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憲法 首相靖国神社参拝事件 最二小判平成18年6月23日
概要
内閣総理大臣の地位にある者が靖國神社に参拝したために、個人の信条ないし宗教上の感情が害されたとしても、損害賠償の対象となり得るような法的利益の侵害があったとはいえない。
判例
事案:本件は、Xらは、内閣総理大臣の地位にあるYが平成13年8月13日に行った靖國神社の参拝(以下「本件参拝」という。)は、政教分離原則を規定した憲法20条3項に違反するものであり、本件参拝により、Xらの「戦没者が靖國神社に祀られているとの観念を受入れるか否かを含め、戦没者をどのように回顧し祭祀するか、しないかに関して(公権力からの圧迫、干渉を受けずに)自ら決定し、行う権利ないし利益」が害され、精神的苦痛を受けたなどと主張して、国に対し国家賠償法1条1項による損害賠償請求権に基づき、Y及び靖國神社に対し不法行為による損害賠償請求権に基づき、それぞれ1万円及びこれに対する遅延損害金の支払等を求めた。
判旨:「Xらが侵害されたと主張する権利ないし利益が法律上の保護になじむものであるか否かについて考える。人が神社に参拝する行為自体は、他人の信仰生活等に対して圧迫、干渉を加えるような性質のものではないから、他人が特定の神社に参拝することによって、自己の心情ないし宗教上の感情が害されたとし、不快の念を抱いたとしても、これを被侵害利益として、直ちに損害賠償を求めることはできないと解するのが相当である。Xらの主張する権利ないし利益も、上記のような心情ないし宗教上の感情と異なるものではないというべきである。このことは、内閣総理大臣の地位にある者が靖國神社を参拝した場合においても異なるものではないから、本件参拝によってXらに損害賠償の対象となり得るような法的利益の侵害があったとはいえない。したがって、Xらの損害賠償請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないものとして棄却すべきである…。」
判旨:「Xらが侵害されたと主張する権利ないし利益が法律上の保護になじむものであるか否かについて考える。人が神社に参拝する行為自体は、他人の信仰生活等に対して圧迫、干渉を加えるような性質のものではないから、他人が特定の神社に参拝することによって、自己の心情ないし宗教上の感情が害されたとし、不快の念を抱いたとしても、これを被侵害利益として、直ちに損害賠償を求めることはできないと解するのが相当である。Xらの主張する権利ないし利益も、上記のような心情ないし宗教上の感情と異なるものではないというべきである。このことは、内閣総理大臣の地位にある者が靖國神社を参拝した場合においても異なるものではないから、本件参拝によってXらに損害賠償の対象となり得るような法的利益の侵害があったとはいえない。したがって、Xらの損害賠償請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないものとして棄却すべきである…。」
補足意見:「私は、法廷意見の結論に賛成するものであるが、論旨にかんがみその理由につき補足して意見を述べておきたい。
1 本件訴訟は、Xらのもつ思想、信条、信仰に照らせば、戦没者を祭神とする神社に内閣総理大臣が参拝することは、Xらの心の平穏を害し不快の念を抱かせるものであるとして、それによって受けた精神的苦痛を理由に損害賠償を請求するなどというものである。
2 言うまでもなく、他人の行為によって精神的苦痛を受けたと感じたとしても、そのすべてが法的に保護され、賠償の対象となるわけではない。何人も他人の行為によって心の平穏を害され、不快の念を抱くことがあったとしても、それが当該行為をした人のもつ思想、信条、信仰等の自由の享受の結果である限りそれを認容すべきものであって、当該行為が過度にわたった結果それぞれのもつ自由を侵害したといえるものとなったとき、初めて法的保護を求め得るものとなるのである。
本件でXらが問題にするのは他人の神社への参拝行為である。他人の参拝行為は、それがどのような形態のものであれ、その人の自由に属することであって、そのことによって心の平穏を害され、不快の念をもつ者があったとしてもそのことによって他人の自由を侵害するというものではなく、これを損害賠償の対象とすることは、かえって当該参拝をした者の自由を妨げることとなり、これを認める余地はないのである。
3 もっとも、Xらは、本件参拝は私人の行為ではなく内閣総理大臣によって行われたものであり、そのことによって心の平穏を害され、不快感を抱いた者は、その行為の違法性に照らせば、法的利益が侵害されたものと解すべきだというのである。
確かに、国民はそれぞれが思想、信条、信仰の自由をもっており、他人のもつ自由な行動によって心の平穏を害され、不快の念を抱くことになったとしてもそれはそれぞれの国民のもつ自由を享受した結果として相互に寛容さが求められるのに対し、国はそのような自由をもつものではないから、国民は国の行為に対しては格別の寛容さが求められることはないのである。そして、我が国憲法は政教分離を規定し、国及びその機関に対しいかなる宗教活動も禁止しており、この規定は、それがおかれた歴史的沿革に照らして厳格に解されるべきものであると考える。
しかしながら、この憲法の規定は国家と宗教とを分離するという制度自体の保障を規定したものであって、直接に国民の権利ないし自由の保障を規定したものではないから、これに反する行為があったことから直ちに国民の権利ないし法的利益が侵害されたものということはできないのである。
この憲法の規定は信教の自由を保障するためのものであり、国やその機関が宗教的活動をすることは、その宗教と異なる宗教を信じる者に心理的圧迫を加えることからこれを阻止するという意味をもっているとしても、国の行為によってXらが受けたという心理的圧迫は不特定多数の国民に及ぶという性質のものにとどまるものといわざるを得ず、それは法的保護の対象になるものとはいえないのである。
4 私は、例えば緊密な生活を共に過ごした人への敬慕の念から、その人の意思を尊重したり、その人の霊をどのように祀るかについて各人の抱く感情などは法的に保護されるべき利益となり得るものであると考える。したがって、何人も公権力が自己の信じる宗教によって静謐な環境の下で特別の関係のある故人の霊を追悼することを妨げたり、その意に反して別の宗旨で故人を追悼することを拒否することができるのであって、それが行われたとすれば、強制を伴うものでなくても法的保護を求め得るものと考える。
そして、このような宗教的感情は平均人の感受性によって認容を迫られるものではなく、国及びその機関の行為によってそれが侵害されたときには、その被害について損害賠償を請求し得るものと考える。しかしながら、Xらは本訴においてそのような個別的利益を主張しているものではないのである。
5 また、Xらは、内閣総理大臣が宗教的活動を行うことは、それによって国家がその宗教と特別な結び付きをもつことになる結果、これと異なる宗教や信条をもつ者は心理的圧迫を受けることになり、その違法性は重大であると主張し、被侵害利益は加害行為と相関的に考えるべきであるから違法性の重大である場合にはXらの法的保護は侵害されたとみるべきだというのである。しかしながら、特定の宗教施設への参拝という行為により、内心の静穏な感情を害されないという利益は法的に保護されたものということはできない性質のものであるから、侵害行為の態様いかんにかかわらず、Xらの法的利益が侵害されたということはできないのである。
そうである以上、本件参拝が政教分離に反する違憲なものであるかどうかを問うまでもなく、そのことによってXらに侵害された利益を認めることはできないのであるから本件請求は失当である。」(滝井繁男裁判官の補足意見)
1 本件訴訟は、Xらのもつ思想、信条、信仰に照らせば、戦没者を祭神とする神社に内閣総理大臣が参拝することは、Xらの心の平穏を害し不快の念を抱かせるものであるとして、それによって受けた精神的苦痛を理由に損害賠償を請求するなどというものである。
2 言うまでもなく、他人の行為によって精神的苦痛を受けたと感じたとしても、そのすべてが法的に保護され、賠償の対象となるわけではない。何人も他人の行為によって心の平穏を害され、不快の念を抱くことがあったとしても、それが当該行為をした人のもつ思想、信条、信仰等の自由の享受の結果である限りそれを認容すべきものであって、当該行為が過度にわたった結果それぞれのもつ自由を侵害したといえるものとなったとき、初めて法的保護を求め得るものとなるのである。
本件でXらが問題にするのは他人の神社への参拝行為である。他人の参拝行為は、それがどのような形態のものであれ、その人の自由に属することであって、そのことによって心の平穏を害され、不快の念をもつ者があったとしてもそのことによって他人の自由を侵害するというものではなく、これを損害賠償の対象とすることは、かえって当該参拝をした者の自由を妨げることとなり、これを認める余地はないのである。
3 もっとも、Xらは、本件参拝は私人の行為ではなく内閣総理大臣によって行われたものであり、そのことによって心の平穏を害され、不快感を抱いた者は、その行為の違法性に照らせば、法的利益が侵害されたものと解すべきだというのである。
確かに、国民はそれぞれが思想、信条、信仰の自由をもっており、他人のもつ自由な行動によって心の平穏を害され、不快の念を抱くことになったとしてもそれはそれぞれの国民のもつ自由を享受した結果として相互に寛容さが求められるのに対し、国はそのような自由をもつものではないから、国民は国の行為に対しては格別の寛容さが求められることはないのである。そして、我が国憲法は政教分離を規定し、国及びその機関に対しいかなる宗教活動も禁止しており、この規定は、それがおかれた歴史的沿革に照らして厳格に解されるべきものであると考える。
しかしながら、この憲法の規定は国家と宗教とを分離するという制度自体の保障を規定したものであって、直接に国民の権利ないし自由の保障を規定したものではないから、これに反する行為があったことから直ちに国民の権利ないし法的利益が侵害されたものということはできないのである。
この憲法の規定は信教の自由を保障するためのものであり、国やその機関が宗教的活動をすることは、その宗教と異なる宗教を信じる者に心理的圧迫を加えることからこれを阻止するという意味をもっているとしても、国の行為によってXらが受けたという心理的圧迫は不特定多数の国民に及ぶという性質のものにとどまるものといわざるを得ず、それは法的保護の対象になるものとはいえないのである。
4 私は、例えば緊密な生活を共に過ごした人への敬慕の念から、その人の意思を尊重したり、その人の霊をどのように祀るかについて各人の抱く感情などは法的に保護されるべき利益となり得るものであると考える。したがって、何人も公権力が自己の信じる宗教によって静謐な環境の下で特別の関係のある故人の霊を追悼することを妨げたり、その意に反して別の宗旨で故人を追悼することを拒否することができるのであって、それが行われたとすれば、強制を伴うものでなくても法的保護を求め得るものと考える。
そして、このような宗教的感情は平均人の感受性によって認容を迫られるものではなく、国及びその機関の行為によってそれが侵害されたときには、その被害について損害賠償を請求し得るものと考える。しかしながら、Xらは本訴においてそのような個別的利益を主張しているものではないのである。
5 また、Xらは、内閣総理大臣が宗教的活動を行うことは、それによって国家がその宗教と特別な結び付きをもつことになる結果、これと異なる宗教や信条をもつ者は心理的圧迫を受けることになり、その違法性は重大であると主張し、被侵害利益は加害行為と相関的に考えるべきであるから違法性の重大である場合にはXらの法的保護は侵害されたとみるべきだというのである。しかしながら、特定の宗教施設への参拝という行為により、内心の静穏な感情を害されないという利益は法的に保護されたものということはできない性質のものであるから、侵害行為の態様いかんにかかわらず、Xらの法的利益が侵害されたということはできないのである。
そうである以上、本件参拝が政教分離に反する違憲なものであるかどうかを問うまでもなく、そのことによってXらに侵害された利益を認めることはできないのであるから本件請求は失当である。」(滝井繁男裁判官の補足意見)
過去問・解説
(R1 司法 第4問 ア)
内閣総理大臣が靖国神社を参拝する行為は、他の宗教を信じる者に心理的圧迫を加えることになるので、これにより自己の心情ないし宗教上の感情が害され不快の念を抱いた者は、国の宗教活動を禁じた憲法第20条第3項の定める政教分離原則に違反することを理由として国に損害賠償を請求することができる。
内閣総理大臣が靖国神社を参拝する行為は、他の宗教を信じる者に心理的圧迫を加えることになるので、これにより自己の心情ないし宗教上の感情が害され不快の念を抱いた者は、国の宗教活動を禁じた憲法第20条第3項の定める政教分離原則に違反することを理由として国に損害賠償を請求することができる。
(正答) ✕
(解説)
首相靖国神社参拝事件判決(最判平18.6.23)は、「人が神社に参拝する行為自体は、他人の信仰生活等に対して圧迫、干渉を加えるような性質のものではないから、他人が特定の神社に参拝することによって、自己の心情ないし宗教上の感情が害されたとし、不快の念を抱いたとしても、これを被侵害利益として、直ちに損害賠償を求めることはできないと解するのが相当である。」とした上で、「Xらの主張する権利ないし利益も、上記のような心情ないし宗教上の感情と異なるものではないというべきである。このことは、内閣総理大臣の地位にある者が靖國神社を参拝した場合においても異なるものではないから、本件参拝によってXらに損害賠償の対象となり得るような法的利益の侵害があったとはいえない。したがって、Xらの損害賠償請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないものとして棄却すべきである…。」としている。
首相靖国神社参拝事件判決(最判平18.6.23)は、「人が神社に参拝する行為自体は、他人の信仰生活等に対して圧迫、干渉を加えるような性質のものではないから、他人が特定の神社に参拝することによって、自己の心情ないし宗教上の感情が害されたとし、不快の念を抱いたとしても、これを被侵害利益として、直ちに損害賠償を求めることはできないと解するのが相当である。」とした上で、「Xらの主張する権利ないし利益も、上記のような心情ないし宗教上の感情と異なるものではないというべきである。このことは、内閣総理大臣の地位にある者が靖國神社を参拝した場合においても異なるものではないから、本件参拝によってXらに損害賠償の対象となり得るような法的利益の侵害があったとはいえない。したがって、Xらの損害賠償請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないものとして棄却すべきである…。」としている。