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憲法 自衛官合祀訴訟 最大判昭和63年6月1日 - 解答モード

概要
①私的団体が護国神社に対し殉職自衛隊員の合祀を申請する過程において自衛隊職員のした行為は、憲法20条3項にいう「宗教的活動」に当たらない。
②死去した配偶者の追慕、慰霊等に関して私人がした宗教上の行為によって信仰生活の静謐が害されたとしても、それが信教の自由の侵害に当たり、その態様、程度が社会的に許容し得る限度を超える場合でない限り、法的利益が侵害されたとはいえない。
判例
事案:Xは、社団法人隊友会山口県支部連合会(県隊友会)と自衛隊山口県地方連絡支部(地連)が、Xの意思に反して、共同して合祀を申請したとして、政教分離原則違反、信教の自由の侵害、及び宗教的人格権(宗教的プライバシー)等の侵害を主張して、共同不法行為による損害賠償等を求めて訴訟を提起した。

判旨:①「本件合祀申請に至る過程において県隊友会に協力してした地連職員の行為が、憲法20条3項にいう宗教的活動に当たるか否かを検討する。右条項にいう宗教的活動とは、宗教とかかわり合いをもつすべての行為を指すものではなく、当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいい、ある行為が宗教的活動に該当するかどうかを検討するに当たっては、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念にしたがって、客観的に判断しなければならないものである…。合祀は神社の自主的な判断に基づいて決められる事柄であることは前記のとおりであって、何人かが神社に対し合祀を求めることは、合祀のための必要な前提をなすものではなく、本件において県護国神社としては既に昭和四六年秋には殉職自衛隊員を合祀する方針を基本的に決定していたことは原審の確定するところである。してみれば、本件合祀申請という行為は、殉職自衛隊員の氏名とその殉職の事実を県護国神社に対し明らかにし、合祀の希望を表明したものであって、宗教とかかわり合いをもつ行為であるが、合祀の前提としての法的意味をもつものではない。そして、本件合祀申請に至る過程において県隊友会に協力してした地連職員の具体的行為は前記のとおりであるところ、その宗教とのかかわり合いは間接的であり、その意図、目的も、合祀実現により自衛隊員の社会的地位の向上と士気の高揚を図ることにあつたと推認されることは前記のとおりであるから、どちらかといえばその宗教的意識も希薄であったといわなければならないのみならず、その行為の態様からして、国又はその機関として特定の宗教への関心を呼び起こし、あるいはこれを援助、助長、促進し、又は他の宗教に圧迫、干渉を加えるような効果をもつものと一般人から評価される行為とは認め難い。したがって、地連職員の行為が宗教とかかわり合いをもつものであることは否定できないが、これをもって宗教的活動とまではいうことはできないものといわなければならない。」
 ②「私人相互間において憲法20条1項前段及び同条2項によって保障される信教の自由の侵害があり、その態様、程度が社会的に許容し得る限度を超えるときは、場合によっては、私的自治に対する一般的制限規定である民法1条、90条や不法行為に関する諸規定等の適切な運用によって、法的保護が図られるべきである。しかし、人が自己の信仰生活の静謐を他者の宗教上の行為によって害されたとし、そのことに不快の感情を持ち、そのようなことがないよう望むことのあるのは、その心情として当然であるとしても、かかる宗教上の感情を被侵害利益として、直ちに損害賠償を請求し、又は差止めを請求するなどの法的救済を求めることができるとするならば、かえつて相手方の信教の自由を妨げる結果となるに至ることは、見易いところである。信教の自由の保障は、何人も自己の信仰と相容れない信仰をもつ者の信仰に基づく行為に対して、それが強制や不利益の付与を伴うことにより自己の信教の自由を妨害するものでない限り寛容であることを要請しているものというべきである。このことは死去した配偶者の追慕、慰霊等に関する場合においても同様である。何人かをその信仰の対象とし、あるいは自己の信仰する宗教により何人かを追慕し、その魂の安らぎを求めるなどの宗教的行為をする自由は、誰にでも保障されているからである。原審が宗教上の人格権であるとする静謐な宗教的環境の下で信仰生活を送るべき利益なるものは、これを直ちに法的利益として認めることができない性質のものである。以上の見解にたつて本件をみると、県護国神社による孝文の合祀は、まさしく信教の自由により保障されているところとして同神社が自由になし得るところであり、それ自体は何人の法的利益をも侵害するものではない。そして、被上告人が県護国神社の宗教行事への参加を強制されたことのないことは、原審の確定するところであり、またその不参加により不利益を受けた事実、そのキリスト教信仰及びその信仰に基づき孝文を記念し追悼することに対し、禁止又は制限はもちろんのこと、圧迫又は干渉が加えられた事実については、被上告人において何ら主張するところがない。…してみれば、被上告人の法的利益は何ら侵害されていないというべきである。」

 
 補足意見:「私は多数意見と見解を同じくするものであるが、若干の点について、私の意見を補足したい。
 一 信教の自由と宗教的寛容さについて
 …ところで、憲法20条1項前段は、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」とし、他方、同条3項は、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」としているから、国及びその機関を除く何人も宗教的活動をする自由を憲法上保障されているといわなければならない。つまり、宗教法人法2条に「宗教団体」として定義されている「礼拝の施設を備える神社、寺院、教会、修道院その他これらに類する団体」及びこれらの「団体を包括する教派、宗派、教団、教会、修道会、司教区その他これらに類する団体」はもとより、これらに含まれない団体又は個人もひとしく信教の自由を保障されているのである。宗教法人法1条2項は、この趣旨を明らかにして、「憲法で保障された信教の自由は、すべての国政において尊重されなければならない。従つて、この法律のいかなる規定も、個人、集団又は団体が、その保障された自由に基いて、教義をひろめ、儀式行事を行い、その他宗教上の行為を行うことを制限するものと解釈してはならない。」と定めている。このようにして、真の信教の自由は、その歴史的沿革、信者の数の多少その他当該宗教をめぐる諸般の情況のいかんにかかわらず、すべての宗教がその教義をひろめ、儀式行事を行い、その他宗教上の行為を行う自由をひとしく保障されるところに成り立つのであつて、これをその反面からみれば、各宗教には他の宗教が憲法上保障されている宗教上の行為に干渉せず、これを妨げないという寛容さが、憲法上要請されているものということができる。このことは信者においても同様であり、各宗教の信者にも、他の宗教の行う宗教上の行為について、それが宗教団体その他の団体、集団によつて行われるものであれ、その信者によつて行われるものであれ、たとえそれに対し不快感をもつたとしても、これを受忍すべき寛容さが求められているものというべきである。もし逆にこのような不快感を理由に、人格権の侵害があるとし、法的救済を求めることができるとするならば、宗教団体等や信者が行う宗教上の行為、特にその宗教の教義をひろめるため、他の者に対し伝道、布教や宗教教育を行うような行為、あるいは信仰を異にする者のために祈る行為などは、すべて他の宗教の信者から損害賠償や差止めを訴求されるおそれがある行為ということになる。仮に宗教団体等や信者が行うそのような行為は、法的利益の侵害行為ではあるが、その法的利益はそれほど強いものではなく、その侵害行為の違法性も高くないから、相手方が受忍すべき限度内のものというべきで、不法行為は成立しないとの見解に立つとしても、これらの行為が他者に不快感を与えることにより、軽微とはいえその法的利益を侵害するものであるという以上、宗教団体等や信者として本来してはならない行為ということになつてしまうことには変わりはないのである。かくては、特に伝道、布教を活動の中心とする宗教においてその打撃が大きく、憲法が信教の自由を保障している趣旨は、全く没却されるといつて過言ではない。そして、右に述べたように、憲法は、その宗教の我が国における歴史的沿革や信者の多少にかかわらず、どのような宗教に対しても、またどのような宗教を信ずる者に対しても平等に信教の自由を保障しているのであつて、いわゆる宗教的少数者といわれる立場にある者を特別に保護しようとしているものではないから、このような者もその例外ではなく、ひとしくこの寛容さが求められていることはいうまでもない。
 さらに、この理は、死去した自己の配偶者や近親者を自己の信仰する宗教以外の宗教で慰霊し、あるいは信仰の対象とする者がある場合でも、同様であり、たとえその宗教上の行為に対し不快感を抱いても、これを受忍すべき寛容さが求められているのである。けだし、信教の自由は、何人に対しても、自己が慰霊の対象として選んだものを自己の信仰する宗教により慰霊し、また自己の信仰の対象として選んだものを信仰し、祈りをささげる自由を保障しているのであり、それは、慰霊や信仰の対象が縁故者であろうとなかろうと同じであるし、また信仰の対象が故人であつても、生存者であつても、さらには人間以外の生物、無生物、天然事象その他何であつても、異なるところはないからである。
 なお、ここで故人の近親者間の問題について一言する。信教の自由は、各個人に対し保障されているのであつて、今日においていわゆる家の宗教なるものが存在しないことはいうまでもないし、家族や近親者の間においても、相互に信仰を異にすることもまれではない。現に原審の判示するところによれば、孝文の父之丞が孝文の葬儀を仏式で挙行し、遺骨を仏壇に安置しておいたところ、被上告人は遺骨の一部を帯出した後、これをキリスト教会の納骨堂に納め、同教会の永眠者記念礼拝に出席しているというのであり、また之丞は孝文の合祀を非常にうれしく思い、孝文の弟妹と連名で孝文の合祀について被上告人の希望を容れないで欲しい旨の嘆願書を県隊友会あてに送付しているというのである。故人の追慕、慰霊に関して、近親者のうち特に配偶者の意向を父母又は子の意向に優先させるべき法理は見当たらないし、相互に信仰を異にする近親者が故人の追慕、慰霊に関し他の近親者のとつた宗教上の行為に対する不快感を理由に、相互に法的救済を求めることができるとするならば、真に収拾のつかない事態に立ち至ることが明らかである。近親者相互間においても、互いに寛容さが要請されるのである。
 二、三 …略… 」(長島敦裁判官の補足意見)
過去問・解説

(H21 司法 第6問 イ)
信教の自由の保障は、何人も他者の信仰に基づく行為に対して、それが強制や不利益の付与を伴うことにより自己の信教の自由を妨害するものでない限り寛容であることを要請しているものというべきである。このことは、死去した配偶者の追慕、慰霊等に関する場合においても同様である。

(正答)  

(解説)
自衛官合祀訴訟判決(最大判昭63.6.1)は、「信教の自由の保障は、何人も自己の信仰と相容れない信仰をもつ者の信仰に基づく行為に対して、それが強制や不利益の付与を伴うことにより自己の信教の自由を妨害するものでない限り寛容であることを要請しているものというべきである。このことは死去した配偶者の追慕、慰霊等に関する場合においても同様である。何人かをその信仰の対象とし、あるいは自己の信仰する宗教により何人かを追慕し、その魂の安らぎを求めるなどの宗教的行為をする自由は、誰にでも保障されているからである」としている。


(H28 司法 第5問 ア)
神社において死者の合祀を行うことが遺族である配偶者の心の静謐を害する場合、その遺族は、静謐な宗教的環境の下で信仰生活を送るべき利益である宗教的人格権を侵害されたと主張して、損害賠償を請求できる。

(正答)  

(解説)
自衛官合祀訴訟判決(最大判昭63.6.1)は、「信教の自由の保障は、何人も自己の信仰と相容れない信仰をもつ者の信仰に基づく行為に対して、それが強制や不利益の付与を伴うことにより自己の信教の自由を妨害するものでない限り寛容であることを要請しているものというべきである。このことは死去した配偶者の追慕、慰霊等に関する場合においても同様である。何人かをその信仰の対象とし、あるいは自己の信仰する宗教により何人かを追慕し、その魂の安らぎを求めるなどの宗教的行為をする自由は、誰にでも保障されているからである」とした上で、「原審が宗教上の人格権であるとする静謐な宗教的環境の下で信仰生活を送るべき利益なるものは、これを直ちに法的利益として認めることができない性質のものである。」としているから、静謐な宗教的環境の下で信仰生活を送るべき利益である宗教的人格権なるものは認めていない。


(R1 司法 第4問 イ)
憲法第20条第1項前段及び同条第2項によって保障される信教の自由は、自己の信仰と相容れない信仰を持つ者の信仰に基づく行為に対しても寛容であることを要請するものであり、県護国神社による殉職した自衛官の合祀は、遺族が同神社の宗教行事に参加を強制されるなどの干渉等とならない限り、同神社が自由になし得る。

(正答)  

(解説)
自衛官合祀訴訟判決(最大判昭63.6.1)は、「信教の自由の保障は、何人も自己の信仰と相容れない信仰をもつ者の信仰に基づく行為に対して、それが強制や不利益の付与を伴うことにより自己の信教の自由を妨害するものでない限り寛容であることを要請しているものというべきである。」とした上で、「県護国神社による孝文の合祀は、まさしく信教の自由により保障されているところとして同神社が自由になし得る」としている。


(R6 司法 第4問 イ)
憲法第20条第1項前段、同条第2項の趣旨に照らせば、宗教上の人格権の一内容として、静謐な環境の下で信仰生活を送る利益が保障される。私的団体が殉職した自衛官を遺族の意思に反して神社に合祀申請した行為は、遺族の信仰生活の静謐を害するが、その侵害の態様や程度が社会的に許容し得る限度を超えておらず、遺族の法的利益が侵害されたとはいえない。

(正答)  

(解説)
自衛官合祀訴訟事件判決(最大昭63.6.1)は、「信教の自由の保障は、何人も自己の信仰と相容れない信仰をもつ者の信仰に基づく行為に対して、それが強制や不利益の付与を伴うことにより自己の信教の自由を妨害するものでない限り寛容であることを要請しているものというべきである。」との理由から、「原審が宗教上の人格権であるとする静謐な宗教的環境の下で信仰生活を送るべき利益なるものは、これを直ちに法的利益として認めることができない性質のものである。」としている。
したがって、本肢のうち「憲法第20条第1項前段、同条第2項の趣旨に照らせば、宗教上の人格権の一内容として、静謐な環境の下で信仰生活を送る利益が保障される。」という部分は、誤っている。

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