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憲法 君が代起立斉唱事件 最二小判平成23年5月30日
概要
公立高等学校の校長が教諭に対し卒業式における国歌斉唱の際に国旗に向かって起立し国歌を斉唱することを命じた職務命令は、憲法19条に違反しない。
判例
事案:都立高等学校の教諭であったXは、校長から卒業式における国歌斉唱の際に起立斉唱をするように職務命令を受けたにもかかわらず、これに従わず、国歌斉唱の際に起立しなかったことから、職務命令違反等を理由として、都教委から戒告処分を受けるとともに、定年退職に先立ち申し込んだ非常勤の嘱託員等の採用選考において都教委から不合格とされた。
そこで、Xは、上記職務命令は憲法19条に違反し、非常勤の嘱託員等の採用選考においてXを不合格としたことは違法であるなどと主張して、東京都を被告として国家賠償訴訟を提起した。
判旨:①「Xは、卒業式における国歌斉唱の際の起立斉唱行為を拒否する理由について、日本の侵略戦争の歴史を学ぶ在日朝鮮人、在日中国人の生徒に対し、「日の丸」や「君が代」を卒業式に組み入れて強制することは、教師としての良心が許さないという考えを有している旨主張する。このような考えは、「日の丸」や「君が代」が戦前の軍国主義等との関係で一定の役割を果たしたとするX自身の歴史観ないし世界観から生ずる社会生活上ないし教育上の信念等ということができる。しかしながら、本件職務命令当時、公立高等学校における卒業式等の式典において、国旗としての「日の丸」の掲揚及び国歌としての「君が代」の斉唱が広く行われていたことは周知の事実であって、学校の儀式的行事である卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は、一般的、客観的に見て、これらの式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものであり、かつ、そのような所作として外部からも認識されるものというべきである。したがって、上記の起立斉唱行為は、その性質の点から見て、Xの有する歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付くものとはいえず、Xに対して上記の起立斉唱行為を求める本件職務命令は、上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものということはできない。また、上記の起立斉唱行為は、その外部からの認識という点から見ても、特定の思想又はこれに反する思想の表明として外部から認識されるものと評価することは困難であり、職務上の命令に従ってこのような行為が行われる場合には、上記のように評価することは一層困難であるといえるのであって、本件職務命令は、特定の思想を持つことを強制したり、これに反する思想を持つことを禁止したりするものではなく、特定の思想の有無について告白することを強要するものということもできない。そうすると、本件職務命令は、これらの観点において、個人の思想及び良心の自由を直ちに制約するものと認めることはできないというべきである。
②「もっとも、上記の起立斉唱行為は、教員が日常担当する教科等や日常従事する事務の内容それ自体には含まれないものであって、一般的、客観的に見ても、国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為であるということができる。そうすると、自らの歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となる「日の丸」や「君が代」に対して敬意を表明することには応じ難いと考える者が、これらに対する敬意の表明の要素を含む行為を求められることは、その行為が個人の歴史観ないし世界観に反する特定の思想の表明に係る行為そのものではないとはいえ、個人の歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行為(敬意の表明の要素を含む行為)を求められることとなり、その限りにおいて、その者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難い。」
②「もっとも、上記の起立斉唱行為は、教員が日常担当する教科等や日常従事する事務の内容それ自体には含まれないものであって、一般的、客観的に見ても、国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為であるということができる。そうすると、自らの歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となる「日の丸」や「君が代」に対して敬意を表明することには応じ難いと考える者が、これらに対する敬意の表明の要素を含む行為を求められることは、その行為が個人の歴史観ないし世界観に反する特定の思想の表明に係る行為そのものではないとはいえ、個人の歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行為(敬意の表明の要素を含む行為)を求められることとなり、その限りにおいて、その者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難い。」
③「なお、Xは、個人の歴史観ないし世界観との関係に加えて、学校の卒業式のような式典において一律の行動を強制されるべきではないという信条それ自体との関係でも個人の思想及び良心の自由が侵される旨主張するが、そのような信条との関係における制約の有無が問題となり得るとしても、それは、上記のような外部的行為が求められる場面においては、個人の歴史観ないし世界観との関係における間接的な制約の有無に包摂される事柄というべきであって、これとは別途の検討を要するものとは解されない。」
④「そこで、このような間接的な制約について検討するに、個人の歴史観ないし世界観には多種多様なものがあり得るのであり、それが内心にとどまらず、それに由来する行動の実行又は拒否という外部的行動として現れ、当該外部的行動が社会一般の規範等と抵触する場面において制限を受けることがあるところ、その制限が必要かつ合理的なものである場合には、その制限を介して生ずる上記の間接的な制約も許容され得るものというべきである。そして、職務命令においてある行為を求められることが、個人の歴史観ないし世界観に由来する行動と異なる外部的行為を求められることとなり、その限りにおいて、当該職務命令が個人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があると判断される場合にも、職務命令の目的及び内容には種々のものが想定され、また、上記の制限を介して生ずる制約の態様等も、職務命令の対象となる行為の内容及び性質並びにこれが個人の内心に及ぼす影響その他の諸事情に応じて様々であるといえる。したがって、このような間接的な制約が許容されるか否かは、職務命令の目的及び内容並びに上記の制限を介して生ずる制約の態様等を総合的に較量して、当該職務命令に上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるか否かという観点から判断するのが相当である。」
⑤「これを本件についてみるに、本件職務命令に係る起立斉唱行為は、前記のとおり、Xの歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となるものに対する敬意の表明の要素を含むものであることから、そのような敬意の表明には応じ難いと考えるXにとって、その歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行為となるものである。この点に照らすと、本件職務命令は、一般的、客観的な見地からは式典における慣例上の儀礼的な所作とされる行為を求めるものであり、それが結果として上記の要素との関係においてその歴史観ないし世界観に由来する行動との相違を生じさせることとなるという点で、その限りでXの思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があるものということができる。他方、学校の卒業式や入学式等という教育上の特に重要な節目となる儀式的行事においては、生徒等への配慮を含め、教育上の行事にふさわしい秩序を確保して式典の円滑な進行を図ることが必要であるといえる。法令等においても、学校教育法は、高等学校教育の目標として国家の現状と伝統についての正しい理解と国際協調の精神の涵養を掲げ(同法42条1号、36条1号、18条2号)、同法43条及び学校教育法施行規則57条の2の規定に基づき高等学校教育の内容及び方法に関する全国的な大綱的基準として定められた高等学校学習指導要領も、学校の儀式的行事の意義を踏まえて国旗国歌条項を定めているところであり、また、国旗及び国歌に関する法律は、従来の慣習を法文化して、国旗は日章旗(「日の丸」)とし、国歌は「君が代」とする旨を定めている。そして、住民全体の奉仕者として法令等及び上司の職務上の命令に従って職務を遂行すべきこととされる地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性(憲法15条2項、地方公務員法30条、32条)に鑑み、公立高等学校の教諭であるXは、法令等及び職務上の命令に従わなければならない立場にあるところ、地方公務員法に基づき、高等学校学習指導要領に沿った式典の実施の指針を示した本件通達を踏まえて、その勤務する当該学校の校長から学校行事である卒業式に関して本件職務命令を受けたものである。これらの点に照らすと、本件職務命令は、公立高等学校の教諭であるXに対して当該学校の卒業式という式典における慣例上の儀礼的な所作として国歌斉唱の際の起立斉唱行為を求めることを内容とするものであって、高等学校教育の目標や卒業式等の儀式的行事の意義、在り方等を定めた関係法令等の諸規定の趣旨に沿い、かつ、地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性を踏まえた上で、生徒等への配慮を含め、教育上の行事にふさわしい秩序の確保とともに当該式典の円滑な進行を図るものであるということができる。以上の諸事情を踏まえると、本件職務命令については、前記のように外部的行動の制限を介してXの思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面はあるものの、職務命令の目的及び内容並びに上記の制限を介して生ずる制約の態様等を総合的に較量すれば、上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるものというべきである。以上の諸点に鑑みると、本件職務命令は、Xの思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19 条に違反するとはいえないと解するのが相当である。」
過去問・解説
(H28 司法 第4問 ア)
卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は、一般的、客観的に見て、これらの式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものであり、校長の職務命令は、「日の丸」や「君が代」に関する当該教諭の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものということはできない。
卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は、一般的、客観的に見て、これらの式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものであり、校長の職務命令は、「日の丸」や「君が代」に関する当該教諭の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものということはできない。
(正答) 〇
(解説)
君が代起立斉唱事件判決(最判平23.5.30)は、「学校の儀式的行事である卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は、一般的、客観的に見て、これらの式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものであり、かつ、そのような所作として外部からも認識されるものというべきである。したがって、上記の起立斉唱行為は、その性質の点から見て、上告人の有する歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付くものとはいえず、上告人に対して上記の起立斉唱行為を求める本件職務命令は、上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものということはできない。」としている。
君が代起立斉唱事件判決(最判平23.5.30)は、「学校の儀式的行事である卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は、一般的、客観的に見て、これらの式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものであり、かつ、そのような所作として外部からも認識されるものというべきである。したがって、上記の起立斉唱行為は、その性質の点から見て、上告人の有する歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付くものとはいえず、上告人に対して上記の起立斉唱行為を求める本件職務命令は、上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものということはできない。」としている。
(H28 司法 第4問 イ)
国旗に向かって起立し国歌を斉唱する行為は、一般的、客観的に見て、特定の思想の表明として外部から認識されるものと評価すべきであり、卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為が職務命令にしたがって行われたものと外部から認識することも困難であって、校長の職務命令は、特定の思想の有無について告白することを強要する面がある。
国旗に向かって起立し国歌を斉唱する行為は、一般的、客観的に見て、特定の思想の表明として外部から認識されるものと評価すべきであり、卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為が職務命令にしたがって行われたものと外部から認識することも困難であって、校長の職務命令は、特定の思想の有無について告白することを強要する面がある。
(正答) ✕
(解説)
君が代起立斉唱事件判決(最判平23.5.30)は、㋐「本件職務命令当時、公立高等学校における卒業式等の式典において、国旗としての「日の丸」の掲揚及び国歌としての「君が代」の斉唱が広く行われていたことは周知の事実であって、学校の儀式的行事である卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は、一般的、客観的に見て、これらの式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものであり、かつ、そのような所作として外部からも認識されるものというべきである。したがって、上記の起立斉唱行為は、その性質の点から見て、Xの有する歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付くものとはいえず、Xに対して上記の起立斉唱行為を求める本件職務命令は、上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものということはできない。」、㋑「上記の起立斉唱行為は、その外部からの認識という点から見ても、特定の思想又はこれに反する思想の表明として外部から認識されるものと評価することは困難であり、職務上の命令に従ってこのような行為が行われる場合には、上記のように評価することは一層困難であるといえるのであって、本件職務命令は、特定の思想を持つことを強制したり、これに反する思想を持つことを禁止したりするものではなく、特定の思想の有無について告白することを強要するものということもできない。」との理由から、「本件職務命令は、これらの観点において、個人の思想及び良心の自由を直ちに制約するものと認めることはできないというべきである。」と結論付けている。
君が代起立斉唱事件判決(最判平23.5.30)は、㋐「本件職務命令当時、公立高等学校における卒業式等の式典において、国旗としての「日の丸」の掲揚及び国歌としての「君が代」の斉唱が広く行われていたことは周知の事実であって、学校の儀式的行事である卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は、一般的、客観的に見て、これらの式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものであり、かつ、そのような所作として外部からも認識されるものというべきである。したがって、上記の起立斉唱行為は、その性質の点から見て、Xの有する歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付くものとはいえず、Xに対して上記の起立斉唱行為を求める本件職務命令は、上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものということはできない。」、㋑「上記の起立斉唱行為は、その外部からの認識という点から見ても、特定の思想又はこれに反する思想の表明として外部から認識されるものと評価することは困難であり、職務上の命令に従ってこのような行為が行われる場合には、上記のように評価することは一層困難であるといえるのであって、本件職務命令は、特定の思想を持つことを強制したり、これに反する思想を持つことを禁止したりするものではなく、特定の思想の有無について告白することを強要するものということもできない。」との理由から、「本件職務命令は、これらの観点において、個人の思想及び良心の自由を直ちに制約するものと認めることはできないというべきである。」と結論付けている。
(H28 司法 第4問 ウ)
卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は、一般的、客観的に見て、国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為であり、歴史観ないし世界観との関係で「日の丸」や「君が代」に敬意を表明することには応じ難いと考える者が上記行為を求められることは、思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難い。
卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は、一般的、客観的に見て、国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為であり、歴史観ないし世界観との関係で「日の丸」や「君が代」に敬意を表明することには応じ難いと考える者が上記行為を求められることは、思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難い。
(正答) 〇
(解説)
君が代起立斉唱事件判決(最判平23.5.30)は、「本件職務命令は、これらの観点において、個人の思想及び良心の自由を直ちに制約するものと認めることはできないというべきである。」とする一方で、「上記の起立斉唱行為は、教員が日常担当する教科等や日常従事する事務の内容それ自体には含まれないものであって、一般的、客観的に見ても、国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為であるということができる。そうすると、自らの歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となる「日の丸」や「君が代」に対して敬意を表明することには応じ難いと考える者が、これらに対する敬意の表明の要素を含む行為を求められることは、その行為が個人の歴史観ないし世界観に反する特定の思想の表明に係る行為そのものではないとはいえ、個人の歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行為(敬意の表明の要素を含む行為)を求められることとなり、その限りにおいて、その者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難い。」としている。
君が代起立斉唱事件判決(最判平23.5.30)は、「本件職務命令は、これらの観点において、個人の思想及び良心の自由を直ちに制約するものと認めることはできないというべきである。」とする一方で、「上記の起立斉唱行為は、教員が日常担当する教科等や日常従事する事務の内容それ自体には含まれないものであって、一般的、客観的に見ても、国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為であるということができる。そうすると、自らの歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となる「日の丸」や「君が代」に対して敬意を表明することには応じ難いと考える者が、これらに対する敬意の表明の要素を含む行為を求められることは、その行為が個人の歴史観ないし世界観に反する特定の思想の表明に係る行為そのものではないとはいえ、個人の歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行為(敬意の表明の要素を含む行為)を求められることとなり、その限りにおいて、その者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難い。」としている。
(H29 共通 第4問 ウ)
公立高等学校の卒業式における国歌斉唱の際に起立斉唱する行為は、学校の儀礼的行事における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものであり、同校の校長が教諭に当該行為を命じても、当該教諭の思想・良心の自由を何ら制約するものではない。
公立高等学校の卒業式における国歌斉唱の際に起立斉唱する行為は、学校の儀礼的行事における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものであり、同校の校長が教諭に当該行為を命じても、当該教諭の思想・良心の自由を何ら制約するものではない。
(正答) ✕
(解説)
君が代起立斉唱事件判決(最判平23.5.30)は、「本件職務命令は、これらの観点において、個人の思想及び良心の自由を直ちに制約するものと認めることはできないというべきである。」とする一方で、「上記の起立斉唱行為は、教員が日常担当する教科等や日常従事する事務の内容それ自体には含まれないものであって、一般的、客観的に見ても、国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為であるということができる。そうすると、自らの歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となる「日の丸」や「君が代」に対して敬意を表明することには応じ難いと考える者が、これらに対する敬意の表明の要素を含む行為を求められることは、その行為が個人の歴史観ないし世界観に反する特定の思想の表明に係る行為そのものではないとはいえ、個人の歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行為(敬意の表明の要素を含む行為)を求められることとなり、その限りにおいて、その者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難い。」としている。
君が代起立斉唱事件判決(最判平23.5.30)は、「本件職務命令は、これらの観点において、個人の思想及び良心の自由を直ちに制約するものと認めることはできないというべきである。」とする一方で、「上記の起立斉唱行為は、教員が日常担当する教科等や日常従事する事務の内容それ自体には含まれないものであって、一般的、客観的に見ても、国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為であるということができる。そうすると、自らの歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となる「日の丸」や「君が代」に対して敬意を表明することには応じ難いと考える者が、これらに対する敬意の表明の要素を含む行為を求められることは、その行為が個人の歴史観ないし世界観に反する特定の思想の表明に係る行為そのものではないとはいえ、個人の歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行為(敬意の表明の要素を含む行為)を求められることとなり、その限りにおいて、その者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難い。」としている。
(R2 共通 第4問 イ)
公立学校の卒業式等の式典においてその教員に国旗掲揚の下での国歌斉唱の際に起立斉唱を求めることは、慣例上の儀礼的な所作を求めるものではあるが、自らの歴史観ないし世界観との関係で国歌や国旗に対する敬意の表明には応じ難いと考える者がこれらに対する敬意の表明の要素を含む行為を求められることは、その者の歴史観ないし世界観に由来する行動とは異なる外部的行動を求められることになり、その限りにおいて思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面がある。
公立学校の卒業式等の式典においてその教員に国旗掲揚の下での国歌斉唱の際に起立斉唱を求めることは、慣例上の儀礼的な所作を求めるものではあるが、自らの歴史観ないし世界観との関係で国歌や国旗に対する敬意の表明には応じ難いと考える者がこれらに対する敬意の表明の要素を含む行為を求められることは、その者の歴史観ないし世界観に由来する行動とは異なる外部的行動を求められることになり、その限りにおいて思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面がある。
(正答) 〇
(解説)
君が代起立斉唱事件判決(最判平23.5.30)は、「本件職務命令は、これらの観点において、個人の思想及び良心の自由を直ちに制約するものと認めることはできないというべきである。」とする一方で、「上記の起立斉唱行為は、教員が日常担当する教科等や日常従事する事務の内容それ自体には含まれないものであって、一般的、客観的に見ても、国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為であるということができる。そうすると、自らの歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となる「日の丸」や「君が代」に対して敬意を表明することには応じ難いと考える者が、これらに対する敬意の表明の要素を含む行為を求められることは、その行為が個人の歴史観ないし世界観に反する特定の思想の表明に係る行為そのものではないとはいえ、個人の歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行為(敬意の表明の要素を含む行為)を求められることとなり、その限りにおいて、その者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難い。」としている。
君が代起立斉唱事件判決(最判平23.5.30)は、「本件職務命令は、これらの観点において、個人の思想及び良心の自由を直ちに制約するものと認めることはできないというべきである。」とする一方で、「上記の起立斉唱行為は、教員が日常担当する教科等や日常従事する事務の内容それ自体には含まれないものであって、一般的、客観的に見ても、国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為であるということができる。そうすると、自らの歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となる「日の丸」や「君が代」に対して敬意を表明することには応じ難いと考える者が、これらに対する敬意の表明の要素を含む行為を求められることは、その行為が個人の歴史観ないし世界観に反する特定の思想の表明に係る行為そのものではないとはいえ、個人の歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行為(敬意の表明の要素を含む行為)を求められることとなり、その限りにおいて、その者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難い。」としている。
(R6 予備 第2問 イ)
職務上の命令に従って、卒業式等の式典において国歌斉唱の際に起立斉唱する行為は、特定の思想又はこれに反する思想の表明として外部から認識されるものと評価すべきであり、個人の歴史観ないし世界観に由来する行動と異なる外部的行為を求められることになるから、公立高校の教諭に対して卒業式の際に国旗に向かって起立し国歌を斉唱することを命ずる校長の職務命令は、思想及び良心の自由を間接的に制約するものである。
職務上の命令に従って、卒業式等の式典において国歌斉唱の際に起立斉唱する行為は、特定の思想又はこれに反する思想の表明として外部から認識されるものと評価すべきであり、個人の歴史観ないし世界観に由来する行動と異なる外部的行為を求められることになるから、公立高校の教諭に対して卒業式の際に国旗に向かって起立し国歌を斉唱することを命ずる校長の職務命令は、思想及び良心の自由を間接的に制約するものである。
(正答) ✕
(解説)
君が代起立斉唱事件判決(最判平23.5.30)は、「起立斉唱行為は、教員が日常担当する教科等や日常従事する事務の内容それ自体には含まれないものであって、一般的、客観的に見ても、国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為であるということができる。そうすると、自らの歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となる「日の丸」や「君が代」に対して敬意を表明することには応じ難いと考える者が、これらに対する敬意の表明の要素を含む行為を求められることは、その行為が個人の歴史観ないし世界観に反する特定の思想の表明に係る行為そのものではないとはいえ、個人の歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行為(敬意の表明の要素を含む行為)を求められることとなり、その限りにおいて、その者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し難い。」としている。
しかし、本判決は、上記判示に先立ち、「上記の起立斉唱行為は、その外部からの認識という点から見ても、特定の思想又はこれに反する思想の表明として外部から認識されるものと評価することは困難であり、職務上の命令に従ってこのような行為が行われる場合には、上記のように評価することは一層困難であるといえる…。」と述べている。したがって、本肢における「職務上の命令に従って、卒業式等の式典において国歌斉唱の際に起立斉唱する行為は、特定の思想又はこれに反する思想の表明として外部から認識されるものと評価すべきであり」という部分は、誤っている。
しかし、本判決は、上記判示に先立ち、「上記の起立斉唱行為は、その外部からの認識という点から見ても、特定の思想又はこれに反する思想の表明として外部から認識されるものと評価することは困難であり、職務上の命令に従ってこのような行為が行われる場合には、上記のように評価することは一層困難であるといえる…。」と述べている。したがって、本肢における「職務上の命令に従って、卒業式等の式典において国歌斉唱の際に起立斉唱する行為は、特定の思想又はこれに反する思想の表明として外部から認識されるものと評価すべきであり」という部分は、誤っている。