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憲法 ハンセン病訴訟 熊本地判平成13年5月11日 - 解答モード

概要
①居住・移転の自由は、経済的自由の一環をなすものであるとともに、奴隷的拘束等の禁止を定めた憲法18条よりも広い意味での人身の自由としての側面を持つ。のみならず、自己の選択するところに従い社会の様々な事物に触れ、人と接しコミュニケートすることは、人が人として生存する上で決定的重要性を有することであって、居住・移転の自由は、これに不可欠の前提というべきものである。
②新法の隔離規定は、新法制定当時から既に、ハンセン病予防上の必要を超えて過度な人権の制限を課すものであり、公共の福祉による合理的な制限を逸脱していたというべきであり、遅くとも昭和35年には、新法の隔離規定は、その合理性を支える根拠を全く欠く状況に至っており、その違憲性は明白となっていたというべきである。
③遅くとも昭和40年以降に新法の隔離規定を改廃しなかった国会議員の立法上の不作為につき、国家賠償法上の違法性を認めるのが相当である。
判例
事案:らい予防法(昭和28年成立)は、昭和20年代前半までにハンセン病が伝染し発病に至るおそれが極めて低い病気であることが広く認められ、ハンセン病に著効を示すプロミンの登場により、ハンセン病が治療可能で不治の病気であるとの観念が妥当しなくなっていたにもかかわらず、患者の強制隔離・外出制限・懲戒検束規定などの旧法の基本原理を引き継いだまま成立した。
 らい予防法11条の国立療養所に入所していたXらは、国に対し、厚生大臣が策定・遂行したハンセン病患者の隔離政策が違法であること、及び国会議員がらい予防法を制定した立法行為又はらい予防法を平成8年まで改廃しなかった立法不作為が違法である等として、国家賠償を求めて出訴した。

判旨:①「隔離は、憲法22条1項の保障する居住・移転の自由を侵害するものであり、その隔離が無期限の終生隔離であることにより、いったん隔離政策の対象となった者は家族との絆を断ち切られ、職を奪われ、あるいは教育を受ける機会や一般社会の中で人格形成する機会を奪われる。これらを総合して憲法13条の幸福追求権の侵害であると解するべきである。…憲法22条1項は、何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転の自由を有すると規定している。この居住・移転の自由は、経済的自由の一環をなすものであるとともに、奴隷的拘束等の禁止を定めた憲法18条よりも広い意味での人身の自由としての側面を持つ。のみならず、自己の選択するところに従い社会の様々な事物に触れ、人と接しコミュニケートすることは、人が人として生存する上で決定的重要性を有することであって、居住・移転の自由は、これに不可欠の前提というべきものである。
 新法は、6条、15条及び28条が一体となって、伝染させるおそれがある患者の隔離を規定しているのであるが、いうまでもなく、これらの規定(以下「新法の隔離規定」という。)は、この居住・移転の自由を包括的に制限するものである。ただ、新法の隔離規定によってもたらされる人権の制限は、居住・移転の自由という枠内で的確に把握し得るものではない。ハンセン病患者の隔離は、通常極めて長期間にわたるが、たとえ数年程度に終わる場合であっても、当該患者の人生に決定的に重大な影響を与える。ある者は、学業の中断を余儀なくされ、ある者は、職を失い、あるいは思い描いていた職業に就く機会を奪われ、ある者は、結婚し、家庭を築き、子供を産み育てる機会を失い、あるいは家族との触れ合いの中で人生を送ることを著しく制限される。その影響の現れ方は、その患者ごとに様々であるが、いずれにしても、人として当然に持っているはずの人生のありとあらゆる発展可能性が大きく損なわれるのであり、その人権の制限は、人としての社会生活全般にわたるものである。このような人権制限の実態は、単に居住・移転の自由の制限ということで正当には評価し尽くせず、より広く憲法13条に根拠を有する人格権そのものに対するものととらえるのが相当である。」
 ②「もっとも、これらの人権も、全く無制限のものではなく、公共の福祉による合理的な制限を受ける。しかしながら、前述した患者の隔離がもたらす影響の重大性にかんがみれば、これを認めるには最大限の慎重さをもって臨むべきであり、伝染予防のために患者の隔離以外に適当な方法がない場合でなければならず、しかも、極めて限られた特殊な疾病にのみ許されるべきものである。
 これを本件についてみるに、前記第3節第2の1で指摘した新法制定当時の事情、特に、ハンセン病が感染し発病に至るおそれが極めて低いものであること及びこのことに対する医学関係者の認識、我が国のハンセン病の蔓延状況、ハンセン病に著効を示すプロミンの登場によって、ハンセン病が十分に治療が可能な病気となり、不治の悲惨な病気であるとの観念はもはや妥当しなくなっていたことなど、当時のハンセン病医学の状況等に照らせば、新法の隔離規定は、新法制定当時から既に、ハンセン病予防上の必要を超えて過度な人権の制限を課すものであり、公共の福祉による合理的な制限を逸脱していたというべきである。
 そして、さらに、前記第3節第2の2で指摘した新法制定以降の事情、特に、昭和30年代前半までには、プロミン等スルフォン剤に対する国内外での評価が確定的なものになり、また、現実にも、スルフォン剤の登場以降、我が国において進行性の重症患者が激減していたこと、昭和30年から昭和35年にかけても新発見患者数の顕著な減少が見られたこと、昭和31年のローマ会議、昭和33年の第7回国際らい会議(東京)及び昭和34年のWHO第2回らい専門委員会などのハンセン病に関する国際会議の動向などからすれば、遅くとも昭和35年には、新法の隔離規定は、その合理性を支える根拠を全く欠く状況に至っており、その違憲性は明白となっていたというべきである。」
 ③「ある法律が違憲であっても、直ちに、これを制定した国会議員の立法行為ないしこれを改廃しなかった国会議員の立法不作為が国家賠償法上違法となるものではない。
 この点について、最高裁昭和60年11月21日第一小法廷判決(民集39巻7号1512頁)は、在宅投票制度を廃止しこれを復活しなかった立法行為についての事案について、「国会議員の立法行為は、立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行うというごとき、容易に想定し難いような例外的な場合でない限り、国家賠償法1条1項の規定の適用上、違法の評価を受けない」と判示し、その後にも、これと同旨の最高裁判決がある。
 しかしながら、右の最高裁昭和60年11月21日判決は、もともと立法裁量にゆだねられているところの国会議員の選挙の投票方法に関するものであり、患者の隔離という他に比類のないような極めて重大な自由の制限を課する新法の隔離規定に関する本件とは、全く事案を異にする。右判決は、その論拠として、議会制民主主義や多数決原理を挙げるが、新法の隔離規定は、少数者であるハンセン病患者の犠牲の下に、多数者である一般国民の利益を擁護しようとするものであり、その適否を多数決原理にゆだねることには、もともと少数者の人権保障を脅かしかねない危険性が内在されているのであって、右論拠は、本件に全く同じように妥当するとはいえない。また、その後の最高裁判決の事案も、一般民間人戦災者を対象とする援護立法をしないことに関するもの(昭和62年6月26日第二小法廷判決・裁判集民事151号147頁)、生糸の輸入制限に関するもの(平成2年2月6日第三小法廷判決・訟務月報36巻12号2242頁)、民法733条の再婚禁止期間に関するもの(平成7年12月5日第三小法廷判決・裁判集民事177号243頁)等であり、本件に匹敵するようなものは全く見当たらない。
 もっとも、右一連の最高裁判決は、立法行為が国家賠償法上違法と評価されるのは、容易に想定し難いような極めて特殊で例外的な場合に限られるべきである旨判示しており、その限りでは、本件にも妥当するものである。ただ、右判決の文言からも明らかなように、「立法の内容が憲法の一義的な文言に違反している」ことは、立法行為の国家賠償法上の違法性を認めるための絶対条件とは解されない。右一連の最高裁判決が「立法の内容が憲法の一義的な文言に違反している」との表現を用いたのも、立法行為が国家賠償法上違法と評価されるのが、極めて特殊で例外的な場合に限られるべきであることを強調しようとしたにすぎないものというべきである。
 そこで本件について検討するに、既に述べたとおり、新法の隔離規定は、新法制定当時から既に、ハンセン病予防上の必要を超えて過度な人権の制限を課すものであり、公共の福祉による合理的な制限を逸脱していたというべきであり、遅くとも昭和35年には、その違憲性が明白になっていたのであるが、このことに加え、新法附帯決議が、近い将来、新法の改正を期するとしており、もともと新法制定当時から新法の隔離規定を見直すべきことが予定されていたこと、昭和30年代前半には、スルフォン剤の評価が確実なものとなり、これに伴い、国際的には、次第に強制隔離否定の方向性が顕著となり、昭和31年のローマ会議以降のハンセン病の国際会議においては、ハンセン病に関する特別法の廃止が繰り返し提唱されるまでに至っていたこと、特に、昭和33年に東京で開催された第七回国際らい会議では、「政府がいまだに強制的な隔離政策を採用しているところは、その政策を全面的に破棄するように勧奨する」等と決議されていること、さらに、昭和38年の第8回国際らい会議では、「この病気に直接向けられた特別な法律は破棄されるべきである。一方、法外な法律が未だ廃されていない所では、現行の法律の適用は現在の知識の線に沿ってなされなければならない。(中略)無差別の強制隔離は時代錯誤であり、廃止されなければならない。」とされたこと、同年ころの新法改正運動の際には、全患協が、国会議員や厚生省に対し、改正要請書を提出したり新法改正を求める陳情を行うなどの活動を盛んに行っており、右陳情を受けた国会議員の中には、「政府も早急に法改正に努力しなければならない。」とか、「このような予防法があることは国として恥かしい。」と述べた者もいたほどであり、国会議員としても、このころに新法の隔離規定の適否を判断することは十分に可能であったこと、昭和39年3月に厚生省公衆衛生局結核予防課がまとめた「らいの現状に対する考え方」…からしても、新法の隔離規定に合理性がないことが明らかであること、その他、前記第3節第2の1及び2で指摘した事情等を考慮し、新法の隔離規定が存続することによる人権被害の重大性とこれに対する司法的救済の必要性にかんがみれば、他にはおよそ想定し難いような極めて特殊で例外的な場合として、遅くとも昭和40年以降に新法の隔離規定を改廃しなかった国会議員の立法上の不作為につき、国家賠償法上の違法性を認めるのが相当である。
 そして、前記第3節第2の1及び2で指摘した事情等、新法の隔離規定の違憲性を判断する前提として認定した事実関係については、国会議員が調査すれば容易に知ることができたものであり、また、昭和38年ころには、全患協による新法改正運動が行われ、国会議員や厚生省に対する陳情等の働き掛けも盛んに行われていたことなどからすれば、国会議員には過失が認められるというべきである。」
過去問・解説

(R6 司法 第7問 イ)
居住・移転の自由は、複合的な性格を有する人権と解されており、広く知的な接触の機会を得るために不可欠であることから、精神的自由の要素も併せ持っている。

(正答)  

(解説)
居住・移転の自由については、①資本主義経済の不可欠の要素である自由な経済活動の基礎的条件であるとともに、②自己の移動したいところに移動できるという点で人身の自由としての側面をもち、さらには、③自己の選択するところに居を定め様々な自然と人に接し、私生活を形成維持することで、人格形成・精神生活にとって決定的に重要であるという意味で、精神的自由としての側面も有する、と理解されている。
ハンセン病訴訟判決(熊本地判平13.5.11)も、「居住・移転の自由は、経済的自由の一環をなすものであるとともに、奴隷的拘束等の禁止を定めた憲法18条よりも広い意味での人身の自由としての側面を持つ。のみならず、自己の選択するところに従い社会の様々な事物に触れ、人と接しコミュニケートすることは、人が人として生存する上で決定的重要性を有することであって、居住・移転の自由は、これに不可欠の前提というべきものである。」としている。

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