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憲法 昭和女子大事件 最三小判昭和49年7月19日
概要
①私立大学Yの学則の細則としての性質をもつ生活要録の規定には、の基本権保障規定は適用ないし類推適用されない。
②大学は、その設置目的を達成するために必要な事項を学則等により一方的に制定し、これによつて在学する学生を規律する包括的権能を有するのであり、Y大学が学生の思想の穏健中正を標榜する保守的傾向の私立学校であることをも勘案すれば、本件生活要録の規定は、政治的目的をもつ署名運動に学生が参加し又は政治的活動を目的とする学外の団体に学生が加入するのを放任しておくことは教育上好ましくないとするYの教育方針に基づき、このような学生の行動について届出制あるいは許可制をとることによつてこれを規制しようとする趣旨を含むものと解されるのであって、不合理なものと断定することができない。
②大学は、その設置目的を達成するために必要な事項を学則等により一方的に制定し、これによつて在学する学生を規律する包括的権能を有するのであり、Y大学が学生の思想の穏健中正を標榜する保守的傾向の私立学校であることをも勘案すれば、本件生活要録の規定は、政治的目的をもつ署名運動に学生が参加し又は政治的活動を目的とする学外の団体に学生が加入するのを放任しておくことは教育上好ましくないとするYの教育方針に基づき、このような学生の行動について届出制あるいは許可制をとることによつてこれを規制しようとする趣旨を含むものと解されるのであって、不合理なものと断定することができない。
③実社会の政治的社会的活動にあたる行為を理由として退学処分を行うことは、直ちに学生の学問の自由及び教育を受ける権利を侵害し公序良俗に違反するものでない。
④大学当局が、Xらに同大学の教育方針に従つた改善を期待しえず教育目的を達成する見込が失われたとして、Xらの前記一連の行為を「学内の秩序を乱し、その他学生としての本分に反した」ものと認めた判断は、社会通念上合理性を欠くものであるとはいいがたく、本件退学処分は、懲戒権者に認められた裁量権の範囲内にあるものとして、その効力を是認すべきである。
④大学当局が、Xらに同大学の教育方針に従つた改善を期待しえず教育目的を達成する見込が失われたとして、Xらの前記一連の行為を「学内の秩序を乱し、その他学生としての本分に反した」ものと認めた判断は、社会通念上合理性を欠くものであるとはいいがたく、本件退学処分は、懲戒権者に認められた裁量権の範囲内にあるものとして、その効力を是認すべきである。
判例
事案:私立大学Yの学生であったXらは、昼休みや放課後を使用して政治活動を行っていたことから大学から取り調べを受け、生活要録違反を理由に補導・自宅謹慎を受けたため、これらの大学側の対応に反発して女性週刊誌に手記を寄せたほか、討論集会やラジオ番組において大学側の対応を批判する発言を行ったところ、一連の行動が学則の退学事由に該当するとして大学から退学処分を受けた。本件では、①私立大学が定めた学生の署名運動の届出制を内容とする生活要録が憲法違反、②生活要録の合理性、③私立大学による生活要録違反を理由とする学生に対する退学処分の憲法違反、④同退学処分の違法性が問題となった。
判旨:①「論旨は、要するに、学生の署名運動について事前に学校当局に届け出てその指示を受けるべきことを定めたY大学の原判示の生活要録6の6の規定は憲法15条、16条、21条に違反するものであり、また、学生が学校当局の許可を受けずに学外の団体に加入することを禁止した同要録8の13の規定は憲法19条、21条、23条、26条に違反するものであるにもかかわらず、原審が、これら要録の規定の効力を認め、これに違反したことを理由とする本件退学処分を有効と判断したのは、憲法及び法令の解釈適用を誤つたものである、と主張する。
しかし、右生活要録の規定は、その文言に徴しても、Y大学の学生の選挙権若しくは請願権の行使又はその教育を受ける権利と直接かかわりのないものであるから、所論のうち右規定が憲法15条、16条及び26条に違反する旨の主張は、その前提において既に失当である。また、憲法19条、21条、23条等のいわゆる自由権的基本権の保障規定は、国又は公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と平等を保障することを目的とした規定であつて、専ら国又は公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互間の関係について当然に適用ないし類推適用されるものでないことは、当裁判所大法廷判例(昭和43年(オ)第932号同48年12月12日判決・裁判所時報632号4頁)の示すところである。したがつて、その趣旨に徴すれば、私立学校であるY大学の学則の細則としての性質をもつ前記生活要録の規定について直接憲法の右基本権保障規定に違反するかどうかを論ずる余地はないものというべきである。所論違憲の主張は、採用することができない。」
判旨:①「論旨は、要するに、学生の署名運動について事前に学校当局に届け出てその指示を受けるべきことを定めたY大学の原判示の生活要録6の6の規定は憲法15条、16条、21条に違反するものであり、また、学生が学校当局の許可を受けずに学外の団体に加入することを禁止した同要録8の13の規定は憲法19条、21条、23条、26条に違反するものであるにもかかわらず、原審が、これら要録の規定の効力を認め、これに違反したことを理由とする本件退学処分を有効と判断したのは、憲法及び法令の解釈適用を誤つたものである、と主張する。
しかし、右生活要録の規定は、その文言に徴しても、Y大学の学生の選挙権若しくは請願権の行使又はその教育を受ける権利と直接かかわりのないものであるから、所論のうち右規定が憲法15条、16条及び26条に違反する旨の主張は、その前提において既に失当である。また、憲法19条、21条、23条等のいわゆる自由権的基本権の保障規定は、国又は公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と平等を保障することを目的とした規定であつて、専ら国又は公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互間の関係について当然に適用ないし類推適用されるものでないことは、当裁判所大法廷判例(昭和43年(オ)第932号同48年12月12日判決・裁判所時報632号4頁)の示すところである。したがつて、その趣旨に徴すれば、私立学校であるY大学の学則の細則としての性質をもつ前記生活要録の規定について直接憲法の右基本権保障規定に違反するかどうかを論ずる余地はないものというべきである。所論違憲の主張は、採用することができない。」
②「ところで、大学は、国公立であると私立であるとを問わず、学生の教育と学術の研究を目的とする公共的な施設であり、法律に格別の規定がない場合でも、その設置目的を達成するために必要な事項を学則等により一方的に制定し、これによつて在学する学生を規律する包括的権能を有するものと解すべきである。特に私立学校においては、建学の精神に基づく独自の伝統ないし校風と教育方針とによつて社会的存在意義が認められ、学生もそのような伝統ないし校風と教育方針のもとで教育を受けることを希望して当該大学に入学するものと考えられるのであるから、右の伝統ないし校風と教育方針を学則等において具体化し、これを実践することが当然認められるべきであり、学生としてもまた、当該大学において教育を受けるかぎり、かかる規律に服することを義務づけられるものといわなければならない。もとより、学校当局の有する右の包括的権能は無制限なものではありえず、在学関係設定の目的と関連し、かつ、その内容が社会通念に照らして合理的と認められる範囲においてのみ是認されるものであるが、具体的に学生のいかなる行動についていかなる程度、方法の規制を加えることが適切であるとするかは、それが教育上の措置に関するものであるだけに、必ずしも画一的に決することはできず、各学校の伝統ないし校風や教育方針によつてもおのずから異なることを認めざるをえないのである。これを学生の政治的活動に関していえば、大学の学生は、その年令等からみて、一個の社会人として行動しうる面を有する者であり、政治的活動の自由はこのような社会人としての学生についても重要視されるべき法益であることは、いうまでもない。しかし、他方、学生の政治的活動を学の内外を問わず全く自由に放任するときは、あるいは学生が学業を疎かにし、あるいは学内における教育及び研究の環境を乱し、本人及び他の学生に対する教育目的の達成や研究の遂行をそこなう等大学の設置目的の実現を妨げるおそれがあるのであるから、大学当局がこれらの政治的活動に対してなんらかの規制を加えること自体は十分にその合理性を首肯しうるところであるとともに、私立大学のなかでも、学生の勉学専念を特に重視しあるいは比較的保守的な校風を有する大学がその教育方針に照らし学生の政治的活動はできるだけ制限するのが教育上適当であるとの見地から、学内及び学外における学生の政治的活動につきかなり広範な規律を及ぼすこととしても、これをもつて直ちに社会通念上学生の自由に対する不合理な制限であるということはできない。
そこで、この見地からY大学の前記生活要録の規定をみるに、原審の確定するように、同大学が学生の思想の穏健中正を標榜する保守的傾向の私立学校であることをも勘案すれば、右要録の規定は、政治的目的をもつ署名運動に学生が参加し又は政治的活動を目的とする学外の団体に学生が加入するのを放任しておくことは教育上好ましくないとする同大学の教育方針に基づき、このような学生の行動について届出制あるいは許可制をとることによつてこれを規制しようとする趣旨を含むものと解されるのであつて、かかる規制自体を不合理なものと断定することができないことは、上記説示のとおりである。
してみると、右生活要録の規定そのものを無効とすることはできないとした原審の判断は相当というべきであつて、原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。」
そこで、この見地からY大学の前記生活要録の規定をみるに、原審の確定するように、同大学が学生の思想の穏健中正を標榜する保守的傾向の私立学校であることをも勘案すれば、右要録の規定は、政治的目的をもつ署名運動に学生が参加し又は政治的活動を目的とする学外の団体に学生が加入するのを放任しておくことは教育上好ましくないとする同大学の教育方針に基づき、このような学生の行動について届出制あるいは許可制をとることによつてこれを規制しようとする趣旨を含むものと解されるのであつて、かかる規制自体を不合理なものと断定することができないことは、上記説示のとおりである。
してみると、右生活要録の規定そのものを無効とすることはできないとした原審の判断は相当というべきであつて、原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。」
③「論旨は、要するに、本件退学処分は、Xらの学問の自由を侵害し、かつ、思想、信条を理由とする差別的取扱であるから、憲法23条、19条、14条に違反するものである、また、かかる違憲の処分によつてXらの教育を受ける権利を奪うことは憲法13条、26条にも違反するにもかかわらず、原審が右退学処分を有効と判断したのは、憲法及び法令の解釈適用を誤つたものである、と主張する。
しかし、本件退学処分について憲法23条、19条、14条等の自由権的基本権の保障規定の違反を論ずる余地のないことは、上告理由第一章について判示したところから明らかである。したがつて、右違憲を前提とする憲法13条、26条違反の論旨も採用することができない。
また、原審の確定したXらの生活要録違反の行為は、大学当局の許可を受けることなく、X1が左翼的政治団体である民主青年同盟(以下、民青同という。)に加入し、X2が民青同に加入の申込をし、更に、X2が大学当局に届け出ることなく学内において政治的暴力行為防止法の制定に対する反対請願の署名運動をしたというものであるが、このような実社会の政治的社会的活動にあたる行為を理由として退学処分を行うことが、直ちに学生の学問の自由及び教育を受ける権利を侵害し公序良俗に違反するものでないことは、当裁判所大法廷判例(昭和31年(あ)第2973号同38年5月22日判決・刑集17巻4号370頁)の趣旨に徴して明らかであり、また、右退学処分がXらの思想、信条を理由とする差別的取扱でないことは、上告理由第三章について後に判示するとおりである。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。」
しかし、本件退学処分について憲法23条、19条、14条等の自由権的基本権の保障規定の違反を論ずる余地のないことは、上告理由第一章について判示したところから明らかである。したがつて、右違憲を前提とする憲法13条、26条違反の論旨も採用することができない。
また、原審の確定したXらの生活要録違反の行為は、大学当局の許可を受けることなく、X1が左翼的政治団体である民主青年同盟(以下、民青同という。)に加入し、X2が民青同に加入の申込をし、更に、X2が大学当局に届け出ることなく学内において政治的暴力行為防止法の制定に対する反対請願の署名運動をしたというものであるが、このような実社会の政治的社会的活動にあたる行為を理由として退学処分を行うことが、直ちに学生の学問の自由及び教育を受ける権利を侵害し公序良俗に違反するものでないことは、当裁判所大法廷判例(昭和31年(あ)第2973号同38年5月22日判決・刑集17巻4号370頁)の趣旨に徴して明らかであり、また、右退学処分がXらの思想、信条を理由とする差別的取扱でないことは、上告理由第三章について後に判示するとおりである。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。」
④「論旨は、要するに、大学が学生に対して退学処分を行うにあたつては、教育機関にふさわしい手続と方法により本人の反省を促す補導の過程を経由すべき法的義務があると解すべきであるのに、原審が右義務のあることを認めず、適切な補導過程を経由せずに行われた本件退学処分を懲戒権者の裁量権の範囲内にあるものとして有効と判断したのは、学校教育法11条、同法施行規則13条3項、Y大学の学則36条の解釈適用を誤つたものである、と主張する。
思うに、大学の学生に対する懲戒処分は、教育及び研究の施設としての大学の内部規律を維持し、教育目的を達成するために認められる自律作用であつて、懲戒権者たる学長が学生の行為に対して懲戒処分を発動するにあたり、その行為が懲戒に値いするものであるかどうか、また、懲戒処分のうちいずれの処分を選ぶべきかを決するについては、当該行為の軽重のほか、本人の性格及び平素の行状、右行為の他の学生に与える影響、懲戒処分の本人及び他の学生に及ぼす訓戒的効果、右行為を不問に付した場合の一般的影響等諸般の要素を考慮する必要があり、これらの点の判断は、学内の事情に通暁し直接教育の衝にあたるものの合理的な裁量に任すのでなければ、適切な結果を期しがたいことは、明らかである(当裁判所昭和28年(オ)第525号同29年7月30日第三小法廷判決・民集8巻7号1463頁、同昭和28年(オ)第745号同29年7月30日第三小法廷判決・民集8巻7号150頁参照)。
もつとも、学校教育法11条は、懲戒処分を行うことができる場合として、単に「教育上必要と認めるとき」と規定するにとどまるのに対し、これをうけた同法施行規則13条3項は、退学処分についてのみ四個の具体的な処分事由を定めており、Y大学の学則36条にも右と同旨の規定がある。これは、退学処分が、他の懲戒処分と異なり、学生の身分を剥奪する重大な措置であることにかんがみ、当該学生に改善の見込がなく、これを学外に排除することが教育上やむをえないと認められる場合にかぎつて退学処分を選択すべきであるとの趣旨において、その処分事由を限定的に列挙したものと解される。この趣旨からすれば、同法施行規則13条3項4号及びY大学の学則36条4号にいう「学校の秩序を乱し、その他学生としての本分に反した」ものとして退学処分を行うにあたつては、その要件の認定につき他の処分の選択に比較して特に慎重な配慮を要することはもちろんであるが、退学処分の選択も前記のような諸般の要素を勘案して決定される教育的判断にほかならないことを考えれば、具体的事案において当該学生に改善の見込がなくこれを学外に排除することが教育上やむをえないかどうかを判定するについて、あらかじめ本人に反省を促すための補導を行うことが教育上必要かつ適切であるか、また、その補導をどのような方法と程度において行うべきか等については、それぞれの学校の方針に基づく学校当局の具体的かつ専門的・自律的判断に委ねざるをえないのであつて、学則等に格別の定めのないかぎり、右補導の過程を経由することが特別の場合を除いては常に退学処分を行うについての学校当局の法的義務であるとまで解するのは、相当でない。したがつて、右補導の面において欠けるところがあつたとしても、それだけで退学処分が違法となるものではなく、その点をも含めた当該事案の諸事情を総合的に観察して、その退学処分の選択が社会通念上合理性を認めることができないようなものでないかぎり、同処分は、懲戒権者の裁量権の範囲内にあるものとして、その効力を否定することはできないものというべきである。
…以上の事実関係からすれば、Xらの前記生活要録違反の行為自体はその情状が比較的軽微なものであつたとしても、本件退学処分が右違反行為のみを理由として決定されたものでないことは、明らかである。前記…のように、Xらには生活要録違反を犯したことについて反省の実が認められず、特に大学当局ができるだけ穏便に解決すべく説諭を続けている間に、Xらが週刊誌や学外の集会等において公然と大学当局の措置を非難するような挙に出たことは、同人らがもはや同大学の教育方針に服する意思のないことを表明したものと解されてもやむをえないところであり、これらは処遇上無視しえない事情といわなければならない。もつとも、前記…の事実その他原判示にあらわれた大学当局の措置についてみると、説諭にあたつた関係教授らの言動には、Xらの感情をいたずらに刺激するようなものもないではなく、補導の方法と程度において、事件を重大視するあまり冷静、寛容及び忍耐を欠いたうらみがあるが、原審の認定するところによれば、かかる大学当局の措置がXらを反抗的態度に追いやり、外部団体との接触を深めさせる機縁になつたものとは認められないというのであつて、そうである以上、Xらの前記…のような態度、行動が主としてY大学の責に帰すべき事由に起因したものであるということはできず、大学当局が右の段階でXらに改善の見込がないと判断したことをもつて著しく軽卒であつたとすることもできない。また、Y大学がXらに対して民青同からの脱退又はそれへの加入申込の取消を要求したからといつて、それが直ちに思想、信条に対する干渉となるものではないし、それ以外に、同大学がXらの思想、信条を理由として同人らを差別的に取り扱つたものであることは、原審の認定しないところである。これらの諸点を総合して考えると、本件において、事件の発端以来退学処分に至るまでの間にY大学のとつた措置が教育的見地から批判の対象となるかどうかはともかく、大学当局が、Xらに同大学の教育方針に従つた改善を期待しえず教育目的を達成する見込が失われたとして、Xらの前記一連の行為を「学内の秩序を乱し、その他学生としての本分に反した」ものと認めた判断は、社会通念上合理性を欠くものであるとはいいがたく、結局、本件退学処分は、懲戒権者に認められた裁量権の範囲内にあるものとして、その効力を是認すべきである。」
思うに、大学の学生に対する懲戒処分は、教育及び研究の施設としての大学の内部規律を維持し、教育目的を達成するために認められる自律作用であつて、懲戒権者たる学長が学生の行為に対して懲戒処分を発動するにあたり、その行為が懲戒に値いするものであるかどうか、また、懲戒処分のうちいずれの処分を選ぶべきかを決するについては、当該行為の軽重のほか、本人の性格及び平素の行状、右行為の他の学生に与える影響、懲戒処分の本人及び他の学生に及ぼす訓戒的効果、右行為を不問に付した場合の一般的影響等諸般の要素を考慮する必要があり、これらの点の判断は、学内の事情に通暁し直接教育の衝にあたるものの合理的な裁量に任すのでなければ、適切な結果を期しがたいことは、明らかである(当裁判所昭和28年(オ)第525号同29年7月30日第三小法廷判決・民集8巻7号1463頁、同昭和28年(オ)第745号同29年7月30日第三小法廷判決・民集8巻7号150頁参照)。
もつとも、学校教育法11条は、懲戒処分を行うことができる場合として、単に「教育上必要と認めるとき」と規定するにとどまるのに対し、これをうけた同法施行規則13条3項は、退学処分についてのみ四個の具体的な処分事由を定めており、Y大学の学則36条にも右と同旨の規定がある。これは、退学処分が、他の懲戒処分と異なり、学生の身分を剥奪する重大な措置であることにかんがみ、当該学生に改善の見込がなく、これを学外に排除することが教育上やむをえないと認められる場合にかぎつて退学処分を選択すべきであるとの趣旨において、その処分事由を限定的に列挙したものと解される。この趣旨からすれば、同法施行規則13条3項4号及びY大学の学則36条4号にいう「学校の秩序を乱し、その他学生としての本分に反した」ものとして退学処分を行うにあたつては、その要件の認定につき他の処分の選択に比較して特に慎重な配慮を要することはもちろんであるが、退学処分の選択も前記のような諸般の要素を勘案して決定される教育的判断にほかならないことを考えれば、具体的事案において当該学生に改善の見込がなくこれを学外に排除することが教育上やむをえないかどうかを判定するについて、あらかじめ本人に反省を促すための補導を行うことが教育上必要かつ適切であるか、また、その補導をどのような方法と程度において行うべきか等については、それぞれの学校の方針に基づく学校当局の具体的かつ専門的・自律的判断に委ねざるをえないのであつて、学則等に格別の定めのないかぎり、右補導の過程を経由することが特別の場合を除いては常に退学処分を行うについての学校当局の法的義務であるとまで解するのは、相当でない。したがつて、右補導の面において欠けるところがあつたとしても、それだけで退学処分が違法となるものではなく、その点をも含めた当該事案の諸事情を総合的に観察して、その退学処分の選択が社会通念上合理性を認めることができないようなものでないかぎり、同処分は、懲戒権者の裁量権の範囲内にあるものとして、その効力を否定することはできないものというべきである。
…以上の事実関係からすれば、Xらの前記生活要録違反の行為自体はその情状が比較的軽微なものであつたとしても、本件退学処分が右違反行為のみを理由として決定されたものでないことは、明らかである。前記…のように、Xらには生活要録違反を犯したことについて反省の実が認められず、特に大学当局ができるだけ穏便に解決すべく説諭を続けている間に、Xらが週刊誌や学外の集会等において公然と大学当局の措置を非難するような挙に出たことは、同人らがもはや同大学の教育方針に服する意思のないことを表明したものと解されてもやむをえないところであり、これらは処遇上無視しえない事情といわなければならない。もつとも、前記…の事実その他原判示にあらわれた大学当局の措置についてみると、説諭にあたつた関係教授らの言動には、Xらの感情をいたずらに刺激するようなものもないではなく、補導の方法と程度において、事件を重大視するあまり冷静、寛容及び忍耐を欠いたうらみがあるが、原審の認定するところによれば、かかる大学当局の措置がXらを反抗的態度に追いやり、外部団体との接触を深めさせる機縁になつたものとは認められないというのであつて、そうである以上、Xらの前記…のような態度、行動が主としてY大学の責に帰すべき事由に起因したものであるということはできず、大学当局が右の段階でXらに改善の見込がないと判断したことをもつて著しく軽卒であつたとすることもできない。また、Y大学がXらに対して民青同からの脱退又はそれへの加入申込の取消を要求したからといつて、それが直ちに思想、信条に対する干渉となるものではないし、それ以外に、同大学がXらの思想、信条を理由として同人らを差別的に取り扱つたものであることは、原審の認定しないところである。これらの諸点を総合して考えると、本件において、事件の発端以来退学処分に至るまでの間にY大学のとつた措置が教育的見地から批判の対象となるかどうかはともかく、大学当局が、Xらに同大学の教育方針に従つた改善を期待しえず教育目的を達成する見込が失われたとして、Xらの前記一連の行為を「学内の秩序を乱し、その他学生としての本分に反した」ものと認めた判断は、社会通念上合理性を欠くものであるとはいいがたく、結局、本件退学処分は、懲戒権者に認められた裁量権の範囲内にあるものとして、その効力を是認すべきである。」
過去問・解説
(H18 司法 第3問 エ)
憲法の自由権的基本権の保障規定は、私人相互間の関係について当然に適用ないし類推適用されるものでなく、私立大学には学生を規律する包括的権能が認められるが、私立大学の当該権能は、在学関係設定の目的と関連し、かつ、その内容が社会通念に照らして合理的と認められる範囲においてのみ是認される。
憲法の自由権的基本権の保障規定は、私人相互間の関係について当然に適用ないし類推適用されるものでなく、私立大学には学生を規律する包括的権能が認められるが、私立大学の当該権能は、在学関係設定の目的と関連し、かつ、その内容が社会通念に照らして合理的と認められる範囲においてのみ是認される。
(正答) 〇
(解説)
昭和女子大学事件判決(最判昭49.7.19)は、「憲法19条、21条、23条等のいわゆる自由権的基本権の保障規定は、国又は公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と平等を保障することを目的とした規定であって、専ら国又は公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互間の関係について当然に適用ないし類推適用されるものでない」、「大学は、国公立であると私立であるとを問わず、学生の教育と学術の研究を目的とする公共的な施設であり、法律に格別の規定がない場合でも、その設置目的を達成するために必要な事項を学則等により一方的に制定し、これによつて在学する学生を規律する包括的権能を有する」とする一方で、「もとより、学校当局の有する右の包括的権能は無制限なものではありえず、在学関係設定の目的と関連し、かつ、その内容が社会通念に照らして合理的と認められる範囲においてのみ是認されるものである」としている。
昭和女子大学事件判決(最判昭49.7.19)は、「憲法19条、21条、23条等のいわゆる自由権的基本権の保障規定は、国又は公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と平等を保障することを目的とした規定であって、専ら国又は公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互間の関係について当然に適用ないし類推適用されるものでない」、「大学は、国公立であると私立であるとを問わず、学生の教育と学術の研究を目的とする公共的な施設であり、法律に格別の規定がない場合でも、その設置目的を達成するために必要な事項を学則等により一方的に制定し、これによつて在学する学生を規律する包括的権能を有する」とする一方で、「もとより、学校当局の有する右の包括的権能は無制限なものではありえず、在学関係設定の目的と関連し、かつ、その内容が社会通念に照らして合理的と認められる範囲においてのみ是認されるものである」としている。
(H21 司法 第2問 イ)
大学は学生を規律する包括的権能を有するが、特に、建学の精神に基づく独自の伝統と教育方針を有する私立大学においては、政治活動を目的とする学外の団体に学生が加入することについて届出制あるいは許可制を採ることで、これを規制することも社会通念上不合理なものといえない。
大学は学生を規律する包括的権能を有するが、特に、建学の精神に基づく独自の伝統と教育方針を有する私立大学においては、政治活動を目的とする学外の団体に学生が加入することについて届出制あるいは許可制を採ることで、これを規制することも社会通念上不合理なものといえない。
(正答) 〇
(解説)
昭和女子大学事件判決(最判昭49.7.19)は、「大学は、国公立であると私立であるとを問わず、学生の教育と学術の研究を目的とする公共的な施設であり、法律に格別の規定がない場合でも、その設置目的を達成するために必要な事項を学則等により一方的に制定し、これによつて在学する学生を規律する包括的権能を有するものと解すべきである。」として大学が学生を規律するための包括的権能を有することを認めた上で、「特に私立学校においては、建学の精神に基づく独自の伝統ないし校風と教育方針とによつて社会的存在意義が認められ、学生もそのような伝統ないし校風と教育方針のもとで教育を受けることを希望して当該大学に入学するものと考えられるのであるから、右の伝統ないし校風と教育方針を学則等において具体化し、これを実践することが当然認められるべきであり、学生としてもまた、当該大学において教育を受けるかぎり、かかる規律に服することを義務づけられるものといわなければならない。…Y大学が学生の思想の穏健中正を標榜する保守的傾向の私立学校であることをも勘案すれば、右要録の規定は、政治的目的をもつ署名運動に学生が参加し又は政治的活動を目的とする学外の団体に学生が加入するのを放任しておくことは教育上好ましくないとする同大学の教育方針に基づき、このような学生の行動について届出制あるいは許可制をとることによつてこれを規制しようとする趣旨を含むものと解されるのであつて、かかる規制自体を不合理なものと断定することができない…。」としている。
昭和女子大学事件判決(最判昭49.7.19)は、「大学は、国公立であると私立であるとを問わず、学生の教育と学術の研究を目的とする公共的な施設であり、法律に格別の規定がない場合でも、その設置目的を達成するために必要な事項を学則等により一方的に制定し、これによつて在学する学生を規律する包括的権能を有するものと解すべきである。」として大学が学生を規律するための包括的権能を有することを認めた上で、「特に私立学校においては、建学の精神に基づく独自の伝統ないし校風と教育方針とによつて社会的存在意義が認められ、学生もそのような伝統ないし校風と教育方針のもとで教育を受けることを希望して当該大学に入学するものと考えられるのであるから、右の伝統ないし校風と教育方針を学則等において具体化し、これを実践することが当然認められるべきであり、学生としてもまた、当該大学において教育を受けるかぎり、かかる規律に服することを義務づけられるものといわなければならない。…Y大学が学生の思想の穏健中正を標榜する保守的傾向の私立学校であることをも勘案すれば、右要録の規定は、政治的目的をもつ署名運動に学生が参加し又は政治的活動を目的とする学外の団体に学生が加入するのを放任しておくことは教育上好ましくないとする同大学の教育方針に基づき、このような学生の行動について届出制あるいは許可制をとることによつてこれを規制しようとする趣旨を含むものと解されるのであつて、かかる規制自体を不合理なものと断定することができない…。」としている。
(H28 共通 第1問 イ)
大学は、その設置目的を達成するため、必要な事項を定めて学生を規律する権能を有するから、私立大学が、その伝統、校風や教育方針に鑑み、学内外における学生の政治的活動につき、かなり広範な規律を及ぼしても、直ちに不合理ということはできない。
大学は、その設置目的を達成するため、必要な事項を定めて学生を規律する権能を有するから、私立大学が、その伝統、校風や教育方針に鑑み、学内外における学生の政治的活動につき、かなり広範な規律を及ぼしても、直ちに不合理ということはできない。
(正答) 〇
(解説)
昭和女子大学事件判決(最判昭49.7.19)は、「大学は、国公立であると私立であるとを問わず、学生の教育と学術の研究を目的とする公共的な施設であり、法律に格別の規定がない場合でも、その設置目的を達成するために必要な事項を学則等により一方的に制定し、これによつて在学する学生を規律する包括的権能を有するものと解すべきである。」として大学が学生を規律するための包括的権能を有することを認めた上で、「特に私立学校においては、建学の精神に基づく独自の伝統ないし校風と教育方針とによつて社会的存在意義が認められ、学生もそのような伝統ないし校風と教育方針のもとで教育を受けることを希望して当該大学に入学するものと考えられるのであるから、右の伝統ないし校風と教育方針を学則等において具体化し、これを実践することが当然認められるべきであり、学生としてもまた、当該大学において教育を受けるかぎり、かかる規律に服することを義務づけられるものといわなければならない。…学生の政治的活動を学の内外を問わず全く自由に放任するときは、あるいは学生が学業を疎かにし、あるいは学内における教育及び研究の環境を乱し、本人及び他の学生に対する教育目的の達成や研究の遂行をそこなう等大学の設置目的の実現を妨げるおそれがあるのであるから、大学当局がこれらの政治的活動に対してなんらかの規制を加えること自体は十分にその合理性を首肯しうるところであるとともに、私立大学のなかでも、学生の勉学専念を特に重視しあるいは比較的保守的な校風を有する大学がその教育方針に照らし学生の政治的活動はできるだけ制限するのが教育上適当であるとの見地から、学内及び学外における学生の政治的活動につきかなり広範な規律を及ぼすこととしても、これをもつて直ちに社会通念上学生の自由に対する不合理な制限であるということはできない。」としている。
昭和女子大学事件判決(最判昭49.7.19)は、「大学は、国公立であると私立であるとを問わず、学生の教育と学術の研究を目的とする公共的な施設であり、法律に格別の規定がない場合でも、その設置目的を達成するために必要な事項を学則等により一方的に制定し、これによつて在学する学生を規律する包括的権能を有するものと解すべきである。」として大学が学生を規律するための包括的権能を有することを認めた上で、「特に私立学校においては、建学の精神に基づく独自の伝統ないし校風と教育方針とによつて社会的存在意義が認められ、学生もそのような伝統ないし校風と教育方針のもとで教育を受けることを希望して当該大学に入学するものと考えられるのであるから、右の伝統ないし校風と教育方針を学則等において具体化し、これを実践することが当然認められるべきであり、学生としてもまた、当該大学において教育を受けるかぎり、かかる規律に服することを義務づけられるものといわなければならない。…学生の政治的活動を学の内外を問わず全く自由に放任するときは、あるいは学生が学業を疎かにし、あるいは学内における教育及び研究の環境を乱し、本人及び他の学生に対する教育目的の達成や研究の遂行をそこなう等大学の設置目的の実現を妨げるおそれがあるのであるから、大学当局がこれらの政治的活動に対してなんらかの規制を加えること自体は十分にその合理性を首肯しうるところであるとともに、私立大学のなかでも、学生の勉学専念を特に重視しあるいは比較的保守的な校風を有する大学がその教育方針に照らし学生の政治的活動はできるだけ制限するのが教育上適当であるとの見地から、学内及び学外における学生の政治的活動につきかなり広範な規律を及ぼすこととしても、これをもつて直ちに社会通念上学生の自由に対する不合理な制限であるということはできない。」としている。
(R3 予備 第1問 イ)
大学は、学生の教育と学術の研究を目的とする公共的な施設であり、その設置目的を達成するために必要な事項を学則等により一方的に制定し、これによって在学する学生を規律する包括的権能を有する。それゆえ、比較的保守的な校風を有する私立大学が、学内外を問わず学生の政治的活動につきかなり広範な規律を及ぼしても、これをもって直ちに社会通念上学生の自由に対する不合理な制限であるということはできない。
大学は、学生の教育と学術の研究を目的とする公共的な施設であり、その設置目的を達成するために必要な事項を学則等により一方的に制定し、これによって在学する学生を規律する包括的権能を有する。それゆえ、比較的保守的な校風を有する私立大学が、学内外を問わず学生の政治的活動につきかなり広範な規律を及ぼしても、これをもって直ちに社会通念上学生の自由に対する不合理な制限であるということはできない。
(正答) 〇
(解説)
昭和女子大学事件判決(最判昭49.7.19)は、「大学は、国公立であると私立であるとを問わず、学生の教育と学術の研究を目的とする公共的な施設であり、法律に格別の規定がない場合でも、その設置目的を達成するために必要な事項を学則等により一方的に制定し、これによつて在学する学生を規律する包括的権能を有するものと解すべきである。」として大学が学生を規律するための包括的権能を有することを認めた上で、「特に私立学校においては、建学の精神に基づく独自の伝統ないし校風と教育方針とによつて社会的存在意義が認められ、学生もそのような伝統ないし校風と教育方針のもとで教育を受けることを希望して当該大学に入学するものと考えられるのであるから、右の伝統ないし校風と教育方針を学則等において具体化し、これを実践することが当然認められるべきであり、学生としてもまた、当該大学において教育を受けるかぎり、かかる規律に服することを義務づけられるものといわなければならない。…学生の政治的活動を学の内外を問わず全く自由に放任するときは、あるいは学生が学業を疎かにし、あるいは学内における教育及び研究の環境を乱し、本人及び他の学生に対する教育目的の達成や研究の遂行をそこなう等大学の設置目的の実現を妨げるおそれがあるのであるから、大学当局がこれらの政治的活動に対してなんらかの規制を加えること自体は十分にその合理性を首肯しうるところであるとともに、私立大学のなかでも、学生の勉学専念を特に重視しあるいは比較的保守的な校風を有する大学がその教育方針に照らし学生の政治的活動はできるだけ制限するのが教育上適当であるとの見地から、学内及び学外における学生の政治的活動につきかなり広範な規律を及ぼすこととしても、これをもつて直ちに社会通念上学生の自由に対する不合理な制限であるということはできない。」としている。
昭和女子大学事件判決(最判昭49.7.19)は、「大学は、国公立であると私立であるとを問わず、学生の教育と学術の研究を目的とする公共的な施設であり、法律に格別の規定がない場合でも、その設置目的を達成するために必要な事項を学則等により一方的に制定し、これによつて在学する学生を規律する包括的権能を有するものと解すべきである。」として大学が学生を規律するための包括的権能を有することを認めた上で、「特に私立学校においては、建学の精神に基づく独自の伝統ないし校風と教育方針とによつて社会的存在意義が認められ、学生もそのような伝統ないし校風と教育方針のもとで教育を受けることを希望して当該大学に入学するものと考えられるのであるから、右の伝統ないし校風と教育方針を学則等において具体化し、これを実践することが当然認められるべきであり、学生としてもまた、当該大学において教育を受けるかぎり、かかる規律に服することを義務づけられるものといわなければならない。…学生の政治的活動を学の内外を問わず全く自由に放任するときは、あるいは学生が学業を疎かにし、あるいは学内における教育及び研究の環境を乱し、本人及び他の学生に対する教育目的の達成や研究の遂行をそこなう等大学の設置目的の実現を妨げるおそれがあるのであるから、大学当局がこれらの政治的活動に対してなんらかの規制を加えること自体は十分にその合理性を首肯しうるところであるとともに、私立大学のなかでも、学生の勉学専念を特に重視しあるいは比較的保守的な校風を有する大学がその教育方針に照らし学生の政治的活動はできるだけ制限するのが教育上適当であるとの見地から、学内及び学外における学生の政治的活動につきかなり広範な規律を及ぼすこととしても、これをもつて直ちに社会通念上学生の自由に対する不合理な制限であるということはできない。」としている。
(R6 司法 第2問 イ)
最高裁判所は、私立大学学生が大学当局の許可なく学外団体に加入したことに起因する退学処分の効力が争われた事件において、大学が学内外を問わず学生の政治的活動につき広範な規律を及ぼすとしても不合理とはいえないが、退学処分に際しては、教育機関にふさわしい適切な手続と方法により反省を促す過程を経る法的義務があるとした。
最高裁判所は、私立大学学生が大学当局の許可なく学外団体に加入したことに起因する退学処分の効力が争われた事件において、大学が学内外を問わず学生の政治的活動につき広範な規律を及ぼすとしても不合理とはいえないが、退学処分に際しては、教育機関にふさわしい適切な手続と方法により反省を促す過程を経る法的義務があるとした。
(正答) ✕
(解説)
昭和女子大事件判決(最判昭49.7.19)は、「事件の発端以来退学処分に至るまでの間にY大学のとつた措置が教育的見地から批判の対象となるかどうかはともかく、大学当局が、Xらに同大学の教育方針に従つた改善を期待しえず教育目的を達成する見込が失われたとして、Xらの前記一連の行為を「学内の秩序を乱し、その他学生としての本分に反した」ものと認めた判断は、社会通念上合理性を欠くものであるとはいいがたく、結局、本件退学処分は、懲戒権者に認められた裁量権の範囲内にあるものとして、その効力を是認すべきである。」としており、「退学処分に際しては、教育機関にふさわしい適切な手続と方法により反省を促す過程を経る法的義務がある」(本肢)とはしていない。