、右の論旨もまた、採用することができない。」
過去問・解説
(H23 予備 第9問 ア)
大学は、その設置目的を達成するために必要な事項を実施する、自律的、包括的な権能を有していることから、単位の授与や専攻科修了の認定に係る係争は、一般市民法秩序と直接の関係を有すると認められる特段の事情のない限り、司法審査の対象とはならない。
(H30 司法 第17問 ウ)
大学の単位認定行為は、特段の事情のない限り、純然たる大学内部の問題であって、大学の自主的な判断に委ねられるべきだから、司法審査の対象とならないとした判例もあった。
(H30 司法 第17問 エ)
判例の考え方からすると、特定の授業科目の単位の取得が国家資格取得の前提要件とされている場合には、大学の単位認定行為が司法審査の対象になる可能性もある。
(R5 司法 第16問 ウ)
大学の単位の授与(認定)という行為は、学生が履修した授業科目について合格したことを確認する教育上の措置であり、卒業の要件をなすものであるから、一般市民法秩序と直接の関係を有するものであることは明らかである。それゆえ、純然たる大学内部の問題とはいえず、大学の自主的、自律的な判断のみに委ねられるべきものではなく、裁判所の司法審査の対象となる。
技術士国家試験事件 最三小判昭和41年2月8日
概要
判例
判旨:「司法権の固有の内容として裁判所が審判しうる対象は、裁判所法3条にいう「法律上の争訟」に限られ、いわゆる法律上の争訟とは、「法令を適用することによって解決し得べき権利義務に関する当事者間の紛争をいう」ものと解される(昭和29年2月11日第一小法廷判決、民集8巻2号419頁参照)。従って、法令の適用によって解決するに適さない単なる政治的または経済的問題や技術上または学術上に関する争は、裁判所の裁判を受けうべき事柄ではないのである。国家試験における合格、不合格の判定も学問または技術上の知識、能力、意見等の優劣、当否の判断を内容とする行為であるから、その試験実施機関の最終判断に委せられるべきものであって、その判断の当否を審査し具体的に法令を適用して、その争を解決調整できるものとはいえない。この点についての原判決の判断は正当であって、上告人は裁判所の審査できない事項について救済を求めるものにほかならない。」
過去問・解説
(H22 司法 第18問 イ)
国家試験における合否の判定は、学問上又は技術上の知識、能力、意見等の優劣、当否の判断を内容とする行為であるから、濫用にわたらない限り当該試験実施機関の裁量に委ねられるべきである。
共産党袴田事件 最三小判昭和63年12月20日
概要
②当該処分が一般市民としての権利利益を侵害する場合であっても、当該処分の当否は、当該政党の自律的に定めた規範が公序良俗に反するなどの特段の事情のない限り右規範に照らし、右規範を有しないときは条理に基づき、適正な手続に則ってされたか否かによって決すべきであり、その審理も右の点に限られるものといわなければならない。
判例
過去問・解説
(H20 司法 第13問 イ)
国民には、政党を結成し、政党に加入し、若しくは政党を脱退する自由が保障されている。他方、政党は、政治上の信条や意見を共通にするものが任意に結成する団体であるから、党員に対して政治的忠誠を要求し、一定の統制を施すことができる。
(H20 司法 第13問 ウ)
法律上の権利義務関係をめぐる争訟であっても、政党の除名処分の有効性が紛争の前提問題となっている場合には、宗教上の教義や信仰の対象に関する価値判断が前提問題となっている場合と同様、裁判所の審査権は及ばない。
(正答) ✕
(解説)
共産党袴田事件判決(最判昭63.12.20)は、「政党が党員に対してした処分が一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、裁判所の審判権は及ばないというべきであり…」とする一方で、「他方、右処分が一般市民としての権利利益を侵害する場合であっても、右処分の当否は、当該政党の自律的に定めた規範が公序良俗に反するなどの特段の事情のない限り右規範に照らし、右規範を有しないときは条理に基づき、適正な手続に則ってされたか否かによって決すべきであり、その審理も右の点に限られるものといわなければならない。」としており、審理の範囲は限定的ではあるものの、政党の除名処分の有効性について裁判所の審査権が及ぶことを認めている。
(H23 予備 第9問 イ)
政党の処分が党員の一般市民としての権利利益への侵害となり得る場合においても、その処分の当否の司法審査は、政党の自律的に定めた規範が公序良俗に反するなどの特段の事情のない限り、その規範に照らし適正な手続にのっとってされたかどうかの範囲で行われる。
(H28 司法 第18問 ア)
政党の党員が、その政党の存立や秩序維持のために、自己の権利や自由に制約を受けることがあることは当然であり、政党が組織内の自律的運営として党員に対して行った処分の当否については、原則として自律的な解決に委ねるのが相当である。
(H28 司法 第18問 イ)
政党が党員に対して行った処分が、一般市民法秩序と直接の関係を有しない政党の内部的な問題にとどまるものである場合、裁判所は、その処分を司法審査の対象とするか否かについて、処分の内容や制約される党員の権利の性質等を考慮して、個別に判断するべきである。
(H28 司法 第18問 ウ)
政党が党員に対して行った処分が、党員の一般市民としての権利利益を侵害すると認められる場合、その処分は司法審査の対象となり、裁判所は、政党の有する内部規律に関する決定権に照らしてその処分の内容が合理的か否かについて審査するべきである。
(H28 予備 第8問 ア)
政党は、政治上の信条、意見等を共通にする者が任意に結成するものであって、党員に対して政治的忠誠を要求し、一定の統制を施すなどの自治権能を有する。
(H29 司法 第14問 ウ)
政党がその所属党員に対してした除名その他の処分の当否について、裁判所は、原則として適正な手続にのっとってされたか否かを審査して判断すべきであり、一般市民としての権利利益を侵害する場合に限り処分内容の当否を審査できるとするのが判例の立場である。
(R3 共通 第12問 イ)
政党に対しては、高度の自主性と自律性を与えて自主的に組織運営をなし得る自由を保障しなければならず、また、党員が政党の存立及び組織の秩序維持のために、自己の権利や自由に一定の制約を受けることがあるのも当然であるから、政党が党員に対してした除名処分の当否は、一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、裁判所の審判権は及ばない。
(正答) 〇
(解説)
共産党袴田事件判決(最判昭63.12.20)は、「政党が組織内の自律的運営として党員に対してした除名その他の処分の当否については、原則として自律的な解決に委ねるのを相当とし、したがって、政党が党員に対してした処分が一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、裁判所の審判権は及ばないというべきであ」るとしていることから、政党の党員に対する処分の当否については、政党の内部的な問題に留まる限りは、裁判所の審査権は及ばないといえる。
「政党に対しては、高度の自主性と自律性を与えて自主的に組織運営をなしうる自由を保障しなければならない。他方、党員が政党の存立及び組織の秩序維持のために、自己の権利や自由に一定の制約を受けることがあることもまた当然である。」とした上で、「右のような政党の結社としての自主性にかんがみると、政党の内部的自律権に属する行為は、法律に特別の定めのない限り尊重すべきであるから、政党が組織内の自律的運営として党員に対してした除名その他の処分の当否については、原則として自律的な解決に委ねるのを相当とし、したがって、政党が党員に対してした処分が一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、裁判所の審判権は及ばない」としている。
(R4 司法 第17問 イ)
政党が組織内の自律的運営として党員に対してした除名処分は、原則として自律的な解決に委ねるのが相当であり、その除名処分が一般市民法秩序と直接の関係のない内部的な問題にとどまる限り、司法審査の対象とはならず、また、一般市民としての権利利益を侵害する場合であっても、その処分の当否は、当該政党の自律的な規範が公序良俗に反するなどの特段の事情のない限りその規範に照らし、規範がない場合は条理に基づき、適正な手続にのっとってされたか否かによって決すべきであり、司法審査もこの点に限られる。