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憲法 伝習館高校事件 最一小判平成2年1月18日
概要
日常の教育のあり方を律する学校教育法の規定や学習指導要領の定めに違反する授業をしたこと等を理由とする県立高等学校教諭に対する懲戒免職処分は、裁量権の逸脱・濫用に当たらない。
判例
事案:日常の教育のあり方を律する学校教育法の規定や学習指導要領の定めに違反する授業をしたこと等を理由とする県立高等学校教諭に対する懲戒免職処分の有効性が争われ、これに関連して、学習指導要領の法的拘束力の有無が問題となった。
なお、学習指導要領とは、学校教育法20条による文部大臣に授権された「教育に関する事項」の行政立法権が同法施行規則25条に基づき文部省告示に再委任されたことにより、告示の形式で教育課程の基準について定められたものをいう。このように、学習指導要領は、法律の再委任を受けたものであるから、法規範として法的拘束力を認めることに問題はないともいえそうである。また、普通教育においては全国的に一定の教育水準を確保すべき要請があるから、学習指導要領によって国家が教育内容を決定することの必要性は認めざるを得ない。しかし他方で、国が教育内容についてあまりに具体的かつ詳細に決定できるとすると、本来人間の内面的な価値に関する文化的な営みとして行われるべき教育の内容に党派的な政治的観念や利害が深く入り込む危険が高まるため、一般的には、学習指導要領は、教育課程の構成要素・教科名・授業時間数等の教育の大網的な基準についてのみ法的拘束力を有し、この限界を超えて教育内容に介入する要領は指導助言文言と解される限りで適法であると解すべきである。
判旨:「地方公務員につき地公法所定の懲戒事由がある場合に、懲戒処分を行うかどうか、懲戒処分を行うときにいかなる処分を選ぶかは、平素から庁内の事情に通暁し、職員の指揮監督の衝に当たる懲戒権者の裁量に任されているものというべきである。すなわち、懲戒権者は、懲戒事由に該当すると認められる行為の原因、動機、性質、態様、結果、影響等のほか、当該公務員の右行為の前後における態度、懲戒処分等の処分歴、選択する処分が他の公務員及び社会に与える影響等、諸般の事情を総合的に考慮して、懲戒処分をすべきかどうか、また、懲戒処分をする場合にいかなる処分を選択すべきかを、その裁量的判断によって決定することができるものと解すべきである。したがって、裁判所が右の処分の適否を審査するに当たっては、懲戒権者と同一の立場に立って懲戒処分をすべきであったかどうか又はいかなる処分を選択すべきであったかについて判断し、その結果と懲戒処分とを比較してその軽重を論ずべきものではなく、懲戒権者の裁量権の行使に基づく処分が社会概念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を逸脱しこれを濫用したと認められる場合に限り、違法であると判断すべきものである…。
なお、学習指導要領とは、学校教育法20条による文部大臣に授権された「教育に関する事項」の行政立法権が同法施行規則25条に基づき文部省告示に再委任されたことにより、告示の形式で教育課程の基準について定められたものをいう。このように、学習指導要領は、法律の再委任を受けたものであるから、法規範として法的拘束力を認めることに問題はないともいえそうである。また、普通教育においては全国的に一定の教育水準を確保すべき要請があるから、学習指導要領によって国家が教育内容を決定することの必要性は認めざるを得ない。しかし他方で、国が教育内容についてあまりに具体的かつ詳細に決定できるとすると、本来人間の内面的な価値に関する文化的な営みとして行われるべき教育の内容に党派的な政治的観念や利害が深く入り込む危険が高まるため、一般的には、学習指導要領は、教育課程の構成要素・教科名・授業時間数等の教育の大網的な基準についてのみ法的拘束力を有し、この限界を超えて教育内容に介入する要領は指導助言文言と解される限りで適法であると解すべきである。
判旨:「地方公務員につき地公法所定の懲戒事由がある場合に、懲戒処分を行うかどうか、懲戒処分を行うときにいかなる処分を選ぶかは、平素から庁内の事情に通暁し、職員の指揮監督の衝に当たる懲戒権者の裁量に任されているものというべきである。すなわち、懲戒権者は、懲戒事由に該当すると認められる行為の原因、動機、性質、態様、結果、影響等のほか、当該公務員の右行為の前後における態度、懲戒処分等の処分歴、選択する処分が他の公務員及び社会に与える影響等、諸般の事情を総合的に考慮して、懲戒処分をすべきかどうか、また、懲戒処分をする場合にいかなる処分を選択すべきかを、その裁量的判断によって決定することができるものと解すべきである。したがって、裁判所が右の処分の適否を審査するに当たっては、懲戒権者と同一の立場に立って懲戒処分をすべきであったかどうか又はいかなる処分を選択すべきであったかについて判断し、その結果と懲戒処分とを比較してその軽重を論ずべきものではなく、懲戒権者の裁量権の行使に基づく処分が社会概念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を逸脱しこれを濫用したと認められる場合に限り、違法であると判断すべきものである…。
思うに、高等学校の教育は、高等普通教育及び専門教育を施すことを目的とするものではあるが、中学校の教育の基礎の上に立って、所定の修業年限の間にその目的を達成しなければならず(学校教育法41条、46条参照)、また、高等学校においても、教師が依然生徒に対し相当な影響力、支配力を有しており、生徒の側には、いまだ教師の教育内容を批判する十分な能力は備わっておらず、教師を選択する余地も大きくないのである。これらの点からして、国が、教育の一定水準を維持しつつ、高等学校教育の目的達成に資するために、高等学校教育の内容及び方法について遵守すべき基準を定立する必要があり、特に法規によってそのような基準が定立されている事柄については、教育の具体的内容及び方法につき高等学校の教師に認められるべき裁量にもおのずから制約が存するのである。
本件における前記事実関係によれば、懲戒事由に該当する被上告人らの前記各行為は、高等学校における教育活動の中で枢要な部分を占める日常の教科の授業、考査ないし生徒の成績評価に関して行われたものであるところ、教育の具体的内容及び方法につき高等学校の教師に認められるべき裁量を前提としてもなお、明らかにその範囲を逸脱して、日常の教育のあり方を律する学校教育法の規定や学習指導要領の定め等に明白に違反するものである。しかも、被上告人らの右各行為のうち、各教科書使用義務違反の点は、いずれも年間を通じて継続的に行われたものであって、特に被上告人山口の教科書不使用は、所定の教科書は内容が自分の考えと違うとの立場から使用しなかったものであること、被上告人半田の日本史の考査の出題及び授業、地理Bの考査の出題の点は、その内容自体からみて、当該各科目の目標及び内容からの逸脱が著しいとみられるものであること等をも考慮するときは、被上告人らの右各行為の法規違反の程度は決して軽いものではないというべきである。そして、懲戒事由に該当する被上告人らの各行為は、上告人が本件各懲戒免職処分の理由としたもののうちの主要なものである。
更に、当時の伝習館高校の内外における前記のような背景の下で、同校の校内秩序が極端に乱れた状態にあったことは明らかであり、そのような状況の下において被上告人らが行った前記のような特異な教育活動が、同校の混乱した状態を助長するおそれの強いものであり、また、生徒の父兄に強い不安と不満を抱かせ、ひいては地域社会に衝撃を与えるようなものであったことは否定できないところであって、この意味における被上告人らの責任を軽視することはできない。そのほか、本件各懲戒免職処分の前約1年半の間に、被上告人半田は2回にわたってストライキ参加により戒告及び減給一月の各懲戒処分を受け、また、被上告人山口はストライキ参加により減給1月の懲戒処分を受けていることも、被上告人らの法秩序軽視の態度を示す事情として考慮されなければならないのである。
以上によれば、上告人が、所管に属する福岡県下の県立高等学校等の教諭等職員の任免その他の人事に関する事務を管理執行する立場において、懲戒事由に該当する被上告人らの前記各行為の性質、態様、結果、影響等のほか、右各行為の前後における被上告人らの態度、懲戒処分歴等の諸事情を考慮のうえ決定した本件各懲戒免職処分を、社会観念上著しく妥当を欠くものとまではいい難く、その裁量権の範囲を逸脱したものと判断することはできない。」
本件における前記事実関係によれば、懲戒事由に該当する被上告人らの前記各行為は、高等学校における教育活動の中で枢要な部分を占める日常の教科の授業、考査ないし生徒の成績評価に関して行われたものであるところ、教育の具体的内容及び方法につき高等学校の教師に認められるべき裁量を前提としてもなお、明らかにその範囲を逸脱して、日常の教育のあり方を律する学校教育法の規定や学習指導要領の定め等に明白に違反するものである。しかも、被上告人らの右各行為のうち、各教科書使用義務違反の点は、いずれも年間を通じて継続的に行われたものであって、特に被上告人山口の教科書不使用は、所定の教科書は内容が自分の考えと違うとの立場から使用しなかったものであること、被上告人半田の日本史の考査の出題及び授業、地理Bの考査の出題の点は、その内容自体からみて、当該各科目の目標及び内容からの逸脱が著しいとみられるものであること等をも考慮するときは、被上告人らの右各行為の法規違反の程度は決して軽いものではないというべきである。そして、懲戒事由に該当する被上告人らの各行為は、上告人が本件各懲戒免職処分の理由としたもののうちの主要なものである。
更に、当時の伝習館高校の内外における前記のような背景の下で、同校の校内秩序が極端に乱れた状態にあったことは明らかであり、そのような状況の下において被上告人らが行った前記のような特異な教育活動が、同校の混乱した状態を助長するおそれの強いものであり、また、生徒の父兄に強い不安と不満を抱かせ、ひいては地域社会に衝撃を与えるようなものであったことは否定できないところであって、この意味における被上告人らの責任を軽視することはできない。そのほか、本件各懲戒免職処分の前約1年半の間に、被上告人半田は2回にわたってストライキ参加により戒告及び減給一月の各懲戒処分を受け、また、被上告人山口はストライキ参加により減給1月の懲戒処分を受けていることも、被上告人らの法秩序軽視の態度を示す事情として考慮されなければならないのである。
以上によれば、上告人が、所管に属する福岡県下の県立高等学校等の教諭等職員の任免その他の人事に関する事務を管理執行する立場において、懲戒事由に該当する被上告人らの前記各行為の性質、態様、結果、影響等のほか、右各行為の前後における被上告人らの態度、懲戒処分歴等の諸事情を考慮のうえ決定した本件各懲戒免職処分を、社会観念上著しく妥当を欠くものとまではいい難く、その裁量権の範囲を逸脱したものと判断することはできない。」
過去問・解説
(H20 司法 第8問 イ)
高等学校教育においても、国は、教育の内容及び方法について遵守すべき基準を定立する必要があるが、教科書を使用しなければならないとする学校教育法の規定は、高等学校については訓示規定と解される。なぜなら、高等学校においては、生徒の側に学校を選択する余地や教育内容を批判する能力が相当程度あり、教育の具体的な内容や方法については、教師の裁量も尊重する必要があるからである。
高等学校教育においても、国は、教育の内容及び方法について遵守すべき基準を定立する必要があるが、教科書を使用しなければならないとする学校教育法の規定は、高等学校については訓示規定と解される。なぜなら、高等学校においては、生徒の側に学校を選択する余地や教育内容を批判する能力が相当程度あり、教育の具体的な内容や方法については、教師の裁量も尊重する必要があるからである。
(正答) ✕
(解説)
伝習館高校事件判決(最判平2.1.18)は、「高等学校においても、教師が依然生徒に対し相当な影響力、支配力を有しており、生徒の側には、いまだ教師の教育内容を批判する十分な能力は備わっておらず、教師を選択する余地も大きくないのである。これらの点からして、国が、教育の一定水準を維持しつつ、高等学校教育の目的達成に資するために、高等学校教育の内容及び方法について遵守すべき基準を定立する必要があり、特に法規によってそのような基準が定立されている事柄については、教育の具体的内容及び方法につき高等学校の教師に認められるべき裁量にもおのずから制約が存するのである。」として、学習指導要領の法的拘束力を一定範囲で認めている。
伝習館高校事件判決(最判平2.1.18)は、「高等学校においても、教師が依然生徒に対し相当な影響力、支配力を有しており、生徒の側には、いまだ教師の教育内容を批判する十分な能力は備わっておらず、教師を選択する余地も大きくないのである。これらの点からして、国が、教育の一定水準を維持しつつ、高等学校教育の目的達成に資するために、高等学校教育の内容及び方法について遵守すべき基準を定立する必要があり、特に法規によってそのような基準が定立されている事柄については、教育の具体的内容及び方法につき高等学校の教師に認められるべき裁量にもおのずから制約が存するのである。」として、学習指導要領の法的拘束力を一定範囲で認めている。
(H25 共通 第10問 イ)
教育の具体的方法や内容に関して教師に認められるべき裁量には、おのずから制約がある。自分の考えと異なるとして教科書を使用しないで授業を行ったり、全員に一律の成績評価を行ったりすることは、教師の裁量の範囲内とはいえない。
教育の具体的方法や内容に関して教師に認められるべき裁量には、おのずから制約がある。自分の考えと異なるとして教科書を使用しないで授業を行ったり、全員に一律の成績評価を行ったりすることは、教師の裁量の範囲内とはいえない。
(正答) 〇
(解説)
伝習館高校事件判決(最判平2.1.18)は、「国が、教育の一定水準を維持しつつ、高等学校教育の目的達成に資するために、高等学校教育の内容及び方法について遵守すべき基準を定立する必要があり、特に法規によってそのような基準が定立されている事柄については、教育の具体的内容及び方法につき高等学校の教師に認められるべき裁量にもおのずから制約が存するのである。」としており、教育の具体的方法や内容について、教師に認められるべき裁量には制約あることを述べている。したがって、本肢前段は正しい。
また、本判決は、教科書と異なる資料を使用して授業を行ったり、期末考査を実施せず、レポートのみを課し、全員に対して一律に成績評価を行ったことに対しては、「教育の具体的内容及び方法につき高等学校の教師に認められるべき裁量を前提としてもなお、明らかにその範囲を逸脱して、日常の教育のあり方を律する学校教育法の規定や学習指導要領の定め等に明白に違反するものである」としている。したがって、本肢後段も正しい。
伝習館高校事件判決(最判平2.1.18)は、「国が、教育の一定水準を維持しつつ、高等学校教育の目的達成に資するために、高等学校教育の内容及び方法について遵守すべき基準を定立する必要があり、特に法規によってそのような基準が定立されている事柄については、教育の具体的内容及び方法につき高等学校の教師に認められるべき裁量にもおのずから制約が存するのである。」としており、教育の具体的方法や内容について、教師に認められるべき裁量には制約あることを述べている。したがって、本肢前段は正しい。
また、本判決は、教科書と異なる資料を使用して授業を行ったり、期末考査を実施せず、レポートのみを課し、全員に対して一律に成績評価を行ったことに対しては、「教育の具体的内容及び方法につき高等学校の教師に認められるべき裁量を前提としてもなお、明らかにその範囲を逸脱して、日常の教育のあり方を律する学校教育法の規定や学習指導要領の定め等に明白に違反するものである」としている。したがって、本肢後段も正しい。
(H27 司法 第8問 ウ)
国が一定の教育水準確保のために定立する学習指導要領は、生徒側の教育内容に対する批判能力の程度及び学校選択の余地等に鑑みれば、高等学校では法的拘束力を持たない。
国が一定の教育水準確保のために定立する学習指導要領は、生徒側の教育内容に対する批判能力の程度及び学校選択の余地等に鑑みれば、高等学校では法的拘束力を持たない。
(正答) ✕
(解説)
伝習館高校事件判決(最判平2.1.18)は、「高等学校においても、教師が依然生徒に対し相当な影響力、支配力を有しており、生徒の側には、いまだ教師の教育内容を批判する十分な能力は備わっておらず、教師を選択する余地も大きくないのである。これらの点からして、国が、教育の一定水準を維持しつつ、高等学校教育の目的達成に資するために、高等学校教育の内容及び方法について遵守すべき基準を定立する必要があり、特に法規によってそのような基準が定立されている事柄については、教育の具体的内容及び方法につき高等学校の教師に認められるべき裁量にもおのずから制約が存するのである。」として、学習指導要領の法的拘束力を一定範囲で認めている。
伝習館高校事件判決(最判平2.1.18)は、「高等学校においても、教師が依然生徒に対し相当な影響力、支配力を有しており、生徒の側には、いまだ教師の教育内容を批判する十分な能力は備わっておらず、教師を選択する余地も大きくないのである。これらの点からして、国が、教育の一定水準を維持しつつ、高等学校教育の目的達成に資するために、高等学校教育の内容及び方法について遵守すべき基準を定立する必要があり、特に法規によってそのような基準が定立されている事柄については、教育の具体的内容及び方法につき高等学校の教師に認められるべき裁量にもおのずから制約が存するのである。」として、学習指導要領の法的拘束力を一定範囲で認めている。