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憲法 「北方ジャーナル」事件 最大判昭和61年6月11日 - 解答モード
概要
②人格権としての名誉権は、物権と同様の排他性を有する権利であるから、実体法上の差止請求権の根拠になる。
③言論・出版等の表現行為により名誉侵害を来す場合には、人格権としての個人の名誉の保護(憲法13条)と表現の自由の保障(同21条)とが衝突し、その調整を要することとなるので、いかなる場合に侵害行為としてその規制が許されるかについて憲法上慎重な考慮が必要である。
④出版物の頒布等の事前差止めは、右出版物が公務員又は公職選挙の候補者に対する評価、批判等に関するものである場合には、原則として許されず、その表現内容が真実でないか又は専ら公益を図る目的のものでないことが明白であつて、かつ、被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被る虞があるときに限り、例外的に許される。また、事前差止めを仮処分によつて命ずる場合には、原則として口頭弁論又は債務者の審尋を経ることを要するが、債権者の提出した資料によつて、表現内容が真実でないか又は専ら公益を図る目的のものでないことが明白であり、かつ、債権者が重大にして著しく回復困難な損害を被る虞があると認められるときは、口頭弁論又は債務者の審尋を経なくても憲法21条の趣旨に反するものとはいえない。
判例
補足意見:「私は、多数意見に示された結論とその理由についてともに異論がなく、これに同調するものであるが、本件は、表現行為に対して裁判所の行う事前の規制にかかわる憲法上の重要な論点を提起するものであるから、それが憲法によつて禁止されるものであるかどうか、また憲法上許容されうるとしてもその許否を判断する基準をどこに求めるか、というこの問題の実体的側面を中心として、私の考えるところを述べて、多数意見を補足することとしたい。
一 多数意見の説示するとおり、当裁判所は、憲法21条2項前段に定める検閲とは、行政権が主体となつて、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物について網羅的一般的に、発表前にその内容を審査したうえ、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指すと解し、「検閲」を右のように古くから典型的な検閲と考えられてきたものに限定するとともに、それは憲法上絶対的に禁止されるものと判示している(昭和57年(行ツ)第156号同59年12月12日大法廷判決・民集38巻12号1308頁)。この見解は、憲法の定める検閲の意味を狭く限定するものであるが、憲法によるその禁止に例外を認めることなく、およそ「検閲」に該当するとされるかぎり憲法上許容される余地がないという厳格な解釈と表裏をなすものであつて、妥当な見解であるといつてよいと思われる。
しかし、右の判示は、表現行為に対する公権力による事前の規制と考えられるもののすべてが「検閲」に当たるという理由によつて憲法上許されないと解することはできない、とするものであつて、一般に表現行為に対する事前の規制が表現の自由を侵害するおそれのきわめて大であることにかんがみると、憲法の規定する「検閲」の絶対的禁止には、憲法上事前の規制一般について消極的な評価がされているという趣旨が含まれていることはいうまでもないところであろう。そして、このような趣旨は、表現の自由を保障する憲法二一条一項の解釈のうちに、当然に生かされなければならないものと考える。もとより、これは同項による憲法上の規律の問題であつて、同条二項前段のような絶対的禁止のそれではないから、事前の抑制であるという一事をもつて直ちに違憲の烙印を押されるものではないが、それが許容されるかどうかについての判断基準の設定においては、厳格な要件が求められることとなるのである。
そもそも表現の自由の制約の合憲性を考えるにあたつては、他の人権とくに経済的な自由権の制約の場合と異なつて、厳格な基準が適用されるのであるが(最高裁昭和45年(あ)第23号同47年11月22日大法廷判決・刑集26巻9号576頁、昭和43年(行ツ)第120号同50年4月30日大法廷判決・民集29巻4号572頁参照)、同じく表現の自由を制約するものの中にあつても、とりわけ事前の規制に関する場合には、それが合憲とされるためにみたすべき基準は、事後の制裁の場合に比していつそう厳しいものとならざるをえないと解される。当裁判所は、すでに、法律の規制により表現の自由が不当に制限されるという結果を招くことがないよう配慮する必要があるとしつつ、「事前規制的なものについては特に然りというべきである」と判示している(前記昭和59年12月12日大法廷判決)。これは、表現の自由を規制する法律の規定の明確性に関連して論じたものではあるが、表現の自由の規制一般について妥当する考え方であると思われる。もとより、事前の規制といつても多様なものがあるから、これを画一的に判断する基準を設定することは困難であるし、画一的な基準はむしろ適切とはいえない。私は、この場合には、当該事前の規制の性質や機能と右に示された「検閲」のもつ性質や機能との異同の程度を図つてみることが有益であろうと考えている。
二 本件で問題とされているのは、表現行為に対する裁判所の仮処分手続による差止めである。これは、行政機関ではなく、司法裁判所によつてされるものであつて、前示のような「検閲」に当たらないことは明らかである。したがつて、それが当然に、憲法によつて禁止されるものに当たるということはできない。しかし、単に規制を行う機関が裁判所であるという一事によつて、直ちにその差止めが「検閲」から程遠いものとするのは速断にすぎるのであつて、問題の検討にあたつては、その実質を考慮する必要がある。「検閲」の大きな特徴は、一般的包括的に一定の表現を事前の規制の枠のうちにとりこみ、手続上も概して密行的に処理され、原則として処分の理由も示されず、この処分を法的に争う手段が存在しないか又はきわめて乏しいところに求められる。裁判所の仮処分は、多数意見も説示するとおり、網羅的一般的な審査を行うものではなく、当事者の申請に基づいて司法的な手続によつて審理判断がされるもので、理由を付して発せられ、さらにそれが発せられたときにも、法的な手続で争う手段が認められているのであつて、単に担当の機関を異にするというだけではなく、その実質もまた「検閲」と異なるものというべきである。
しかしながら、他面において、裁判所の仮処分による差止めが「検閲」に類似する側面を帯有していることも、否定することはできない。第一に、それは、表現行為が受け手に到達するに先立つて公権力をもつて抑止するものであつて、表現内容の同一のものの再発行のような場合を除いて、差止めをうけた表現は、思想の自由市場、すなわち、いかなる表現も制限なしにもち出され、表現には表現をもつて対抗することが予定されている場にあらわれる機会を奪われる点において、「検閲」と共通の性質をもつている。第二に、裁判所の審査は、表現の外面上の点のみならず、その思想内容そのものにも及ぶのであつて、この点では、当裁判所が、表現物を「容易に判定し得る限りにおいて審査しようとするものにすぎ」ないと判断した税関による輸入品の検査に比しても、「検閲」に近い要素をもつている。第三に、仮の地位を定める仮処分の手続は、司法手続とはいつても非訟的な要素を帯びる手続で、ある意味で行政手続に近似した性格をもつており、またその手続も簡易で、とくに不利益を受ける債務者の意見が聞かれる機会のないこともある点も注意しなければならない。
三 このように考えてくると、裁判所の仮処分による表現行為の事前の差止めは、憲法の絶対的に禁止する「検閲」に当たるものとはいえないが、それと類似するいくつかの面をそなえる事前の規制であるということができ、このような仮処分によつて仮の満足が図られることになる差止請求権の要件についても、憲法の趣旨をうけて相当に厳しい基準によつて判断されなければならないのである。多数意見は、このような考え方に基づくものということができる。私として、以下にこの基準について検討することとしたい。
1 まず考えられるのは、利益較量によつて判断する方法である。およそ人権の制約の合憲性を判断する場合に、その人権とそれに対立する利益との調整が問題となり、そこに利益較量の行われるべきことはいうまでもないところであろう(憲法制定者が制定時においてすでに利益較量を行つたうえでその結論を成文化したと考えられる場合、例えば「検閲」の禁止はそれに当たるが、かかる場合には、ある規制が「検閲」に当たるかどうかは問題となりうるとしても、それに当たるとされる以上絶対的に禁止され、もはや解釈適用の過程で利益較量を行うことは排除されることとなる。しかし、これはきわめて例外的な事例である。)。本件のように、人格権としての名誉権と表現の自由権とが対立する場合、いかに精神的自由の優位を説く立場にあつても、利益較量による調整を図らなければならないことになる。その意味で、判断の過程において利益が較量されるべきこと自体は誤りではない。しかし、利益較量を具体的事件ごとにそこでの諸事情を総合勘案して行うこととすると、それはむしろ基準を欠く判断となり、いずれの利益を優先させる結論に到達するにしても、判断者の恣意に流れるおそれがあり、表現の自由にあつては、それに対する萎縮的効果が大きい。したがつて、合理性の基準をもつて判断してよいときは別として、精神的自由権にかかわる場合には、単に事件ごとに利益較量によつて判断することで足りるとすることなく、この較量の際の指標となるべき基準を求めなければならないと思われる。
表現行為には多種多様のものがあるが、これを類型に分類してそれぞれの類型別に利益較量を行う考え方は、右に述べた事件ごとに個別的に較量を行うのに比して、較量に一定のルールを与え、規制の許される場合を明確化するものであつて、有用な見解であると思われる。本件のような名誉毀損の事案において、その被害者とされる対象の社会的地位を考慮し、例えば公的な人物に対する批判という類型に属するとき、その表現のもつ公益性を重視して判断するのはその一例であるが、この方法によれば、表現の自由と名誉権との調和について相当程度に客観的とみられる判断を確保できることになろう。大橋裁判官の補足意見はこの考え方を支持するものであつて、示唆に富む見解である。そして、このような類型を重視する利益較量を行うならば、本件においては、多数意見と同じ結論になるといえるし、多数意見も、基本的にはこの考え方に共通する立場に立つものといつてもよい。ただ、私見によれば、本件のような事案は別として、一般的に類型別の利益較量によつて判断すべきものとすれば、表現の類型をどのように分類するか、それぞれの類型についてどのような判断基準を採用するか、の点において複雑な問題を生ずるおそれがあり、また、もし類型別の基準が硬直化することになると、妥当な判断を保障しえないうらみがある。そして、何よりも、類型別の利益較量は、表現行為に対する事後の制裁の合憲性を判断する際に適切であるとしても、事前の規制の場合には、まさに、事後ではなく「事前の」規制であることそれ自体を重視すべきものと思われる。ここで表現の類型を考えることも有用ではあるが、かえつて事前の規制である点の考慮を稀薄にするのではあるまいか。
2 つぎに、谷口裁判官の意見に示された「現実の悪意」の基準が考えられる。これは、表現の自由のもつ重要な価値に着目して、その保障を強くする理論であつて、この見解に対して深い敬意を表するものである。そして、同裁判官が本件における多数意見の結論に賛成されることでも明らかなように、この見解をとつても本件において結論は変ることはなく、あえていえば、異なる視角から同じ結論に到達するものといえなくもない。ただ私としては、たとえ公的人物を対象とする名誉毀損の場合に限るとしても、これを事前の規制に対する判断基準として用いることに若干の疑問をもつている。客観的な事実関係から現実の悪意を推認することも可能ではあるが、それが表現行為者の主観に立ち入るものであるだけに、仮処分のような迅速な処理を要する手続において用いる基準として適当でないことも少なくなく、とくに表現行為者の意見を聞くことなしにこの基準を用いることは、妥当性を欠くものと思われる。私は、この基準を、公的な人物に対する名誉毀損に関する事後の制裁を考える場合の判断の指標として、その検討を将来に保留しておきたいと思う。
3 多数意見の採用する基準は、表現の自由と名誉権との調整を図つている実定法規である刑法230条ノ2の規定の趣旨を参酌しながら、表現行為が公職選挙の候補者又は公務員に対する評価批判等に関するものである場合に、それに事前に規制を加えることは裁判所といえども原則として許されないとしつつ、例外的に、表現内容が真実でなく又はそれが専ら公益に関するものでないことが明白であつて、かつ、被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれのある場合に限つて、事前の差止めを許すとするものである。このように、表現内容が明白に真実性を欠き公益目的のために作成されたものでないと判断され、しかも名誉権について事後的には回復し難い重大な損害を生ずるおそれのある場合に、裁判所が事前に差し止めることを許しても、事前の規制に伴う弊害があるということはできず、むしろ、そのような表現行為は価値において名誉権に劣るとみられてもやむをえないというべきであり、このような表現行為が裁判によつて自由市場にあらわれえないものとされることがあつても、憲法に違背するとは考えられない。そして、顕著な明白性を要求する限り、この基準は、谷口裁判官の説かれるように、不確定の要件をもつて表現行為を抑えるもので表現の自由の保障に対する歯止めとなりえない、ということはできないように思われる。
四 以上のような厳格な基準を適用することにすれば、実際上、立証方法が疎明に限定される仮処分によつて表現行為の事前の差止めが許される場合は、著しく制限されることになろう。公的な人物、とりわけ公職選挙の候補者、公務員とくに公職選挙で選ばれる公務員や政治ないし行政のあり方に影響力を行使できる公務員に対する名誉毀損は、本件のような特異な例外的場合を除いて、仮処分によつて事前に差し止めることはできないことになると思われる。私も、名誉権が重要な人権であり,また、名誉を毀損する表現行為が公にされると名誉は直ちに侵害をうけるものであるため、名誉を真に保護するために事前の差止めが必要かつ有効なものであることを否定するものではない。しかし、少なくとも公的な人物を対象とする場合には、表現の自由の価値が重視され、被害者が救済をうけることができるとしても、きわめて限られた例外を除いて、その救済は、事後の制裁を通じてされるものとするほかはないと思われる。なお、わが国において名誉毀損に対する損害賠償は、それが認容される場合においても、しばしば名目的な低額に失するとの非難を受けており、関係者の反省を要することについては、大橋裁判官の補足意見に指摘されるとおりである。またさらに、このような事後の救済手段として、現在認められているよりもいつそう有効適切なものを考える必要があるようにも考えられるが、それは本件のような仮処分による事前の規制の許否とは別個の問題である。
裁判官大橋進の補足意見は、次のとおりである。」(伊藤正己裁判官の補足意見)
過去問・解説
(H18 司法 第5問 小問1第2肢改題)
公職候補者を厳しく批判する雑誌の刊行、販売、配布等を差し止める仮処分が争われた事例についての判決は、事実の報道の自由が憲法21条の保障の下にあると述べるにあたり、報道機関の報道が国民の「知る権利」に奉仕することを指摘している。
(H24 司法 第3問 ア)
裁判所の事前差止めは、思想内容等の表現物につき、その発表の禁止を目的として、対象となる表現物の内容を網羅的一般的に審査する性質を有するものではあるが、裁判所という司法機関により行われるものであるから、憲法21条2項前段の「検閲」には当たらない。
(正答) ✕
(解説)
「北方ジャーナル」事件判決(最大判昭61.6.11)は、「憲法21条2項前段にいう検閲とは、行政権が主体となつて、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査したうえ、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指すと解すべき…である。」とした上で、「一定の記事を掲載した雑誌その他の出版物の印刷、製本、販売、頒布等の仮処分による事前差止めは、裁判の形式によるとはいえ、…非訟的な要素を有することを否定することはできない」と述べているから、「裁判所という司法機関により行われるもの」(本肢)であることを理由に「検閲」に当たらないと判断しているのではない。
本判決が裁判所の事前差止めが「検閲」に当たらないと判断した理由は、「表現物の内容の網羅的一般的な審査に基づく事前規制が行政機関によりそれ自体を目的として行われる場合とは異なり、個別的な私人間の紛争について、司法裁判所により、当事者の申請に基づき差止請求権等の私法上の被保全権利の存否、保全の必要性の有無を審理判断して発せられるものであ」ることにある。
(H24 司法 第3問 イ)
裁判所の事前差止めは、表現行為が公共の利害に関する事項の場合は原則として許されないが、表現内容が真実でなく、又はそれが専ら公益を図る目的のものでないことが明白で、かつ、被害者が重大で著しく回復困難な損害を被るおそれがあるときは、例外的に許される。
(正答) 〇
(解説)
「北方ジャーナル」事件判決(最大判昭61.6.11)は、「出版物の頒布等の事前差止めは、このような事前抑制に該当するものであつて、とりわけ、その対象が公務員又は公職選挙の候補者に対する評価、批判等の表現行為に関するものである場合には、そのこと自体から、一般にそれが公共の利害に関する事項であるということができ、前示のような憲法21条1項の趣旨(前記…参照)に照らし、その表現が私人の名誉権に優先する社会的価値を含み憲法上特に保護されるべきであることにかんがみると、当該表現行為に対する事前差止めは、原則として許されないものといわなければならない。ただ、右のような場合においても、その表現内容が真実でなく、又はそれが専ら公益を図る目的のものではないことが明白であつて、かつ、被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被る虞があるときは、当該表現行為はその価値が被害者の名誉に劣後することが明らかであるうえ、有効適切な救済方法としての差止めの必要性も肯定されるから、かかる実体的要件を具備するときに限つて、例外的に事前差止めが許されるものというべきであ…る」としている。
(H24 司法 第3問 ウ)
公共の利害に関する事項についての表現行為に対し事前差止めを命ずる仮処分命令を発する際には、口頭弁論又は債務者の審尋を行い、表現内容の真実性等の主張立証の機会を与えることが原則として必要である。
(正答) 〇
(解説)
「北方ジャーナル」事件判決(最大判昭61.6.11)は、「表現行為の事前抑制につき以上説示するところによれば、公共の利害に関する事項についての表現行為に対し、その事前差止めを仮処分手続によつて求める場合に、一般の仮処分命令手続のように、専ら迅速な処理を旨とし、口頭弁論ないし債務者の審尋を必要的とせず、立証についても疎明で足りるものとすることは、表現の自由を確保するうえで、その手続的保障として十分であるとはいえず、しかもこの場合、表現行為者側の主たる防禦方法は、その目的が専ら公益を図るものであることと当該事実が真実であることとの立証にあるのである…から、事前差止めを命ずる仮処分命令を発するについては、口頭弁論又は債務者の審尋を行い、表現内容の真実性等の主張立証の機会を与えることを原則とすべきものと解するのが相当である。」としている。
(R3 予備 第3問 ア)
裁判所による出版物の頒布等の事前差止めは、憲法21条2項にいう検閲に当たり原則として禁じられるが、出版等の表現の自由が個人の名誉の保護と衝突する場合には、厳格かつ明確な要件の下、例外的に事前差止めが許容されることがある。
(R5 司法 第3問 イ)
公務員又は公職選挙の候補者に対する評価、批判等の表現行為に関する事前差止めは、原則として許されず、例外的に、その表現内容が真実でなく、又はそれが専ら公益を図る目的のものではないことが明白であって、かつ、被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがあるときにのみ許されるが、その場合には迅速を旨とする仮処分手続による以上、原則として、口頭弁論や債務者審尋を経る必要はない。
(正答) ✕
(解説)
「北方ジャーナル」事件判決(最大判昭61.6.11)は、「表現行為の事前抑制につき以上説示するところによれば、公共の利害に関する事項についての表現行為に対し、その事前差止めを仮処分手続によつて求める場合に、一般の仮処分命令手続のように、専ら迅速な処理を旨とし、口頭弁論ないし債務者の審尋を必要的とせず、立証についても疎明で足りるものとすることは、表現の自由を確保するうえで、その手続的保障として十分であるとはいえず、しかもこの場合、表現行為者側の主たる防禦方法は、その目的が専ら公益を図るものであることと当該事実が真実であることとの立証にあるのである…から、事前差止めを命ずる仮処分命令を発するについては、口頭弁論又は債務者の審尋を行い、表現内容の真実性等の主張立証の機会を与えることを原則とすべきものと解するのが相当である。」とした上で、「ただ、差止めの対象が公共の利害に関する事項についての表現行為である場合においても、口頭弁論を開き又は債務者の審尋を行うまでもなく、債権者の提出した資料によつて、その表現内容が真実でなく、又はそれが専ら公益を図る目的のものではないことが明白であり、かつ、債権者が重大にして著しく回復困難な損害を被る虞があると認められるときは、口頭弁論又は債務者の審尋を経ないで差止めの仮処分命令を発したとしても、憲法21条の前示の趣旨に反するものということはできない。」としている。このように、本判決は、「公共の利害に関する事項についての表現行為に対し、その…事前差止めを命ずる仮処分命令を発するにについては、口頭弁論又は債務者の審尋を行い、表現内容の真実性等の主張立証の機会を与えることを原則とすべき」としているから、本肢における「原則として、口頭弁論や債務者審尋を経る必要はない。」という部分は、誤っている。
(R5 予備 第2問 ウ)
人格権としての個人の名誉を害する内容を含む表現行為の事前差止めは、その対象が公務員や公職選挙の候補者に対する評価、批判等である場合には原則として許されないが、その表現内容が真実でなく、又は専ら公益を図る目的のものでないことが明白であって、かつ、被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがあるときは、例外的に許される。
(正答) 〇
(解説)
「北方ジャーナル」事件判決(最大判昭61.6.11)は、「出版物の頒布等の事前差止めは、このような事前抑制に該当するものであつて、とりわけ、その対象が公務員又は公職選挙の候補者に対する評価、批判等の表現行為に関するものである場合には、そのこと自体から、一般にそれが公共の利害に関する事項であるということができ、前示のような憲法21条1項の趣旨(前記…参照)に照らし、その表現が私人の名誉権に優先する社会的価値を含み憲法上特に保護されるべきであることにかんがみると、当該表現行為に対する事前差止めは、原則として許されないものといわなければならない。ただ、右のような場合においても、その表現内容が真実でなく、又はそれが専ら公益を図る目的のものではないことが明白であつて、かつ、被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被る虞があるときは、当該表現行為はその価値が被害者の名誉に劣後することが明らかであるうえ、有効適切な救済方法としての差止めの必要性も肯定されるから、かかる実体的要件を具備するときに限つて、例外的に事前差止めが許されるものというべきであ…る」としている。