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集団行動の自由

新潟県公安条例事件 最大判昭和29年11月24日

概要
①条例において行列行進又は公衆の集団示威運動につき単なる届出制を定めることは格別、そうでなく一般的な許可制を定めてこれを事前に抑制することは、憲法の趣旨に反し許されない。
②行列行進又は公衆の集団示威運動について、公共の秩序を保持し、又は公共の福祉が著しく侵されることを防止するため、特定の場所又は方法につき、合理的かつ明確な基準の下に、予じめ許可を受けしめ、又は届出をなさしめてこのような場合にはこれを禁止することができる旨の規定を条例に設けても、これをもって直ちに憲法の保障する国民の自由を不当に制限するものと解することはできない。
③行列行進又は公衆の集団示威運動について公共の安全に対し明らかな差迫つた危険を及ぼすことが予見されるときは、これを許可せず又は禁止することができる旨の規定を設けることも、これをもつて直ちに憲法の保障する国民の自由を不当に制限することにはならない。
④新潟県公安条例は、行列行進又は公衆の集団示威運動について公安委員会の許可を受けないで行つてはならないと定めているが、条例の趣旨全体を綜合して考察すれば、同条例は許可の語を用いてはいるが、行列行進又は公衆の集団示威運動そのものを一般的に許可制によつて抑制する趣旨ではなく、上述のように別の観点から特定の場所又は方法についてのみ制限する場合があることを定めたものに過ぎないと解するのが相当であるから、同条例は憲法21条に違反するものではない。
判例
事案:行列行進・集団示威運動を公安委員会の許可に服せしめている新潟県公安条例が憲法21条1項に違反するかが問題となった。

判旨:「行列行進又は公衆の集団示威運動(以下単にこれらの行動という)は、公共の福祉に反するような不当な目的又は方法によらないかぎり、本来国民の自由とするところであるから、条例においてこれらの行動につき単なる届出制を定めることは格別、そうでなく一般的な許可制を定めてこれを事前に抑制することは、憲法の趣旨に反し許されないと解するを相当とする。しかしこれらの行動といえども公共の秩序を保持し、又は公共の福祉が著しく侵されることを防止するため、特定の場所又は方法につき、合理的かつ明確な基準の下に、予じめ許可を受けしめ、又は届出をなさしめてこのような場合にはこれを禁止することができる旨の規定を条例に設けても、これをもつて直ちに憲法の保障する国民の自由を不当に制限するものと解することはできない。けだしかかる条例の規定は、なんらこれらの行動を一般に制限するのでなく、前示の観点から単に特定の場所又は方法について制限する場合があることを認めるに過ぎないからである。さらにまた、これらの行動について公共の安全に対し明らかな差迫つた危険を及ぼすことが予見されるときは、これを許可せず又は禁止することができる旨の規定を設けることも、これをもつて直ちに憲法の保障する国民の自由を不当に制限することにはならないと解すべきである。」
 そこで…本件条例…を考究してみるに、その1条に、これらの行動について公安委員会の許可を受けないで行つてはならないと定めているが、ここにいう「行列行進又は公衆の集団示威運動」は、その解釈として括弧内に「徒歩又は車輌で道路公園その他公衆の自由に交通することができる場所を行進し又は占拠しようとするもの、以下同じ」と記載されているから、本件条例が許可を受けることを要求する行動とは…特定の場所又は方法に関するものを指す趣旨であることが認められる。…されば本件条例1条の立言(括弧内)はなお一般的な部分があり、特に4条1項の前段はきわめて抽象的な基準を掲げ、公安委員会の裁量の範囲がいちじるしく広く解されるおそれがあつて、いずれも明らかな具体的な表示に改めることが望ましいけれども、条例の趣旨全体を綜合して考察すれば、本件条例は許可の語を用いてはいるが、これらの行動そのものを一般的に許可制によつて抑制する趣旨ではなく、上述のように別の観点から特定の場所又は方法についてのみ制限する場合があることを定めたものに過ぎないと解するを相当とする。されば本件条例は、…憲法21条…に…違反するものではな…い。」
過去問・解説
(R5 共通 第4問 イ)
公共の秩序を保持し、又は公共の福祉が著しく侵されることを防止するため、特定の場所又は方法につき、合理的かつ明確な基準の下に、集団行進についてあらかじめ許可を受けることを必要とするとの規定を設けたとしても憲法第21条に反しない。

(正答)  

(解説)
新潟県公安条例事件判決(最大判昭29.11.24)は、「行列行進又は公衆の集団示威運動(以下単にこれらの行動という)は、公共の福祉に反するような不当な目的又は方法によらないかぎり、本来国民の自由とするところであるから、条例においてこれらの行動につき単なる届出制を定めることは格別、そうでなく一般的な許可制を定めてこれを事前に抑制することは、憲法の趣旨に反し許されないと解するを相当とする。」とする一方で、「しかしこれらの行動といえども公共の秩序を保持し、又は公共の福祉が著しく侵されることを防止するため、特定の場所又は方法につき、合理的かつ明確な基準の下に、予じめ許可を受けしめ、又は届出をなさしめてこのような場合にはこれを禁止することができる旨の規定を条例に設けても、これをもつて直ちに憲法の保障する国民の自由を不当に制限するものと解することはできない。」としている。
総合メモ

東京都公安条例事件 最大判昭和35年7月20日

概要
①集団行進及び集団示威運動に関する東京都公安条例が憲法に適合するや否やの問題の解決も、結局、本条例によつて憲法の保障する表現の自由が、憲法の定める濫用の禁止と公共の福祉の保持の要請を越えて不当に制限されているかどうかの判断に帰着するのである。
②集団行動は、何等かの思想・主張・感情等の表現を内包するものであるから、表現の自由として憲法によって保障さるべき要素が存在する。
③集団行動による表現の自由に関する限り、「公安条例」を以て、地方的情況その他諸般の事情を十分考慮に入れ、不測の事態に備え、法と秩序を維持するに必要かつ最小限度の措置を事前に講ずることは、止むを得ない次第である。如何なる程度の措置が必要かつ最小限度のものとして是認できるかについては、公安条例の定める集団行動に関して要求される条件が「許可」を得ることまたは「届出」をすることのいずれであるかというような、概念乃至用語のみによつて判断すべきではなく、条例全体の精神を実質的かつ有機的に考察しなければならない。
④本条例では、集団行動に関しては、公安員委員会の許可が要求されているが、公安委員会は集団行動の実施が「公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合」の外はこれを許可しなければならない、すなわち許可が義務づけられており、不許可の場合が厳格に制限されているから、この許可制はその実質において届出制とことなるところがない。
判例
事案:道路等での集会・集団行進・集団示威運動を公安委員会の許可に服せしめている東京都公安条例が憲法21条1項に違反するかが問題となった。

判旨:①「本件において争われている昭和25年東京都条例第44号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例(以下「本条例」と称する)が憲法に適合するや否やの問題の解決も、結局、本条例によつて憲法の保障する表現の自由が、憲法の定める濫用の禁止と公共の福祉の保持の要請を越えて不当に制限されているかどうかの判断に帰着するのである。
 本条例の規制の対象となつているものは、道路その他公共の場所における集会若しくは集団行集、および場所のいかんにかかわりない集団示威運動(以下「集団行動」という)である。かような集団行動が全くの自由に放任されるべきものであるか、それとも公共の福祉ーー本件に関しては公共の安寧の保持ーーのためにこれについて何等かの法的規制をなし得るかどうかがまず問題となる。」
 ②「およそ集団行動は、学生、生徒等の遠足、修学旅行等および、冠婚葬祭等の行事をのぞいては、通常一般大衆に訴えんする、政治、経済、労働、世界観等に関する何等かの思想、主張、感情等の表現を内包するものである。この点において集団行動には、表現の自由として憲法によつて保障さるべき要素が存在することはもちろんである。」
 ③「ところでかような集団行動による思想等の表現は、単なる言論、出版等によるものとはことなつて、現在する多数人の集合体自体の力、つまり潜在する一種の物理的力によつて支持されていることを特徴とする。かような潜在的な力は、あるいは予定された計画に従い、あるいは突発的に内外からの刺激、せん動等によつてきわめて容易に動員され得る性質のものである。この場合に平穏静粛な集団であつても、時に昂奮、激昂の渦中に巻きこまれ、甚だしい場合には一瞬にして暴徒と化し、勢いの赴くところ実力によつて法と秩序を蹂躙し、集団行動の指揮者はもちろん警察力を以てしても如何ともし得ないような事態に発展する危険が存在すること、群集心理の法則と現実の経験に徴して明らかである。従つて地方公共団体が、純粋な意味における表現といえる出版等についての事前規制である検閲が憲法21条2項によつて禁止されているにかかわらず、集団行動による表現の自由に関するかぎり、いわゆる「公安条例」を以て、地方的情況その他諸般の事情を十分考慮に入れ、不測の事態に備え、法と秩序を維持するに必要かつ最小限度の措置を事前に講ずることは、けだし止むを得ない次第である。
 しからば如何なる程度の措置が必要かつ最小限度のものとして是認できるであろうか。これについては、公安条例の定める集団行動に関して要求される条件が「許可」を得ることまたは「届出」をすることのいずれであるかというような、概念乃至用語のみによつて判断すべきでない。またこれが判断にあたつては条例の立法技術上のいくらかの欠陥にも拘泥してはならない。我々はそのためにすべからく条例全体の精神を実質的かつ有機的に考察しなければならない。」
 ④「今本条例を検討するに、集団行動に関しては、公安員委員会の許可が要求されている(1条)。しかし公安委員会は集団行動の実施が「公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合」の外はこれを許可しなければならない(3条)。すなわち許可が義務づけられており、不許可の場合が厳格に制限されている。従つて本条例は規定の文面上では許可制を採用しているが、この許可制はその実質において届出制とことなるところがない。集団行動の条件が許可であれ届出であれ、要はそれによつて表現の自由が不当に制限されることにならなければ差支えないのである。もちろん「公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合」には、許可が与えられないことになる。しかしこのことは法と秩序の維持について地方公共団体が住民に対し責任を負担することからして止むを得ない次第である。許可または不許可の処分をするについて、かような場合に該当する事情が存するかどうかの認定が公安委員会の裁量に属することは、それが諸般の情況を具体的に検討、考量して判断すべき性質の事項であることから見て当然である。我々は、とくに不許可の処分が不当である場合を想定し、または許否の決定が保留されたまま行動実施予定日が到来した場合の救済手段が定められていないことを理由としてただちに本条例を違憲、無効と認めることはできない。本条例中には、公安委員会が集団行動開始日時の一定時間前までに不許可の意思表示をしない場合に、許可があつたものとして行動することができる旨の規定が存在しない。このことからして原判決は、この場合に行動の実施が禁止され、これを強行すれば主催者等は処罰されるものと解釈し、本条例が集団行動を一般的に禁止するものと推論し、以て本条例を違憲と断定する。しかしかような規定の不存在を理由にして本条例の趣旨が、許可制を以て表現の自由を制限するに存するもののごとく考え、本条例全体を違憲とする原判決の結論は、本末を顛倒するものであり、決して当を得た判断とはいえない。
 次に規制の対象となる集団行動が行われる場所に関し、原判決は、本条例が集会若しくは集団行進については「道路その他公共の場所」、集団示威運動については「場所のいかんを問わず」というふうに、一般的にまたは一般的に近い制限をなしているから、制限が具体性を欠き不明確であると批判する。しかしいやしくも集団行動を法的に規制する必要があるとするなら、集団行動が行われ得るような場所をある程度包括的にかかげ、またはその行われる場所の如何を問わないものとすることは止むを得ない次第であり、他の条例において見受けられるような、本条例よりも幾分詳細な規準(例えば「道路公園その他公衆の自由に交通することができる場所」というごとき)を示していないからといつて、これを以て本条例が違憲、無効である理由とすることはできない。なお集団的示威運動が「場所のいかんを問わず」として一般的に制限されているにしても、かような運動が公衆の利用と全く無関係な場所において行われることは、運動の性質上想像できないところであり、これを論議することは全く実益がない。
 要するに本条例の対象とする集団行動、とくに集団示威運動は、本来平穏に、秩序を重んじてなさるべき純粋なる表現の自由の行使の範囲を逸脱し、静ひつを乱し、暴力に発展する危険性のある物理的力を内包しているものであり、従つてこれに関するある程度の法的規制は必要でないとはいえない。国家、社会は表現の自由を最大限度に尊重しなければならないことももちろんであるが、表現の自由を口実にして集団行動により平和と秩序を破壊するような行動またはさような傾向を帯びた行動を事前に予知し、不慮の事態に備え、適切な措置を講じ得るようにすることはけだし止むを得ないものと認めなければならない。もつとも本条例といえども、その運用の如何によつて憲法21条の保障する表現の自由の保障を侵す危険を絶対に包蔵しないとはいえない。条例の運用にあたる公安委員会が権限を濫用し、公共の安寧の保持を口実にして、平穏で秩序ある集団行動まで抑圧することのないよう極力戒心すべきこともちろんである。しかし濫用の虞れがあり得るからといつて、本条例を違憲とすることは失当である。」

反対意見:「憲法21条の規定する表現の自由の完全な保障が民主政治の最も重要な基本原則の一つであること、国家、社会は表現の自由を最大限に尊重しなければならないことは多数意見の説くとおりであり、新憲法の保障する表現の自由は、旧憲法下におけるそれと異なり、立法によつてもみだりに制限されないものであることは、つとに当裁判所の判例の示すところである。そして、本件東京都条例の規制の対象となつている「道路その他公共の場所における集会若しくは集団行進および場所のいかんにかかわりない集団示威運動」はすべて憲法の保障する表現の自由の要素をもつものであることは多数意見のみとめるところである。(ただし、「集会の自由」は、憲法21条が直接明文をもつて保障するところであるのみならず、本件はいわゆる集団行動に関する事案であつて、単なる「集会の自由」は直接関係するところではないから、憲法の「集会の自由」を許可にかからしめる制度の合憲なりや否やの論議は、これを省く。)ただ、憲法上の基本的人権といえども、国民はこれを濫用してはならないのであり、常に公共の福祉のために利用する責任を負うのであるから、新憲法下における表現の自由も公共の福祉によつて調整されなければならないことも、既に当裁判所の判例とするところである。されば、地方公共団体が、「いわゆる公安条例をもつて地方的情況その他諸般の事情を十分考慮に入れ不測の事態に備え、法と秩序を維持するに必要かつ最小限度の措置を事前に講ずることはけだしやむを得ない」ところであり、本件において争われている東京都条例が憲法に適合するや否やの問題も、本条例の定めている措置が、憲法の保障する表現の自由に対する「必要にしてやむを得ない最小限度」の規制として許されるものであるかどうかに帰着するのである。
 最高裁判所大法廷は、さきに、新潟県条例の合憲性に関して15名の裁判官全員一致の意見をもつて、「行列行進又は公衆の集団示威運動は、公共の福祉に反するような不当な目的又は方法によらないかぎり、本来国民の自由とするところであるから、条例においてこれらの行動につき単なる届出制を定めることは格別、そうでなく一般的な許可制を定めてこれを事前に抑制することは、憲法の趣旨に反し許されないと解するを相当とする」と判示して、この種自由とその規制に関する根本原則をあきらかにした。(昭和26年(あ)第3188号同29年11月24日大法廷判決)この意は、かくのごとき表現の自由に関する行動を行政庁の一般的な許可にかからしめて、行政庁の許可というごとき行政行為があつてはじめて自由が得られるものとし、許可を得ないでした行動は違法であつてこれを処罰するというがごとき制度は、表現の自由の本質と相容れないものであつて、憲法上許されないとの趣旨を宣明したものと理解すべきである。これに反して届出制なるものは、行政庁の行為を前提とするものでなく、表現せんとする者自身に届出なる行為を要求するにとどまるものであるから、表現の自由の本質を害するものではなく、しかも届出に対応して、予め不測の事態の発生を防止すべき諸般の処置を講ずることができるのであるから、この程度の規制は現下の情勢においてやむを得ない措置であるとの意を表わしたものである。(最高裁判所大法廷はさきに、貸金等の取締に関する法律の合憲性に関し、何人でも届出をすれば自由に貸金業を行うことができるのであるから、届出を怠つて貸金業を営んだ者が、これがため同法の罰則の適用を受けるに至るとしても、これをもつて職業選択の自由を不当に圧迫するものとはいえない旨を判示した。昭和26年(あ)第853号、同29年11月24日大法廷判決)
 如上新潟県条例に関する大法廷判例に示された自由とその規制に関する根本原則は、あくまでもこれを堅持しなければならない。けだし憲法の保障する基本的人権の本質的な理解にもとづくものであるからである。これを単に概念乃至用語の問題として一蹴さるべきものではない。これが西独、仏、伊の立法例がこの種行動規整の制度としてひとしく届出制をとり、許可制を採らない所以であり、また、アメリカ連邦最高裁判所が多年数次に亘つて表現の自由に関連する行為について、許可制を採る各州の州法又は市条例をもつて、アメリカ憲法に違反するものと判決した根本理念の因つて来るところでもあろう。多数意見といえども、今日たやすく前示新潟県条例に関する大法廷判決に表明された基本原則に変更を加える意図あるものとは思われない。
 しかるに、多数意見は、東京都条例がその第三条において、「公安委員会は集団行動の実施が公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合の外はこれを許可しなければならない。すなわち許可が義務づけられており、不許可の場合が厳格に制限されている。従つて本条例は規定の文面上では許可制を採用しているが、この許可制はその実質において届出制とことなるところがない」という。しかし許可が義務づけられていること、不許可の場合が厳格に制限されているという、ただそれだけでこの許可制が実質的に届出制と異るところがないといえないことは多言を要しないであろう。その自由の本質に関する理念の相違は別としても、行動そのものに対する許可不許可の裁量が公安委員会の権限に委ねられている以上、直にこれを届出制と同視することのできないことは当然である。多数意見はまた「本条例中には公安委員会が集団行動開始日時の一定時間前までに不許可の意思表示をしない場合に許可があつたものとして行動することができる旨の規定が存在しない」点に関しても「かような規定の不存在を理由にして本条例の趣旨が許可制を以て表現の自由を制限するに存するもののごとく考える」ことは「本末顛倒」の論であるとしている。しかし、およそある法規の内容が憲法に違反するか否かを判断するにあたつては、その法規の趣意に対する全般的な考察を必要とすると共に、その法規の内容を為す各条項の意義を、各条項について個々に検討する要あることは勿論であつて、如上の規定の存否は、条例が文面上許可制をとつていてもその実質は届出制とことならないといえるかどうかを判定するについて重要な一要素を為すものと解する。さきに新潟県条例に関する大法廷判決の多数意見が同条例が許可制であるにかかわらず、なおかつ、これを合憲と判断した一つの重要な要素は、同県条例にはこの種の規定が存在しこれらの規定を「有機的な一体として考察」したによるものであることは、同判決における多数意見とその補足意見とを対照して判続すればたやすく理解し得るところである。許可制でありながら、これを届出制と同視し得るとするがためには、少くともこの種の規定の存在は、最小限度に必要と解すべきである。本件東京都条例にはかかる規定は存在しないのである。
 さらに本条例において許否決定の基準が、公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められるかどうかとせられていることは、この許否は道路交通取締上の見地からするものでなく、また公共の場所等に関し営造物管理等の必要からするものでもなく(これらに関しては、それぞれ別個に取締法規が制定されている)もつぱら治安保持の必要に出たものであることを表わしているのであり、この治安上、明白現在の危険の有無の判定が、行動の事前、しかも、おそくとも行動開始の24時間以前において、一に公安委員会の裁量に委ねられ、これにもとづいて行動の自由が左右せられるとするところに、制度上、事前抑制のおそれなしとすることはできないのである。多数意見も「本条例といえども、その運用の如何によつては憲法21条の保障する表現の自由の保障を侵す危険を絶対に包蔵しないものとはいえない」という。「しかし濫用の虞れがあり得るからといつて、本条例を違憲とすることは失当である」という。しかし、ある法規が適憲であるかどうかの判断は、その法規自体に濫用を防止するに足る内容の条項が備わつているかどうかにかかるところ大である。そして表現の自由を制限するごとき法規にあつては、規定の内容自体に濫用を防止すべき最大限の考慮が払われていなければならないことは勿論であつて、運用の如何に責を帰せんとするがごときは法規の規範性を無視するものである。本条例が事前許可制をとるかぎりにおいて、如上の基準は決してその濫用を防止するに最大限の考慮を払つたものとはいえず、この基準あるの故をもつて、本件許可制を実質は届出制と異るところないものとすることは到底できないのである。(その他本条例の許可制をもつて、たやすく、届出制と同視し得ないとする点に関する原判決のもろもろの説示は十分に首肯し得るところである。)
 以上の理由により、自分は原判決と共に、本条例の許可制は、表現の自由に対する必要にしてやむを得ない最小限の規制とはみとめ難く、憲法の趣意に沿わないものと断ぜざるを得ない。
 なお、多数意見は、検察官と同じく、この種行動が容易に動員されて不測の災害を惹起する危険性のあることを強調する。しかし、取締の必要に急なるのあまり、憲法の保障する自由の本質を見失うようなことがあつてはならない。取締の安易に堕して、憲法上の大義に対する考慮をゆるがせにすることは許されない。アメリカ連邦裁判所のロバーツ判事は、ハーグ対CIO事件の判決(1939年)において「意見表明の特権を官憲が無制約に抑圧することをもつて、意見表明の権利行使に関し生じ得る混乱から社会秩序を維持する官憲の義務に代えることは許されない」といつている。またセイア対ニユーヨーク事件の判決(1947年)において、その多数意見は「……本件のごとき性格の条例の憲法上の効力を審案するにあたつては種々の社会の利益が衡量されなければならない。しかしその過程において、修正第一条による自由権に優位を与えるよう常に留意されなければならない」と。こころすべきである。
 これを、治安対策の見地からみても、内容に疑義を包蔵する法規をもつてしては、その実効は期し難い。憲法上疑義のない法規を整備して、事態に対処することこそ今日の急務であると信ずる。」(藤田八郎裁判官の反対意見)
過去問・解説
(H26 共通 第7問 ウ)
集団行動を法的に規制する場合、表現の自由の保障に可能な限り配慮する必要があるため、集団行動が行われ得るような場所を包括的に掲げたり、その行われる場所のいかんを問わないものとしたりすることは許されない。

(正答)  

(解説)
東京都公安条例事件判決(最大判昭35.7.20)は「集団行動を法的に規制する必要があるとするなら、集団行動が行われ得るような場所をある程度包括的にかかげ、またはその行われる場所の如何を問わないものとすることは止むを得ない」としている。

(H30 共通 第6問 イ)
道路については、交通の安全と円滑を図るという機能面が重視される結果、道路における集団行動の規制は、集会の自由に対する制限には当たらない。

(正答)  

(解説)
東京都公安条例事件判決(最大判昭35.7.20)は、道路等での集会・集団行進・集団示威運動を公安委員会の許可に服せしめている東京都公安条例について、それが集会の自由(又は表現の自由)に対する制限に当たることを前提として、「必要かつ最小限度のものとして是認できる…か」について判断をしている。
総合メモ

徳島市公安条例事件 最大判昭和50年9月10日

概要
①条例が国の法令に違反するかどうかは、両者の対象事項と規定文言を対比するのみでなく、それぞれの趣旨、目的、内容及び効果を比較し、両者の間に矛盾牴触があるかどうかによつてこれを決しなければならない。例えば、ある事項について国の法令中にこれを規律する明文の規定がない場合でも、当該法令全体からみて、右規定の欠如が特に当該事項についていかなる規制をも施すことなく放置すべきものとする趣旨であると解されるときは、これについて規律を設ける条例の規定は国の法令に違反することとなりうるし、逆に、特定事項についてこれを規律する国の法令と条例とが併存する場合でも、後者が前者とは別の目的に基づく規律を意図するものであり、その適用によつて前者の規定の意図する目的と効果をなんら阻害することがないときや、両者が同一の目的に出たものであつても、国の法令が必ずしもその規定によつて全国的に一律に同一内容の規制を施す趣旨ではなく、それぞれの普通地方公共団体において、その地方の実情に応じて、別段の規制を施すことを容認する趣旨であると解されるときは、国の法令と条例との間にはなんらの矛盾牴触はなく、条例が国の法令に違反する問題は生じえないのである。
②ある刑罰法規があいまい不明確のゆえに憲法31条に違反するものと認めるべきかどうかは、通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読みとれるかどうかによつてこれを決定すべきである。
判例
事案:道路交通法77条1項4号の委任に基づき、徳島県公安委員会は「集団行進」を管轄警察署長の許可の対象として指定しており、同条3項は、警察署長が許可に条件を付すことを認めており、条件違反に対する罰則として3月以下の懲役又は3万円以下の罰金が定められている(119条1項13号)。徳島市公安条例では、集団示威行進等について市公安委員会への届出制を定め、「公共の安寧を保持するため」集団示威行進を行う者が遵守すべき事項として「交通秩序を維持すること」を掲げ(3条3号)、それを遵守しない集団示威行進の「主催者、指導者又は扇動者」に対する罰則として「1年以下の懲役若しくは禁錮又は5万円以下の罰金」を定めていた。
 本件では、①徳島市公安条例が道路交通法に抵触するものとして憲法94条に違反するか、②同条例が集団示威運動を行う者の遵守事項として定めている「交通秩序を維持すること」という文言の不明確性(憲法31条違反)が問題となった。

判旨:①「地方自治法14条1項は、普通地方公共団体は法令に違反しない限りにおいて同法2条2項の事務に関し条例を制定することができる、と規定しているから、普通地方公共団体の制定する条例が国の法令に違反する場合には効力を有しないことは明らかであるが、条例が国の法令に違反するかどうかは、両者の対象事項と規定文言を対比するのみでなく、それぞれの趣旨、目的、内容及び効果を比較し、両者の間に矛盾牴触があるかどうかによつてこれを決しなければならない。例えば、ある事項について国の法令中にこれを規律する明文の規定がない場合でも、当該法令全体からみて、右規定の欠如が特に当該事項についていかなる規制をも施すことなく放置すべきものとする趣旨であると解されるときは、これについて規律を設ける条例の規定は国の法令に違反することとなりうるし、逆に、特定事項についてこれを規律する国の法令と条例とが併存する場合でも、後者が前者とは別の目的に基づく規律を意図するものであり、その適用によつて前者の規定の意図する目的と効果をなんら阻害することがないときや、両者が同一の目的に出たものであつても、国の法令が必ずしもその規定によつて全国的に一律に同一内容の規制を施す趣旨ではなく、それぞれの普通地方公共団体において、その地方の実情に応じて、別段の規制を施すことを容認する趣旨であると解されるときは、国の法令と条例との間にはなんらの矛盾牴触はなく、条例が国の法令に違反する問題は生じえないのである。
 これを道路交通法77条及びこれに基づく徳島県道路交通施行細則と本条例についてみると、徳島市内の道路における集団行進等について、道路交通秩序維持のための行為規制を施している部分に関する限りは、両者の規律が併存競合していることは、これを否定することができない。しかしながら、道路交通法77条1項4号は、同号に定める通行の形態又は方法による道路の特別使用行為等を警察署長の許可によつて個別的に解除されるべき一般的禁止事項とするかどうかにつき、各公安委員会が当該普通地方公共団体における道路又は交通の状況に応じてその裁量により決定するところにゆだね、これを全国的に一律に定めることを避けているのであつて、このような態度から推すときは、右規定は、その対象となる道路の特別使用行為等につき、各普通地方公共団体が、条例により地方公共の安寧と秩序の維持のための規制を施すにあたり、その一環として、これらの行為に対し、道路交通法による規制とは別個に、交通秩序の維持の見地から一定の規制を施すこと自体を排斥する趣旨まで含むものとは考えられず、各公安委員会は、このような規制を施した条例が存在する場合には、これを勘案して、右の行為に対し道路交通法の前記規定に基づく規制を施すかどうか、また、いかなる内容の規制を施すかを決定することができるものと解するのが、相当である。そうすると、道路における集団行進等に対する道路交通秩序維持のための具体的規制が、道路交通法77条及びこれに基づく公安委員会規則と条例の双方において重複して施されている場合においても、両者の内容に矛盾牴触するところがなく、条例における重複規制がそれ自体としての特別の意義と効果を有し、かつ、その合理性が肯定される場合には、道路交通法による規制は、このような条例による規制を否定、排除する趣旨ではなく、条例の規制の及ばない範囲においてのみ適用される趣旨のものと解するのが相当であり、したがつて、右条例をもつて道路交通法に違反するものとすることはできない。
 道路交通法の右罰則は、同法77条所定の規制の実効性を担保するために、一般的に同条の定める道路の特別使用行為等についてどの程度に違反が生ずる可能性があるか、また、その違反が道路交通の安全をどの程度に侵害する危険があるか等を考慮して定められたものであるのに対し、本条例の右罰則は、集団行進等という特殊な性格の行動が帯有するさまざまな地方公共の安寧と秩序の侵害の可能性及び予想される侵害の性質、程度等を総体的に考慮し、殊に道路における交通の安全との関係では、集団行進等が、単に交通の安全を侵害するばかりでなく、場合によつては、地域の平穏を乱すおそれすらあることをも考慮して、その内容を定めたものと考えられる。そうすると、右罰則が法定刑として道路交通法には定めのない禁錮刑をも規定し、また懲役や罰金の刑の上限を同法より重く定めていても、それ自体としては合理性を有するものということができるのである。そして、前述のとおり条例によつて集団行進等について別個の規制を行うことを容認しているものと解される道路交通法が、右条例においてその規制を実効あらしめるための合理的な特別の罰則を定めることを否定する趣旨を含んでいるとは考えられないところであるから、本条例5条の規定が法定刑の点で同法に違反して無効であるとすることはできない。」
 ②「およそ、刑罰法規の定める犯罪構成要件があいまい不明確のゆえに憲法31条に違反し無効であるとされるのは、その規定が通常の判断能力を有する一般人に対して、禁止される行為とそうでない行為とを識別するための基準を示すところがなく、そのため、その適用を受ける国民に対して刑罰の対象となる行為をあらかじめ告知する機能を果たさず、また、その運用がこれを適用する国又は地方公共団体の機関の主観的判断にゆだねられて恣意に流れる等、重大な弊害を生ずるからであると考えられる。しかし、一般に法規は、規定の文言の表現力に限界があるばかりでなく、その性質上多かれ少なかれ抽象性を有し、刑罰法規もその例外をなすものではないから、禁止される行為とそうでない行為との識別を可能ならしめる基準といつても、必ずしも常に絶対的なそれを要求することはできず、合理的な判断を必要とする場合があることを免れない。それゆえ、ある刑罰法規があいまい不明確のゆえに憲法31条に違反するものと認めるべきかどうかは、通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読みとれるかどうかによつてこれを決定すべきである。
 …本条例3条が、集団行進等を行おうとする者が、集団行進等の秩序を保ち、公共の安寧を保持するために守らなければならない事項の一つとして、その3号に「交通秩序を維持すること」を掲げているのは、道路における集団行進等が一般的に秩序正しく平穏に行われる場合にこれに随伴する交通秩序阻害の程度を超えた、殊更な交通秩序の阻害をもたらすような行為を避止すべきことを命じているものと解されるのである。そして、通常の判断能力を有する一般人が、具体的場合において、自己がしようとする行為が右条項による禁止に触れるものであるかどうかを判断するにあたつては、その行為が秩序正しく平穏に行われる集団行進等に伴う交通秩序の阻害を生ずるにとどまるものか、あるいは殊更な交通秩序の阻害をもたらすようなものであるかを考えることにより、通常その判断にさほどの困難を感じることはないはずであり、例えば各地における道路上の集団行進等に際して往々みられるだ行進、うず巻行進、すわり込み、道路一杯を占拠するいわゆるフランスデモ等の行為が、秩序正しく平穏な集団行進等に随伴する交通秩序阻害の程度を超えて、殊更な交通秩序の阻害をもたらすような行為にあたるものと容易に想到することができるというべきである。
 さらに、前述のように、このような殊更な交通秩序の阻害をもたらすような行為は、思想表現行為としての集団行進等に不可欠な要素ではなく、したがつて、これを禁止しても国民の憲法上の権利の正当な行使を制限することにはならず、また、殊更な交通秩序の阻害をもたらすような行為であるかどうかは、通常さほどの困難なしに判断しうることであるから、本条例3条3号の規定により、国民の憲法上の権利の正当な行使が阻害されるおそれがあるとか、国又は地方公共団体の機関による恣意的な運用を許すおそれがあるとは、ほとんど考えられないのである(なお、記録上あらわれた本条例の運用の実態をみても、本条例3条3号の規定が、国民の憲法上の権利の正当な行使を阻害したとか、国又は地方公共団体の機関の恣意的な運用を許したとかいう弊害を生じた形跡は、全く認められない。 )
 このように見てくると、本条例3条3号の規定は、確かにその文言が抽象的であるとのそしりを免れないとはいえ、集団行進等における道路交通の秩序遵守についての基準を読みとることが可能であり、犯罪構成要件の内容をなすものとして明確性を欠き憲法31条に違反するものとはいえない…。」
過去問・解説
(H25 予備 第3問 ウ)
殊更に交通秩序の阻害をもたらすような行為は、思想表現行為としての集団行進に不可欠な要素ではないから、道路における集団行進を許可するに際し、これを禁ずるという条件を付するとしても、憲法上の権利を不当に侵害するものではない。

(正答)  

(解説)
徳島市公安条例事件判決(最大判昭50.9.10)は、「このような殊更な交通秩序の阻害をもたらすような行為は、思想表現行為としての集団行進等に不可欠な要素ではなく、したがって、これを禁止しても国民の憲法上の権利の正当な行使を制限することにはならず、また、殊更な交通秩序の阻害をもたらすような行為であるかどうかは、通常さほどの困難なしに判断しうることであるから、本条例3条3号の規定により、国民の憲法上の権利の正当な行使が阻害されるおそれがあるとか、国又は地方公共団体の機関による恣意的な運用を許すおそれがあるとは、ほとんど考えられないのである…。」としている。

(R2 司法 第17問 ウ)
判例は、ある事項について国の法令中に明文の規定がない場合でも、当該法令全体からみて、規定の欠如が当該事項についていかなる規制をも施すことなく放置すべきものとする趣旨であると解されるときは、当該事項について条例で規律することが法令違反になり得るとしている。

(正答)  

(解説)
徳島市公安条例事件判決(最大判昭50.9.10)は、「地方自治法14条1項は、普通地方公共団体は法令に違反しない限りにおいて同法2条2項の事務に関し条例を制定することができる、と規定しているから、普通地方公共団体の制定する条例が国の法令に違反する場合には効力を有しないことは明らかであるが、条例が国の法令に違反するかどうかは、両者の対象事項と規定文言を対比するのみでなく、それぞれの趣旨、目的、内容及び効果を比較し、両者の間に矛盾牴触があるかどうかによつてこれを決しなければならない。」とした上で、「例えば、ある事項について国の法令中にこれを規律する明文の規定がない場合でも、当該法令全体からみて、右規定の欠如が特に当該事項についていかなる規制をも施すことなく放置すべきものとする趣旨であると解されるときは、これについて規律を設ける条例の規定は国の法令に違反することとなりうる…。」としている。
総合メモ

エンタープライズ寄港阻止佐世保闘争事件 最三小判昭和57年11月16日

概要
道路における集団行進を規制をする道路交通法77条1項4号及び長崎県道交法施行細則15条3号の各規定は、憲法21条1項に違反しない。
判例
事案:学生団体に所属するXらが原子力空母の寄港を止めようと警察署長の許可を得ずに集団示威運動や基地内に立ち入るしたなどの行為で有罪とされた事案において、道路における集団行進を規制をする道路交通法77条1項4号及び長崎県道交法施行細則15条3号の各規定が憲法21条1項に違反するかが問題となった。

判旨:「道交法及び長崎県道交法施行細則の右各規定は、「道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図り、及び道路の交通に起因する障害の防止に資する」という目的(道交法1条参照)のもとに、道路を使用して集団行進をしょうとする者に対しあらかじめ所轄警察署長の許可を受けさせることにしたものであ るところ、同法77条2項の規定は、道路使用の許可に関する明確かつ合理的な基準を掲げて道路における集団行進が不許可とされる場合を厳格に制限しており、これによれば、道路における集団行進に対し同条2項の規定による許可が与えられない場合は、当該集団行進の予想される規模、態様、コース、時刻などに照らし、これが行われることにより一般交通の用に供せられるべき道路の機能を著しく害するものと認められ、しかも、同条3項の規定に基づき警察署長が条件を付与することによつても、かかる事態の発生を阻止することができないと予測される場合に限られることになる。
 前記のような目的のもとに、道路における集団行進に対し右の程度の規制をする道交法77条1項4号、長崎県道交法施行細則15条3号の各規定が、表現の自由に対する公共の福祉による必要かつ合理的な制限として憲法上是認されるべきものであることは、これらの判例の趣旨に徴し明らかなところである。所論は、理由がない。」
過去問・解説
(R5 共通 第4問 ア)
集団行進が行われることによって一般交通の用に供せられるべき道路の機能を著しく害するものと認められ、また、条件を付与することによってもかかる事態の発生を阻止することができないと予測される場合には、当該集団行進について不許可処分がなされたとしても憲法21条に反しない。

(正答)  

(解説)
エンタープライズ寄港阻止佐世保闘争事件判決(最判昭57.11.16)は、道路における集団行進を規制をする道路交通法77条1項4号及び長崎県道交法施行細則15条3号の各規定が憲法21条1項に違反しないとする理由として、「道交法…77条2項の規定は、道路使用の許可に関する明確かつ合理的な基準を掲げて道路における集団行進が不許可とされる場合を厳格に制限しており、これによれば、道路における集団行進に対し同条2項の規定による許可が与えられない場合は、当該集団行進の予想される規模、態様、コース、時刻などに照らし、これが行われることにより一般交通の用に供せられるべき道路の機能を著しく害するものと認められ、しかも、同条3項の規定に基づき警察署長が条件を付与することによつても、かかる事態の発生を阻止することができないと予測される場合に限られることになる。」ことを挙げている。
総合メモ