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憲法 「宴のあと」事件 東京地判昭和39年9月28日

概要
①モデル小説はフィクションであっても、その内容から特定の人物を描写したものと受け取られる場合プライバシーの問題を生じうる。
②私生活をみだりに公開されないという意味でのプライバシーは、不法な侵害に対しては法的救済が与えられるまでに高められた人格的な利益であり、人格権に包摂されるものではあるけれども、なおこれを一つの権利と呼ぶことを妨げるものではない。
③私生活をみだりに公開されないというプライバシーの侵害に対し法的な救済が与えられるためには、公開された内容が(イ)私生活上の事実または私生活上の事実らしく受け取られるおそれのあることがらであること、(ロ)一般人の感受性を基準にして当該私人の立場に立った場合公開を欲しないであろうと認められることがらであること、換言すれば一般人の感覚を基準として公開されることによって心理的な負担、不安を覚えるであろうと認められることがらであること、(ハ)一般の人々に未だ知られていないことがらであることを必要とし、このような公開によって当該私人が実際に不快、不安の念を覚えたことを必要とする。
判例
事案:モデル小説の主人公のモデルとされているXは、小説の作者及び出版社を被告として、プライバシー侵害を理由に謝罪広告・損害賠償を求めて出訴した。

判旨:①「モデル小説というものは…モデルの知名度言葉を換えればモデルに対する社会の関心が高ければ高いだけ、モデル的興味(実話的もしくは裏話的興味)が読者の関心を唆る傾向にあることは否定できないところであり、このようなモデル小説は、味わうために読まれるばかりでなく知るために読まれる傾向が作者の意図とは別に否応なく生じるものである。…このようにモデル小説におけるプライバシーは小説の主人公の私生活の描写がモデルの私生活を敷き写しにした場合に問題となるものはもちろんであるが、そればかりでなく、たとえ小説の叙述が作家のフイクシヨンであったとしてもそれが事実すなわちモデルの私生活を写したものではないかと多くの読者をして想像をめぐらさせるところに純粋な小説としての興味以外のモデル的興味というものが発生し、モデル小説のプライバシーという問題を生むものであるといえよう。」
 ②「被告等は私生活をみだりに公開されないという意味でのプライバシーの尊重が必要なことは認めるけれども、それが実定法的にも一つの法益として是認され、したがって法的保護の対象となる権利であるかどうかは疑問であると主張する。しかし近代法の根本理念の一つであり、また日本国憲法のよって立つところでもある個人の尊厳という思想は、相互の人格が尊重され、不当な干渉から自我が保護されることによってはじめて確実なものとなるのであって、そのためには、正当な理由がなく他人の私事を公開することが許されてはならないことは言うまでもないところである。このことの片鱗はすでに成文法上にも明示されているところであって、たとえば他人の住居を正当な理由がないのにひそかにのぞき見る行為は犯罪とせられており(軽犯罪法1条1項23号)その目的とするところが私生活の場所的根拠である住居の保護を通じてプライバシーの保障を図るにあるとは明らかであり、また民法235条1項が相隣地の観望について一定の規制を設けたところも帰するところ他人の私生活をみだりにのぞき見ることを禁ずる趣旨にあることは言うまでもないし、このほか刑法133条の信書開披罪なども同じくプライバシーの保護に資する規定であると解せられるのである。ここに挙げたような成文法規の存在と前述したように私事をみだりに公開されないという保障が、今日のマスコミユニケーシヨンの発達した社会では個人の尊厳を保ち幸福の追求を保障するうえにおいて必要不可欠なものであるとみられるに至つていることとを合わせ考えるならば、その尊重はもはや単に倫理的に要請されるにとどまらず、不法な侵害に対しては法的救済が与えられるまでに高められた人格的な利益であると考えるのが正当であり、それはいわゆる人格権に包摂されるものではあるけれども、なおこれを一つの権利と呼ぶことを妨げるものではないと解するのが相当である。」
 ③「プライバシー権は私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利として理解されるから、その侵害に対しては侵害行為の差し止めや精神的苦痛に因る損害賠償請求権が認められるべきものであり、民法709条はこのような侵害行為もなお不法行為として評価されるべきことを規定しているものと解釈するのが正当である。…ここにいうような私生活の公開とは、公開されたところが必ずしもすべて真実でなければならないものではなく、一般の人が公開された内容をもって当該私人の私生活であると誤認しても不合理でない程度に真実らしく受け取られるものであれば、それはなおプライバシーの侵害としてとらえることができるものと解すべきである。けだし、このような公開によっても当該私人の私生活とくに精神的平穏が害われることは、公開された内容が真実である場合とさしたる差異はないからである。…そうであれば、右に論じたような趣旨でのプライバシーの侵害に対し法的な救済が与えられるためには、公開された内容が(イ)私生活上の事実または私生活上の事実らしく受け取られるおそれのあることがらであること、(ロ)一般人の感受性を基準にして当該私人の立場に立った場合公開を欲しないであろうと認められることがらであること、換言すれば一般人の感覚を基準として公開されることによって心理的な負担、不安を覚えるであろうと認められることがらであること、(ハ)一般の人々に未だ知られていないことがらであることを必要とし、このような公開によって当該私人が実際に不快、不安の念を覚えたことを必要とするが、公開されたところが当該私人の名誉、信用というような他の法益を侵害するものであることを要しないのは言うまでもない。」
過去問・解説
(H23 共通 第3問 ア)
「宴のあと」事件判決(東京地判昭和39年9月28日)は、いわゆるプライバシー権は私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利であるとし、公開を欲するか否かについては、本人の感受性を基準にして判断するとした。

(正答)  

(解説)
「宴のあと」事件判決(東京地判昭39.9.28)は、「プライバシー権は私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利として理解される」としているから、本肢前段は正しい。
しかし、本判決は、プライバシーの侵害に対し法的な救済が与えられるための要件の一つとして、「(ロ)一般人の感受性を基準にして当該私人の立場に立った場合公開を欲しないであろうと認められることがらであること、換言すれば一般人の感覚を基準として公開されることによって心理的な負担、不安を覚えるであろうと認められることがらであること」としており、公開を欲するか否かについては、本人の感受性ではなく「一般人の感受性」を基準にしている。したがって、本肢後段は、「公開を欲するか否かについては、本人の感受性を基準にして判断するとした。」としている点において、誤っている。
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