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憲法 長崎教師ビラ事件 最一小判平成元年12月21日
概要
公共の利害に関する事項について自由に批判・論評を行うことは、表現の自由の行使として尊重されるべきものであり、その対象が公務員の地位における行動である場合には、右批判等により当該公務員の社会的評価が低下することがあっても、その目的が専ら公益を図るものであり、かつ、その前提としている事実が 主要な点において真実であることの証明があったときは、人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱したものでない限り、名誉侵害の不法行為の違法性を欠く。
判例
事案:公立小学校の教師について「愚かな抵抗」「お粗末教育」「有害無能な教職員」等の表現が用いられ、さらには勤務先学校名・担任クラス・氏名・年齢・住所・電話番号が個別に教師ごとに記載されたビラが繁華街で通行人に配布されたという、論評型の事案において、名誉毀損を理由とする不法行為の成否が問題となった。
判旨:「公共の利害に関する事項について自由に批判、論評を行うことは、もとより表現の自由の行使として尊重されるべきものであり、その対象が公務員の地位における行動である場合には、右批判等により当該公務員の社会的評価が低下することがあっても、その目的が専ら公益を図るものであり、かつ、その前提としている事実が主要な点において真実であることの証明があったときは、人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱したものでない限り、名誉侵害の不法行為の違法性を欠くものというべきである。このことは、当裁判所の判例…の趣旨に徴して明らかであり、ビラを作成配布することも、右のような表現行為として保護されるべきことに変わりはない。
本件において、前示のような本件ビラの内容からすれば、本件配布行為は、被上告人らの社会的評価を低下させることがあっても、被上告人らが、有害無能な教職員でその教育内容が粗末であることを読者に訴え掛けることに主眼があるとはにわかに解し難く、むしろ右行為の当時長崎市内の教育関係者のみならず一般市民の間でも大きな関心事になっていた小学校における通知表の交付をめぐる混乱という公共の利害に関する事項についての批判、論評を主題とする意見表明というべきである。本件ビラの末尾一覧表に被上告人らの氏名・住所・電話番号等が個別的に記載された部分も、これに起因する結果につき人格的利益の侵害という観点から別途の不法行為責任を問う余地のあるのは格別、それ自体としては、被上告人らの社会的 評価に直接かかわるものではなく、また、本件ビラを全体として考察すると、主題を離れて被上告人らの人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱しているということもできない。そして、本件ビラの右のような性格及び内容に照らすと、上告人の本件配布行為の主観的な意図及び本件ビラの作成名義人が前記のようなものであっても、そのことから直ちに本件配布行為が専ら公益を図る目的に出たものに当たらないということはできず、更に、本件ビラの主題が前提としている客観的事実については、その主要な点において真実であることの証明があったものとみて差し支えないから、本件配布行為は、名誉侵害の不法行為の違法性を欠くものというべきである。してみると、被上告人らの本訴請求中、上告人の被上告人らに対する名誉侵害の不法行為責任を前提として新聞紙上への謝罪広告の掲載を求める部分…は、失当として棄却すべきものである。」
判旨:「公共の利害に関する事項について自由に批判、論評を行うことは、もとより表現の自由の行使として尊重されるべきものであり、その対象が公務員の地位における行動である場合には、右批判等により当該公務員の社会的評価が低下することがあっても、その目的が専ら公益を図るものであり、かつ、その前提としている事実が主要な点において真実であることの証明があったときは、人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱したものでない限り、名誉侵害の不法行為の違法性を欠くものというべきである。このことは、当裁判所の判例…の趣旨に徴して明らかであり、ビラを作成配布することも、右のような表現行為として保護されるべきことに変わりはない。
本件において、前示のような本件ビラの内容からすれば、本件配布行為は、被上告人らの社会的評価を低下させることがあっても、被上告人らが、有害無能な教職員でその教育内容が粗末であることを読者に訴え掛けることに主眼があるとはにわかに解し難く、むしろ右行為の当時長崎市内の教育関係者のみならず一般市民の間でも大きな関心事になっていた小学校における通知表の交付をめぐる混乱という公共の利害に関する事項についての批判、論評を主題とする意見表明というべきである。本件ビラの末尾一覧表に被上告人らの氏名・住所・電話番号等が個別的に記載された部分も、これに起因する結果につき人格的利益の侵害という観点から別途の不法行為責任を問う余地のあるのは格別、それ自体としては、被上告人らの社会的 評価に直接かかわるものではなく、また、本件ビラを全体として考察すると、主題を離れて被上告人らの人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱しているということもできない。そして、本件ビラの右のような性格及び内容に照らすと、上告人の本件配布行為の主観的な意図及び本件ビラの作成名義人が前記のようなものであっても、そのことから直ちに本件配布行為が専ら公益を図る目的に出たものに当たらないということはできず、更に、本件ビラの主題が前提としている客観的事実については、その主要な点において真実であることの証明があったものとみて差し支えないから、本件配布行為は、名誉侵害の不法行為の違法性を欠くものというべきである。してみると、被上告人らの本訴請求中、上告人の被上告人らに対する名誉侵害の不法行為責任を前提として新聞紙上への謝罪広告の掲載を求める部分…は、失当として棄却すべきものである。」
過去問・解説
(H25 司法 第6問 ア)
公務員としての行動に関する批判的論評が公務員の社会的評価を低下させる場合でも、その論評が専ら公益目的でなされ、かつ前提たる事実が主要な点において真実であることの証明があれば、論評としての域を逸脱していない限り、名誉毀損の不法行為は成立しない。
公務員としての行動に関する批判的論評が公務員の社会的評価を低下させる場合でも、その論評が専ら公益目的でなされ、かつ前提たる事実が主要な点において真実であることの証明があれば、論評としての域を逸脱していない限り、名誉毀損の不法行為は成立しない。
(正答) 〇
(解説)
判例は、名誉毀損表現について、事実摘示型と論評型を区別しており、事実摘示型には「夕刊和歌山時事」事件判決(最大判昭44.6.25)の考えが妥当するが、論評型にはその考え方がそのままの形では妥当しないとしている。
長崎教師ビラ事件最高裁判決(最判平元.12.21)は、論評型の事案において、「公共の利害に関する事項について自由に批判、論評を行うことは、もとより表現の自由の行使として尊重されるべきものであり、その対象が公務員の地位における行動である場合には、右批判等により当該公務員の社会的評価が低下することがあっても、その目的が専ら公益を図るものであり、かつ、その前提としている事実が主要な点において真実であることの証明があったときは、人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱したものでない限り、名誉侵害の不法行為の違法性を欠くものというべきである」としている。そして、本判決は、真実性の証明については「その前提としている事実が主要な点において真実であることの証明があったとき」として「夕刊和歌山時事」事件判決よりも要件を緩和する一方で、「人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱したものでない限り」という「夕刊和歌山時事」事件判決では言及されていない第4の要件を追加している。本肢は、論評型の得名誉毀損表現について、第4の要件に言及がない点において、誤っている。
長崎教師ビラ事件最高裁判決(最判平元.12.21)は、論評型の事案において、「公共の利害に関する事項について自由に批判、論評を行うことは、もとより表現の自由の行使として尊重されるべきものであり、その対象が公務員の地位における行動である場合には、右批判等により当該公務員の社会的評価が低下することがあっても、その目的が専ら公益を図るものであり、かつ、その前提としている事実が主要な点において真実であることの証明があったときは、人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱したものでない限り、名誉侵害の不法行為の違法性を欠くものというべきである」としている。そして、本判決は、真実性の証明については「その前提としている事実が主要な点において真実であることの証明があったとき」として「夕刊和歌山時事」事件判決よりも要件を緩和する一方で、「人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱したものでない限り」という「夕刊和歌山時事」事件判決では言及されていない第4の要件を追加している。本肢は、論評型の得名誉毀損表現について、第4の要件に言及がない点において、誤っている。