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裁判所

板まんだら事件 最三小判昭和56年4月7日

概要
①裁判所法3条にいう「法律上の争訟」は、当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であって、かつ、それが法令の適用により終局的に解決することができるものに限られる。
②訴訟が具体的な権利義務ないし法律関係に関する紛争の形式をとつており、その結果信仰の対象の価値又は宗教上の教義に関する判断は請求の当否を決するについての前提問題であるにとどまる場合であっても、訴訟の帰すうを左右する必要不可欠のものと認められ、かつ、訴訟の争点及び当事者の主張立証も右の判断に関するものがその核心となっているときは、その訴訟は、その実質において法令の適用による終局的な解決の不可能なものであって、裁判所法3条にいう「法律上の争訟」に当たらない。
判例
事案:Xらは、Yの会員であったが、Yが寺の境内に「日蓮聖人の弘安1年10月11日に御建立遊ばされた一閻浮提総与の御本尊」すなわち俗称「板まんだら」を安置する「事の戒壇」たる正本堂を建立する資金を募金し、それに応じて一人あたり280円ないし2000万円を寄付した。Xらは、正本堂に安置した「板まんだら」は日蓮が弘安1年10月11日に建立した本尊」と定められた本尊ではないこと、募金時には、正本堂完成時が広宣流布の時にあたり正本堂は事の戒壇になると称していたが、正本堂が完成すると、広宣流布はまだ達成されていないことを主張し、寄付金は無効であるとして、不当利得返還請求を求めた。

判旨「裁判所がその固有の権限に基づいて審判することのできる対象は、裁判所法3条にいう「法律上の争訟」、すなわち当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であつて、かつ、それが法令の適用により終局的に解決することができるものに限られる(最高裁昭和39年(行ツ)第61号同41年2月8日第三小法廷判決・民集20巻2号196頁参照)。したがつて、具体的な権利義務ないし法律関係に関する紛争であつても、法令の適用により解決するのに適しないものは裁判所の審判の対象となりえない、というべきである。
 これを本件についてみるのに、錯誤による贈与の無効を原因とする本件不当利得返還請求訴訟においてXらが主張する錯誤の内容は、(1)Yは、戒壇の本尊を安置するための正本堂建立の建設費用に充てると称して本件寄付金を募金したのであるが、Yが正本堂に安置した本尊のいわゆる「板まんだら」は、日蓮正宗において「日蓮が弘安2年10月12日に建立した本尊」と定められた本尊ではないことが本件寄付の後に判明した、(2)Yは、募金時には、正本堂完成時が広宣流布の時にあたり正本堂は事の戒壇になると称していたが、正本堂が完成すると、正本堂はまだ三大秘法抄、一期弘法抄の戒壇の完結ではなく広宣流布はまだ達成されていないと言明した、というのである。要素の錯誤があつたか否かについての判断に際しては、右(1)の点については信仰の対象についての宗教上の価値に関する判断が、また、右(2)の点についても「戒壇の完結」、「広宣流布の達成」等宗教上の教義に関する判断が、それぞれ必要であり、いずれもことがらの性質上、法令を適用することによつては解決することのできない問題である。本件訴訟は、具体的な権利義務ないし法律関係に関する紛争の形式をとつており、その結果信仰の対象の価値又は宗教上の教義に関する判断は請求の当否を決するについての前提問題であるにとどまるものとされてはいるが、本件訴訟の帰すうを左右する必要不可欠のものと認められ、また、記録にあらわれた本件訴訟の経過に徴すると、本件訴訟の争点及び当事者の主張立証も右の判断に関するものがその核心となつていると認められることからすれば、結局本件訴訟は、その実質において法令の適用による終局的な解決の不可能なものであつて、裁判所法3条にいう法律上の争訟にあたらないものといわなければならない。」
過去問・解説
(H24 司法 第17問 ア)
「板まんだら」事件判決(最判昭和56年4月7日)は、宗教上の教義や信仰に関わる紛争について裁判所は厳に中立を保つべきであるとして、これらの事項が訴訟の前提問題に含まれている場合には、当該訴訟は法律上の争訟に当たらないとしたものである。

(正答)  

(解説)
板まんだら事件判決(最判昭56.4.7)は、「本件訴訟は、具体的な権利義務ないし法律関係に関する紛争の形式をとつており、その結果信仰の対象の価値又は宗教上の教義に関する判断は請求の当否を決するについての前提問題であるにとどまるものとされてはいるが、本件訴訟の帰すうを左右する必要不可欠のものと認められ、また、…本件訴訟の争点及び当事者の主張立証も右の判断に関するものがその核心となっていると認められることからすれば、結局本件訴訟は、その実質において法令の適用による終局的な解決の不可能なものであつて、裁判所法3条にいう法律上の争訟にあたらないものといわなければならない。」としており、「宗教上の教義や信仰に関わる事項が訴訟の前提問題に含まれている場合に当然に法律上の争訟性が否定されるわけではない。

(R5 司法 第16問 ア)
裁判所がその固有の権限に基づいて審判することのできる対象は、裁判所法第3条にいう「法律上の争訟」、すなわち当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であって、かつ、それが法令の適用により終局的に解決することができるものに限られる。したがって、具体的な権利義務ないし法律関係に関する紛争であっても、法令の適用による終局的解決に適しないものは裁判所の司法審査の対象になり得ない。

(正答)  

(解説)
板まんだら事件判決(最判昭56.4.7)は、「裁判所がその固有の権限に基づいて審判することのできる対象は、裁判所法3条にいう「法律上の争訟」、すなわち当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であつて、かつ、それが法令の適用により終局的に解決することができるものに限られる…。したがつて、具体的な権利義務ないし法律関係に関する紛争であつても、法令の適用により解決するのに適しないものは裁判所の審判の対象となりえない」としている。
総合メモ

厚木基地公害訴訟 最一小判平成5年2月25日

概要
自衛隊機の離着陸等の差止め及びその他の時間帯における航空機騒音の規制を民事上の請求として求めることは、不適法である。
判例
事案:厚木基地の周辺住民が、米軍機の離着陸から生じる騒音等に晒されているとして、毎日午後8時から午前8時までの自衛隊機及び米軍機の離着陸等の差止めとその他の時間の音量規制、過去及び差止実現までの損害賠償を求めた事案において、差止請求における訴えの適法性が問題となった。

判旨:「自衛隊機の運航については、自衛隊法107条1項、4項の規定により、航空機の航行の安全又は航空機の航行に起因する障害の防止を図るための航空法の規定の適用が大幅に除外され、同条五項の規定により、防衛庁長官は、自衛隊が使用する航空機の安全性及び運航に関する基準、その航空機に乗り組んで運航に従事する者の技能に関する基準並びに自衛隊が設置する飛行場及び航空保安施設の設置及び管理に関する基準を定め、その他航空機による災害を防止し、公共の安全を確保するため必要な措置を講じなければならないものとされている。このことは、自衛隊機の運航の特殊性に応じて、その航行の安全及び航行に起因する障害の防止を図るための規制を行う権限が、防衛庁長官に与えられていることを示すものである。
 以上のように、防衛庁長官は、自衛隊に課せられた我が国の防衛等の任務の遂行のため自衛隊機の運航を統括し、その航行の安全及び航行に起因する障害の防止を図るため必要な規制を行う権限を有するものとされているのであって、自衛隊機の運航は、このような防衛庁長官の権限の下において行われるものである。そして、自衛隊機の運航にはその性質上必然的に騒音等の発生を伴うものであり、防衛庁長官は、右騒音等による周辺住民への影響にも配慮して自衛隊機の運航を規制し、統括すべきものである。しかし、自衛隊機の運航に伴う騒音等の影響は飛行場周辺に広く及ぶことが不可避であるから、自衛隊機の運航に関する防衛庁長官の権限の行使は、その運航に必然的に伴う騒音等について周辺住民の受忍を義務づけるものといわなければならない。そうすると、右権限の行使は、右騒音等により影響を受ける周辺住民との関係において、公権力の行使に当たる行為というべきである。
 上告人らの本件自衛隊機の差止請求は、被上告人に対し、本件飛行場における一定の時間帯(毎日午後8時から翌日午前8時まで)における自衛隊機の離着陸等の差止め及びその他の時間帯(毎日午前8時から午後8時まで)における航空機騒音の規制を民事上の請求として求めるものである。しかしながら、右に説示したところに照らせば、このような請求は、必然的に防衛庁長官にゆだねられた前記のような自衛隊機の運航に関する権限の行使の取消変更ないしその発動を求める請求を包含することになるものといわなければならないから、行政訴訟としてどのような要件の下にどのような請求をすることができるかはともかくとして、右差止請求は不適法というべきである。以上のとおりであるから、上告人らの本件自衛隊機の差止請求に係る訴えを不適法として却下すべきものとした原審の判断は、結論において是認することができる。」
過去問・解説
(H19 司法 第13問 イ)
最高裁判所は、自衛隊機の離着陸の差止めが求められた訴訟において、当該飛行場の設置及び航空機の配備・運用が違法か否かは、自衛隊の組織・活動の合法性に関する判断に左右されるのであるから、主権国としての我が国の存立の基礎に極めて重大な関係を持つ高度に政治的な問題であり、純司法的な機能を使命とする司法裁判所の審査には原則としてなじまず、法律上の争訟に当たらないと判示した。

(正答)  

(解説)
厚木基地公害訴訟判決(最判平5.2.25)は、自衛隊機の離着陸の差止めが求められた訴訟について、「このような請求は、必然的に防衛庁長官にゆだねられた前記のような自衛隊機の運航に関する権限の行使の取消変更ないしその発動を求める請求を包含することになるものといわなければならない」との理由で不適法であると解しており、統治行為論には言及していない。
総合メモ

最高裁判所規則の取消訴訟 最二小判平成3年4月19日

概要
福岡地方裁判所及び福岡家庭裁判所の各甘木支部を廃止する旨を定めた最高裁判所規則について、右支部の管轄区域内に居住する者が、具体的な紛争を離れ、抽象的に同規則の憲法違反を主張してその取消しを求める訴訟は、裁判所法3条1項にいう「法律上の争訟」に当たらない。
判例
事案:最高裁判所規則のうち福岡地方裁判所及び福岡家庭裁判所の各甘木支部を廃止する部分の取消しを求める訴訟が「法律上の争訟」(裁判所法3条1項)に当たるかが問題となった。

判旨:「裁判所法3条1項の規定にいう「法律上の争訟」として裁判所の審判の対象となるのは,当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争に限られるところ、このような具体的な紛争を離れて、裁判所に対して抽象的に法令が憲法に適合するかしないかの判断を求めることはできないものというべきである…。
 これを本件についてみるに、本件各訴えは、地方裁判所及び家庭裁判所支部設置規則及び家庭裁判所出張所設置規則の一部を改正する規則(平成元年最高裁判所規則第5号。以下「本件改正規則」という。)のうち、福岡地方裁判所及び福岡家庭裁判所の各甘木支部を廃止する部分について、これが憲法32条、14条1項、前文に違反するとし、また、本件改正規則の制定には同法77条1項所定の規則制定権の濫用の違法がある等として、上告人らが廃止に係る福岡地方裁判所及び福岡家庭裁判所の各甘木支部の管轄区域内に居住する国民としての立場でその取消しを求めるというものであり、上告人らが、本件各訴えにおいて、裁判所に対し、右の立場以上に進んで上告人らにかかわる具体的な紛争についてその審判を求めるものでないことは、その主張自体から明らかである。そうすると、本件各訴えは、結局、裁判所に対して抽象的に最高裁判所規則が憲法に適合するかしないかの判断を求めるものに帰し、裁判所法3条1項にいう「法律上の争訟」に当たらないというほかはない。」
過去問・解説
(H22 司法 第18問 ア)
自分の居所から遠く不便となることから地方裁判所及び家庭裁判所の支部を廃止する最高裁判所規則が違憲であるとして、その支部の管轄区域内の居住者が取消しを求める訴えは、法律上の争訟に当たらない。

(正答)  

(解説)
判例(最判平3.4.19)は、最高裁判所規則のうち福岡地方裁判所及び福岡家庭裁判所の各甘木支部を廃止する部分の取消しを求める訴えについて、「結局、裁判所に対して抽象的に最高裁判所規則が憲法に適合するかしないかの判断を求めるものに帰し、裁判所法3条1項にいう「法律上の争訟」に当たらないというほかはない。」としている。
総合メモ

警察法改正無効事件 最大判昭和37年3月7日

概要
裁判所の法令審査権は、国会の両院における法律制定の議事手続の適否には及ばないと解すべきである。
判例
事案:原告は、住民訴訟(地方自治法242条の2)において警察法の無効を主張した。

判旨:「上告人が右警察法を無効と主張する理由は、同法を議決した参議院の議決は無効であつて同法は法律としての効力を生ぜず、…無効であるというのである。同法は両院において議決を経たものとされ適法な手続によつて公布されている以上、裁判所は両院の自主性を尊重すべく同法制定の議事手続に関する所論のような事実を審理してその有効無効を判断すべきでない。従つて所論のような理由によつて同法を無効とすることはできない。」
過去問・解説
(H24 司法 第17問 ウ)
警察法改正無効事件判決(最大判昭和37年3月7日)は、警察法改正が衆参両院において議決を経たとされ、適法な手続で公布されている以上、裁判所は両院の自主性を尊重すべきであり、議事手続に関する事実を審理してその有効無効を判断すべきでないとしたものである。

(正答)  

(解説)
警察法改正無効事件判決(最大判昭37.3.7)は、「警察法…は両院において議決を経たものとされ適法な手続きによって公布されている以上、裁判所は両院の自主性を尊重すべく同法制定の議事手続に関する…事実を審理してその有効無効を判断すべきでない」とした。

(H29 司法 第15問 イ)
国会の議事手続については両議院の自主性を尊重すべきであるから、裁判所としては、法律制定の議事手続に関する事実を審理して当該法律の有効無効を判断すべきではないというのが判例の立場である。

(正答)  

(解説)
警察法改正無効事件判決(最大判昭37.3.7)は、「警察法…は両院において議決を経たものとされ適法な手続きによって公布されている以上、裁判所は両院の自主性を尊重すべく同法制定の議事手続に関する…事実を審理してその有効無効を判断すべきでない」とした。
総合メモ

地方議会議員の除名処分の司法審査 最大判昭和35年3月9日

概要
地方公共団体の議会議員の任期が満了したときは、当該議員の除名処分の取消しを求める訴の利益は失われる。
判例
事案:地方公共団体の議会の議員の任期満了後における除名処分の取消しを求める訴えの利益の有無が問題となった。

判旨:「地方自治法(134条、135条および137条)に基き議員の懲罰として行われる除名は、議員たる身分を剥奪する処分であつて、その処分に対し違法を理由として除名処分の取消を求める訴は、判決による除名処分の取消によつて除名処分のなかりし状態に復帰し、もつて、剥奪された議員たる身分の回復を図ることを目的とするものに外ならないのである。従つて、既に議員の任期満了等の事由によつて議員の身分を失つている者については、最早除名処分を取り消しても議員たる身分を回復するに由ないのであるから、かかる場合においては除名処分の取消を求める訴は、訴訟の利益がなくなつたものとして、許すべからざるものと云わなければならない。
 被上告人は本訴において、昭和26年3月28日上告人のした被上告人に対する除名議決の取消を求めるのであるが、本件除名当時の板橋区議会議員の任期は、昭和26年4月29日をもつて満了していることは本件当事者間に争ない事実であるから既に本件判決を求める実益は失われているものと云わなければならない。然るに原判決は本件除名議決が取消されるときは除名議決当時に遡つて被上告人の議員たる資格に伴う報酬請求権その他の権利が回復されることになるから、本訴のような判決を求める利益がないものとする上告人の主張は理由がない旨判示する。しかし本訴は除名議決の取消によつて議員たる身分の回復を求むものであること明白であるから、議員たる身分に随伴して派生する報酬請求権等を考慮して、これがため既に任期満了した者に対し議員たる身分の回復を認めることは許されないものと解すべきである。従つて、被上告人の本訴請求は許すべからざるものとして棄却すべきものであつて、原判決は破棄および第一審判決は取消を免れないものである。」
過去問・解説
(H30 司法 第17問 ア)
自律的な団体の内部紛争に対して司法審査が及ぶかという問題に関して、地方議会には、国会の両議院のような自律権はないものの、地方議会議員に対する懲罰としての除名処分は、内部規律の問題であるから、司法審査の対象とはならないとした判例がある。

(正答)  

(解説)
判例(最判昭35.3.9)は、「既に議員の任期満了等の事由によつて議員の身分を失つている者については、…除名処分の取消を求める訴は、訴訟の利益がなくなったものとして、許すべからざるものと云わなければならない。」としており、地方議会議員に対する懲罰としての除名処分自体が司法審査の対象とならないとしているわけではない。
総合メモ

岩沼市議会出席停止事件 最大判令和2年11月25日

概要
普通地方公共団体の議会の議員に対する出席停止の懲罰の適否は、司法審査の対象となる。
判例
事案:市議会により23日間の出席停止の懲罰を科された市議会議員がその取り消しを求める訴えを提起した事案において、市議会の議員に対する出席停止の懲罰の適否が司法審査の対象になるかが問題となった。

判旨:①「普通地方公共団体の議会は、地方自治法並びに会議規則及び委員会に関する条例に違反した議員に対し、議決により懲罰を科することができる(同法134条1項)ところ、懲罰の種類及び手続は法定されている(同法135条)。これらの規定等に照らすと、出席停止の懲罰を科された議員がその取消しを求める訴えは、法令の規定に基づく処分の取消しを求めるものであって、その性質上、法令の適用によって終局的に解決し得るものというべきである。」
 ②「憲法は、地方公共団体の組織及び運営に関する基本原則として、その施策を住民の意思に基づいて行うべきものとするいわゆる住民自治の原則を採用しており、普通地方公共団体の議会は、憲法にその設置の根拠を有する議事機関として、住民の代表である議員により構成され、所定の重要事項について当該地方公共団体の意思を決定するなどの権能を有する。そして、議会の運営に関する事項については、議事機関としての自主的かつ円滑な運営を確保すべく、その性質上、議会の自律的な権能が尊重されるべきであるところ、議員に対する懲罰は、会議体としての議会内の秩序を保持し、もってその運営を円滑にすることを目的として科されるものであり、その権能は上記の自律的な権能の一内容を構成する。
 他方、普通地方公共団体の議会の議員は、当該普通地方公共団体の区域内に住所を有する者の投票により選挙され(憲法93条2項、地方自治法11条、17条、18条)、議会に議案を提出することができ(同法112条)、議会の議事については、特別の定めがある場合を除き、出席議員の過半数でこれを決することができる(同法116条)。そして、議会は、条例を設け又は改廃すること、予算を定めること、所定の契約を締結すること等の事件を議決しなければならない(同法96条)ほか、当該普通地方公共団体の事務の管理、議決の執行及び出納を検査することができ、同事務に関する調査を行うことができる(同法98条、100条)。議員は、憲法上の住民自治の原則を具現化するため、議会が行う上記の各事項等について、議事に参与し、議決に加わるなどして、住民の代表としてその意思を当該普通地方公共団体の意思決定に反映させるべく活動する責務を負うものである。
 出席停止の懲罰は、上記の責務を負う公選の議員に対し、議会がその権能において科する処分であり、これが科されると、当該議員はその期間、会議及び委員会への出席が停止され、議事に参与して議決に加わるなどの議員としての中核的な活動をすることができず、住民の負託を受けた議員としての責務を十分に果たすことができなくなる。このような出席停止の懲罰の性質や議員活動に対する制約の程度に照らすと、これが議員の権利行使の一時的制限にすぎないものとして、その適否が専ら議会の自主的、自律的な解決に委ねられるべきであるということはできない。
 そうすると、出席停止の懲罰は、議会の自律的な権能に基づいてされたものとして、議会に一定の裁量が認められるべきであるものの、裁判所は、常にその適否を判断することができるというべきである。
 したがって、普通地方公共団体の議会の議員に対する出席停止の懲罰の適否は、司法審査の対象となるというべきである。
 これと異なる趣旨をいう所論引用の当裁判所大法廷昭和35年10月19日判決その他の当裁判所の判例は、いずれも変更すべきである。」

補足意見:「私は、法廷意見に賛成するものであるが、地方議会の議員に対する出席停止の懲罰の司法審査について、補足して意見を述べることとする。
 1.法律上の争訟
 法律上の争訟は、①当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であって、かつ、②それが法令の適用により終局的に解決することができるものに限られるとする当審の判例(最高裁昭和51年(オ)第749号同昭和56年4月7日第三小法廷判決・民集35巻3号443頁)に照らし、地方議会議員に対する出席停止の懲罰の取消しを求める訴えが、①②の要件を満たす以上、法律上の争訟に当たることは明らかであると思われる。
法律上の争訟については、憲法32条により国民に裁判を受ける権利が保障されており、また、法律上の争訟について裁判を行うことは、憲法76条1項により司法権に課せられた義務であるから、本来、司法権を行使しないことは許されないはずであり、司法権に対する外在的制約があるとして司法審査の対象外とするのは、かかる例外を正当化する憲法上の根拠がある場合に厳格に限定される必要がある。
 2.国会との相違
 国会については、国権の最高機関(憲法41条)としての自律性を憲法が尊重していることは明確であり、憲法自身が議員の資格争訟の裁判権を議院に付与し(憲法55条)、議員が議院で行った演説、討論又は表決についての院外での免責規定を設けている(憲法51条)。しかし、地方議会については、憲法55条や51条のような規定は設けられておらず、憲法は、自律性の点において、国会と地方議会を同視していないことは明らかである。
 3.住民自治
 地方議会について自律性の根拠を憲法に求めるとなると、憲法92条の「地方自治の本旨」以外にないと思われる。「地方自治の本旨」の意味については、様々な議論があるが、その核心部分が、団体自治と住民自治であることには異論はない。また、団体自治は、それ自身が目的というよりも、住民自治を実現するための手段として位置付けることができよう。
住民自治といっても、直接民主制を採用することは困難であり、我が国では、国のみならず地方公共団体においても、間接民主制を基本としており、他方、地方公共団体においては、条例の制定又は改廃を求める直接請求制度等、国以上に直接民主制的要素が導入されており、住民自治の要請に配慮がされている。この観点からすると、住民が選挙で地方議会議員を選出し、その議員が有権者の意思を反映して、議会に出席して発言し、表決を行うことは、当該議員にとっての権利であると同時に、住民自治の実現にとって必要不可欠であるということができる。もとより地方議会議員の活動は、議会に出席し、そこで発言し、投票することに限られるわけではないが、それが地方議会議員の本質的責務であると理解されていることは、正当な理由なく議会を欠席することが一般に懲罰事由とされていることからも明らかである。
 したがって、地方議会議員を出席停止にすることは、地方議会議員の本質的責務の履行を不可能にするものであり、それは、同時に当該議員に投票した有権者の意思の反映を制約するものとなり、住民自治を阻害することになる。「地方自治の本旨」としての住民自治により司法権に対する外在的制約を基礎付けながら、住民自治を阻害する結果を招くことは背理であるので、これにより地方議会議員に対する出席停止の懲罰の適否を司法審査の対象外とすることを根拠付けることはできないと考える。
 4.議会の裁量
 地方議会議員に対する出席停止の懲罰の適否を司法審査の対象としても、地方議会の自律性を全面的に否定することにはならない。懲罰の実体判断については、議会に裁量が認められ、裁量権の行使が違法になるのは、それが逸脱又は濫用に当たる場合に限られ、地方議会の自律性は、裁量権の余地を大きくする方向に作用する。したがって、地方議会議員に対する出席停止の懲罰の適否を司法審査の対象とした場合、濫用的な懲罰は抑止されることが期待できるが、過度に地方議会の自律性を阻害することにはならないと考える。」(宇賀克也裁判官の補足意見)
過去問・解説
(H23 予備 第9問 ウ)
地方議会における自律的な法規範の実現については、内部規律の問題として自治的措置に任せるのが適当であるが、数日間に及ぶ議会への出席停止の懲罰は、議員の重大な権利行使に対する制限であり、単なる内部規律の問題に止まらないから、司法審査の対象となる。

(正答)  

(解説)
山北村会議会出席停止事件判決(最大判昭35.10.19)は、「思うに、司法裁判権が、憲法又は他の法律によつてその権限に属するものとされているものの外、一切の法律上の争訟に及ぶことは、裁判所法3条の明定するところであるが、ここに一切の法律上の争訟とはあらゆる法律上の係争という意味ではない。一口に法律上の係争といつても、その範囲は広汎であり、その中には事柄の特質上司法裁判権の対象の外におくを相当とするものがあるのである。けだし、自律的な法規範をもつ社会ないしは団体に在つては、当該規範の実現を内部規律の問題として自治的措置に任せ、必ずしも、裁判にまつを適当としないものがあるからである。本件における出席停止の如き懲罰はまさにそれに該当するものと解するを相当とする。」として、従来の部分社会論の立場から、村議会による村会議員に対する3日間の出席停止の懲罰は司法審査の対象とならないとした。
しかし、その後、岩沼市議会出席停止事件判決(最大判令2.11.25)は、「普通地方公共団体の議会の議員に対する出席停止の懲罰の適否は、司法審査の対象となるというべきである。これと異なる趣旨をいう所論引用の当裁判所大法廷昭和35年10月19日判決その他の当裁判所の判例は、いずれも変更すべきである。」として。本判決については、従来の最高裁判例の「部分社会の法理」ではなく、学説の外在的制約論に立っていると理解されている。

(R4 司法 第17問 ア)
地方議会の議員に対する出席停止の懲罰に関し、その懲罰を受けた議員が取消しを求める訴えは、法令の適用によって終局的に解決し得る法律上の争訟に当たるところ、議会により出席停止の懲罰処分を科されると、その議員は、住民の負託を受けた議員としての責務を十分に果たすことができなくなるから、当該処分が議会の自律的な権能に基づいてなされたものとして、議会に一定の裁量が認められるとしても、裁判所は、常にその適否を判断することができ、司法審査の対象となる。

(正答)  

(解説)
岩沼市議会出席停止事件判決(最大判令2.11.25)は、「出席停止の懲罰を科された議員がその取消しを求める訴えは、法令の規定に基づく処分の取消しを求めるものであって、その性質上、法令の適用によって終局的に解決し得るものというべきである。」としているところ、これは「法律上の争訟」(裁判所法3条1項)に当たるとの判示であると理解されている。また、本判決は、「出席停止の懲罰は、議会の自律的な権能に基づいてされたものとして、議会に一定の裁量が認められるべきであるものの、裁判所は、常にその適否を判断することができるというべきである。」としている。
総合メモ

地方議会議員の発言方法に関する地方議会の決定と司法審査 名古屋高判平成24年5月11日

概要
発声障害のある市議会議員の質問の代読方式を許さなかったことが議員の発言の権利・自由を侵害するとして市に対して国家賠償を求める訴えは、地方議会議員の議会における発言方法の制約が議会における発言を一般的に阻害し、その機会そのものを奪うに等しい事態を惹起する場合には、「法律上の争訟」(裁判所法3条1項)に当たる。
判例
事案:発声障害のある市議会議員の質問の代読方式を許さなかったことが議員の発言の権利・自由を侵害するとして市に対して国家賠償請求訴訟が提起された事案において、「法律上の争訟」(裁判所法3条1項)に当たるかが問題となった。
 
判旨:「一審被告らは、議員の発言の手段、方法はもちろんのこと、委員会及び本会議における議事進行について、広く市議会の自主性、自律性に委ねられているところ、被控訴人議員らは、一審原告の議会における発言の機会を奪ったわけではなく、会話補助装置による発言方法を保障したのに、一審原告が自分の要求する発言方法と違うという理由で試行さえしなかったのであるから、司法審査の対象にならないと主張する。
 前記のように、市議会における委員会及び本会議の議事進行等について、広く市議会の自主性、自律性が認められていることは否定しえないところである。しかし、このような市議会の自主性、自律性は、市議会議員各自に議会において発言する権利、自由が認められることを前提として、各議員の発言方法や発言時期、場所等を調整し、地方議会としての統一的な意思を適正・円滑に形成するためのものであるから、その前提となる各議員の発言の自由や権利そのものを一般的に阻害し、その機会を奪うに等しい状態を惹起することは、市議会の自主性、自律性の範囲を超えるものといわなければならない。
 一審原告は、一審被告らによる一連の加害行為により、一市民として、障害者が代替手段を自ら選ぶ権利、すなわち、自らのあり方を決める権利(自己決定権)を侵害され、かつ、一審原告個人の表現の自由及び地方議会議員としての表現の自由、参政権、平等権を侵害されたと主張しているが、地方議会議員の議会における発言方法の制約如何によっては、議会における発言を一般的に阻害し、その機会そのものを奪うに等しい事態も生じうるところであり、特に、一審原告のような発声障害者の場合、健常者と異なり、その発言し得る方法が限定されることから、議会における発言方法の制約により、議会での発言の機会そのものを奪われる結果となるおそれが大きいといえる。
 したがって、地方議会における議員の発言方法の制約も、上記のような状態を惹起する場合には、一般市民法秩序に関わり、一審原告の一審被告らに対する訴えは、裁判所法3条1項にいう「法律上の争訟」にあたるというべきである。」
過去問・解説
(H30 司法 第17問 イ)
判例の考え方からすると、発声障害により自ら発声することができない地方議会議員が、第三者による代読等、自らの発声以外の方法による発言を希望したのに対し、これを認めないという地方議会の決定は、純然たる内部規律の問題であるから、司法審査の対象にはならないことになる。

(正答)  

(解説)
裁判例(名古屋高判平24.5.11)は、「地方議会議員の議会における発言方法の制約如何によっては、議会における発言を一般的に阻害し、その機会そのものを奪うに等しい事態も生じうるところであり、特に、一審原告のような発声障害者の場合、健常者と異なり、その発言し得る方法が限定されることから、議会における発言方法の制約により、議会での発言の機会そのものを奪われる結果となるおそれが大きいといえる。したがって、地方議会における議員の発言方法の制約も、上記のような状態を惹起する場合には、一般市民法秩序に関わり、一審原告の一審被告らに対する訴えは、裁判所法3条1項にいう「法律上の争訟」にあたるというべきである。」としている。
総合メモ

富山大学事件 最三小判昭和52年3月15日

概要
①大学における授業科目の単位与授(認定)行為は、一般市民法秩序と直接の関係を有するものであることを肯認するに足りる特段の事情のない限り、司法審査の対象にならない。
②国公立大学が専攻科修了の認定をしないことは、実質的にみて、一般市民としての学生の国公立大学の利用を拒否することにほかならないものというべく、その意味において、学生が一般市民として有する公の施設を利用する権利を侵害するものであると解するのが相当であるから、専攻科修了の認定・不認定に関する争いは司法審査の対象になる。
判例
【富山大学事件①】
事案:国立大学の学生Xらが、同大学に対して単位取得認定の義務確認を求めて出訴した事案において、国立大学における授業科目の単位認定行為は司法審査の対象となるかが問題となった。
判旨:「裁判所は、憲法に特別の定めがある場合を除いて、一切の法律上の争訟を裁判する権限を有するのであるが(裁判所法3条1項)、ここにいう一切の法律上の争訟とはあらゆる法律上の係争を意味するものではない。すなわち、ひと口に法律上の係争といつても、その範囲は広汎であり、その中には事柄の特質上裁判所の司法審査の対象外におくのを適当とするものもあるのであつて、例えば、一般市民社会の中にあつてこれとは別個に自律的な法規範を有する特殊な部分社会における法律上の係争のごときは、それが一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、その自主的、自律的な解決に委ねるのを適当とし、裁判所の司法審査の対象にはならないものと解するのが、相当である(当裁判所昭和34年(オ)第10号昭和35年10月19日大法廷判決・民集14巻12号2633頁参照)。そして、大学は、国公立であると私立であるとを問わず、学生の教育と学術の研究とを目的とする教育研究施設であつて、その設置目的を達成するために必要な諸事項については、法令に格別の規定がない場合でも、学則等によりこれを規定し、実施することのできる自律的、包括的な権能を有し、一般市民社会とは異なる特殊な部分社会を形成しているのであるから、このような特殊な部分社会である大学における法律上の係争のすべてが当然に裁判所の司法審査の対象になるものではなく、一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題は右司法審査の対象から除かれるべきものであることは、叙上説示の点に照らし、明らかというべきである。
 そこで、次に、右の見地に立つて本件をみるのに、大学の単位制度については大学設置基準(昭和31年文部省令第28号)がこれを定めているが、これによれば…、大学の教育課程は各授業科目を必修、選択及び自由の各科目に分け、これを各年次に配当して編成されるが(28条)、右各授業科目にはその履修に要する時間数に応じて単位が配付されていて(25条、26条)、それぞれの授業科目を履修し試験に合格すると当該授業科目につき所定数の単位が授与(認定)されることになつており(31条)、右教育課程に従い大学に4年以上在学し所定の授業科目につき合計124単位以上を修得することが卒業の要件とされているのであるから(32条)、単位の授与(認定)という行為は、学生が当該授業科目を履修し試験に合格したことを確認する教育上の措置であり、卒業の要件をなすものではあるが、当然に一般市民法秩序と直接の関係を有するものでないことは明らかである。それゆえ、単位授与(認定)行為は、他にそれが一般市民法秩序と直接の関係を有するものであることを肯認するに足りる特段の事情のない限り、純然たる大学内部の問題として大学の自主的、自律的な判断に委ねられるべきものであつて、裁判所の司法審査の対象にはならないものと解するのが、相当である。
 特定の授業科目の単位の取得それ自体が一般市民法上一種の資格要件とされる場合のあることは所論のとおりであり、その限りにおいて単位授与(認定)行為が一般市民法秩序と直接の関係を有することは否定できないが、そのような場合はいまだ極めて限られており、一部に右のような場合があるからといつて、一般的にすべての授業科目の単位の取得が一般市民法上の資格地位に関係するものであり、単位授与(認定)行為が常に一般市民法秩序と直接の関係を有するものであるということはできない。そして、本件単位授与(認定)行為が一般市民法秩序と直接の関係を有するものであることについては、Xらはなんらの主張立証もしていない。
 してみれば、本件単位授与(認定)行為は、裁判所の司法審査の対象にはならない…。」

【富山大学事件②】
事案:国立大学の学生Xらが、同大学に対して専攻科修了認定の義務確認を求めて出訴した事案において、国立大学における専攻科修了の認定行為は司法審査の対象となるかが問題となった。
判旨:「思うに、国公立の大学は公の教育研究施設として一般市民の利用に供されたものであり、学生は一般市民としてかかる公の施設である国公立大学を利用する権利を有するから、学生に対して国公立大学の利用を拒否することは、学生が一般市民として有する右公の施設を利用する権利を侵害するものとして司法審査の対象になるものというべきである。そして、右の見地に立つて本件をみるのに、大学の専攻科は、大学を卒業した者又はこれと同等以上の学力があると認められる者に対して、精深な程度において、特別の事項を教授し、その研究を指導することを目的として設置されるものであり(学校教育法五七条)、大学の専攻科への入学は、大学の学部入学などと同じく、大学利用の一形態であるということができる。そして、専攻科に入学した学生は、大学所定の教育課程に従いこれを履修し専攻科を修了することによつて、専攻科入学の目的を達することができるのであつて、学生が専攻科修了の要件を充足したにもかかわらず大学が専攻科修了の認定をしないときは、学生は専攻科を修了することができず、専攻科入学の目的を達することができないのであるから、国公立の大学において右のように大学が専攻科修了の認定をしないことは、実質的にみて、一般市民としての学生の国公立大学の利用を拒否することにほかならないものというべく、その意味において、学生が一般市民として有する公の施設を利用する権利を侵害するものであると解するのが、相当である。されば、本件専攻科修了の認定、不認定に関する争いは司法審査の対象になるものというべく、これと結論を同じくする原審の判断は、正当として是認することができる。
 論旨は、法令上専攻科修了なる観念は存在せず、したがつて、専攻科修了の認定というのも法令に根拠を有しない事実上のものであるから、専攻科修了の認定という行為は行政事件訴訟法三条にいう処分にあたらない、と主張する。しかしながら、大学の専攻科というのは、前述のような教育目的をもつた一つの教育課程であるから、事理の性質上当然に、その修了という観念があるものというべきである。また、学校教育法57条は、専攻科の教育目的、入学資格及び修業年限について定めるのみで、専攻科修了の要件、効果等について定めるところはないが、それは、大学は、一般に、その設置目的を達成するために必要な諸事項については、法令に格別の規定がない場合でも、学則等においてこれを規定し、実施することのできる自律的、包括的な権能を有するところから、専攻科修了の要件、効果等同法に定めのない事項はすべて各大学の学則等の定めるところにゆだねる趣旨であると解されるのである。そして、現に、本件富山大学学則においても、「専攻科の教育課程は、別に定めるところによる。」(60条)、「専攻科に1年以上在学し所定の単位を履修取得した者は、課程を修了したものと認め修了証書を授与する。」(61条)と規定しているのであるから、法令上専攻科修了なる観念が存在し、専攻科修了の認定という行為が法令に根拠を有するものであることは明らかというべきである。そして、このことと、前述のように、国公立の大学は公の教育研究施設として一般市民の利用に供されたものであつて、国公立大学における専攻科修了の認定、不認定は学生が一般市民として有する右公の施設を利用する権利に関係するものであることとにかんがみれば、本件専攻科修了の認定行為は行政事件訴訟法3条にいう処分にあたると解するのが、相当である。それゆえ、論旨は、採用することができない。
 論旨は、また、専攻科修了の認定は、大学当局の専権に属する教育作用であるから、司法審査の対象にはならないと主張する。しかしながら、富山大学学則61条によれば、前述のように、1年以上の在学と所定の単位の修得とが同大学の専攻科修了の要件とされているにすぎず(ちなみに、大学設置基準(昭和31年文部省令第28号)32条によれば、大学の卒業も、4年以上の在学と所定の単位124単位以上の修得とがその要件とされているにすぎない。)、小学校、中学校及び高等学校の卒業が児童又は生徒の平素の成績の評価という教育上の見地からする優れて専門的な価値判断をその要件としている(学校教育法施行規則27条、55条及び65条参照)のと趣を異にしている。それゆえ、本件専攻科の修了については、前記の2要件以外に論旨のいうような教育上の見地からする価値判断がその要件とされているものと考えることはできない。そして、右2要件が充足されたかどうかについては、格別教育上の見地からする専門的な判断を必要とするものではないから、司法審査になじむものというべく、右の論旨もまた、採用することができない。」
過去問・解説
(H23 予備 第9問 ア)
大学は、その設置目的を達成するために必要な事項を実施する、自律的、包括的な権能を有していることから、単位の授与や専攻科修了の認定に係る係争は、一般市民法秩序と直接の関係を有すると認められる特段の事情のない限り、司法審査の対象とはならない。

(正答)  

(解説)
富山大学事件判決(最判昭52.3.15)は、「国公立の大学…の…専攻科修了の認定、不認定に関する争いは司法審査の対象になる」としている。

(H30 司法 第17問 ウ)
大学の単位認定行為は、特段の事情のない限り、純然たる大学内部の問題であって、大学の自主的な判断に委ねられるべきだから、司法審査の対象とならないとした判例もあった。

(正答)  

(解説)
富山大学事件判決(最判昭52.3.15)は、「大学…の…単位授与(認定)行為は、他にそれが一般市民法秩序と直接の関係を有するものであることを肯認するに足りる特段の事情のない限り、純然たる大学内部の問題として大学の自主的、自律的な判断に委ねられるべきものであって、裁判所の司法審査の対象にはならないものと解するのが、相当である。」としている。

(H30 司法 第17問 エ)
判例の考え方からすると、特定の授業科目の単位の取得が国家資格取得の前提要件とされている場合には、大学の単位認定行為が司法審査の対象になる可能性もある。

(正答)  

(解説)
富山大学事件判決(最判昭52.3.15)は、「大学…の…単位授与(認定)行為は、他にそれが一般市民法秩序と直接の関係を有するものであることを肯認するに足りる特段の事情のない限り、純然たる大学内部の問題として大学の自主的、自律的な判断に委ねられるべきものであって、裁判所の司法審査の対象にはならないものと解するのが、相当である。」とした上で、「特定の授業科目の単位の取得それ自体が一般市民法上一種の資格要件とされる場合…は…、その限りにおいて単位授与(認定)行為が一般市民法秩序と直接の関係を有することは否定できない」としている。

(R5 司法 第16問 ウ)
大学の単位の授与(認定)という行為は、学生が履修した授業科目について合格したことを確認する教育上の措置であり、卒業の要件をなすものであるから、一般市民法秩序と直接の関係を有するものであることは明らかである。それゆえ、純然たる大学内部の問題とはいえず、大学の自主的、自律的な判断のみに委ねられるべきものではなく、裁判所の司法審査の対象となる。

(正答)  

(解説)
富山大学事件判決(最判昭52.3.15)は、「大学…の…単位授与(認定)行為は、他にそれが一般市民法秩序と直接の関係を有するものであることを肯認するに足りる特段の事情のない限り、純然たる大学内部の問題として大学の自主的、自律的な判断に委ねられるべきものであって、裁判所の司法審査の対象にはならないものと解するのが、相当である。」としている。
総合メモ

技術士国家試験事件 最三小判昭和41年2月8日

概要
技術士国家試験の合格・不合格の判定は、司法審査の対象とならない。
判例
事案:技術士国家試験の合格・不合格の判定は司法審査の対象となるかが問題となった。

判旨:「司法権の固有の内容として裁判所が審判しうる対象は、裁判所法3条にいう「法律上の争訟」に限られ、いわゆる法律上の争訟とは、「法令を適用することによって解決し得べき権利義務に関する当事者間の紛争をいう」ものと解される(昭和29年2月11日第一小法廷判決、民集8巻2号419頁参照)。従って、法令の適用によって解決するに適さない単なる政治的または経済的問題や技術上または学術上に関する争は、裁判所の裁判を受けうべき事柄ではないのである。国家試験における合格、不合格の判定も学問または技術上の知識、能力、意見等の優劣、当否の判断を内容とする行為であるから、その試験実施機関の最終判断に委せられるべきものであって、その判断の当否を審査し具体的に法令を適用して、その争を解決調整できるものとはいえない。この点についての原判決の判断は正当であって、上告人は裁判所の審査できない事項について救済を求めるものにほかならない。」
過去問・解説
(H22 司法 第18問 イ)
国家試験における合否の判定は、学問上又は技術上の知識、能力、意見等の優劣、当否の判断を内容とする行為であるから、濫用にわたらない限り当該試験実施機関の裁量に委ねられるべきである。

(正答)  

(解説)
技術士国家試験事件判決(最判昭41.2.8)は、「法令の適用によって解決するに適さない単なる政治的または経済的問題や技術上または学術上に関する争は、裁判所の裁判を受けうべき事柄ではないのである。国家試験における合格、不合格の判定も学問または技術上の知識、能力、意見等の優劣、当否の判断を内容とする行為であるから、その試験実施機関の最終判断に委せられるべきものであって、その判断の当否を審査し具体的に法令を適用して、その争を解決調整できるものとはいえない。」として、濫用にわたるか否かにかかわらず、一律に司法審査の対象外であるとしている。
総合メモ

共産党袴田事件 最三小判昭和63年12月20日

概要
①政党が組織内の自律的運営として党員に対してした除名その他の処分の当否については、それが一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、裁判所の審判権は及ばない。
②当該処分が一般市民としての権利利益を侵害する場合であっても、当該処分の当否は、当該政党の自律的に定めた規範が公序良俗に反するなどの特段の事情のない限り右規範に照らし、右規範を有しないときは条理に基づき、適正な手続に則ってされたか否かによって決すべきであり、その審理も右の点に限られるものといわなければならない。
判例
事案:政党が組織内の自律的運営として党員に対して行った除名処分の違法・無効が民事訴訟で争われた。

判旨:「政党は、政治上の信条、意見等を共通にする者が任意に結成する政治結社であって、内部的には、通常、自律的規範を有し、その成員である党員に対して政治的忠誠を要求したり、一定の統制を施すなどの自治権能を有するものであり、国民がその政治的意思を国政に反映させ実現させるための最も有効な媒体であって、議会制民主主義を支える上においてきわめて重要な存在であるということができる。したがって、各人に対して、政党を結成し、又は政党に加入し、若しくはそれから脱退する自由を保障するとともに、政党に対しては、高度の自主性と自律性を与えて自主的に組織運営をなしうる自由を保障しなければならない。他方、右のような政党の性質、目的からすると、自由な意思によって政党を結成し、あるいはそれに加入した以上、党員が政党の存立及び組織の秩序維持のために、自己の権利や自由に一定の制約を受けることがあることもまた当然である。右のような政党の結社としての自主性にかんがみると、政党の内部的自律権に属する行為は、法律に特別の定めのない限り尊重すべきであるから、政党が組織内の自律的運営として党員に対してした除名その他の処分の当否については、原則として自律的な解決に委ねるのを相当とし、したがって、政党が党員に対してした処分が一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、裁判所の審判権は及ばないというべきであり、他方、右処分が一般市民としての権利利益を侵害する場合であっても、右処分の当否は、当該政党の自律的に定めた規範が公序良俗に反するなどの特段の事情のない限り右規範に照らし、右規範を有しないときは条理に基づき、適正な手続に則ってされたか否かによって決すべきであり、その審理も右の点に限られるものといわなければならない。」
過去問・解説
(H20 司法 第13問 イ)
国民には、政党を結成し、政党に加入し、若しくは政党を脱退する自由が保障されている。他方、政党は、政治上の信条や意見を共通にするものが任意に結成する団体であるから、党員に対して政治的忠誠を要求し、一定の統制を施すことができる。

(正答)  

(解説)
共産党袴田事件判決(最判昭63.12.20)は、「各人に対して、政党を結成し、又は政党に加入し、若しくはそれから脱退する自由を保障するとともに、政党に対しては、高度の自主性と自律性を与えて自主的に組織運営をなしうる自由を保障しなければならない。」とする一方で、「他方、右のような政党の性質、目的からすると、自由な意思によって政党を結成し、あるいはそれに加入した以上、党員が政党の存立及び組織の秩序維持のために、自己の権利や自由に一定の制約を受けることがあることもまた当然である。」としている。

(H20 司法 第13問 ウ)
法律上の権利義務関係をめぐる争訟であっても、政党の除名処分の有効性が紛争の前提問題となっている場合には、宗教上の教義や信仰の対象に関する価値判断が前提問題となっている場合と同様、裁判所の審査権は及ばない。

(正答)  

(解説)
共産党袴田事件判決(最判昭63.12.20)は、「政党が党員に対してした処分が一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、裁判所の審判権は及ばないというべきであり…」とする一方で、「他方、右処分が一般市民としての権利利益を侵害する場合であっても、右処分の当否は、当該政党の自律的に定めた規範が公序良俗に反するなどの特段の事情のない限り右規範に照らし、右規範を有しないときは条理に基づき、適正な手続に則ってされたか否かによって決すべきであり、その審理も右の点に限られるものといわなければならない。」としており、審理の範囲は限定的ではあるものの、政党の除名処分の有効性について裁判所の審査権が及ぶことを認めている。

(H23 予備 第9問 イ)
政党の処分が党員の一般市民としての権利利益への侵害となり得る場合においても、その処分の当否の司法審査は、政党の自律的に定めた規範が公序良俗に反するなどの特段の事情のない限り、その規範に照らし適正な手続にのっとってされたかどうかの範囲で行われる。

(正答)  

(解説)
共産党袴田事件判決(最判昭63.12.20)は、「政党が党員に対してした処分が…一般市民としての権利利益を侵害する場合であっても、右処分の当否は、当該政党の自立的に定めた規範が公序良俗に反するなどの特段の事情ない限り右規範に照らし、右規範を有しないといは条理に基づき、適正な手続きに則ってされたか否かによって判断すべき」としている。

(H28 司法 第18問 ア)
政党の党員が、その政党の存立や秩序維持のために、自己の権利や自由に制約を受けることがあることは当然であり、政党が組織内の自律的運営として党員に対して行った処分の当否については、原則として自律的な解決に委ねるのが相当である。

(正答)  

(解説)
共産党袴田事件判決(最判昭63.12.20)は、「党員が政党の存立及び組織の秩序維持のために、自己の権利や自由に一定の制約を受けることがあることもまた当然である。…政党の結社としての自主性にかんがみると、政党の内部的自律権に属する行為は、法律に特別の定めのない限り尊重すべきであるから、政党が組織内の自律的運営として党員に対してした除名その他の処分の当否については、原則として自律的な解決に委ねるのを相当とし…」としている

(H28 司法 第18問 イ)
政党が党員に対して行った処分が、一般市民法秩序と直接の関係を有しない政党の内部的な問題にとどまるものである場合、裁判所は、その処分を司法審査の対象とするか否かについて、処分の内容や制約される党員の権利の性質等を考慮して、個別に判断するべきである。

(正答)  

(解説)
共産党袴田事件判決(最判昭63.12.20)は、「政党が党員に対してした処分が一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、裁判所の審判権は及ばない…」として、一律に司法審査を否定している。

(H28 司法 第18問 ウ)
政党が党員に対して行った処分が、党員の一般市民としての権利利益を侵害すると認められる場合、その処分は司法審査の対象となり、裁判所は、政党の有する内部規律に関する決定権に照らしてその処分の内容が合理的か否かについて審査するべきである。

(正答)  

(解説)
共産党袴田事件判決(最判昭63.12.20)は、「政党が党員に対してした処分が…一般市民としての権利利益を侵害する場合であっても、右処分の当否は、当該政党の自律的に定めた規範が公序良俗に反するなどの特段の事情のない限り右規範に照らし、右規範を有しないときは条理に基づき、適正な手続に則ってされたか否かによって決すべきであり、その審理も右の点に限られるものといわなければならない。」としており、処分の内容の合理性には司法審査は及ばないとしている。

(H28 予備 第8問 ア)
政党は、政治上の信条、意見等を共通にする者が任意に結成するものであって、党員に対して政治的忠誠を要求し、一定の統制を施すなどの自治権能を有する。

(正答)  

(解説)
共産党袴田事件判決(最判昭63.12.20)は、「政党は、政治上の信条、意見等を共通にする者が任意に結成する政治結社であって、内部的には、通常、自律的規範を有し、その成員である党員に対して政治的忠誠を要求したり、一定の統制を施すなどの自治権能を有する」としている。

(H29 司法 第14問 ウ)
政党がその所属党員に対してした除名その他の処分の当否について、裁判所は、原則として適正な手続にのっとってされたか否かを審査して判断すべきであり、一般市民としての権利利益を侵害する場合に限り処分内容の当否を審査できるとするのが判例の立場である。

(正答)  

(解説)
共産党袴田事件判決(最判昭63.12.20)は、「政党が党員に対してした処分が…一般市民としての権利利益を侵害する場合であっても、右処分の当否は、当該政党の自律的に定めた規範が公序良俗に反するなどの特段の事情のない限り右規範に照らし、右規範を有しないときは条理に基づき、適正な手続に則ってされたか否かによって決すべきであり、その審理も右の点に限られるものといわなければならない。」としており、処分の内容の合理性には司法審査は及ばないとしている。

(R3 共通 第12問 イ)
政党に対しては、高度の自主性と自律性を与えて自主的に組織運営をなし得る自由を保障しなければならず、また、党員が政党の存立及び組織の秩序維持のために、自己の権利や自由に一定の制約を受けることがあるのも当然であるから、政党が党員に対してした除名処分の当否は、一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、裁判所の審判権は及ばない。

(正答)  

(解説)
共産党袴田事件判決(最判昭63.12.20)は、「政党が組織内の自律的運営として党員に対してした除名その他の処分の当否については、原則として自律的な解決に委ねるのを相当とし、したがって、政党が党員に対してした処分が一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、裁判所の審判権は及ばないというべきであ」るとしていることから、政党の党員に対する処分の当否については、政党の内部的な問題に留まる限りは、裁判所の審査権は及ばないといえる。


「政党に対しては、高度の自主性と自律性を与えて自主的に組織運営をなしうる自由を保障しなければならない。他方、党員が政党の存立及び組織の秩序維持のために、自己の権利や自由に一定の制約を受けることがあることもまた当然である。」とした上で、「右のような政党の結社としての自主性にかんがみると、政党の内部的自律権に属する行為は、法律に特別の定めのない限り尊重すべきであるから、政党が組織内の自律的運営として党員に対してした除名その他の処分の当否については、原則として自律的な解決に委ねるのを相当とし、したがって、政党が党員に対してした処分が一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、裁判所の審判権は及ばない」としている。

(R4 司法 第17問 イ)
政党が組織内の自律的運営として党員に対してした除名処分は、原則として自律的な解決に委ねるのが相当であり、その除名処分が一般市民法秩序と直接の関係のない内部的な問題にとどまる限り、司法審査の対象とはならず、また、一般市民としての権利利益を侵害する場合であっても、その処分の当否は、当該政党の自律的な規範が公序良俗に反するなどの特段の事情のない限りその規範に照らし、規範がない場合は条理に基づき、適正な手続にのっとってされたか否かによって決すべきであり、司法審査もこの点に限られる。

(正答)  

(解説)
共産党袴田事件判決(最判昭63.12.20)は、「政党が党員に対してした処分が一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、裁判所の審判権は及ばないというべきであり、他方、右処分が一般市民としての権利利益を侵害する場合であっても、右処分の当否は、当該政党の自律的に定めた規範が公序良俗に反するなどの特段の事情のない限り右規範に照らし、右規範を有しないときは条理に基づき、適正な手続に則ってされたか否かによって決すべきであり、その審理も右の点に限られるものといわなければならない。」としている。
総合メモ

砂川事件 最大判昭和34年12月16日

概要
高度の政治性を有する事柄が違憲であるか否の法的判断は、純司法的機能を使命とする司法裁判所の審査に原則としてなじまない性質のものであり、それが一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外にある。
判例
事案:米軍駐留と旧日米安全保障条約の憲法9条適合性が刑事責任の前提問題として争われた。
 なお、憲法9条2項に関する判旨は、平和主義のカテゴリに属する砂川事件で取り上げている(https://law-lib.jp/subjects/1/precedents/2)。

判旨:「本件安全保障条約は、…主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきであって、その内容が違憲なりや否やの法的判断は、その条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点がすくなくない。それ故、右違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、したがって、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであって、それは第一次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねられるべきものであると解するを相当とする。そして、このことは、本件安全保障条約またはこれに基く政府の行為の違憲なりや否やが、本件のように前提問題となっている場合であると否とにかかわらないのである。」
過去問・解説
(H26 予備 第11問 ア)
日米安全保障条約は、主権国としての我が国の存立の基礎に極めて重大な関係を持つ高度の政治性を有するもので、その内容の合憲性判断は、一見極めて明白に違憲無効でない限り、裁判所の審査権の範囲外である。

(正答)  

(解説)
砂川事件判決(最大判昭34.12.16)は、「本件安全保障条約は、…主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきであって、…違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、したがって、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであって…」としている。

(H30 予備 第12問 ア)
砂川事件判決(最大判昭和34年12月16日)は、主権国家としての我が国の存立の基礎に極めて重大な関係を持つ高度の政治性を有する条約について、憲法に対する優位性を認め、裁判所の違憲審査権の範囲外にあると判断した。

(正答)  

(解説)
砂川事件判決(最大判昭34.12.16)は、「本件安全保障条約は、…主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきであって、…違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、したがって、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであって…」としており、形式的効力において憲法が条約に優位することを前提とした判示をしている。
総合メモ

苫米地事件 最大判昭和35年6月8日

概要
衆議院解散の効力は、訴訟の前提問題であったとしても裁判所の審査権が及ばない。
判例
事案:衆議院解散の効力に司法審査が及ぶかが問題となった。

判旨:「現実に行われた衆議院の解散が、その依拠する憲法の条章について適用を誤つたが故に、法律上無効であるかどうか、これを行うにつき憲法上必要とせられる内閣の助言と承認に瑕疵があつたが故に無効であるかどうかのごときことは裁判所の審査権に服しないものと解すべきである。
 日本国憲法は、立法、行政、司法の三権分立の制度を確立し、司法権はすべて裁判所の行うところとし(憲法76条1項)、また裁判所法は、裁判所は一切の法律上の争訟を裁判するものと規定し(裁判所法3条1項)、これによつて、民事、刑事のみならず行政事件についても、事項を限定せずいわゆる概括的に司法裁判所の管轄に属するものとせられ、さらに憲法は一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを審査決定する権限を裁判所に与えた(憲法81条)結果、国の立法、行政の行為は、それが法律上の争訟となるかぎり、違憲審査を含めてすべて裁判所の裁判権に服することとなつたのである。
 しかし、わが憲法の三権分立の制度の下においても、司法権の行使についておのずからある限度の制約は免れないのであつて、あらゆる国家行為が無制限に司法審査の対象となるものと即断すべきでない。直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為のごときはたとえそれが法律上の争訟となり、これに対する有効無効の判断が法律上可能である場合であつても、かかる国家行為は裁判所の審査権の外にあり、その判断は主権者たる国民に対して政治的責任を負うところの政府、国会等の政治部門の判断に委され、最終的には国民の政治判断に委ねられているものと解すべきである。この司法権に対する制約は、結局、三権分立の原理に由来し、当該国家行為の高度の政治性、裁判所の司法機関としての性格、裁判に必然的に随伴する手続上の制約等にかんがみ、特定の明文による規定はないけれども、司法権の憲法上の本質に内在する制約と理解すべきである。
 衆議院の解散は、衆議院議員をしてその意に反して資格を喪失せしめ、国家最高の機関たる国会の主要な一翼をなす衆議院の機能を一時的とは言え閉止するものであり、さらにこれにつづく総選挙を通じて、新な衆議院、さらに新な内閣成立の機縁を為すものであつて、その国法上の意義は重大であるのみならず、解散は、多くは内閣がその重要な政策、ひいては自己の存続に関して国民の総意を問わんとする場合に行われるものであつてその政治上の意義もまた極めて重大である。すなわち衆議院の解散は、極めて政治性の高い国家統治の基本に関する行為であつて、かくのごとき行為について、その法律上の有効無効を審査することは司法裁判所の権限の外にありと解すべきことは既に前段説示するところによつてあきらかである。そして、この理は、本件のごとく、当該衆議院の解散が訴訟の前提問題として主張されている場合においても同様であつて、ひとしく裁判所の審査権の外にありといわなければならない。
 本件の解散が憲法7条に依拠して行われたことは本件において争いのないところであり、政府の見解は、憲法7条によつて、…すなわち憲法69条に該当する場合でなくとも、…憲法上有効に衆議院の解散を行い得るものであり、本件解散は右憲法7条に依拠し、かつ、内閣の助言と承認により適法に行われたものであるとするにあることはあきらかであつて、裁判所としては、この政府の見解を否定して、本件解散を憲法上無効なものとすることはできないのである。」
過去問・解説
(H22 司法 第13問 ア)
天皇の国事行為に関する最高裁判所の判例によれば、内閣の「助言」とは内閣から天皇への事前の申出であり、「承認」とは天皇の行為が「助言」の趣旨に合致するものであると事後に認めることであって、いずれも閣議により決定しなければならないとされている。

(正答)  

(解説)
苫米地事件判決(最大判昭35.6.8)は、衆議院解散の効力には司法審査が及ばないとしているため、内閣の「助言」と「承認」についての閣議決定の要否については判断していない。

(H22 司法 第18問 ウ)
衆議院の解散に対する有効無効の判断は、たとえ法律上可能であっても裁判所の審査権の外にあり、主権者たる国民に対して政治的責任を負う政府、国会等の政治部門に任され、最終的には国民の政治判断に委ねられている。

(正答)  

(解説)
苫米地事件判決(最大判昭35.6.8)は、「直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為のごときはたとえそれが法律上の争訟となり、これに対する有効無効の判断が法律上可能である場合であつても、かかる国家行為は裁判所の審査権の外にあり、その判断は主権者たる国民に対して政治的責任を負うところの政府、国会等の政治部門の判断に委され、最終的には国民の政治判断に委ねられているものと解すべきである。」とした上で、「衆議院の解散は、極めて政治性の高い国家統治の基本に関する行為であつて、かくのごとき行為について、その法律上の有効無効を審査することは司法裁判所の権限の外にありと解すべきことは既に前段説示するところによつてあきらかである。」としている。

(H24 共通 第17問 イ)
苫米地事件判決(最大判昭和35年6月8日)は、法律上の争訟の要件が満たされる事案であっても、高度の政治性を有する国家行為に関しては、実際的必要性の観点から、裁判所が司法判断を下すのを自制すべきであるとしたものである。

(正答)  

(解説)
苫米地事件判決(最大判昭35.6.8)は、「直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為のごときはたとえそれが法律上の争訟となり、これに対する有効無効の判断が法律上可能である場合であつても、かかる国家行為は裁判所の審査権の外にあり、その判断は主権者たる国民に対して政治的責任を負うところの政府、国会等の政治部門の判断に委され、最終的には国民の政治判断に委ねられているものと解すべきである。この司法権に対する制約は、結局、三権分立の原理に由来し、当該国家行為の高度の政治性、裁判所の司法機関としての性格、裁判に必然的に随伴する手続上の制約等にかんがみ、特定の明文による規定はないけれども、司法権の憲法上の本質に内在する制約と理解すべきである。」とした上で、「衆議院の解散は、極めて政治性の高い国家統治の基本に関する行為であつて、かくのごとき行為について、その法律上の有効無効を審査することは司法裁判所の権限の外にありと解すべきことは既に前段説示するところによつてあきらかである。」としている。このように、本判決は、実際的必要性の観点からではなく、司法権に内在する制約として司法審査を否定している。

(H26 予備 第11問 ウ)
衆議院解散の効力をめぐる争いは、本来、内閣と衆議院という両政治部門間の争いであり、議員歳費請求のように前提問題として解散の効力を争う場合であっても、その実質は機関訴訟というべきもので、裁判所は、原則として統治部門の自律的解決を尊重すべきである。

(正答)  

(解説)
苫米地事件判決(最大判昭35.6.8)は、「直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為のごときはたとえそれが法律上の争訟となり、これに対する有効無効の判断が法律上可能である場合であつても、かかる国家行為は裁判所の審査権の外にあり、その判断は主権者たる国民に対して政治的責任を負うところの政府、国会等の政治部門の判断に委され、最終的には国民の政治判断に委ねられているものと解すべきである。この司法権に対する制約は、結局、三権分立の原理に由来し、当該国家行為の高度の政治性、裁判所の司法機関としての性格、裁判に必然的に随伴する手続上の制約等にかんがみ、特定の明文による規定はないけれども、司法権の憲法上の本質に内在する制約と理解すべきである。」とした上で、「衆議院の解散は、極めて政治性の高い国家統治の基本に関する行為であつて、かくのごとき行為について、その法律上の有効無効を審査することは司法裁判所の権限の外にありと解すべきことは既に前段説示するところによつてあきらかである。」としている。このように、本判決は、司法権に内在する制約として司法審査を否定しているのであって、実質が機関訴訟というべきものであることを理由にしているわけではない。

(R4 司法 第17問 ウ)
三権分立の制度の下において、司法権の行使について、ある限度の制約は免れず、あらゆる国家行為が無制限に司法審査の対象となるわけではないと解すべきであるところ、衆議院の解散のような直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為は、国会等の政治部門の判断に委ねられ、最終的に国民の政治判断に委ねられているものと解すべきであるから、衆議院の解散が違法であることを前提とする国会議員の歳費の支払を請求する訴えは、法律上の争訟に当たるとはいえない。

(正答)  

(解説)
苫米地事件判決(最大判昭35.6.8)は、「直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為のごときはたとえそれが法律上の争訟となり、これに対する有効無効の判断が法律上可能である場合であっても、かかる国家行為は裁判所の審査権の外にあり、その判断は主権者たる国民に対して政治的責任を負うところの政府、国会等の政治部門の判断に委され、最終的には国民の政治判断に委ねられているものと解すべきである。」としており、統治行為論を理由とする司法審査の可否と「法律上の争訟」に当たるか否かを別問題として扱っている。
総合メモ

沖縄代理署名訴訟 最大判平成8年8月28日

概要
駐留軍用地特措法は、憲法前文、9条、13条、29条3項に違反しない。
判例
事案:国が沖縄県知事に対して駐留軍用地特措法14条1項に基づく署名押印を求めたところ、知事がそれを拒否したため、国が知事に対し署名等代行を求めて訴訟を提起した事案において、駐留軍用地特措法の合憲性が争われた。

判旨:「日米安全保障条約6条、日米地位協定2条1項の定めるところによれば、我が国は、日米地位協定25条に定める合同委員会を通じて締結される日米両国間の協定によって合意された施設及び区域を駐留軍の用に供する条約上の義務を負うものと解される。我が国が、その締結した条約を誠実に遵守すべきことは明らかであるが(憲法98条2項)、日米安全保障条約に基づく右義務を履行するために必要な土地等をすべて所有者との合意に基づき取得することができるとは限らない。これができない場合に、当該土地等を駐留軍の用に供することが適正かつ合理的であることを要件として(駐留軍用地特措法3条)、これを強制的に使用し、又は収用することは、条約上の義務を履行するために必要であり、かつ、その合理性も認められるのであって、私有財産を公共のために用いることにほかならないものというべきである。国が条約に基づく国家としての義務を履行するために必要かつ合理的な行為を行うことが憲法前文、9条、13条に違反するというのであれば、それは当該条約自体の違憲をいうに等しいことになるが、日米安全保障条約及び日米地位協定が違憲無効であることが一見極めて明白でない以上、裁判所としては、これが合憲であることを前提として駐留軍用地特措法の憲法適合性についての審査をすべきであるし…、所論も、日米安全保障条約及び日米地位協定の違憲を主張するものではないことを明示している。そうであれば、駐留軍用地特措法は、憲法前文、9条、13条、29条3項に違反するものということはできない。」
過去問・解説
(H26 予備 第11問 イ)
日米安全保障条約及び日米地位協定が違憲無効であることが一見極めて明白でない以上、裁判所としては、これらが合憲であることを前提として、これらの条約を履行するために制定された、いわゆる駐留軍用地特措法の合憲性を審査すべきである。

(正答)  

(解説)
沖縄代理署名訴訟判決(最大判平8.8.28)は、砂川事件判決(最大判昭34.12.16)を参照し、「日米安全保障条約及び日米地位協定が違憲無効であることが一見極めて明白でない以上、裁判所としては、これが合憲であることを前提として駐留軍用地特措法の憲法適合性についての審査をすべきである」としている。
総合メモ

最高裁判所裁判官の国民審査 最大判昭和27年2月20日

概要
①最高裁判所裁判官任命に関する国民審査の制度は、国民が裁判官を罷免すべきか否か決定する趣旨であって、裁判官の任命を完成させるか否かを審査するものではない。
②最高裁判所裁判官任命に関する国民審査の制度は、憲法19条、憲法21条、憲法79条に違反するものではない。
判例
事案:最高裁判所裁判官任命に関する国民審査制度が憲法19条、憲法21条及び憲法79条に反するかが争われ、そのことに関連して、同国民審査制度の法的性質が問題となった。
 国民審査制度の法的性質については、①解職制(リコール制)と解する見解、②解職と同時に適任者の信任の性格を有すると解する見解、③解職と任命の事後審査の性格を併有すると解する見解及び④任命行為を完結確定させる行為と解する見解がある。
 本判決は、「投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は、罷免する」という憲法79条3項の文言に着目し、国民審査は、すでに任命が確定ないし完成されている最高裁判所裁判官の適格性を国民が判断し、不適格者を罷免する解職の制度であると解している(①の見解)。これは、憲法79条3項の文言、さらには国民の審査能力の欠如や裁判官の独立(憲法76条3項)への脅威といった問題に適う見解である。

判旨:「最高裁判所裁判官任命に関する国民審査の制度はその実質において所謂解職の制度と見ることが出来る。それ故本来ならば罷免を可とする投票が有権者の総数の過半数に達した場合に罷免されるものとしてもよかつたのである。それを憲法は投票数の過半数とした処が他の解職の制度と異るけれどもそのため解職の制度でないものとする趣旨と解することは出来ない。只罷免を可とする投票数との比較の標準を投票の総数に採つただけのことであつて、根本の性質はどこ迄も解職の制度である。このことは憲法第79条3項の規定にあらわれている。同条第2項の字句だけを見ると一見そうでない様にも見えるけれども、これを第3項の字句と照し会せて見ると、国民が罷免すべきか否かを決定する趣旨であつて、所論の様に任命そのものを完成させるか否かを審査するものでないこと明瞭である。この趣旨は1回審査投票をした後更に10年を経て再び審査をすることに見ても明であろう。1回の投票によつて完成された任命を再び完成させるなどということは考えられない。論旨では期限満了後の再任であるというけれども、期限がきれた後の再任ならば再び天皇又は内閣の任命行為がなければならない。国民の投票だけで任命することは出来ない。最高裁判所裁判官は天皇又は内閣が任命すること憲法第六条及び第七九条の明定する処だからである。なお論旨では憲法第78条の規定を云為するけれども、第79条の罷免は裁判官弾劾法の規定する事由がなくても、国民が裁判官の人格識見能力等各種の方面について審査し、罷免しなければならないと思うときは罷免の投票をするのであつて、第78条とは異るものである。しかのみならず一つ事項を別の人により、又別の方法によつて二重に審査することも少しも差支ないことであるから、第七九条の存するが故に第78条は解職の制度でないということは出来ない。最高裁判所裁判官国民審査法(以下単に法と書く)は右の趣旨に従つて出来たものであつて、憲法の趣旨に合し、少しも違憲の処はない。かくの如く解職の制度であるから、積極的に罷免を可とするものと、そうでないものとの二つに分かれるのであつて、前者が後者より多数であるか否かを知らんとするものである。論旨にいう様な罷免する方がいいか悪いかわからない者は、積極的に「罷免を可とするもの」に属しないこと勿論だから、そういう者の投票は前記後者の方に入るのが当然である。それ故法が連記投票にして、特に罷免すべきものと思う裁判官にだけ×印をつけ、それ以外の裁判官については何も記さずに投票させ、×印のないものを「罷免を可としない投票」(この用語は正確でない、前記の様に「積極的に罷免する意思を有する者でない」という消極的のものであつて、「罷免しないことを可とする」という積極的の意味を持つものではない、ーー以下仮りに白票と名づける)の数に算えたのは前記の趣旨に従つたものであり、憲法の規定する国民審査制度の趣旨に合するものである。罷免する方がいいか悪いかわからない者は、積極的に「罷免を可とする」という意思を持たないこと勿論だから、かかる者の投票に対し「罷免を可とするものではない」との効果を発生せしめることは、何等意思に反する効果を発生せしめるものではない。解職制度の精神からいえば寧ろ意思に合する効果を生ぜしめるものといつて差支ないのである。それ故論旨のいう様に思想の自由や良心の自由を制限するものでないこと勿論である。
 最高裁判所の長たる裁判官は内閣の指名により天皇が、他の裁判官は内閣が任命するのであつて、その任命行為によつて任命は完了するのである。このことは憲法第6条及び第79条の明に規定する処であり、此等の規定は単純明瞭で何等の制限も条件もない。所論の様に、国民の投票ある迄は任命は完了せず、投票によつて初めて完了するのだという様な趣旨はこれを窺うべき何等の字句も存在しない。それ故裁判官は内閣が全責任を以て適当の人物を選任して、指名又は任命すべきものであるが、若し内閣が不適当な人物を選任した場合には、国民がその審査権によつて罷免をするのである。この場合においても、飽く迄罷免であつて選任行為自体に関係するものではない。国民が裁判官の任命を審査するということは右の如き意味でいうのである。それ故何等かの理由で罷免をしようと思う者が罷免の投票をするので、特に右の様な理由を持たない者は総て(罷免した方がいいか悪いかわからない者でも)内閣が全責任を以てする選定に信頼して前記白票を投ずればいいのであり、又そうすべきものなのである。(若しそうでなく、わからない者が総て棄権する様なことになると、極く少数の者の偏見或は個人的憎悪等による罷免投票によつて適当な裁判官が罷免されるに至る虞があり、国家最高機関の一である最高裁判所が極めて少数者の意思によつて容易に破壊される危険が多分に存するのである)、これが国民審査制度の本質である。それ故所論の様に法が連記の制度を採つたため、23名の裁判官だけに×印の投票をしようと思う者が、他の裁判官については当然白票を投ずるの止むなきに至つたとしても、それは寧ろ前に書いた様な国民審査の制度の精神に合し、憲法の趣旨に適するものである。決して憲法の保障する自由を不当に侵害するなどというべきものではない。総ての投票制度において、棄権はなるべく避けなければならないものであるが、殊に裁判官国民審査の制度は前記の様な次第で棄権を出来るだけ少なくする必要があるのである。そして普通の選挙制度においては、投票者が何人を選出すべきかを決するのであるから、誰を選んでいいかわからない者は良心的に棄権せざるを得なくなるということも考えられるのであるが、裁判官国民審査の場合は、投票者が直接裁判官を選ぶのではなく、内閣がこれを選定するのであり、国民は只或る裁判官が罷免されなければならないと思う場合にその裁判官に罷免の投票をするだけで、その他については内閣の選定に任かす建前であるから、通常の選挙の場合における所謂良心的棄権という様なことも考慮しないでいいわけである。又投票紙に「棄権」という文字を書いてもそれは余事記入にならず、有効の投票と解すべきものであるとの論があるけれども現行法の下では無理と思う。原判決は措辞において多少異る処があるけれども、結局本判決と同趣旨に出たもので正当であり、論旨は理由なきに帰する。」
過去問・解説
(H23 司法 第17問 ア)
最高裁判所裁判官の国民審査は、最高裁判所の判例の趣旨に照らせば、内閣の任命を国民が確認する意味を含むので、白票は罷免を可とするものとして扱われてはならない。

(正答)  

(解説)
判例(最大判昭27.2.20)は、「最高裁判所裁判官任命に関する国民審査の制度はその実質において所謂解職の制度と見ることが出来る。」とした上で、「かくの如く解職の制度であるから、積極的に罷免を可とするものと、そうでないものとの二つに分かれるのであつて、前者が後者より多数であるか否かを知らんとするものである。…罷免する方がいいか悪いかわからない者は、積極的に「罷免を可とする」という意思を持たないこと勿論だから、かかる者の投票に対し「罷免を可とするものではない」との効果を発生せしめることは、何等意思に反する効果を発生せしめるものではない。解職制度の精神からいえば寧ろ意思に合する効果を生ぜしめるものといつて差支ないのである。」としている。
総合メモ

レペタ事件 最大判平成元年3月8日

概要
憲法82条1項は、法廷で傍聴人がメモを取ることを権利として保障しているものではない。
判例
事案:アメリカの弁護士Xは、日本における証券市場及びこれに関する法的規制に関する研究のために来日し、東京地方裁判所における所得税法違反被告事件の公判を傍聴し、各公判期日に先立ち担当裁判長にメモを取ることの許可を求めたところ、裁判長は傍聴人にメモを取ることを一般的に禁止していたため、Xに許可を与えなかった。なお、裁判長は、司法記者クラブ所属の報道機関の記者に対してはメモを取ることを許可していた。Xは、裁判長が公判廷でメモを取ることを許可しなかった措置は憲法21条1項、82条、14条、国際人権規約B規約19条、刑事訴訟規則のそれぞれに違反するとして、国に対して国家賠償を求めて出訴した。
 憲法82条1項違反以外の問題点については、表現の自由のカテゴリに属するレペタ事件の判旨として掲載している(https://law-lib.jp/subjects/1/precedents/82)。

判旨:「憲法82条1項の規定は、裁判の対審及び判決が公開の法廷で行われるべきことを定めているが、その趣旨は、裁判を一般に公開して裁判が公正に行われることを制度として保障し、ひいては裁判に対する国民の信頼を確保しようとすることにある。裁判の公開が制度として保障されていることに伴い、各人は、裁判を傍聴することができることとなるが、右規定は、各人が裁判所に対して傍聴することを権利として要求できることまでを認めたものでないことはもとより、傍聴人に対して法廷においてメモを取ることを権利として保障しているものではないことも、いうまでもないところである。」
過去問・解説
(H18 司法 第18問 ウ)
憲法82条1項は、裁判の公開を制度として保障することにより、国民に裁判を傍聴する権利を認め、その一環として傍聴した内容についてメモを取る権利も保障したものというべきであるから、裁判長は、特段の事情のない限り、傍聴人がメモを取ることを禁止してはならない。

(正答)  

(解説)
レペタ事件判決(最大判平元.3.8)は、「憲法82条1項の規定は、…各人が裁判所に対して傍聴することを権利として要求できることまでを認めたものでないことはもとより、傍聴人に対して法廷においてメモを取ることを権利として保障しているものではないことも、いうまでもないところである。」としている。

(H27 予備 第10問 ウ)
憲法82条1項の公開原則が制度としての保障であるか、権利としての保障であるかについて争いがあるが、判例もそれを権利としての保障と位置付けるようになった。

(正答)  

(解説)
レペタ事件判決(最大判平元.3.8)は、「憲法82条1項の規定は、…各人が裁判所に対して傍聴することを権利として要求できることまでを認めたものでないことはもとより、傍聴人に対して法廷においてメモを取ることを権利として保障しているものではないことも、いうまでもないところである。」としている。

(R3 共通 第16問 ア)
判例によれば、憲法82条にいう「公開」は、国民一般に裁判の傍聴が許されるということを意味するから、何人も、裁判所に対して裁判を傍聴することを権利として要求することができる。

(正答)  

(解説)
レペタ事件判決(最大判平元.3.8)は、「憲法82条1項の規定は、…各人が裁判所に対して傍聴することを権利として要求できることまでを認めたものでないことはもとより、傍聴人に対して法廷においてメモを取ることを権利として保障しているものではないことも、いうまでもないところである。」としている。
総合メモ

遺産分割審判に対する抗告棄却決定に対する抗告 最大決昭和41年3月2日

概要
家事審判法9条1項乙類10号の遺産の分割に関する処分の審判は、憲法32条及び憲法82条に違反しない。
判例
事案:家事審判法9条1項乙類10号の遺産の分割に関する処分の審判は、憲法32条及び憲法82条に違反するかが問題となった。

判旨:「家事審判法9条1項乙類10号に規定する遺産の分割に関する処分の審判は、民法907条2、3項を承けて、各共同相続人の請求により、家庭裁判所が民法906条に則り、遺産に属する物または権利の種類および性質、各相続人の職業その他一切の事情を考慮して、当事者の意思に拘束されることなく、後見的立場から合目的的に裁量権を行使して具体的に分割を形成決定し、その結果必要な金銭の支払、物の引渡、登記義務の履行その他の給付を付随的に命じ、あるいは、一定期間遺産の全部または一部の分割を禁止する等の処分をなす裁判であつて、その性質は本質的に非訴事件であるから、公開法廷における対審および判決によつてする必要なく、したがつて、右審判は憲法32条、82条に違反するものではない…。
 ところで、右遺産分割の請求、したがつて、これに関する審判は、相続権、相続財産等の存在を前提としてなされるものであり、それらはいずれも実体法上の権利関係であるから、その存否を終局的に確定するには、訴訟事項として対審公開の判決手続によらなければならない。しかし、それであるからといつて、家庭裁判所は、かかる前提たる法律関係につき当事者間に争があるときは、常に民事訴訟による判決の確定をまつてはじめて遺産分割の審判をなすべきものであるというのではなく、審判手続において右前提事項の存否を審理判断したうえで分割の処分を行うことは少しも差支えないというべきである。けだし、審判手続においてした右前提事項に関する判断には既判力が生じないから、これを争う当事者は、別に民事訴訟を提起して右前提たる権利関係の確定を求めることをなんら妨げられるものではなく、そして、その結果、判決によつて右前提たる権利の存在が否定されれば、分割の審判もその限度において効力を失うに至るものと解されるからである。このように、右前提事項の存否を審判手続によつて決定しても、そのことは民事訴訟による通常の裁判を受ける途を閉すことを意味しないから、憲法32条、82条に違反するのではない。」
過去問・解説
(H18 司法 第18問 イ)
家庭裁判所は、遺産の分割に関する処分の審判において、その前提となる相続権、相続財産等の権利関係の存否を審理判断することはできず、争いのない権利関係を前提として遺産の分割を具体的に形成決定するなどの処分をなすのであるから、その審判を公開法廷において行わなくとも、憲法第82条第1項に違反しない。

(正答)  

(解説)
判例(最大決昭41.3.2)は、「家事審判法9条1項乙類10号に規定する遺産の分割に関する処分の審判は…、相続権、相続財産等の存在を前提としてなされるものであり、それらはいずれも実体法上の権利関係であるから、その存否を終局的に確定するには、訴訟事項として対審公開の判決手続によらなければならない。」とする一方で、「しかし、それであるからといって、家庭裁判所は、かかる前提たる法律関係につき当事者間に争があるときは、常に民事訴訟による判決の確定をまってはじめて遺産分割の審判をなすべきものであるというのではなく、審判手続において右前提事項の存否を審理判断したうえで分割の処分を行うことは少しも差支えないというべきである。」としている。
総合メモ

刑事確定訴訟記録を閲覧する権利 最三小決平成2年2月16日

概要
刑事確定訴訟記録法4条2項は、検察官による保管記録の閲覧拒否について規定しているが、憲法21条及び憲法82条に違反するものではない。
判例
事案:刑事訴訟記録法4条は、1項本文において、「保管検察官は、請求があったときは、保管記録…を閲覧させなければならない。」と規定する一方で、2項本文において、「保管検察官は、保管記録が刑事訴訟法第53条第3項に規定する事件のものである場合を除き、次に掲げる場合には、保管記録…を閲覧させないものとする。」と規定している、本事件では、同法4条2項本文が検察官による保管記録の閲覧許否を規定することが憲法21条及び憲法82条に違反しないかが問題となった。

判旨:「刑事確定訴訟記録法4条2項が憲法21条、82条に違反しないとした原決定は憲法の解釈を誤っているという点は、憲法の右の各規定が刑事確定訴訟記録の閲覧を権利として要求できることまでを認めたものでないことは、当裁判所大法廷判例…の趣旨に徴して明らかである。」
過去問・解説
(H24 司法 第9問 ウ)
ある事件の刑事確定訴訟記録の閲覧請求に対し、刑事確定訴訟記録法の条項に基づいて不許可としても、憲法第21条、第82条の規定は刑事確定訴訟記録の閲覧を権利として要求できることまで認めたものではないから、憲法には違反しない。

(正答)  

(解説)
刑事確定訴訟記録を閲覧する権利について判断した決定(最決平2.2.16)は、「憲法21条、82条…が刑事確定訴訟記録の閲覧を権利として要求できることまでを認めたものでない」としている。
総合メモ

遮へい措置・ビデオリンク方式の合憲性 最一小判平成17年4月14日

概要
証人尋問における遮へい措置(刑訴法157条の3)及びビデオリンク方式(刑訴法157条の4)は、憲法82条1項及び憲法37条1項にも憲法37条2項前段にも違反しない。
判例
事案:証人尋問における遮へい措置(刑訴法157条の3)及びビデオリンク方式(刑訴法157条の4)が憲法82条1項及び憲法37条1項の裁判公開の原則に反し、さらに、憲法37条2項前段の証人審問権を侵害するかが問題となった。

判旨:「刑訴法157条の3は、証人尋問の際に、証人が被告人から見られていることによって圧迫を受け精神の平穏が著しく害される場合があることから、その負担を軽減するために、そのようなおそれがあって相当と認められるときには、裁判所が、被告人と証人との間で、一方から又は相互に相手の状態を認識することができないようにするための措置を採り、同様に、傍聴人と証人との間でも、相互に相手の状態を認識することができないようにするための措置を採ることができる(以下、これらの措置を「遮へい措置」という。)とするものである。また、同法157条の4は、いわゆる性犯罪の被害者等の証人尋問について、裁判官及び訴訟関係人の在席する場所において証言を求められることによって証人が受ける精神的圧迫を回避するために、同一構内の別の場所に証人を在席させ、映像と音声の送受信により相手の状態を相互に認識しながら通話することができる方法によって尋問することができる(以下、このような方法を「ビデオリンク方式」という。)とするものである。証人尋問が公判期日において行われる場合、傍聴人と証人との間で遮へい措置が採られ、あるいはビデオリンク方式によることとされ、さらには、ビデオリンク方式によった上で傍聴人と証人との間で遮へい措置が採られても、審理が公開されていることに変わりはないから、これらの規定は、憲法82条1項、37条1項に違反するものではない。
 また、証人尋問の際、被告人から証人の状態を認識できなくする遮へい措置が採られた場合、被告人は、証人の姿を見ることはできないけれども、供述を聞くことはでき、自ら尋問することもでき、さらに、この措置は、弁護人が出頭している場合に限り採ることができるのであって、弁護人による証人の供述態度等の観察は妨げられないのであるから、前記のとおりの制度の趣旨にかんがみ、被告人の証人審問権は侵害されていないというべきである。ビデオリンク方式によることとされた場合には、被告人は、映像と音声の送受信を通じてであれ、証人の姿を見ながら供述を聞き、自ら尋問することができるのであるから、被告人の証人審問権は侵害されていないというべきである。さらには、ビデオリンク方式によった上で被告人から証人の状態を認識できなくする遮へい措置が採られても、映像と音声の送受信を通じてであれ、被告人は、証人の供述を聞くことはでき、自ら尋問することもでき、弁護人による証人の供述態度等の観察は妨げられないのであるから、やはり被告人の証人審問権は侵害されていないというべきことは同様である。したがって、刑訴法157条の3、157条の4は、憲法37条2項前段に違反するものでもない。」
過去問・解説
(H18 司法 第18問 ア)
刑事事件の証人尋問の際に、傍聴人が証人の状態を認識することができないような遮へい措置を採っても、審理が公開されていることに変わりはないから、憲法第82条第1項及び第37条第1項に違反しない。

(正答)  

(解説)
判例(最判平17.4.14)は、「証人尋問が公判期日において行われる場合、傍聴人と証人との間で遮へい措置が採られ、あるいはビデオリンク方式によることとされ、さらには、ビデオリンク方式によった上で傍聴人と証人との間で遮へい措置が採られても、審理が公開されていることに変わりはないから、これらの規定は、憲法82条1項、37条1項に違反するものではない。」としている。

(H24 司法 第9問 ア)
いわゆるビデオリンク方式を採用することによって被告人は自ら尋問することができないが、それは証人が受ける精神的圧迫を回避するためであり、弁護人は尋問できるのであるから、被告人の証人審問権を侵害しているとはいえない。

(正答)  

(解説)
判例(最判平17.4.14)は、ビデオリンク方式が被告人の証人審問権を侵害するものではないとする理由として、「被告人は、映像と音声の送受信を通じてであれ、証人の姿を見ながら供述を聞き、自ら尋問することができる」、「映像と音声の送受信を通じてであれ、被告人は、証人の供述を聞くことはでき、自ら尋問することもでき、弁護人による証人の供述態度等の観察は妨げられないのである」ことを挙げており、弁護人が尋問できるとは述べていない。

(R3 司法 第16問 イ)
判例によれば、刑事事件の証人尋問の際に、傍聴席と証人との間に衝立を置くなどして傍聴人から証人を見ることができないようにすることは、審理を公開することの意義を没却するものであるから、憲法第82条に違反する。

(正答)  

(解説)
判例(最判平17.4.14)は、「証人尋問が公判期日において行われる場合、傍聴人と証人との間で遮へい措置が採られ…ても、審理が公開されていることに変わりはないから、…憲法82条1項…に違反するものではない」としている。
総合メモ

裁判員制度の合憲性 最大判平成23年11月16日

概要
①憲法は、刑事裁判における国民の司法参加を許容しており、憲法の定める適正な刑事裁判を実現するための諸原則が確保されている限り、その内容を立法政策に委ねている。
②裁判員制度は、憲法31条、32条、37条1項、76条1項、80条1項に違反しない.
③裁判員制度は、憲法76条3項に違反しない。
④裁判員制度は、憲法76条2項に違反しない。
⑤裁判員の職務等は、憲法18条後段が禁ずる「苦役」に当たらない。
判例
事案:①裁判官以外の国民が裁判体の構成員となり評決権を持って裁判を行うこと(以下「国民の司法参加」という。)が一般に憲法上禁じられている、②裁判員法による裁判員裁判の具体的内容が下級裁判所が裁判官のみによって構成されることを定めているものと解される憲法80 条1項、何人に対しても裁判所において裁判を受ける権利を保障した憲法32条、全ての刑事事件において被告人に公平な裁判所による迅速な公開裁判を保障した憲法37条1項、全て司法権は裁判所に属すると規定する憲法76条1項、適正手続を保障した憲法31条に違反する、③裁判員制度の下では、裁判官は、裁判員の判断に影響、拘束されることになるから、同制度は、裁判官の職権行使の独立を保障した憲法76条3項に違反する、④裁判員が参加する裁判体は、通常の裁判所の系列外に位置するものであるから、憲法76条2項により設置が禁止されている特別裁判所に該当する、⑤裁判員制度は、裁判員となる国民に憲法上の根拠のない負担を課すものであるから、意に反する苦役に服させることを禁じた憲法18条後段に違反する、という点が問題となった。

判旨:「①まず、国民の司法参加が一般に憲法上禁じられているか否かについて検討する。
 憲法に国民の司法参加を認める旨の規定が置かれていないことは,所論が指摘するとおりである。しかしながら、明文の規定が置かれていないことが、直ちに国民の司法参加の禁止を意味するものではない。憲法上、刑事裁判に国民の司法参加が許容されているか否かという刑事司法の基本に関わる問題は、憲法が採用する統治の基本原理や刑事裁判の諸原則、憲法制定当時の歴史的状況を含めた憲法制定の経緯及び憲法の関連規定の文理を総合的に検討して判断されるべき事柄である。
 憲法に国民の司法参加を認める旨の規定が置かれていないことは、所論が指摘するとおりである。しかしながら、明文の規定が置かれていないことが、直ちに国民の司法参加の禁止を意味するものではない。憲法上、刑事裁判に国民の司法参加が許容されているか否かという刑事司法の基本に関わる問題は、憲法が採用する統治の基本原理や刑事裁判の諸原則、憲法制定当時の歴史的状況を含めた憲法制定の経緯及び憲法の関連規定の文理を総合的に検討して判断されるべき事柄である。
 裁判は、証拠に基づいて事実を明らかにし、これに法を適用することによって、人の権利義務を最終的に確定する国の作用であり、取り分け、刑事裁判は、人の生命すら奪うことのある強大な国権の行使である。そのため、多くの近代民主主義国家において、それぞれの歴史を通じて、刑事裁判権の行使が適切に行われるよう種々の原則が確立されてきた。基本的人権の保障を重視した憲法では、特に31条から39条において、適正手続の保障、裁判を受ける権利、令状主義、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利、証人審問権及び証人喚問権、弁護人依頼権、自己負罪拒否の特権、強制による自白の排除、刑罰不遡及の原則、一事不再理など、適正な刑事裁判を実現するための諸原則を定めており、そのほとんどは、各国の刑事裁判の歴史を通じて確立されてきた普遍的な原理ともいうべきものである。刑事裁判を行うに当たっては、これらの諸原則が厳格に遵守されなければならず、それには高度の法的専門性が要求される。憲法は、これらの諸原則を規定し、かつ、三権分立の原則の下に、「第6章 司法」において、裁判官の職権行使の独立と身分保障について周到な規定を設けている。こうした点を総合考慮すると、憲法は、刑事裁判の基本的な担い手として裁判官を想定していると考えられる。
 他方、歴史的、国際的な視点から見ると、欧米諸国においては、上記のような手続の保障とともに、18世紀から20世紀前半にかけて、民主主義の発展に伴い、国民が直接司法に参加することにより裁判の国民的基盤を強化し、その正統性を確保しようとする流れが広がり、憲法制定当時の20世紀半ばには、欧米の民主主義国家の多くにおいて陪審制か参審制が採用されていた。我が国でも、大日本帝国憲法(以下「旧憲法」という。)の下、大正12年に陪審法が制定され、昭和3年から480件余りの刑事事件について陪審裁判が実施され、戦時下の昭和18年に停止された状況にあった。 
 憲法は、その前文において、あらゆる国家の行為は、国民の厳粛な信託によるものであるとする国民主権の原理を宣言した。上記のような時代背景とこの基本原理の下で、司法権の内容を具体的に定めるに当たっては、国民の司法参加が許容されるか否かについても関心が払われていた。すなわち、旧憲法では、24条において「日本臣民ハ法律ニ定メタル裁判官ノ裁判ヲ受クルノ権ヲ奪ハルヽコトナシ」と規定されていたが、憲法では、32条において「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。」と規定され、憲法37条1項においては「すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。」と規定されており、「裁判官による裁判」から「裁判所における裁判」へと表現が改められた。また、憲法は、「第6章 司法」において、最高裁判所と異なり、下級裁判所については、裁判官のみで構成される旨を明示した規定を置いていない。憲法制定過程についての関係資料によれば、憲法のこうした文理面から、憲法制定当時の政府部内では、陪審制や参審制を採用することも可能であると解されていたことが認められる。こうした理解は、枢密院の審査委員会において提示され、さらに、憲法制定議会においても、米国型の陪審制導入について問われた憲法改正担当の国務大臣から、「陪審問題の点については、憲法に特別の規定はないが、民主政治の趣旨に則り、必要な規定は法律で定められ、現在の制度を完備することは憲法の毫も嫌っているところではない。」旨の見解が示され、この点について特に異論が示されることなく、憲法が可決成立するに至っている。憲法と同時に施行された裁判所法が、3条3項において「この法律の規定は、刑事について、別に法律で陪審の制度を設けることを妨げない。」と規定しているのも、こうした経緯に符合するものである。憲法の制定に際しては、我が国において停止中とはいえ現に陪審制が存在していたことや、刑事裁判に関する諸規定が主に米国の刑事司法を念頭において検討されたこと等から、議論が陪審制を中心として行われているが、以上のような憲法制定過程を見ても、ヨーロッパの国々で行われていた参審制を排除する趣旨は認められない。
 刑事裁判に国民が参加して民主的基盤の強化を図ることと、憲法の定める人権の保障を全うしつつ、証拠に基づいて事実を明らかにし、個人の権利と社会の秩序を確保するという刑事裁判の使命を果たすこととは、決して相容れないものではなく、このことは、陪審制又は参審制を有する欧米諸国の経験に照らしても、基本的に了解し得るところである。
 そうすると、国民の司法参加と適正な刑事裁判を実現するための諸原則とは、十分調和させることが可能であり、憲法上国民の司法参加がおよそ禁じられていると解すべき理由はなく、国民の司法参加に係る制度の合憲性は、具体的に設けられた制度が、適正な刑事裁判を実現するための諸原則に抵触するか否かによって決せられるべきものである。換言すれば、憲法は、一般的には国民の司法参加を許容しており、これを採用する場合には、上記の諸原則が確保されている限り、陪審制とするか参審制とするかを含め、その内容を立法政策に委ねていると解されるのである。」
 そこで、次に、裁判員法による裁判員制度の具体的な内容について、憲法に違反する点があるか否かを検討する。」
 ②「憲法80条1項が、裁判所は裁判官のみによって構成されることを要求しているか否かは、結局のところ、憲法が国民の司法参加を許容しているか否かに帰着する問題である。既に述べたとおり、憲法は、最高裁判所と異なり、下級裁判所については、国民の司法参加を禁じているとは解されない。したがって、裁判官と国民とで構成する裁判体が、それゆえ直ちに憲法上の「裁判所」に当たらないということはできない。問題は、裁判員制度の下で裁判官と国民とにより構成される裁判体が、刑事裁判に関する様々な憲法上の要請に適合した「裁判所」といい得るものであるか否かにある。…裁判員裁判対象事件を取り扱う裁判体は、身分保障の下、独立して職権を行使することが保障された裁判官と、公平性、中立性を確保できるよう配慮された手続の下に選任された裁判員とによって構成されるものとされている。また、裁判員の権限は、裁判官と共に公判廷で審理に臨み、評議において事実認定、法令の適用及び有罪の場合の刑の量定について意見を述べ、評決を行うことにある。これら裁判員の関与する判断は、いずれも司法作用の内容をなすものであるが、必ずしもあらかじめ法律的な知識、経験を有することが不可欠な事項であるとはいえない。さらに、裁判長は、裁判員がその職責を十分に果たすことができるように配慮しなければならないとされていることも考慮すると、上記のような権限を付与された裁判員が、様々な視点や感覚を反映させつつ、裁判官との協議を通じて良識ある結論に達することは、十分期待することができる。他方、憲法が定める刑事裁判の諸原則の保障は、裁判官の判断に委ねられている。このような裁判員制度の仕組みを考慮すれば、公平な「裁判所」における法と証拠に基づく適正な裁判が行われること(憲法31条、32条、37条1項)は制度的に十分保障されている上、裁判官は刑事裁判の基本的な担い手とされているものと認められ、憲法が定める刑事裁判の諸原則を確保する上での支障はないということができる。したがって、憲法31条、32条、37条1項、76条1項、80条1項違反をいう所論は理由がない。」
 ③「憲法76条3項によれば、裁判官は憲法及び法律に拘束される。そうすると、既に述べたとおり、憲法が一般的に国民の司法参加を許容しており、裁判員法が憲法に適合するようにこれを法制化したものである以上、裁判員法が規定する評決制度の下で、裁判官が時に自らの意見と異なる結論に従わざるを得ない場合があるとしても、それは憲法に適合する法律に拘束される結果であるから、同項違反との評価を受ける余地はない。元来、憲法76条3項は、裁判官の職権行使の独立性を保障することにより、他からの干渉や圧力を受けることなく、裁判が法に基づき公正中立に行われることを保障しようとするものであるが、裁判員制度の下においても、法令の解釈に係る判断や訴訟手続に関する判断を裁判官の権限にするなど、裁判官を裁判の基本的な担い手として、法に基づく公正中立な裁判の実現が図られており、こうした点からも、裁判員制度は、同項の趣旨に反するものではない。…したがって、憲法76条3項違反をいう所論は理由がない。」
 ④「裁判員制度による裁判体は、地方裁判所に属するものであり、その第1審判決に対しては、高等裁判所への控訴及び最高裁判所への上告が認められており、裁判官と裁判員によって構成された裁判体が特別裁判所に当たらないことは明らかである。」
 ⑤「裁判員としての職務に従事し、又は裁判員候補者として裁判所に出頭すること(以下、併せて「裁判員の職務等」という。)により、国民に一定の負担が生ずることは否定できない。しかし、裁判員法1条は、制度導入の趣旨について、国民の中から選任された裁判員が裁判官と共に刑事訴訟手続に関与することが司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資することを挙げており、これは、この制度が国民主権の理念に沿って司法の国民的基盤の強化を図るものであることを示していると解される。このように、裁判員の職務等は、司法権の行使に対する国民の参加という点で参政権と同様の権限を国民に付与するものであり、これを「苦役」ということは必ずしも適切ではない。また、裁判員法16条は、国民の負担を過重にしないという観点から、裁判員となることを辞退できる者を類型的に規定し、さらに同条8号及び同号に基づく政令においては、個々人の事情を踏まえて、裁判員の職務等を行うことにより自己又は第三者に身体上、精神上又は経済上の重大な不利益が生ずると認めるに足りる相当な理由がある場合には辞退を認めるなど、辞退に関し柔軟な制度を設けている。加えて、出頭した裁判員又は裁判員候補者に対する旅費、日当等の支給により負担を軽減するための経済的措置が講じられている(11条、29条2項)。これらの事情を考慮すれば、裁判員の職務等は、憲法18条後段が禁ずる「苦役」に当たらないことは明らかであり、また、裁判員又は裁判員候補者のその他の基本的人権を侵害するところも見当たらないというべきである。」
過去問・解説
(H26 司法 第11問 ア)
憲法が採用する統治の基本原理や刑事裁判の諸原則、憲法制定当時の歴史的状況を含めた憲法制定の経緯及び憲法の関連規定の文理を総合的に検討すれば、憲法は一般的に国民の司法参加を許容しているといえる。

(正答)  

(解説)
判例(最大判平23.11.16)は、「憲法上、刑事裁判に国民の司法参加が許容されているか否かという刑事司法の基本に関わる問題は、憲法が採用する統治の基本原理や刑事裁判の諸原則、憲法制定当時の歴史的状況を含めた憲法制定の経緯及び憲法の関連規定の文理を総合的に検討して判断されるべき事柄である。」とした上で、「憲法は、一般的には国民の司法参加を許容しており、これを採用する場合には、上記の諸原則が確保されている限り、陪審制とするか参審制とするかを含め、その内容を立法政策に委ねていると解されるのである。」としている。

(H26 司法 第11問 イ)
裁判員法が規定する評決制度の下で、裁判官が時に自らの意見と異なる結論に従わざるを得ない場合があるとしても、憲法が国民の司法参加を許容し、裁判員法が憲法に適合するようにこれを法制化したものである以上、憲法第76条第3項には反しない。

(正答)  

(解説)
判例(最大判平23.11.16)は、「憲法76条3項によれば、裁判官は憲法及び法律に拘束される。そうすると、既に述べたとおり、憲法が一般的に国民の司法参加を許容しており、裁判員法が憲法に適合するようにこれを法制化したものである以上、裁判員法が規定する評決制度の下で、裁判官が時に自らの意見と異なる結論に従わざるを得ない場合があるとしても、それは憲法に適合する法律に拘束される結果であるから、同項違反との評価を受ける余地はない。」としている。

(H26 司法 第11問 ウ)
裁判員制度は、参政権と同様の権限を国民に付与するものではないが、辞退制度や旅費・日当の支給等の経済的措置を講じていることを考慮すれば、裁判員の職務は憲法第18条の「苦役」に当たらない。

(正答)  

(解説)
判例(最大判平23.11.16)は、「裁判員の職務等は、司法権の行使に対する国民の参加という点で参政権と同様の権限を国民に付与するものであり、これを「苦役」ということは必ずしも適切ではない。」としている。

(R1 予備 第11問 ウ)
判例は、憲法が定める刑事裁判の諸原則が厳格に遵守されるためには高度の法的専門性が要求されることや、憲法が裁判官の職権行使の独立と身分保障のために周到な規定を設けていることなどから、憲法は、刑事裁判の基本的な担い手として裁判官を想定しているとの見解に立ちつつも、一般の国民を刑事裁判に参加させる裁判員制度を合憲であるとした。

(正答)  

(解説)
判例(最大判平23.11.16)は、「刑事裁判を行うに当たっては、これらの諸原則が厳格に遵守されなければならず、それには高度の法的専門性が要求される。憲法は、これらの諸原則を規定し、かつ、三権分立の原則の下に、「第6章 司法」において、裁判官の職権行使の独立と身分保障について周到な規定を設けている。こうした点を総合考慮すると、憲法は、刑事裁判の基本的な担い手として裁判官を想定していると考えられる。」とする一方で、「裁判員制度の仕組みを考慮すれば、公平な「裁判所」における法と証拠に基づく適正な裁判が行われること(憲法31条、32条、37条1項)は制度的に十分保障されている上、裁判官は刑事裁判の基本的な担い手とされているものと認められ、憲法が定める刑事裁判の諸原則を確保する上での支障はないということができる。したがって、憲法31条、32条、37条1項、76条1項、80条1項違反をいう所論は理由がない。」としている。

(R2 司法 第10問 ア)
大日本帝国憲法で「法律ニ定メタル裁判官ノ裁判」を受ける権利が保障されていたのに対し、日本国憲法第32条が保障するのは「裁判所において裁判を受ける権利」であることを踏まえれば、憲法上国民の司法参加がおよそ禁じられていると解すべき理由はない。

(正答)  

(解説)
判例(最大判平23.11.16)は、「旧憲法では、24条において「日本臣民ハ法律ニ定メタル裁判官ノ裁判ヲ受クルノ権ヲ奪ハルヽコトナシ」と規定されていたが、憲法では、32条において「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。」と規定され、憲法37条1項においては「すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。」と規定されており、「裁判官による裁判」から「裁判所における裁判」へと表現が改められた。」ことを理由の一つとして、「そうすると、国民の司法参加と適正な刑事裁判を実現するための諸原則とは、十分調和させることが可能であり、憲法上国民の司法参加がおよそ禁じられていると解すべき理由はな…い」としている。

(R3 司法 第11問 イ)
裁判員制度は国民主権の理念に沿って司法の国民的基盤の強化を図るものであり、裁判員の職務等が司法権の行使に対する国民の参加という点で参政権と同様の権限を国民に付与するものであることからすると、裁判員の職務等を憲法第18条後段が禁ずる「苦役」に当たるということは、必ずしも適切ではない。

(正答)  

(解説)
判例(最大判平23.11.16)は、「裁判員法1条は、…この制度が国民主権の理念に沿って司法の国民的基盤の強化を図るものであることを示していると解される。このように、裁判員の職務等は、司法権の行使に対する国民の参加という点で参政権と同様の権限を国民に付与するものであり、これを「苦役」ということは必ずしも適切ではない。」としている。
総合メモ