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表現の自由 - 解答モード
船橋市市立西図書館事件 最一小判平成17年7月14日
概要
判例
他方、公立図書館が、上記のとおり、住民に図書館資料を提供するための公的な場であるということは、そこで閲覧に供された図書の著作者にとって、その思想、意見等を公衆に伝達する公的な場でもあるということができる。したがって、公立図書館の図書館職員が閲覧に供されている図書を著作者の思想や信条を理由とするなど不公正な取扱いによって廃棄することは、当該著作者が著作物によってその思想、意見等を公衆に伝達する利益を不当に損なうものといわなければならない。そして、著作者の思想の自由、表現の自由が憲法により保障された基本的人権であることにもかんがみると、公立図書館において、その著作物が閲覧に供されている著作者が有する上記利益は、法的保護に値する人格的利益であると解するのが相当であり、公立図書館の図書館職員である公務員が、図書の廃棄について、基本的な職務上の義務に反し、著作者又は著作物に対する独断的な評価や個人的な好みによって不公正な取扱いをしたときは、当該図書の著作者の上記人格的利益を侵害するものとして国家賠償法上違法となるというべきである。
…前記事実関係によれば、本件廃棄は、公立図書館であるY2館の司書Y3が、…その著書に対する否定的評価と反感から行ったものというのであるから、Xらは、本件廃棄により、上記人格的利益を違法に侵害されたものというべきである。」
過去問・解説
(H26 司法 第7問 ア)
表現の自由は、公立図書館に自己の著作物の収蔵を求めることまで保障するものではないから、公立図書館で閲覧に供された図書を職員が著作者の思想や信条を理由として廃棄することは、その思想、意見等を公衆に伝達する利益を不当に損なうものとはいえない。
(R4 共通 第5問 イ)
公立図書館は、住民に対して思想、意見その他の種々の情報を含む図書館資料を提供してその教養を高めること等を目的とする公的な場であり、図書の著作者にとっては、その思想、意見等を公衆に伝達する公的な場でもあるから、図書の著作者は、公立図書館に対して表現の自由に基づいて自らの著作物を購入し、閲覧に供するよう求めることができる。
(正答) ✕
(解説)
船橋市市立西図書館事件判決(最判平17.7.14)は、「公立図書館において、その著作物が閲覧に供されている著作者が有する」「著作物によってその思想、意見等を公衆に伝達する利益」は「法的保護に値する人格的利益であると解するのが相当であ…る」とした上で、「公立図書館の図書館職員である公務員が、図書の廃棄について、基本的な職務上の義務に反し、著作者又は著作物に対する独断的な評価や個人的な好みによって不公正な取扱いをしたときは、当該図書の著作者の上記人格的利益を侵害するものとして国家賠償法上違法となるというべきである。」としている。
しかし、本判決は、図書の著作者が公立図書館に対して表現の自由に基づいて自らの著作物を購入し、閲覧に供するよう求めるような作為的請求の可否については、判断を示していない。
札幌税関検査事件 最大判昭和59年12月12日
概要
②表現の自由は、絶対無制限なものではなく、公共の福祉による制限の下にあるところ、「公安又は風俗を害すべき書籍」等の輸入を禁止している関税定率法21条1項3号による制限は、やむを得ないものとして是認せざるを得ない。
③表現の自由を規制する法律の規定について限定解釈をすることが許されるのは、その解釈により、規制の対象となるものとそうでないものとが明確に区別され、かつ、合憲的に規制しうるもののみが規制の対象となることが明らかにされる場合でなければならず、また、一般.国民の理解において、具体的場合に当該表現物が規制の対象となるかどうかの判断を可能ならしめるような基準をその規定から読みとることができるものでなければならない。関税定率法21条1項3号の「風俗を害すべき書籍、図画」等とは、猥褻な書籍、図画等を指すものと解すべきであり、右規定は広汎又は不明確の故に憲法21条1項に違反するものではない。
判例
判旨:①「憲法21条2項前段は、「検閲は、これをしてはならない。」と規定する。憲法が、表現の自由につき、広くこれを保障する旨の一般的規定を同条1項に置きながら、別に検閲の禁止についてかような特別の規定を設けたのは、検閲がその性質上表現の自由に対する最も厳しい制約となるものであることにかんがみ、これについては、公共の福祉を理由とする例外の許容(憲法12条、13条参照)をも認めない趣旨を明らかにしたものと解すべきである。けだし、諸外国においても、表現を事前に規制する検閲の制度により思想表現の自由が著しく制限されたという歴史的経験があり、また、わが国においても、旧憲法下における出版法(明治26年法律第15号)、新聞紙法(明治42年法律第41号)により、文書、図画ないし新聞、雑誌等を出版直前ないし発行時に提出させた上、その発売、頒布を禁止する権限が内務大臣に与えられ、その運用を通じて実質的な検閲が行われたほか、映画法(昭和14年法律第66号)により映画フイルムにつき内務大臣による典型的な検閲が行われる等、思想の自由な発表、交流が妨げられるに至つた経験を有するのであつて、憲法21条2項前段の規定は、これらの経験に基づいて、検閲の絶対的禁止を宣言した趣旨と解されるのである。そして、前記のような沿革に基づき、右の解釈を前提として考究すると、憲法21条2項にいう「検閲」とは、行政権が主体となつて、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指すと解すべきである。
②「表現の自由は、憲法の保障する基本的人権の中でも特に重要視されるべきものであるが、さりとて絶対無制限なものではなく、公共の福祉による制限の下にあることは、いうまでもない。また、性的秩序を守り、最小限度の性道徳を維持することは公共の福祉の内容をなすものであつて、猥褻文書の頒布等は公共の福祉 に反するものであり、これを処罰の対象とすることが表現の自由に関する憲法21条1項の規定に違反するものでないことも、明らかである…。そして、わが国内における健全な性的風俗を維持確保する見地からするときは、猥褻表現物がみだりに国外から流入することを阻止することは、公共の福祉に合致するものであり…表現の自由に関する 憲法の保障も、その限りにおいて制約を受けるものというほかなく、前述のような 税関検査による猥褻表現物の輸入規制は、憲法21条1項の規定に反するものではないというべきである。わが国内において猥褻文書等に関する行為が処罰の対象となるのは、その頒布、 販売及び販売の目的をもつてする所持等であつて(刑法175条)、単なる所持自体は処罰の対象とされていないから、最小限度の制約としては、単なる所持を目的とする輸入は、これを規制の対象から除外すべき筋合いであるけれども、いかなる目的で輸入されるかはたやすく識別され難いばかりでなく、流入した猥褻表現物を頒布、販売の過程に置くことが容易であることは見易い道理であるから、猥褻表現物の流入、伝播によりわが国内における健全な性的風俗が害されることを実効的に防止するには、単なる所持目的かどうかを区別することなく、その流入を一般的に、いわば水際で阻止することもやむを得ないものといわなければならない。また、このようにして猥褻表現物である書籍、図画等の輸入が一切禁止されることとなる結果、わが国内における発表の機会が奪われるとともに、国民のこれに接する機会も失われ、知る自由が制限されることとなるのは否定し難いところであるが、かかる書籍、図画等については、前述のとおり、もともとその頒布、販売は国内において禁止されており、これについての発表の自由も知る自由も、他の一般の表現物の場合に比し、著しく制限されているのであつて、このことを考慮すれば、 右のような制限もやむを得ないものとして是認せざるを得ない。」
③「同法21条1項3号は、輸入を禁止すべき物品として、「風俗を害すべき書籍、図画」等と規定する。この規定のうち、「風俗」という用語そのものの意味内容は、性的風俗、社会的風俗、宗教的風俗等多義にわたり、その文言自体から直ちに一義的に明らかであるといえないことは所論のとおりであるが、およそ法的規制の対象として「風俗を害すべき書籍、図画」等というときは、性的風俗を害すべきもの、すなわち猥褻な書籍、図画等を意味するものと解することができるのであつて、この間の消息は、旧刑法…が「風俗ヲ害スル罪」の章の中に書籍、図画等の表現物に関する罪として猥褻物公然陳列と同販売の罪のみを規定し、また、現行刑法上、表現物で風俗を害すべきものとして規制の対象とされるのは175条の猥褻文書、図画等のみであることによつても窺うことができるのである。したがつて、関税定率法21条1項3号にいう「風俗を害すべき書籍、図画」等との規定を合理的に解釈すれば、右にいう「風俗」とは専ら性的風俗を意味し、右規定により輸入禁止の対象とされるのは猥褻な書籍、図画等に限られるものということができ、このような限定的な解釈が可能である以上、右規定は、何ら明確性に欠けるものではなく、憲法21条1項の規定に反しない合憲的なものというべきである。以下、これを詳述する。
過去問・解説
(H19 司法 第7問 小問2第3肢改題)
「風俗を害すべき書籍、図画、彫刻物その他の物品」を輸入禁制品として掲げる関税定率法の規定が憲法21条に違反しないとした判決(最大判昭和59年12月12日)は、「このように限定して解する限り、当該規制は、他の基本的人権に対する侵害を回避し、防止するために必要かつ合理的なものとして、憲法第21条に違反するものではない。」とする泉佐野市市民会館事件(最判平成7年3月7日)と、同じ法律解釈の方法をとった最高裁判所の判決である。
(正答) 〇
(解説)
札幌税関検査事件判決(最大判昭59.12.12)は、「関税定率法21条1項3号にいう「風俗を害すべき書籍、図画」等との規定を合理的に解釈すれば、右にいう「風俗」とは専ら性的風俗を意味し、右規定により輸入禁止の対象とされるのは猥褻な書籍、図画等に限られるものということができ、このような限定的な解釈が可能である以上、右規定は、何ら明確性に欠けるものではなく、憲法21条1項の規定に反しない合憲的なものというべきである。」として、合憲限定解釈により、漠然性ゆえ無効の主張を退けた。
また、泉佐野市民会館事件判決(最判平7.3.7)も、「本件条例7条1号は、「公の秩序をみだすおそれがある場合」を本件会館の使用を許可してはならない事由として規定しているが、同号は、広義の表現を採っているとはいえ、右のような趣旨からして、本件会館における集会の自由を保障することの重要性よりも、本件会館で集会が開かれることによって、人の生命、身体又は財産が侵害され、公共の安全が損なわれる危険を回避し、防止することの必要性が優越する場合をいうものと限定して解すべきであり、その危険性の程度としては、前記各大法廷判決の趣旨によれば、単に危険な事態を生ずる蓋然性があるというだけでは足りず、明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要であると解するのが相当である…。そう解する限り、このような規制は、他の基本的人権に対する侵害を回避し、防止するために必要かつ合理的なものとして、憲法21条に違反するものではな…いというべきである。」としており、合憲限定解釈による本件条例の憲法21条1項違反を回避している。
(H25 司法 第6問 ウ)
憲法の禁ずる検閲とは、公権力が主体となって、表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上で不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものをいう。
(R1 司法 第5問 ウ)
関税法第69条の11第1項第7号(旧関税定率法第21条第1項第3号)は、輸入を禁止する物品として「風俗を害すべき書籍、図画」等と規定しているが、我が国内における健全な性的風俗を維持確保すべきことは公共の福祉に合致するものである上、「風俗」という用語が「性的風俗」を意味することはその文言自体から明らかであるので、明確性の原則にも反せず、このような制限はやむを得ない。
(正答) ✕
(解説)
札幌税関検査事件判決(最大判昭59.12.12)は、「同法21条1項3号は、輸入を禁止すべき物品として、「風俗を害すべき書籍、図画」等と規定する。この規定のうち、「風俗」という用語そのものの意味内容は、性的風俗、社会的風俗、宗教的風俗等多義にわたり、その文言自体から直ちに一義的に明らかであるといえないことは所論のとおりである」とする一方で、「関税定率法21条1項3号にいう「風俗を害すべき書籍、図画」等との規定を合理的に解釈すれば、右にいう「風俗」とは専ら性的風俗を意味し、右規定により輸入禁止の対象とされるのは猥褻な書籍、図画等に限られるものということができ、このような限定的な解釈が可能である以上、右規定は、何ら明確性に欠けるものではなく、憲法21条1項の規定に反しない合憲的なものというべきである。としている。
したがって、本肢のうち「「風俗」という用語が「性的風俗」を意味することはその文言自体から明らかである」という部分は、誤っている。
「北方ジャーナル」事件 最大判昭和61年6月11日
概要
②人格権としての名誉権は、物権と同様の排他性を有する権利であるから、実体法上の差止請求権の根拠になる。
③言論・出版等の表現行為により名誉侵害を来す場合には、人格権としての個人の名誉の保護(憲法13条)と表現の自由の保障(同21条)とが衝突し、その調整を要することとなるので、いかなる場合に侵害行為としてその規制が許されるかについて憲法上慎重な考慮が必要である。
④出版物の頒布等の事前差止めは、右出版物が公務員又は公職選挙の候補者に対する評価、批判等に関するものである場合には、原則として許されず、その表現内容が真実でないか又は専ら公益を図る目的のものでないことが明白であつて、かつ、被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被る虞があるときに限り、例外的に許される。また、事前差止めを仮処分によつて命ずる場合には、原則として口頭弁論又は債務者の審尋を経ることを要するが、債権者の提出した資料によつて、表現内容が真実でないか又は専ら公益を図る目的のものでないことが明白であり、かつ、債権者が重大にして著しく回復困難な損害を被る虞があると認められるときは、口頭弁論又は債務者の審尋を経なくても憲法21条の趣旨に反するものとはいえない。
判例
補足意見:「私は、多数意見に示された結論とその理由についてともに異論がなく、これに同調するものであるが、本件は、表現行為に対して裁判所の行う事前の規制にかかわる憲法上の重要な論点を提起するものであるから、それが憲法によつて禁止されるものであるかどうか、また憲法上許容されうるとしてもその許否を判断する基準をどこに求めるか、というこの問題の実体的側面を中心として、私の考えるところを述べて、多数意見を補足することとしたい。
一 多数意見の説示するとおり、当裁判所は、憲法21条2項前段に定める検閲とは、行政権が主体となつて、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物について網羅的一般的に、発表前にその内容を審査したうえ、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指すと解し、「検閲」を右のように古くから典型的な検閲と考えられてきたものに限定するとともに、それは憲法上絶対的に禁止されるものと判示している(昭和57年(行ツ)第156号同59年12月12日大法廷判決・民集38巻12号1308頁)。この見解は、憲法の定める検閲の意味を狭く限定するものであるが、憲法によるその禁止に例外を認めることなく、およそ「検閲」に該当するとされるかぎり憲法上許容される余地がないという厳格な解釈と表裏をなすものであつて、妥当な見解であるといつてよいと思われる。
しかし、右の判示は、表現行為に対する公権力による事前の規制と考えられるもののすべてが「検閲」に当たるという理由によつて憲法上許されないと解することはできない、とするものであつて、一般に表現行為に対する事前の規制が表現の自由を侵害するおそれのきわめて大であることにかんがみると、憲法の規定する「検閲」の絶対的禁止には、憲法上事前の規制一般について消極的な評価がされているという趣旨が含まれていることはいうまでもないところであろう。そして、このような趣旨は、表現の自由を保障する憲法二一条一項の解釈のうちに、当然に生かされなければならないものと考える。もとより、これは同項による憲法上の規律の問題であつて、同条二項前段のような絶対的禁止のそれではないから、事前の抑制であるという一事をもつて直ちに違憲の烙印を押されるものではないが、それが許容されるかどうかについての判断基準の設定においては、厳格な要件が求められることとなるのである。
そもそも表現の自由の制約の合憲性を考えるにあたつては、他の人権とくに経済的な自由権の制約の場合と異なつて、厳格な基準が適用されるのであるが(最高裁昭和45年(あ)第23号同47年11月22日大法廷判決・刑集26巻9号576頁、昭和43年(行ツ)第120号同50年4月30日大法廷判決・民集29巻4号572頁参照)、同じく表現の自由を制約するものの中にあつても、とりわけ事前の規制に関する場合には、それが合憲とされるためにみたすべき基準は、事後の制裁の場合に比していつそう厳しいものとならざるをえないと解される。当裁判所は、すでに、法律の規制により表現の自由が不当に制限されるという結果を招くことがないよう配慮する必要があるとしつつ、「事前規制的なものについては特に然りというべきである」と判示している(前記昭和59年12月12日大法廷判決)。これは、表現の自由を規制する法律の規定の明確性に関連して論じたものではあるが、表現の自由の規制一般について妥当する考え方であると思われる。もとより、事前の規制といつても多様なものがあるから、これを画一的に判断する基準を設定することは困難であるし、画一的な基準はむしろ適切とはいえない。私は、この場合には、当該事前の規制の性質や機能と右に示された「検閲」のもつ性質や機能との異同の程度を図つてみることが有益であろうと考えている。
二 本件で問題とされているのは、表現行為に対する裁判所の仮処分手続による差止めである。これは、行政機関ではなく、司法裁判所によつてされるものであつて、前示のような「検閲」に当たらないことは明らかである。したがつて、それが当然に、憲法によつて禁止されるものに当たるということはできない。しかし、単に規制を行う機関が裁判所であるという一事によつて、直ちにその差止めが「検閲」から程遠いものとするのは速断にすぎるのであつて、問題の検討にあたつては、その実質を考慮する必要がある。「検閲」の大きな特徴は、一般的包括的に一定の表現を事前の規制の枠のうちにとりこみ、手続上も概して密行的に処理され、原則として処分の理由も示されず、この処分を法的に争う手段が存在しないか又はきわめて乏しいところに求められる。裁判所の仮処分は、多数意見も説示するとおり、網羅的一般的な審査を行うものではなく、当事者の申請に基づいて司法的な手続によつて審理判断がされるもので、理由を付して発せられ、さらにそれが発せられたときにも、法的な手続で争う手段が認められているのであつて、単に担当の機関を異にするというだけではなく、その実質もまた「検閲」と異なるものというべきである。
しかしながら、他面において、裁判所の仮処分による差止めが「検閲」に類似する側面を帯有していることも、否定することはできない。第一に、それは、表現行為が受け手に到達するに先立つて公権力をもつて抑止するものであつて、表現内容の同一のものの再発行のような場合を除いて、差止めをうけた表現は、思想の自由市場、すなわち、いかなる表現も制限なしにもち出され、表現には表現をもつて対抗することが予定されている場にあらわれる機会を奪われる点において、「検閲」と共通の性質をもつている。第二に、裁判所の審査は、表現の外面上の点のみならず、その思想内容そのものにも及ぶのであつて、この点では、当裁判所が、表現物を「容易に判定し得る限りにおいて審査しようとするものにすぎ」ないと判断した税関による輸入品の検査に比しても、「検閲」に近い要素をもつている。第三に、仮の地位を定める仮処分の手続は、司法手続とはいつても非訟的な要素を帯びる手続で、ある意味で行政手続に近似した性格をもつており、またその手続も簡易で、とくに不利益を受ける債務者の意見が聞かれる機会のないこともある点も注意しなければならない。
三 このように考えてくると、裁判所の仮処分による表現行為の事前の差止めは、憲法の絶対的に禁止する「検閲」に当たるものとはいえないが、それと類似するいくつかの面をそなえる事前の規制であるということができ、このような仮処分によつて仮の満足が図られることになる差止請求権の要件についても、憲法の趣旨をうけて相当に厳しい基準によつて判断されなければならないのである。多数意見は、このような考え方に基づくものということができる。私として、以下にこの基準について検討することとしたい。
1 まず考えられるのは、利益較量によつて判断する方法である。およそ人権の制約の合憲性を判断する場合に、その人権とそれに対立する利益との調整が問題となり、そこに利益較量の行われるべきことはいうまでもないところであろう(憲法制定者が制定時においてすでに利益較量を行つたうえでその結論を成文化したと考えられる場合、例えば「検閲」の禁止はそれに当たるが、かかる場合には、ある規制が「検閲」に当たるかどうかは問題となりうるとしても、それに当たるとされる以上絶対的に禁止され、もはや解釈適用の過程で利益較量を行うことは排除されることとなる。しかし、これはきわめて例外的な事例である。)。本件のように、人格権としての名誉権と表現の自由権とが対立する場合、いかに精神的自由の優位を説く立場にあつても、利益較量による調整を図らなければならないことになる。その意味で、判断の過程において利益が較量されるべきこと自体は誤りではない。しかし、利益較量を具体的事件ごとにそこでの諸事情を総合勘案して行うこととすると、それはむしろ基準を欠く判断となり、いずれの利益を優先させる結論に到達するにしても、判断者の恣意に流れるおそれがあり、表現の自由にあつては、それに対する萎縮的効果が大きい。したがつて、合理性の基準をもつて判断してよいときは別として、精神的自由権にかかわる場合には、単に事件ごとに利益較量によつて判断することで足りるとすることなく、この較量の際の指標となるべき基準を求めなければならないと思われる。
表現行為には多種多様のものがあるが、これを類型に分類してそれぞれの類型別に利益較量を行う考え方は、右に述べた事件ごとに個別的に較量を行うのに比して、較量に一定のルールを与え、規制の許される場合を明確化するものであつて、有用な見解であると思われる。本件のような名誉毀損の事案において、その被害者とされる対象の社会的地位を考慮し、例えば公的な人物に対する批判という類型に属するとき、その表現のもつ公益性を重視して判断するのはその一例であるが、この方法によれば、表現の自由と名誉権との調和について相当程度に客観的とみられる判断を確保できることになろう。大橋裁判官の補足意見はこの考え方を支持するものであつて、示唆に富む見解である。そして、このような類型を重視する利益較量を行うならば、本件においては、多数意見と同じ結論になるといえるし、多数意見も、基本的にはこの考え方に共通する立場に立つものといつてもよい。ただ、私見によれば、本件のような事案は別として、一般的に類型別の利益較量によつて判断すべきものとすれば、表現の類型をどのように分類するか、それぞれの類型についてどのような判断基準を採用するか、の点において複雑な問題を生ずるおそれがあり、また、もし類型別の基準が硬直化することになると、妥当な判断を保障しえないうらみがある。そして、何よりも、類型別の利益較量は、表現行為に対する事後の制裁の合憲性を判断する際に適切であるとしても、事前の規制の場合には、まさに、事後ではなく「事前の」規制であることそれ自体を重視すべきものと思われる。ここで表現の類型を考えることも有用ではあるが、かえつて事前の規制である点の考慮を稀薄にするのではあるまいか。
2 つぎに、谷口裁判官の意見に示された「現実の悪意」の基準が考えられる。これは、表現の自由のもつ重要な価値に着目して、その保障を強くする理論であつて、この見解に対して深い敬意を表するものである。そして、同裁判官が本件における多数意見の結論に賛成されることでも明らかなように、この見解をとつても本件において結論は変ることはなく、あえていえば、異なる視角から同じ結論に到達するものといえなくもない。ただ私としては、たとえ公的人物を対象とする名誉毀損の場合に限るとしても、これを事前の規制に対する判断基準として用いることに若干の疑問をもつている。客観的な事実関係から現実の悪意を推認することも可能ではあるが、それが表現行為者の主観に立ち入るものであるだけに、仮処分のような迅速な処理を要する手続において用いる基準として適当でないことも少なくなく、とくに表現行為者の意見を聞くことなしにこの基準を用いることは、妥当性を欠くものと思われる。私は、この基準を、公的な人物に対する名誉毀損に関する事後の制裁を考える場合の判断の指標として、その検討を将来に保留しておきたいと思う。
3 多数意見の採用する基準は、表現の自由と名誉権との調整を図つている実定法規である刑法230条ノ2の規定の趣旨を参酌しながら、表現行為が公職選挙の候補者又は公務員に対する評価批判等に関するものである場合に、それに事前に規制を加えることは裁判所といえども原則として許されないとしつつ、例外的に、表現内容が真実でなく又はそれが専ら公益に関するものでないことが明白であつて、かつ、被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれのある場合に限つて、事前の差止めを許すとするものである。このように、表現内容が明白に真実性を欠き公益目的のために作成されたものでないと判断され、しかも名誉権について事後的には回復し難い重大な損害を生ずるおそれのある場合に、裁判所が事前に差し止めることを許しても、事前の規制に伴う弊害があるということはできず、むしろ、そのような表現行為は価値において名誉権に劣るとみられてもやむをえないというべきであり、このような表現行為が裁判によつて自由市場にあらわれえないものとされることがあつても、憲法に違背するとは考えられない。そして、顕著な明白性を要求する限り、この基準は、谷口裁判官の説かれるように、不確定の要件をもつて表現行為を抑えるもので表現の自由の保障に対する歯止めとなりえない、ということはできないように思われる。
四 以上のような厳格な基準を適用することにすれば、実際上、立証方法が疎明に限定される仮処分によつて表現行為の事前の差止めが許される場合は、著しく制限されることになろう。公的な人物、とりわけ公職選挙の候補者、公務員とくに公職選挙で選ばれる公務員や政治ないし行政のあり方に影響力を行使できる公務員に対する名誉毀損は、本件のような特異な例外的場合を除いて、仮処分によつて事前に差し止めることはできないことになると思われる。私も、名誉権が重要な人権であり,また、名誉を毀損する表現行為が公にされると名誉は直ちに侵害をうけるものであるため、名誉を真に保護するために事前の差止めが必要かつ有効なものであることを否定するものではない。しかし、少なくとも公的な人物を対象とする場合には、表現の自由の価値が重視され、被害者が救済をうけることができるとしても、きわめて限られた例外を除いて、その救済は、事後の制裁を通じてされるものとするほかはないと思われる。なお、わが国において名誉毀損に対する損害賠償は、それが認容される場合においても、しばしば名目的な低額に失するとの非難を受けており、関係者の反省を要することについては、大橋裁判官の補足意見に指摘されるとおりである。またさらに、このような事後の救済手段として、現在認められているよりもいつそう有効適切なものを考える必要があるようにも考えられるが、それは本件のような仮処分による事前の規制の許否とは別個の問題である。
裁判官大橋進の補足意見は、次のとおりである。」(伊藤正己裁判官の補足意見)
過去問・解説
(H18 司法 第5問 小問1第2肢改題)
公職候補者を厳しく批判する雑誌の刊行、販売、配布等を差し止める仮処分が争われた事例についての判決は、事実の報道の自由が憲法21条の保障の下にあると述べるにあたり、報道機関の報道が国民の「知る権利」に奉仕することを指摘している。
(H24 司法 第3問 ア)
裁判所の事前差止めは、思想内容等の表現物につき、その発表の禁止を目的として、対象となる表現物の内容を網羅的一般的に審査する性質を有するものではあるが、裁判所という司法機関により行われるものであるから、憲法21条2項前段の「検閲」には当たらない。
(正答) ✕
(解説)
「北方ジャーナル」事件判決(最大判昭61.6.11)は、「憲法21条2項前段にいう検閲とは、行政権が主体となつて、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査したうえ、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指すと解すべき…である。」とした上で、「一定の記事を掲載した雑誌その他の出版物の印刷、製本、販売、頒布等の仮処分による事前差止めは、裁判の形式によるとはいえ、…非訟的な要素を有することを否定することはできない」と述べているから、「裁判所という司法機関により行われるもの」(本肢)であることを理由に「検閲」に当たらないと判断しているのではない。
本判決が裁判所の事前差止めが「検閲」に当たらないと判断した理由は、「表現物の内容の網羅的一般的な審査に基づく事前規制が行政機関によりそれ自体を目的として行われる場合とは異なり、個別的な私人間の紛争について、司法裁判所により、当事者の申請に基づき差止請求権等の私法上の被保全権利の存否、保全の必要性の有無を審理判断して発せられるものであ」ることにある。
(H24 司法 第3問 イ)
裁判所の事前差止めは、表現行為が公共の利害に関する事項の場合は原則として許されないが、表現内容が真実でなく、又はそれが専ら公益を図る目的のものでないことが明白で、かつ、被害者が重大で著しく回復困難な損害を被るおそれがあるときは、例外的に許される。
(正答) 〇
(解説)
「北方ジャーナル」事件判決(最大判昭61.6.11)は、「出版物の頒布等の事前差止めは、このような事前抑制に該当するものであつて、とりわけ、その対象が公務員又は公職選挙の候補者に対する評価、批判等の表現行為に関するものである場合には、そのこと自体から、一般にそれが公共の利害に関する事項であるということができ、前示のような憲法21条1項の趣旨(前記…参照)に照らし、その表現が私人の名誉権に優先する社会的価値を含み憲法上特に保護されるべきであることにかんがみると、当該表現行為に対する事前差止めは、原則として許されないものといわなければならない。ただ、右のような場合においても、その表現内容が真実でなく、又はそれが専ら公益を図る目的のものではないことが明白であつて、かつ、被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被る虞があるときは、当該表現行為はその価値が被害者の名誉に劣後することが明らかであるうえ、有効適切な救済方法としての差止めの必要性も肯定されるから、かかる実体的要件を具備するときに限つて、例外的に事前差止めが許されるものというべきであ…る」としている。
(H24 司法 第3問 ウ)
公共の利害に関する事項についての表現行為に対し事前差止めを命ずる仮処分命令を発する際には、口頭弁論又は債務者の審尋を行い、表現内容の真実性等の主張立証の機会を与えることが原則として必要である。
(正答) 〇
(解説)
「北方ジャーナル」事件判決(最大判昭61.6.11)は、「表現行為の事前抑制につき以上説示するところによれば、公共の利害に関する事項についての表現行為に対し、その事前差止めを仮処分手続によつて求める場合に、一般の仮処分命令手続のように、専ら迅速な処理を旨とし、口頭弁論ないし債務者の審尋を必要的とせず、立証についても疎明で足りるものとすることは、表現の自由を確保するうえで、その手続的保障として十分であるとはいえず、しかもこの場合、表現行為者側の主たる防禦方法は、その目的が専ら公益を図るものであることと当該事実が真実であることとの立証にあるのである…から、事前差止めを命ずる仮処分命令を発するについては、口頭弁論又は債務者の審尋を行い、表現内容の真実性等の主張立証の機会を与えることを原則とすべきものと解するのが相当である。」としている。
(R3 予備 第3問 ア)
裁判所による出版物の頒布等の事前差止めは、憲法21条2項にいう検閲に当たり原則として禁じられるが、出版等の表現の自由が個人の名誉の保護と衝突する場合には、厳格かつ明確な要件の下、例外的に事前差止めが許容されることがある。
(R5 司法 第3問 イ)
公務員又は公職選挙の候補者に対する評価、批判等の表現行為に関する事前差止めは、原則として許されず、例外的に、その表現内容が真実でなく、又はそれが専ら公益を図る目的のものではないことが明白であって、かつ、被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがあるときにのみ許されるが、その場合には迅速を旨とする仮処分手続による以上、原則として、口頭弁論や債務者審尋を経る必要はない。
(正答) ✕
(解説)
「北方ジャーナル」事件判決(最大判昭61.6.11)は、「表現行為の事前抑制につき以上説示するところによれば、公共の利害に関する事項についての表現行為に対し、その事前差止めを仮処分手続によつて求める場合に、一般の仮処分命令手続のように、専ら迅速な処理を旨とし、口頭弁論ないし債務者の審尋を必要的とせず、立証についても疎明で足りるものとすることは、表現の自由を確保するうえで、その手続的保障として十分であるとはいえず、しかもこの場合、表現行為者側の主たる防禦方法は、その目的が専ら公益を図るものであることと当該事実が真実であることとの立証にあるのである…から、事前差止めを命ずる仮処分命令を発するについては、口頭弁論又は債務者の審尋を行い、表現内容の真実性等の主張立証の機会を与えることを原則とすべきものと解するのが相当である。」とした上で、「ただ、差止めの対象が公共の利害に関する事項についての表現行為である場合においても、口頭弁論を開き又は債務者の審尋を行うまでもなく、債権者の提出した資料によつて、その表現内容が真実でなく、又はそれが専ら公益を図る目的のものではないことが明白であり、かつ、債権者が重大にして著しく回復困難な損害を被る虞があると認められるときは、口頭弁論又は債務者の審尋を経ないで差止めの仮処分命令を発したとしても、憲法21条の前示の趣旨に反するものということはできない。」としている。このように、本判決は、「公共の利害に関する事項についての表現行為に対し、その…事前差止めを命ずる仮処分命令を発するにについては、口頭弁論又は債務者の審尋を行い、表現内容の真実性等の主張立証の機会を与えることを原則とすべき」としているから、本肢における「原則として、口頭弁論や債務者審尋を経る必要はない。」という部分は、誤っている。
(R5 予備 第2問 ウ)
人格権としての個人の名誉を害する内容を含む表現行為の事前差止めは、その対象が公務員や公職選挙の候補者に対する評価、批判等である場合には原則として許されないが、その表現内容が真実でなく、又は専ら公益を図る目的のものでないことが明白であって、かつ、被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがあるときは、例外的に許される。
(正答) 〇
(解説)
「北方ジャーナル」事件判決(最大判昭61.6.11)は、「出版物の頒布等の事前差止めは、このような事前抑制に該当するものであつて、とりわけ、その対象が公務員又は公職選挙の候補者に対する評価、批判等の表現行為に関するものである場合には、そのこと自体から、一般にそれが公共の利害に関する事項であるということができ、前示のような憲法21条1項の趣旨(前記…参照)に照らし、その表現が私人の名誉権に優先する社会的価値を含み憲法上特に保護されるべきであることにかんがみると、当該表現行為に対する事前差止めは、原則として許されないものといわなければならない。ただ、右のような場合においても、その表現内容が真実でなく、又はそれが専ら公益を図る目的のものではないことが明白であつて、かつ、被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被る虞があるときは、当該表現行為はその価値が被害者の名誉に劣後することが明らかであるうえ、有効適切な救済方法としての差止めの必要性も肯定されるから、かかる実体的要件を具備するときに限つて、例外的に事前差止めが許されるものというべきであ…る」としている。
週刊文春記事差止事件 東京高決平成16年3月31日
概要
判例
判旨:原審は、プライバシー侵害を理由とする出版物の頒布等の事前差止めについて、名誉権侵害を理由とする出版物の事前差止目に関する「北方ジャーナル」事件判決(最大判昭和61年6月11日)の判例理論を転用し、「プライバシーは極めて重大な保護法益であり、人格権としてのプライバシー権は物権の場合と同様に排他性を有する権利として、その侵害行為の差止めを求めることができるものと解するのが相当である」として、その要件として、①本件記事が「公共の利害に関する事項に係るものといえないこと、②本件記事が「専ら公益を図る目的のものでないことが明白であること、③本件記事によって「被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがあること」という3要件を挙げているところ、本決定は原審の判断枠組みを維持している。
過去問・解説
(H24 予備 第2問 ア)
国会議員の娘の離婚記事の出版差止めを認めた仮処分の保全異議に対する決定(東京地決平成16年3月19日)と、その抗告審決定(東京高決平成16年3月31日)は、いずれも、差止めの実質的要件について、「北方ジャーナル」事件(最大判昭和61年6月11日))を参照し、公共性、公益性、重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれ、という3要件を用いた。
(正答) 〇
(解説)
週刊文春記事差止事件決定(東京地決平16.3.19)は、この点について、「〔1〕本件記事が「公共の利害に関する事項に係るものといえないこと」、〔2〕本件記事が「専ら公益を図る目的のものでないことが明白であること」、〔3〕本件記事によって「被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがあること」、という三つの要件を挙げている。」。そして、国会議員の娘の離婚記事の出版差止めを認めた仮処分の保全異議に対する決定(東京地決平16.3.19)は「当裁判所としても、本件保全抗告事件においては、上記3要件を判断の枠組みとするところに沿って判断するのが相当であると解する。」と同様の枠組みを用いている。したがって、本肢と同様の枠組みを用いた判示がなされているといえる。
(H24 予備 第2問 イ)
国会議員の娘の離婚記事の出版差止めを認めた仮処分の保全異議に対する決定(東京地決平成16年3月19日)と、その抗告審決定(東京高決平成16年3月31日)は、記事内容の公共性について判断を異にした。抗告審は、婚姻や離婚という出来事自体は私事であるが、娘は政治家一家の長女であって後継者となる可能性があることを理由に、記事内容の公共性を認めた。
福島県青少年健全育成条例16条1項にいう「自動販売機」の該当性(R6) 最二小判平成21年3月9日
概要
判例
判旨:「本条例の定めるような有害図書類が、一般に思慮分別の未熟な青少年の性に関する価値観に悪い影響を及ぼすなどして、青少年の健全な育成に有害であることは社会共通の認識であり、これを青少年に販売することには弊害があるということができる。自動販売機によってこのような有害図書類を販売することは、売手と対面しないため心理的に購入が容易であること、昼夜を問わず販売が行われて購入が可能となる上、どこにでも容易に設置でき、本件のように周囲の人目に付かない場所に設置されることによって、一層心理的規制が働きにくくなると認められることなどの点において、書店等における対面販売よりもその弊害が大きいといわざるを得ない。本件のような監視機能を備えた販売機であっても、その監視及び販売の態勢等からすれば、監視のための機器の操作者において外部の目にさらされていないために18歳未満の者に販売しないという動機付けが働きにくいといった問題があるなど、青少年に有害図書類が販売されないことが担保されているとはいえない。以上の点からすれば、本件機器を含めて自動販売機に有害図書類を収納することを禁止する必要性が高いということができる。その結果、青少年以外の者に対する関係においても、有害図書類の流通を幾分制約することにはなるが、それらの者に対しては、書店等における販売等が自由にできることからすれば、有害図書類の「自動販売機」への収納を禁止し、その違反に対し刑罰を科すことは、青少年の健全な育成を阻害する有害な環境を浄化するための必要やむを得ないものであって、憲法21条1項、22条1項、31条に違反するものではない。」
過去問・解説
(R6 司法 第5問 ウ)
青少年保護育成条例による有害図書の自動販売機への収納の禁止は、青少年との関係では、その健全な育成を保護するための必要やむを得ない制約であり、憲法第21条第1項に反しないし、成人との関係でも、設置を禁止する場所を指定するなど、一定の限定が付加される限り、同項に反しない。
博多駅事件 最大決昭和44年11月26日
概要
②裁判所が報道機関が取材活動によって得たものを刑事裁判の証拠として提出することを命ずるに当たっては、審判の対象とされている犯罪の性質、態様、軽重および取材したものの証拠としての価値、ひいては、公正な刑事裁判を実現するにあたつての必要性の有無を考慮するとともに、他面において取材したものを証拠として提出させられることの可否は、報道機関の取材の自由が妨げられる程度およびこれが報道の自由に及ぼす影響の度合その他諸般の事情を比較衡量して決せられるべきであり、これを刑事裁判の証拠として使用することがやむを得ないと認められる場合においても、それによって受ける報道機関の不利益が必要な限度をこえないように配慮されなければならない。
③本件フイルムの提出命令は、憲法21条やその趣旨に反するものではない。
判例
過去問・解説
(H18 司法 第5問 小問1第3肢改題)
博多駅事件決定(最大決昭44.11.26)は事実の報道の自由が憲法21条の保障の下にあると述べるにあたり、報道機関の報道が国民の「知る権利」に奉仕することを指摘している。
(H22 司法 第6問 イ)
一般人の筆記行為の自由は、報道機関の取材の自由と同様に、憲法21条の精神に照らして十分尊重に値する。したがって、一般の傍聴者が法廷でメモを取る行為と司法記者クラブ所属の報道機関の記者が法廷でメモを取る行為とを区別することには、合理的理由を見出すことはできない。
(H24 共通 第4問 ア)
報道のための取材の自由も憲法21条の精神に照らし十分尊重に値するが、取材の自由といっても、何らの制約を受けないものではなく、公正な裁判の実現という憲法上の要請があるときは、ある程度の制約を受けることがあることは否定できない。
(正答) 〇
(解説)
博多駅事件決定(最大決昭44.11.26)は、「報道機関の報道が正しい内容をもつためには、報道の自由とともに、報道のための取材の自由も、憲法21条の精神に照らし、十分尊重に値いするものといわなければならない。」とする一方で、「取材の自由といつても、もとより何らの制約を受けないものではなく、たとえば公正な裁判の実現というような憲法上の要請があるときは、ある程度の制約を受けることのあることも否定することができない。本件では、まさに、公正な刑事裁判の実現のために、取材の自由に対する制約が許されるかどうかが問題となるのであるが、公正な刑事裁判を実現することは、国家の基本的要請であり、刑事裁判においては、実体的真実の発見が強く要請されることもいうまでもない。このような公正な刑事裁判の実現を保障するために、報道機関の取材活動によつて得られたものが、証拠として必要と認められるような場合には、取材の自由がある程度の制約を蒙ることとなつてもやむを得ないところというべきである。」としている。
(H28 予備 第3問 ア)
報道機関の報道は、国民の知る権利に奉仕するものであるため、報道の自由は、表現の自由を規定した憲法21条によって保障されるが、報道のための取材の自由も、報道が正しい内容を持つために、報道の自由の一環として同条によって直接保障される。
(H29 司法 第7問 ア)
報道機関の取材結果に対する裁判所による提出命令の可否の判断に当たっては、個別事情を考慮することなく、公正な刑事裁判の一般的価値とこれと対立する取材の自由・報道の自由の一般的価値とを比較衡量して判断するという手法によるのが相当である。
(正答) ✕
(解説)
博多駅事件決定(最大決昭44.11.26)は、報道機関の取材結果に対する裁判所による提出命令の可否の判断に当たって、「一面において、審判の対象とされている犯罪の性質、態様、軽重および取材したものの証拠としての価値、ひいては、公正な刑事裁判を実現するにあたつての必要性の有無を考慮するとともに、他面において取材したものを証拠として提出させられることによつて報道機関の取材の自由が妨げられる程度およびこれが報道の自由に及ぼす影響の度合その他諸般の事情を比較衡量して決せられるべきであ…る」としており、当てはめにおいては、個別事情を考慮して比較衡量を行っている。
したがって、本肢における「個別事情を考慮することなく」との部分は、誤っている。
(H29 予備 第3問 ウ)
報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき重要な判断の資料を提供し、国民の「知る権利」に奉仕するものであることから、事実の報道の自由は、思想の表明の自由と同様に憲法21条の保障のもとにあり、報道が正しい内容を持つためには、報道のための取材の自由についても、憲法21条の精神に照らし十分尊重に値する。
(R6 司法 第6問 ア)
報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の知る権利に奉仕するものであるから、事実の報道の自由は、思想の表明の自由と並んで、表現の自由を規定した憲法第21条の保障の下にあり、このような報道機関の報道が正しい内容を持つためには、報道のための取材の自由も、憲法第21条によって報道の自由と同程度に保障される。
外務省秘密電文漏洩事件 最一小判昭和53年5月31日
概要
②国家公務員法111条にいう同法109条12号・100条1項所定の行為の「そそのかし」とは、同法109条12号・100条1項所定の秘密漏示行為を実行させる目的をもつて、公務員に対し、その行為を実行する決意を新に生じさせるに足りる慫慂行為をすることを意味し、被告人の行為は「そそのかし」に当たる。
③報道機関が公務員に対し秘密を漏示するようにそそのかしたからといつて、直ちに当該行為の違法性が推定されるものではなく、それが真に報道の目的からでたものであり、その手段・方法が法秩序全体の精神に照らし相当なものとして社会観念上是認されるものである限りは、実質的に違法性を欠き正当な業務行為である。しかし、当初から秘密文書を入手するための手段として利用する意図で女性の公務員と肉体関係を持ち、同女が右関係のため被告人の依頼を拒み難い心理状態に陥つたことに乗じて秘密文書を持ち出させたなど取材対象者の人格を著しく蹂躪した本件取材行為は、正当な取材活動の範囲を逸脱するものである。
判例
判旨:①「国家公務員法109条12号、100条1項にいう秘密とは、非公知の事実であつて、実質的にもそれを秘密として保護するに値すると認められるものをいい…その判定は司法判断に服するものである。…本件第1034号電信文案には…いわゆる沖縄返還協定に関する会談の概要が記載され、その内容は非公知の事実であるというのである 。そして、…これが漏示されると相手国ばかりでなく第三国の不信を招き、当該外交交渉のみならず、将来における外交交渉の効果的遂行が阻害される危険性があるものというべきであるから、本件第1034号電信文案の内容は、実質的にも秘密として保護するに値するものと認められる。…したがつて右電信文案が国家公務員法109条12号、100条1項にいう秘密にあたるとした原判断は相当である。」
②「国家公務員法111条にいう同法109条12号、100条1項所定の行為の「そそのかし」とは、右109条12号、100条1項所定の秘密漏示行為を実行させる目的をもつて、公務員に対し、その行為を実行する決意を新に生じさせるに足りる慫慂行為をすることを意味するものと解するのが相当であるところ…被告人の右行為は、…「そそのかし」にあたるとものいうべきである。」
③「報道機関の国政に関する報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、いわゆる国民の知る権利に奉仕するものであるから、報道の自由は、憲法21条が保障する表現の自由のうちでも特に重要なものであり、また、このような報道が正しい内容をもつためには、報道のための取材の自由もまた、憲法21条の精神に照らし、十分尊重に値するものといわなければならない…。そして、報道機関の国政に関する取材行為は、国家秘密の探知という点で公務員の守秘義務と対立拮抗するものであり、時としては誘導・唆誘的性質を伴うものであるから、報道機関が取材の目的で公務員に対し秘密を漏示するようにそそのかしたからといつて、そのことだけで、直ちに当該行為の違法性が推定されるものと解するのは相当ではなく、報道機関が公務員に対し根気強く執拗に説得ないし要請を続けることは、それが真に報道の目的からでたものであり、その手段・方法が法秩序全体の精神に照らし相当なものとして社会観念上是認されるものである限りは、実質的に違法性を欠き正当な業務行為というべきである。しかしながら、報道機関といえども、取材に関し他人の権利・自由を不当に侵害することのできる特権を有するものでないことはいうまでもなく、取材の手段・方法が贈賄、脅迫、強要等の一般の刑罰法令に触れる行為を伴う場合は勿論、その手段・方法が一般の刑罰法令に触れないものであつても、取材対象者の個人としての人格の尊厳を著しく蹂躪する等法秩序全体の精神に照らし社会観念上是認することのできない態様のものである場合にも、正当な取材活動の範囲を逸脱し違法性を帯びるものといわなければならない。
過去問・解説
(H22 司法 第6問 ウ)
報道機関の取材の手段・方法が、贈賄、脅迫、強要等の一般の刑罰法令には触れなくても、取材対象者の個人としての人格の尊厳を著しくじゅうりんする等法秩序全体の精神に照らして社会観念上是認することができない態様のものである場合には、国家公務員法との関係では、正当な取材行為の範囲を逸脱し違法性を帯びることになる。
(正答) 〇
(解説)
外務省秘密電文漏洩事件判決(最判昭53.5.31)は、「報道機関が取材の目的で公務員に対し秘密を漏示するようにそそのかしたからといって、そのことだけで、直ちに当該行為の違法性が推定されるものと解するのは相当ではなく、報道機関が公務員に対し根気強く執拗に説得ないし要請を続けることは、それが真に報道の目的からでたものであり、その手段・方法が法秩序全体の精神に照らし相当なものとして社会観念上是認されるものである限りは、実質的に違法性を欠き正当な業務行為というべきである。」とする一方で、「しかしながら、報道機関といえども、取材に関し他人の権利・自由を不当に侵害することのできる特権を有するものでないことはいうまでもなく、取材の手段・方法が贈賄、脅迫、強要等の一般の刑罰法令に触れる行為を伴う場合は勿論、その手段・方法が一般の刑罰法令に触れないものであつても、取材対象者の個人としての人格の尊厳を著しく蹂躪する等法秩序全体の精神に照らし社会観念上是認することのできない態様のものである場合にも、正当な取材活動の範囲を逸脱し違法性を帯びるものといわなければならない。」としている。
日本テレビ事件 最二小判平成元年1月30日
概要
②本件差押えは、適正迅速な捜査の遂行のためにやむを得ないものであり、憲法21条やその趣旨に反するものではない。
判例
判旨:「報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき重要な判断の資料を提供し、国民の「知る権利」に奉仕するものであつて、表現の自由を保障した憲法21条の保障の下にあり、したがつて報道のための取材の自由もまた憲法21条の趣旨に照らし、十分尊重されるべきものであること、しかし他方、取材の自由も何らの制約をも受けないものではなく、例えば公正な裁判の実現というような憲法上の要請がある場合には、ある程度の制約を受けることのあることも否定できないことは、いずれも博多駅事件決定が判示するとおりである。もつとも同決定は、付審判請求事件を審理する裁判所の提出命令に関する事案であるのに対し、本件は、検察官の請求によつて発付された裁判官の差押許可状に基づき検察事務官が行つた差押処分に関する事案であるが、国家の基本的要請である公正な刑事裁判を実現するためには、適正迅速な捜査が不可欠の前提であり、報道の自由ないし取材の自由に対する制約の許否に関しては両者の間に本質的な差異がないことは多言を要しないところである。同決定の趣旨に徴し、取材の自由が適正迅速な捜査のためにある程度の制約を受けることのあることも、またやむを得ないものというべきである。そして、この場合においても、差押の可否を決するに当たつては、捜査の対象である犯罪の性質、内容、軽重等及び差し押えるべき取材結果の証拠としての価値、ひいては適正迅速な捜査を遂げるための必要性と、取材結果を証拠として押収されることによつて報道機関の報道の自由が妨げられる程度及び将来の取材の自由が受ける影響その他諸般の事情を比較衡量すべきであることはいうまでもない(同決定参照)。
右の見地から本件について検討すると、本件差押処分は、被疑者Aがいわゆるリクルート疑惑に関する国政調査権の行使等に手心を加えてもらいたいなどの趣旨で衆議院議員Bに対し3回にわたり多額の現金供与の申込をしたとされる贈賄被疑事件の捜査として行われたものである。同事件は、国民が関心を寄せていた重大な事犯であるが、その被疑事実の存否、内容等の解明は、事案の性質上当事者両名の供述に負う部分が大であるところ、本件差押前の段階においては、Aは現金提供の趣旨等を争つて被疑事実を否認しており、またBも事実関係の記憶が必ずしも明確ではないため、他に収集した証拠を合わせて検討してもなお事実認定上疑点が残り、その解明のため更に的確な証拠の収集を期待することが困難な状況にあつた。しかもAは、本件ビデオテープ中の未放映部分に自己の弁明を裏付ける内容が存在する旨強く主張していた。そうしてみると、AとBの面談状況をありのままに収録した本件ビデオテープは、証拠上極めて重要な価値を有し、事件の全容を解明し犯罪の成否を判断する上で、ほとんど不可欠のものであつたと認められる。他方、本件ビデオテープがすべて原本のいわゆるマザーテープであるとしても、申立人は、差押当時においては放映のための編集を了し、差押当日までにこれを放映しているのであつて、本件差押処分により申立人の受ける不利益は、本件ビデオテープの放映が不可能となり報道の機会が奪われるという不利益ではなく、将来の取材の自由が妨げられるおそれがあるという不利益にとどまる。右のほか、本件ビデオテープは、その取材経緯が証拠の保全を意図したBからの情報提供と依頼に基づく特殊なものであること、当のBが本件贈賄被疑事件を告発するに当たり重要な証拠資料として本件ビデオテープの存在を挙げていること、差押に先立ち検察官が報道機関としての立場に配慮した事前折衝を申立人との間で行つていること、その他諸般の事情を総合して考えれば、報道機関の報道の自由、取材の自由が十分これを尊重すべきものであるとしても、前記不利益は、適正迅速な捜査を遂げるためになお忍受されなければならないものというべきであり、本件差押処分は、やむを得ないものと認められる。
以上のとおり、所論は、博多駅事件決定の趣旨に徴して理由がなく、これと同旨の原決定は相当である。」
反対意見:「一 本件は、「公正な刑事裁判の実現」と「報道の自由」との接点における重要な問題を提供する。この点については、先例として当審大法廷のいわゆる博多駅事件決定(昭和44年(し)第68号同年11月26日大法廷決定・刑集23巻11号1490頁)が存在する。同決定の判示は今日なお踏襲すべきものであり、検察事務官による差押が問題となる本件においても同決定の判示が基本的に妥当すると考える点においては、私も、多数意見と立場を異にするものではない。しかし、多数意見が本件ビデオテープの差押が許されるとの結論を導いている点については、たやすく賛同することができない。
二 博多駅事件決定は、取材結果を刑事裁判のために押収することの可否に関し、「一面において、審判の対象とされている犯罪の性質、態様、軽重および取材したものの証拠としての価値、ひいては、公正な刑事裁判を実現するにあたつての必要性の有無を考慮するとともに、他面において取材したものを証拠として提出させられることによつて報道機関の取材の自由が妨げられる程度およびこれが報道の自由に及ぼす影響の度合その他諸般の事情を比較衡量して決せられるべきであり、これを刑事裁判の証拠として使用することがやむを得ないと認められる場合においても、それによつて受ける報道機関の不利益が必要な限度をこえないように配慮されなければならない。」と判示し、一般的な判断基準を示している。そこで、以下、右の基準に即して本件につき検討を加えることとする。
三 まず、公正な刑事裁判を実現するための必要性の点であるが、博多駅事件決定においては、事件当日同駅に集合した多数の学生と警備のための多数の警察官のなかから、付審判請求事件の被疑者とされる警察官及び被害者である学生を特定することすら困難であつたため、現場の模様を撮影したフイルムにつき提出命令を発することが許容されたのであつて、右フイルムは、事案の解明のためにほとんど必須のものであつたと考えられるが、これに対し、本件贈賄被疑事件においては、既に金員の提供者とその相手方及び行為の日時、場所、態様は特定しており、ただ金員提供の趣旨等について争いがあつたというのにすぎないのであつて、本件ビデオテープ差押の必要性は、博多駅事件決定の場合に比べ、格段の差異があるのである。
次に、報道の自由、取材の自由に対する弊害の点であるが、報道機関が取材結果を報道目的以外に使用するときは、将来における取材活動に他者の協力を得難くなるおそれがあり、場合によつては妨害を受けるおそれさえなしとしないであろう。取材結果が捜査機関によつて差し押えられ捜査目的に使用されることも、また同様の契機をはらむものであり、将来の取材活動に支障を来すおそれを生ぜしめることは、見やすい道理である。確かに、取材活動への支障は、将来の問題であつて眼前に差し迫つた不利益ではないかもしれない。
しかし、憲法21条に基礎を置く取材の自由の本質に照らし、この点を過小評価することは、相当ではないと思われる。また、本件ビデオテープの取材経緯には、原決定指摘のような特殊な事情があるようであるが、しかし、報道機関の取材結果を押収することによる弊害は、個々的な事案の特殊性を超えたところに生ずるものであり、本件ビデオテープの押収がもたらす弊害を取材経緯の特殊性のゆえに軽視することも、適当ではないように思われるのである。更に、本件ビデオテープには未放映部分が含まれているが、右部分は、記者の取材メモに近い性格を帯びており、その押収が前記弊害をいつそう増幅する傾向を有することにも十分留意する必要がある。
このように、本件における公正な刑事裁判の実現のための必要性と報道の自由に対する弊害とを比較衡量するとき、博多駅事件の場合とは異なり、必ずしも前者を優先せしめるべきであるとは考えられない。
四 公正な刑事裁判の実現とそのための適正迅速な捜査処理が国家の基本的な要請であることは、いうまでもない。しかし、その要請も、報道の自由、取材の自由の保障との関係において、時には抑制されなければならない場合が存在するのであつて、本件は、まさにそのような場合である。博多駅事件決定が示した判断基準は、厳格に運用すべきものと考える。」(島谷六郎裁判官の反対意見)
過去問・解説
(H24 司法 第4問 イ)
報道機関が専ら報道目的で撮影したビデオテープを、裁判所の提出命令によって提出させる場合よりも裁判官が発付した令状に基づき検察事務官が差し押さえる場合の方が、取材の自由に対する制約の許否に関して、より慎重な審査を必要とする。
(正答) ✕
(解説)
博多駅事件判決(最大決昭44.11.26)は、報道機関の取材結果に対する裁判所の提出命令に関する事案において、「一面において、審判の対象とされている犯罪の性質、態様、軽重および取材したものの証拠としての価値、ひいては、公正な刑事裁判を実現するにあたつての必要性の有無を考慮するとともに、他面において取材したものを証拠として提出させられることによつて報道機関の取材の自由が妨げられる程度およびこれが報道の自由に及ぼす影響の度合その他諸般の事情を比較衡量して決せられるべきであ…る。」と述べている。
日本テレビ事件決定(最決平元.1.30)は、検察官事務官による取材結果の差押えに関する事案において、博多駅事件判決(最大決昭44.11.26)を参照し、「博多駅事件決定…は、付審判請求事件を審理する裁判所の提出命令に関する事案であるのに対し、本件は、検察官の請求によつて発付された裁判官の差押許可状に基づき検察事務官が行つた差押処分に関する事案であるが、国家の基本的要請である公正な刑事裁判を実現するためには、適正迅速な捜査が不可欠の前提であり、報道の自由ないし取材の自由に対する制約の許否に関しては両者の間に本質的な差異がないことは多言を要しないところである。同決定の趣旨に徴し、取材の自由が適正迅速な捜査のためにある程度の制約を受けることのあることも、またやむを得ないものというべきである。そして、この場合においても、差押の可否を決するに当たつては、捜査の対象である犯罪の性質、内容、軽重等及び差し押えるべき取材結果の証拠としての価値、ひいては適正迅速な捜査を遂げるための必要性と、取材結果を証拠として押収されることによつて報道機関の報道の自由が妨げられる程度及び将来の取材の自由が受ける影響その他諸般の事情を比較衡量すべきであることはいうまでもない(同決定参照)。」としている。
(H24 司法 第4問 ウ)
編集の上、既に放映されたビデオテープのマザーテープの差押えにより報道機関が受ける不利益は、このビデオテープの放映が不可能となり報道の機会が奪われるという不利益ではなく、将来の取材の自由が妨げられるおそれがあるという不利益にとどまる。
(H29 司法 第7問 イ)
適正迅速な捜査は公正な刑事裁判の不可欠の前提であることから、取材の自由に対する制約の許否に関しては捜査と公判とで本質的な差異はなく、したがって、差押えの主体にかかわらず、報道機関の取材結果に対する差押えの可否を判断する際の基本的な考え方は変わらない。
(正答) 〇
(解説)
日本テレビ事件決定(最決平元.1.30)は、検察官事務官による取材結果の差押えに関する事案において、公正な裁判の実現のために裁判所が報道機関の取材結果を提出を命じた事案に関する博多駅事件判決(最大決昭44.11.26)を参照し、「博多駅事件決定…は、付審判請求事件を審理する裁判所の提出命令に関する事案であるのに対し、本件は、検察官の請求によつて発付された裁判官の差押許可状に基づき検察事務官が行つた差押処分に関する事案であるが、国家の基本的要請である公正な刑事裁判を実現するためには、適正迅速な捜査が不可欠の前提であり、報道の自由ないし取材の自由に対する制約の許否に関しては両者の間に本質的な差異がないことは多言を要しないところである。同決定の趣旨に徴し、取材の自由が適正迅速な捜査のためにある程度の制約を受けることのあることも、またやむを得ないものというべきである。そして、この場合においても、差押の可否を決するに当たつては、捜査の対象である犯罪の性質、内容、軽重等及び差し押えるべき取材結果の証拠としての価値、ひいては適正迅速な捜査を遂げるための必要性と、取材結果を証拠として押収されることによつて報道機関の報道の自由が妨げられる程度及び将来の取材の自由が受ける影響その他諸般の事情を比較衡量すべきであることはいうまでもない(同決定参照)。」としている。
(H30 予備 第4問 ア)
「博多駅事件決定」は、裁判所の提出命令について適法としたが、「日本テレビ事件決定」と「TBS事件決定」は、公正な刑事裁判を実現するためには、適正迅速な捜査が不可欠であるとして、検察事務官や司法警察職員がした差押えについても、適法と認められる場合があるとした。
(正答) 〇
(解説)
博多駅事件決定(最大決昭44.11.26)は、個別事情を踏まえた比較衡量の結果、公正な裁判を実現する要請を優先し、「本件フィルムの提出命令は、憲法21条に違反するものでないことはもちろん、その趣旨に反するものでもな…い」としている。
日本テレビ事件決定(最決平元.1.30)は、検察官の請求によつて発付された裁判官の差押許可状に基づき検察事務官が行った差押処分に関する事案において、「国家の基本的要請である公正な刑事裁判を実現するためには、適正迅速な捜査が不可欠の前提であり、報道の自由ないし取材の自由に対する制約の許否に関しては両者の間に本質的な差異がないことは多言を要しないところである。同決定の趣旨に徴し、取材の自由が適正迅速な捜査のためにある程度の制約を受けることのあることも、またやむを得ないものというべきである。」としている。
TBS事件決定(最決平2.7.9)は、司法警察員が裁判官の差押許可状に基づて行った差押処分に関する事案において、「公正な刑事裁判を実現するために不可欠である適正迅速な捜査の遂行という要請がある場合にも、同様に、取材の自由がある程度の制約を受ける場合がある…。」としている。
(H30 予備 第4問 イ)
「日本テレビ事件決定」と「TBS事件決定」では、対象のビデオテープは、事件の全容を解明し犯罪の成否を判断する上でほとんど不可欠と認められるものであったのに対し、「博多駅事件決定」では、犯罪の成立は他の証拠上認められるが、事件の重要な部分の真相を明らかにする必要があるとして、取材フィルムの提出命令を適法とした。
(正答) ✕
(解説)
日本テレビ事件決定(最決平元.1.30)は、「本件ビデオテープは、証拠上極めて重要な価値を有し、事件の全容を解明し犯罪の成否を判断する上で、ほとんど不可欠のものであつたと認められる。」としている一方で、TBS事件決定(最決平2.7.9)は、「本件ビデオテープは事案の全容を解明し犯罪の成否を判断する上で、重要な証拠価値を持つものであったと認められる」と述べるにとどまり、「ほとんど不可欠」とまでは述べていない。したがって、本肢前段は誤っている。
また、博多駅事件決定(最大決昭44.11.26)は、取材フィルムの提出命令を適法としたものの、「現場を中立的な立場から撮影した報道機関の本件フイルムが証拠上きわめて重要な価値を有し、被疑者らの罪責の有無を判定するうえに、ほとんど必須のものと認められる状況にある。」としており、犯罪の成立は他の証拠上認められるとは述べていない。したがって、本肢後段も誤っている。
(H30 予備 第4問 ウ)
「博多駅事件決定」「日本テレビ事件決定」「TBS事件決定」3事件いずれの決定においても、それぞれその対象となった取材フィルム又はビデオテープは、既にそれらが編集された上放映されており、提出命令又は差押えによって放映が不可能となって報道の機会が奪われたというものではなかった。
TBS事件 最二小判平成2年7月9日
概要
②本件差押えは、適正迅速な捜査の遂行のためにやむを得ないものであり、憲法21条やその趣旨に反するものではない。
判例
過去問・解説
(H28 予備 第3問 イ)
取材の自由は、公正な刑事裁判の実現の要請からある程度制約を受けることがあるが、公正な刑事裁判を実現するに当たっては、適正迅速な捜査が不可欠の前提であるから、適正迅速な捜査の要請からも取材の自由が制約を受けることがある。
(正答) 〇
(解説)
TBS事件決定(最決平2.7.9)は、「公正な刑事裁判を実現するために不可欠である適正迅速な捜査の遂行という要請がある場合にも、同様に、取材の自由がある程度の制約を受ける場合があること、また、このような要請から報道機関の取材結果に対して差押をする場合において、差押の可否を決するに当たっては、捜査の対象である犯罪の性質、内容、軽重等及び差し押さえるべき取材結果の証拠としての価値、ひいては適正迅速な捜査を遂げるための必要性と、取材結果を証拠として押収されることによって報道機関の報道の自由が妨げられる程度及び将来の取材の自由が受ける影響その他諸般の事情を比較衡量すべきであることは、明らかである…。」としている。
(R6 司法 第6問 イ)
報道機関の取材結果に対する裁判所の提出命令の可否は、刑事手続の対象犯罪の性質、態様、軽重及び取材結果の証拠としての価値、ひいては、公正な刑事裁判を実現するに当たっての必要性の有無と、取材結果の提出によって報道機関の取材の自由が妨げられる程度及びこれが報道の自由に及ぼす影響の度合その他諸般の事情を比較衡量して決するが、捜査機関が主体となって行う取材結果に対する差押の可否は、捜査機関と裁判所との性格の違いから、より慎重な検討が求められるため、このような比較衡量で決することはできない。
(正答) ✕
(解説)
博多駅事件判決(最大決昭44.11.26)は、報道機関の取材結果に対する裁判所の提出命令に関する事案において、「一面において、審判の対象とされている犯罪の性質、態様、軽重および取材したものの証拠としての価値、ひいては、公正な刑事裁判を実現するにあたつての必要性の有無を考慮するとともに、他面において取材したものを証拠として提出させられることによつて報道機関の取材の自由が妨げられる程度およびこれが報道の自由に及ぼす影響の度合その他諸般の事情を比較衡量して決せられるべきであ…る。」と述べている。
TBS事件判決(最決平2.7.9)は、司法警察員による取材結果の差押えに関する事案において、公正な刑事裁判を実現するために不可欠である適正迅速な捜査の遂行という要請がある場合にも、同様に、取材の自由がある程度の制約を受ける場合があること、また、このような要請から報道機関の取材結果に対して差押をする場合において、差押の可否を決するに当たっては、捜査の対象である犯罪の性質、内容、軽重等及び差し押さえるべき取材結果の証拠としての価値、ひいては適正迅速な捜査を遂げるための必要性と、取材結果を証拠として押収されることによって報道機関の報道の自由が妨げられる程度及び将来の取材の自由が受ける影響その他諸般の事情を比較衡量すべきであることは、明らかである…。」としている。
北海タイムス事件 最大決昭和33年2月17日
概要
判例
判旨:「およそ、新聞が真実を報道することは、憲法21条の認める表現の自由に属し、またそのための取材活動も認められなければならないことはいうまでもない。しかし、憲法が国民に保障する自由であつても、国民はこれを濫用してはならず、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負うのであるから(憲法12条)、その自由も無制限であるということはできない。そして、憲法が裁判の対審及び判決を公開法廷で行うことを規定しているのは、手続を一般に公開してその審判が公正に行われることを保障する趣旨にほかならないのであるから、たとい公判廷の状況を一般に報道するための取材活動であつても、その活動が公判廷における審判の秩序を乱し被告人その他訴訟関係人の正当な利益を不当に害するがごときものは、もとより許されないところであるといわなければならない。ところで、公判廷における写真の撮影等は、その行われる時、場所等のいかんによつては、前記のような好ましくない結果を生ずる恐れがあるので、刑事訴訟規則215条は写真撮影の許可等を裁判所の裁量に委ね、その許可に従わないかぎりこれらの行為をすることができないことを明らかにしたのであつて、右規則は憲法に違反するものではない。」
過去問・解説
(H18 司法 第18問 エ)
刑事事件の公判廷における写真撮影は、審判の秩序を乱し被告人その他訴訟関係人の正当な利益を不当に害する結果を生ずる恐れがあるため、最高裁判所規則により、裁判長の許可を得なければすることができないものと規定することは、憲法第21条に違反しない。
NHK記者証言拒絶事件 最三小決平成18年10月3日
概要
判例
これを本件についてみるに、本件NHK報道は、公共の利害に関する報道であることは明らかであり、その取材の手段、方法が一般の刑罰法令に触れるようなものであるとか、取材源となった者が取材源の秘密の開示を承諾しているなどの事情はうかがわれず、一方、本件基本事件は、株価の下落、配当の減少等による損害の賠償を求めているものであり、社会的意義や影響のある重大な民事事件であるかどうかは明らかでなく、また、本件基本事件はその手続がいまだ開示(ディスカバリー)の段階にあり、公正な裁判を実現するために当該取材源に係る証言を得ることが必要不可欠であるといった事情も認めることはできない。したがって、相手方は、民訴法197条1項3号に基づき、本件の取材源に係る事項についての証言を拒むことができるというべきであ…る。」
過去問・解説
(H22 司法 第6問 ア)
民事訴訟法197条1項3号は、「職業の秘密に関する事項について尋問を受ける場合」には、証人は証言を拒否することができるとしており、報道関係者の取材源の秘密は、この「職業の秘密」に当たる。しかし、当該事案において証言拒否が認められるか否かは、さらに比較衡量によって決せられる。
(H27 司法 第4問 イ)
報道機関の取材源は、一般に、それがみだりに開示されると将来にわたる自由で円滑な取材活動が妨げられることになるため、民事訴訟法上、取材源の秘密については職業の秘密に当たるので、当該事案における利害の個別的な比較衡量を行うまでもなく証言拒絶が認められる。
(正答) ✕
(解説)
NHK記者証言拒絶事件決定(最決平18.10.3)は、「民訴法…197条1項3号…にいう「職業の秘密」とは、その事項が公開されると、当該職業に深刻な影響を与え以後その遂行が困難になるものをいうと解される…。」とする一方で、「もっとも、ある秘密が上記の意味での職業の秘密に当たる場合においても、そのことから直ちに証言拒絶が認められるものではなく、そのうち保護に値する秘密についてのみ証言拒絶が認められると解すべきである。そして、保護に値する秘密であるかどうかは、秘密の公表によって生ずる不利益と証言の拒絶によって犠牲になる真実発見及び裁判の公正との比較衡量により決せられるというべきである。」としている。
(H29 司法 第7問 ウ)
民事訴訟における、報道関係者による取材源に係る証言拒絶は、当該報道が公共の利益に関わり、取材方法が適切であり、取材源が秘密の開示を承諾していない場合には、当該民事事件が社会的意義や影響のある重大な民事事件であっても、原則として許容される。
(正答) ✕
(解説)
NHK記者証言拒絶事件決定(最決平18.10.3)は、「当該報道が公共の利益に関するものであって、 その取材の手段、方法が一般の刑罰法令に触れるとか、取材源となった者が取材源の秘密の開示を承諾しているなどの事情がなく、しかも、当該民事事件が社会的意義や影響のある重大な民事事件であるため、当該取材源の秘密の社会的価値を考慮してもなお公正な裁判を実現すべき必要性が高く、そのために当該証言を得ることが必要不可欠であるといった事情が認められない場合には、当該取材源の秘密は保護に値すると解すべきであり、証人は、原則として、当該取材源に係る証言を拒絶することができると解するのが相当である。」としている。
本決定は、「社会的意義や影響のある重大な民事事件である…といった事情が認められない場合には…原則として…証言を拒絶することができる」としているから、本肢は、「当該民事事件が社会的意義や影響のある重大な民事事件であっても、原則として許容される」としている点において、誤っている。
(R4 司法 第5問 ウ)
報道機関の報道が正しい内容を持つためには、報道のための取材の自由も憲法21条の精神に照らして十分尊重されなければならず、取材源の秘密は、取材の自由を確保するために必要なものとして重要な社会的価値を有するから、報道機関の記者が民事訴訟で証人として尋問された場合、取材源に関する証言の拒絶は、それによって真実発見及び裁判の公正が犠牲になるとしても、直ちに認められなければならない。
(正答) ✕
(解説)
NHK記者証言拒絶事件決定(最決平18.10.3)は、「報道機関の報道が正しい内容を持つためには、報道の自由とともに、報道のための取材の自由も、憲法21条の精神に照らし、十分尊重に値するものといわなければならない…。取材の自由の持つ上記のような意義に照らして考えれば、取材源の秘密は、取材の自由を確保するために必要なものとして、重要な社会的価値を有するというべきである。そうすると、当該報道が公共の利益に関するものであって、その取材の手段、方法が一般の刑罰法令に触れるとか、取材源となった者が取材源の秘密の開示を承諾しているなどの事情がなく、しかも、当該民事事件が社会的意義や影響のある重大な民事事件であるため、当該取材源の秘密の社会的価値を考慮してもなお公正な裁判を実現すべき必要性が高く、そのために当該証言を得ることが必要不可欠であるといった事情が認められない場合には、当該取材源の秘密は保護に値すると解すべきであり、証人は、原則として、当該取材源に係る証言を拒絶することができると解するのが相当である。」としている。
もっとも、「証人は、原則として、当該取材源に係る証言を拒絶することができる」としているにとどまり、「当該報道が公共の利益に関するものであって、その取材の手段、方法が一般の刑罰法令に触れるとか、取材源となった者が取材源の秘密の開示を承諾しているなどの事情がなく、しかも、当該民事事件が社会的意義や影響のある重大な民事事件であるため、当該取材源の秘密の社会的価値を考慮してもなお公正な裁判を実現すべき必要性が高く、そのために当該証言を得ることが必要不可欠であるといった事情が認められない場合には」には、例外的に証言拒絶が認められないとしている。
したがって、本肢は、「報道機関の記者が民事訴訟で証人として尋問された場合、取材源に関する証言の拒絶は、それによって真実発見及び裁判の公正が犠牲になるとしても、直ちに認められなければならない。」としている点において、誤っている。
(R6 司法 第6問 ウ)
報道機関の関係者は、民事訴訟において取材源に係る証言を求められた場合、当該報道が公共の利益に関するものであって、その取材の手段、方法が一般の刑罰法令に触れるとか、取材源となった者が取材源の秘密の開示を承諾しているなどの事情がなく、しかも、当該民事事件が社会的意義や影響のある重大な事件であるため、当該取材源の秘密の社会的価値を考慮してもなお公正な裁判を実現すべき必要性が高く、そのために当該証言を得ることが必要不可欠であるといった事情が認められないのであれば、原則として、当該証言を拒絶できる。
(正答) 〇
(解説)
NHK記者証言拒絶事件決定(最決平18.10.3)は、「報道機関の報道が正しい内容を持つためには、報道の自由とともに、報道のための取材の自由も、憲法21条の精神に照らし、十分尊重に値するものといわなければならない…。取材の自由の持つ上記のような意義に照らして考えれば、取材源の秘密は、取材の自由を確保するために必要なものとして、重要な社会的価値を有するというべきである。」とした上で、「そうすると、当該報道が公共の利益に関するものであって、その取材の手段、方法が一般の刑罰法令に触れるとか、取材源となった者が取材源の秘密の開示を承諾しているなどの事情がなく、しかも、当該民事事件が社会的意義や影響のある重大な民事事件であるため、当該取材源の秘密の社会的価値を考慮してもなお公正な裁判を実現すべき必要性が高く、そのために当該証言を得ることが必要不可欠であるといった事情が認められない場合には、当該取材源の秘密は保護に値すると解すべきであり、証人は、原則として、当該取材源に係る証言を拒絶することができると解するのが相当である。」としている。
レペタ事件 最大判平成元年3月8日
概要
②さまざまな意見、知識、情報に接し、これを摂取することを補助するものとしてなされる限り、筆記行為の自由は、憲法21条1項の規定の精神に照らして尊重されるべきであるといわなければならない。
③筆記行為の自由は、憲法21条1項の規定によって直接保障されている表現の自由そのものとは異なるものであるから、その制限又は禁止には、表現の自由に制約を加える場合に一般に必要とされる厳格な基準が要求されるものではないというべきである。
④法廷警察権の行使の要否及び執るべき措置についての裁判長の判断は、最大限に尊重されなければならない。
⑤報道の公共性、ひいては報道のための取材の自由に対する配慮に基づき、司法記者クラブ所属の報道機関の記者に対してのみ法廷においてメモを取ることを許可することは、合理性を欠く措置ということはできず、憲法14条1項の規定に違反するものではない。
判例
これを傍聴人のメモを取る行為についていえば、法廷は、事件を審理、裁判する場、すなわち、事実を審究し、法律を適用して、適正かつ迅速な裁判を実現すべく、裁判官及び訴訟関係人が全神経を集中すべき場であって、そこにおいて最も尊重されなければならないのは、適正かつ迅速な裁判を実現することである。傍聴人は、裁判官及び訴訟関係人と異なり、その活動を見聞する者であって、裁判に関与して何らかの積極的な活動をすることを予定されている者ではない。したがって、公正かつ円滑な訴訟の運営は、傍聴人がメモを取ることに比べれば、はるかに優越する法益であることは多言を要しないところである。してみれば、そのメモを取る行為がいささかでも法廷における公正かつ円滑な訴訟の運営を妨げる場合には、それが制限又は禁止されるべきことは当然であるというべきである。適正な裁判の実現のためには、傍聴それ自体をも制限することができるとされているところでもある(刑訴規則202条、123条2項参照)。
過去問・解説
(H22 司法 第6問 イ)
一般人の筆記行為の自由は、報道機関の取材の自由と同様に、憲法21条の精神に照らして十分尊重に値する。したがって、一般の傍聴者が法廷でメモを取る行為と司法記者クラブ所属の報道機関の記者が法廷でメモを取る行為とを区別することには、合理的理由を見出すことはできない。
(正答) ✕
(解説)
レペタ事件判決(最大判平元.3.8)は、「さまざまな意見、知識、情報に接し、これを摂取することを補助するものとしてなされる限り、筆記行為の自由は、憲法21条1項の規定の精神に照らして尊重されるべきである」とするにとどまり、博多駅事件決定(最大決昭44.11.26)のように「憲法21条の精神に照らし、十分尊重に値いする」とまでは述べていない。したがって、本肢前段は、「一般人の筆記行為の自由は、報道機関の取材の自由と同様に、憲法21条の精神に照らして十分尊重に値する。」としている点において、誤っている。
レペタ事件判決(最大判平元.3.8)は、「報道機関の…事実の報道の自由は、表現の自由を定めた憲法21条1項の規定の保障の下にあることはいうまでもなく、このような報道機関の報道が正しい内容をもつためには、報道のための取材の自由も、憲法21条の規定の精神に照らし、十分尊重に値するものである…。」との理由から、「以上の趣旨が法廷警察権の行使に当たって配慮されることがあっても、裁判の報道の重要性に照らせば当然であり、報道の公共性、ひいては報道のための取材の自由に対する配慮に基づき、司法記者クラブ所属の報道機関の記者に対してのみ法廷においてメモを取ることを許可することも、合理性を欠く措置ということはできないというべきである。」としている。したがって、本肢後段は、「一般の傍聴者が法廷でメモを取る行為と司法記者クラブ所属の報道機関の記者が法廷でメモを取る行為とを区別することには、合理的理由を見出すことはできない。」としている点において、誤っている。
(H28 予備 第3問 ウ)
法廷における筆記行為の自由は憲法21条の規定の精神に照らして尊重されるべきであるが、その制限は表現の自由に制約を加える場合に一般に必要とされる厳格な基準までは要求されず、メモを取る行為が公正かつ円滑な訴訟の運営を妨げる場合には制限される。
(正答) 〇
(解説)
レペタ事件判決(最大判平元.3.8)は、「さまざまな意見、知識、情報に接し、これを摂取することを補助するものとしてなされる限り、筆記行為の自由は、憲法21条1項の規定の精神に照らして尊重されるべきであるといわなければならない。…傍聴人が法廷においてメモを取ることは、その見聞する裁判を認識、記憶するためになされるものである限り、尊重に値し、故なく妨げられてはならないものというべきである。」とする一方で、「右の筆記行為の自由は、憲法21条1項の規定によって直接保障されている表現の自由そのものとは異なるものであるから、その制限又は禁止には、表現の自由に制約を加える場合に一般に必要とされる厳格な基準が要求されるものではないというべきである。これを傍聴人のメモを取る行為についていえば、…そのメモを取る行為がいささかでも法廷における公正かつ円滑な訴訟の運営を妨げる場合には、それが制限又は禁止されるべきことは当然であるというべきである。」としている。
(H29 予備 第3問 イ)
裁判の傍聴人が法廷においてメモを取ることについては、憲法21条1項の規定により憲法上の権利として保障されており、法廷警察権によってこれを制限又は禁止することは、公正かつ円滑な訴訟の運営の妨げとなるおそれがあるにとどまらず、訴訟の運営に具体的な支障が現実に生じている場合でなければ許されない。
(正答) ✕
(解説)
レペタ事件判決(最大判平元.3.8)は、「さまざまな意見、知識、情報に接し、これを摂取することを補助するものとしてなされる限り、筆記行為の自由は、憲法21条1項の規定の精神に照らして尊重されるべきであるといわなければならない。…傍聴人が法廷においてメモを取ることは、その見聞する裁判を認識、記憶するためになされるものである限り、尊重に値し、故なく妨げられてはならないものというべきである。」と述べており、裁判の傍聴人が法廷においてメモを取ることについて、憲法21条1項の規定により憲法上の権利として保障されているとは解していない。したがって、本肢前段は、「裁判の傍聴人が法廷においてメモを取ることについては、憲法21条1項の規定により憲法上の権利として保障されており」としている点において、誤っている。
レペタ事件判決(最大判平元.3.8)は、「傍聴人のメモを取る行為…がいささかでも法廷における公正かつ円滑な訴訟の運営を妨げる場合には、それが制限又は禁止されるべきことは当然であるというべきである。」としており、訴訟の運営に具体的な支障が現実に生じていることまでは要求していない。したがって、本肢後段も誤っている。
(R5 司法 第3問 ア)
情報摂取のためになされる筆記行為の自由は、憲法21条1項の精神に照らして尊重されるべきであって、傍聴人が法廷でメモを取る自由は、そこで見聞する裁判を認識、記憶するためになされる限り、尊重に値し、故なく妨げられてはならないから、その制限又は禁止に対する審査に当たっては、表現の自由に制約を加える場合に一般的に必要とされる厳格な基準が要求される。
(正答) ✕
(解説)
レペタ事件判決(最大判平元.3.8)は、「さまざまな意見、知識、情報に接し、これを摂取することを補助するものとしてなされる限り、筆記行為の自由は、憲法21条1項の規定の精神に照らして尊重されるべきであるといわなければならない。…傍聴人が法廷においてメモを取ることは、その見聞する裁判を認識、記憶するためになされるものである限り、尊重に値し、故なく妨げられてはならないものというべきである。」とする一方で、「右の筆記行為の自由は、憲法21条1項の規定によって直接保障されている表現の自由そのものとは異なるものであるから、その制限又は禁止には、表現の自由に制約を加える場合に一般に必要とされる厳格な基準が要求されるものではないというべきである。これを傍聴人のメモを取る行為についていえば、…そのメモを取る行為がいささかでも法廷における公正かつ円滑な訴訟の運営を妨げる場合には、それが制限又は禁止されるべきことは当然であるというべきである。」としている。
サンケイ新聞事件 最二小判昭和62年4月24日
概要
②民法723条により名誉回復処分又は差止の請求権の認められる場合があることをもって、反論文掲載請求権を認めるべき実定法上の根拠とすることはできない。
③反論権の制度は、批判的記事、ことに公的事項に関する批判的記事の掲載をちゆうちよさせ、憲法の保障する表現の自由を間接的に侵す危険につながるおそれも多分に存するという意味において、民主主義社会において極めて重要な意味をもつ新聞等の表現の自由に対し重大な影響を及ぼすものであるから、反論権の制度について具体的な成文法がないのに、反論権を認めるに等しい原告主張のような反論文掲載請求権をたやすく認めることはできない。
④放送法4条の規定も、反論文掲載請求権が認められる根拠とすることはできない。
判例
なお、④「放送法4条は訂正放送の制度を設けているが、放送事業者は、限られた電波の使用の免許を受けた者であつて、公的な性格を有するものであり(同法44条3項ないし5項、51条等参照)、その訂正放送は、放送により権利の侵害があつたこと及び放送された事項が真実でないことが判明した場合に限られるのであり、また、放送事業者が同等の放送設備により相当の方法で訂正又は取消の放送をすべきものとしているにすぎないなど、その要件、内容等において、いわゆる反論権の制度ないし上告人主張の反論文掲載請求権とは著しく異なるものであつて、同法4条の規定も、所論のような反論文掲載請求権が認められる根拠とすることはできない。」
過去問・解説
(H24 予備 第8問 イ)
政党は議会制民主主義を支える重要な存在であり、政党間の批判や論評は公共性の極めて強い事項である。したがって、ある政党が新聞紙上の広告で他の政党を批判した場合、それが名誉毀損に当たらない場合であっても、批判された政党は同じ新聞紙上に反論文を掲載する権利を有する。
(正答) ✕
(解説)
サンケイ新聞事件判決(最判昭62.4.24)は、「反論権の制度は、…批判的記事、ことに公的事項に関する批判的記事の掲載をちゅうちょさせ、憲法の保障する表現の自由を間接的に侵す危険につながるおそれも多分に存するのである。このように、反論権の制度は、民主主義社会において極めて重要な意味をもつ新聞等の表現の自由…に対し重大な影響を及ぼすものであ」るとの理由から、「たとえYの発行するサンケイ新聞などの日刊全国紙による情報の提供が一般国民に対し強い影響力をもち、その記事が特定の者の名誉ないしプライバシーに重大な影響を及ぼすことがあるとしても、不法行為が成立する場合にその者の保護を図ることは別論として、反論権の制度について具体的な成文法がないのに、反論権を認めるに等しいX主張のような反論文掲載請求権をたやすく認めることはできないものといわなければならない。」としている。
(H25 司法 第6問 イ)
新聞記事において批判を加えられた者が、名誉毀損の不法行為の成否にかかわらず、無料で反論文の掲載を当該新聞に求める権利については、公的事項に関する批判的記事の掲載をちゅうちょさせるおそれがあるので、具体的な法律がない場合には、これを認めることはできない。
(正答) 〇
(解説)
サンケイ新聞事件判決(最判昭62.4.24)は、「反論権の制度は、…批判的記事、ことに公的事項に関する批判的記事の掲載をちゅうちょさせ、憲法の保障する表現の自由を間接的に侵す危険につながるおそれも多分に存するのである。このように、反論権の制度は、民主主義社会において極めて重要な意味をもつ新聞等の表現の自由…に対し重大な影響を及ぼすものであ」るとの理由から、「たとえYの発行するサンケイ新聞などの日刊全国紙による情報の提供が一般国民に対し強い影響力をもち、その記事が特定の者の名誉ないしプライバシーに重大な影響を及ぼすことがあるとしても、不法行為が成立する場合にその者の保護を図ることは別論として、反論権の制度について具体的な成文法がないのに、反論権を認めるに等しいX主張のような反論文掲載請求権をたやすく認めることはできないものといわなければならない。」としている。
(H26 司法 第7問 イ)
放送事業者は、限られた電波の使用の免許を受けた者であって、公的な性格を有するものであり、放送による権利侵害や放送された事項が真実でないことが判明した場合に訂正放送が義務付けられているが、これは視聴者に対し反論権を認めるものではない。
(正答) 〇
(解説)
サンケイ新聞事件判決(最判昭62.4.24)は、「放送法4条は訂正放送の制度を設けているが、放送事業者は、限られた電波の使用の免許を受けた者であつて、公的な性格を有するものであり(同法44条3項ないし5項、51条等参照)、その訂正放送は、放送により権利の侵害があつたこと及び放送された事項が真実でないことが判明した場合に限られるのであり、また、放送事業者が同等の放送設備により相当の方法で訂正又は取消の放送をすべきものとしているにすぎないなど、その要件、内容等において、いわゆる反論権の制度ないし上告人主張の反論文掲載請求権とは著しく異なるものであつて、同法4条の規定も、所論のような反論文掲載請求権が認められる根拠とすることはできない。」としている。
なお、訂正放送等請求事件判決(最判平16.11.25)は、「法4条1項…は、真実でない事項の放送がされた場合において、放送内容の真実性の保障及び他からの干渉を排除することによる表現の自由の確保の観点から、放送事業者に対し、自律的に訂正放送等を行うことを国民全体に対する公法上の義務として定めたものであって、被害者に対して訂正放送等を求める私法上の請求権を付与する趣旨の規定ではないと解するのが相当である。前記のとおり、法4条1項は被害者からの訂正放送等の請求について規定しているが、同条2項の規定内容を併せ考えると、これは、同請求を、放送事業者が当該放送の真実性に関する調査及び訂正放送等を行うための端緒と位置付けているものと解するのが相当であって、これをもって、上記の私法上の請求権の根拠と解することはできない。」との理由から、「被害者は、放送事業者に対し、法4条1項の規定に基づく訂正放送等を求める私法上の権利を有しないというべきである。」としている。
(H28 司法 第6問 イ)
新聞等の記事が特定の者の名誉ないしプライバシーに重大な影響を及ぼし、その者に対する不法行為が成立する場合には、具体的な成文法がなくても、反論権の制度として、反論文掲載請求権が認められる。
(正答) ✕
(解説)
サンケイ新聞事件判決(最判昭62.4.24)は、「反論権の制度は、…批判的記事、ことに公的事項に関する批判的記事の掲載をちゅうちょさせ、憲法の保障する表現の自由を間接的に侵す危険につながるおそれも多分に存するのである。このように、反論権の制度は、民主主義社会において極めて重要な意味をもつ新聞等の表現の自由…に対し重大な影響を及ぼすものであ」るとの理由から、「たとえYの発行するサンケイ新聞などの日刊全国紙による情報の提供が一般国民に対し強い影響力をもち、その記事が特定の者の名誉ないしプライバシーに重大な影響を及ぼすことがあるとしても、不法行為が成立する場合にその者の保護を図ることは別論として、反論権の制度について具体的な成文法がないのに、反論権を認めるに等しいX主張のような反論文掲載請求権をたやすく認めることはできないものといわなければならない。」としている。
(R4 司法 第6問 ア)
反論権の制度が認められると、新聞記事により自己の名誉を傷つけられあるいはそのプライバシーに属する事項等について誤った報道をされたとする者にとっては、機を失せず、同じ新聞紙上に自己の反論文の掲載を受けることができ、これにより当該記事に対する自己の主張を読者に訴える途が開かれることになる。したがって、反論権の制度が名誉あるいはプライバシーの保護に資するものがあることは否定し難い。
(正答) 〇
(解説)
サンケイ新聞事件判決(最判昭.62.4.24)は、「新聞を発行・販売する者に対し、当該記事に対する自己の反論文を無修正で、しかも無料で掲載することを求めることができるものとするいわゆる反論権の制度は、記事により自己の名誉を傷つけられあるいはそのプライバシーに属する事項等について誤つた報道をされたとする者にとつては、機を失せず、同じ新聞紙上に自己の反論文の掲載を受けることができ、これによつて原記事に対する自己の主張を読者に訴える途が開かれることになるのであつて、かかる制度により名誉あるいはプライバシーの保護に資するものがあることも否定し難いところである」としている。
(R4 司法 第6問 イ)
反論権の制度は、民主主義社会において極めて重要な意味を持つ新聞等の表現の自由に対し重大な影響を及ぼすものである。したがって、記事を掲載した新聞が日刊全国紙であって、当該新聞による情報の提供が一般国民に対し強い影響力を持ち、当該記事が特定の者の名誉ないしプライバシーに重大な影響を及ぼし得る場合でない限り、具体的な成文法がないのに反論権を認めることはできない。
(正答) ✕
(解説)
サンケイ新聞事件判決(最判昭62.4.24)は、「反論権の制度は、…批判的記事、ことに公的事項に関する批判的記事の掲載をちゅうちょさせ、憲法の保障する表現の自由を間接的に侵す危険につながるおそれも多分に存するのである。このように、反論権の制度は、民主主義社会において極めて重要な意味をもつ新聞等の表現の自由…に対し重大な影響を及ぼすものであ」るとの理由から、「たとえYの発行するサンケイ新聞などの日刊全国紙による情報の提供が一般国民に対し強い影響力をもち、その記事が特定の者の名誉ないしプライバシーに重大な影響を及ぼすことがあるとしても、不法行為が成立する場合にその者の保護を図ることは別論として、反論権の制度について具体的な成文法がないのに、反論権を認めるに等しいX主張のような反論文掲載請求権をたやすく認めることはできないものといわなければならない。」と述べており、「その記事が特定の者の名誉ないしプライバシーに重大な影響を及ぼすことがあるとしても、…反論権の制度について具体的な成文法がないのに、反論権を認めるに等しいX主張のような反論文掲載請求権をたやすく認めることはできない」としている。
(R4 司法 第6問 ウ)
放送事業者に対して、一定の場合に、放送により権利の侵害を受けた本人等からの請求に基づく訂正放送を義務付ける放送法の規定や、他人の名誉を毀損した者に対して、裁判所が「名誉を回復するのに適切な処分」を命ずることができるとする民法723条の規定は、反論権について直接規定したものではない。しかし、それらの規定は、それぞれの趣旨に鑑みれば、裁判において反論権を認める根拠となり得る。
第2次メイプルソープ事件 最三小判平成20年2月19日
概要
②本件各写真のわいせつ性を全体的考察により判断すれば、関税定率法21条1項4号にいう「風俗を害すべき書籍、図画」等に該当しない。
判例
過去問・解説
(H23 共通 第7問 ウ)
問題となっている写真集のわいせつ性については、芸術など性的刺激を緩和させる要素の存在、問題となっている各写真の写真集に占める比重、作者に対する当該分野の評論家からの評価、その表現手法等の観点から、写真集を全体としてみて判断すべきである。
(正答) 〇
(解説)
第2次メイプルソープ事件判決(最判平20.2.19)は、「本件写真集における芸術性など性的刺激を緩和させる要素の存在、本件各写真の本件写真集全体に占める比重、その表現手法等の観点から写真集を全体としてみたときには、本件写真集が主として見る者の好色的興味に訴えるものと認めることは困難といわざるを得ない。これらの諸点を総合すれば、本件写真集は、本件通知処分当時における一般社会の健全な社会通念に照らして、関税定率法21条1項4号にいう「風俗を害すべき書籍、図画」等に該当するものとは認められないというべきである。」としており、わいせつ性の判断につき全体的考察方法を用いる判例の流れを推し進めた点に意義があると評価されている。
「署名狂やら殺人前科」事件 最一小判昭和41年6月23日
概要
判例
本件について検討するに、原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)によると、上告人は昭和30年2月施行の衆議院議員の総選挙の立候補者であるところ、被上告人は、その経営する新聞に、原判決の判示するように、上告人が学歴および経歴を詐称し、これにより公職選挙法違反の疑いにより警察から追及され、前科があつた旨の本件記事を掲載したが、右記事の内容は、経歴詐称の点を除き、いずれも真実であり、かつ、経歴詐称の点も、真実ではなかつたが、少くとも、被上告人において、これを真実と信ずるについて相当の理由があつたというのであり、右事実の認定および判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、十分これを肯認することができる。
そして、前記の事実関係によると、これらの事実は、上告人が前記衆議院議員の立候補者であつたことから考えれば、公共の利害に関するものであることは明らかであり、しかも、被上告人のした行為は、もつぱら公益を図る目的に出たものであるということは、原判決の判文上十分了解することができるから、被上告人が本件記事をその新聞に掲載したことは、違法性を欠くか、または、故意もしくは過失を欠くものであつて、名誉毀損たる不法行為が成立しないものと解すべきことは、前段説示したところから明らかである。」
過去問・解説
(H18 司法 第5問 小問1第1肢改題)
新聞による公職候補者の前科の公表が名誉毀損罪に当たるか否かが争われた事例についての判決(最一小判昭和41年6月23日)は、事実の報道の自由が憲法第21条の保障の下にあると述べるにあたり、報道機関の報道が国民の「知る権利」に奉仕することを指摘している。
(正答) ✕
(解説)
「署名狂やら殺人前科」事件判決(最判昭41.6.23)は、「民事上の不法行為たる名誉毀損については、その行為が公共の利害に関する事実に係りもつぱら公益を図る目的に出た場合には、摘示された事実が真実であることが証明されたときは、右行為には違法性がなく、不法行為は成立しないものと解するのが相当であり、もし、右事実が真実であることが証明されなくても、その行為者においてその事実を真実と信ずるについて相当の理由があるときには、右行為には故意もしくは過失がなく、結局、不法行為は成立しないものと解するのが相当である…」とした上で、これらの要件を満たすことを理由に、「被上告人が本件記事をその新聞に掲載したことは、違法性を欠くか、または、故意もしくは過失を欠くものであつて、名誉毀損たる不法行為が成立しないものと解すべき…である。」としているところ、事実の報道の自由が憲法第21条の保障の下にあることや、報道機関の報道が国民の「知る権利」に奉仕することには言及していない。
事実の報道の自由が憲法第21条の保障の下にあると述べるにあたり、報道機関の報道が国民の「知る権利」に奉仕することを指摘したのは、博多駅事件決定(最大決昭44.11.26)である。
「夕刊和歌山時事」事件 最大判昭和44年6月25日
概要
判例
判旨:「刑法230条の2の規定は、人格権としての個人の名誉の保護と、憲法21条による正当な言論の保障との調和をはかつたものというべきであり、これら両者間の調和と均衡を考慮するならば、たとい刑法230条の2第1項にいう事実が真実であることの証明がない場合でも、行為者がその事実を真実であると誤信し、その誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らし相当の理由があるときは、犯罪の故意がなく、名誉毀損の罪は成立しないものと解するのが相当である。これと異なり、右のような誤信があつたとしても、およそ事実が真実であることの証明がない以上名誉毀損の罪責を免れることがないとした当裁判所の前記判例(昭和33年(あ)第2698号同34年5月7日第一小法廷判決、刑集13巻5号641頁)は、これを変更すべきものと認める。」
過去問・解説
(R5 予備 第2問 ア)
ある事実を基礎とする意見を表明する行為が、公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった場合であっても、意見の前提となる事実がその重要な部分について真実であることの証明がなければ、当該表現行為は、名誉毀損と評価されることとなる。
(正答) ✕
(解説)
判例は、名誉毀損表現について、事実摘示型と論評型を区別しており、事実摘示型には「夕刊和歌山時事」事件判決(最大判昭44.6.25)の考えが妥当するが、論評型にはその考え方がそのままの形では妥当しないとしている。
長崎教師ビラ事件最高裁判決(最判平元.12.21)は、論評型の事案において、「公共の利害に関する事項について自由に批判、論評を行うことは、もとより表現の自由の行使として尊重されるべきものであり、その対象が公務員の地位における行動である場合には、右批判等により当該公務員の社会的評価が低下することがあっても、その目的が専ら公益を図るものであり、かつ、その前提としている事実が主要な点において真実であることの証明があったときは、人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱したものでない限り、名誉侵害の不法行為の違法性を欠くものというべきである」としている。そして、本判決は、真実性の証明については「その前提としている事実が主要な点において真実であることの証明があったとき」として「夕刊和歌山時事」事件判決よりも要件を緩和する一方で、「人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱したものでない限り」という「夕刊和歌山時事」事件判決では言及されていない第4の要件を追加している。本肢は、論評型の得名誉毀損表現について、第4の要件に言及がない点において、誤っている。
長崎教師ビラ事件 最一小判平成元年12月21日
概要
判例
判旨:「公共の利害に関する事項について自由に批判、論評を行うことは、もとより表現の自由の行使として尊重されるべきものであり、その対象が公務員の地位における行動である場合には、右批判等により当該公務員の社会的評価が低下することがあっても、その目的が専ら公益を図るものであり、かつ、その前提としている事実が主要な点において真実であることの証明があったときは、人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱したものでない限り、名誉侵害の不法行為の違法性を欠くものというべきである。このことは、当裁判所の判例…の趣旨に徴して明らかであり、ビラを作成配布することも、右のような表現行為として保護されるべきことに変わりはない。
本件において、前示のような本件ビラの内容からすれば、本件配布行為は、被上告人らの社会的評価を低下させることがあっても、被上告人らが、有害無能な教職員でその教育内容が粗末であることを読者に訴え掛けることに主眼があるとはにわかに解し難く、むしろ右行為の当時長崎市内の教育関係者のみならず一般市民の間でも大きな関心事になっていた小学校における通知表の交付をめぐる混乱という公共の利害に関する事項についての批判、論評を主題とする意見表明というべきである。本件ビラの末尾一覧表に被上告人らの氏名・住所・電話番号等が個別的に記載された部分も、これに起因する結果につき人格的利益の侵害という観点から別途の不法行為責任を問う余地のあるのは格別、それ自体としては、被上告人らの社会的 評価に直接かかわるものではなく、また、本件ビラを全体として考察すると、主題を離れて被上告人らの人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱しているということもできない。そして、本件ビラの右のような性格及び内容に照らすと、上告人の本件配布行為の主観的な意図及び本件ビラの作成名義人が前記のようなものであっても、そのことから直ちに本件配布行為が専ら公益を図る目的に出たものに当たらないということはできず、更に、本件ビラの主題が前提としている客観的事実については、その主要な点において真実であることの証明があったものとみて差し支えないから、本件配布行為は、名誉侵害の不法行為の違法性を欠くものというべきである。してみると、被上告人らの本訴請求中、上告人の被上告人らに対する名誉侵害の不法行為責任を前提として新聞紙上への謝罪広告の掲載を求める部分…は、失当として棄却すべきものである。」
過去問・解説
(H25 司法 第6問 ア)
公務員としての行動に関する批判的論評が公務員の社会的評価を低下させる場合でも、その論評が専ら公益目的でなされ、かつ前提たる事実が主要な点において真実であることの証明があれば、論評としての域を逸脱していない限り、名誉毀損の不法行為は成立しない。
(正答) 〇
(解説)
判例は、名誉毀損表現について、事実摘示型と論評型を区別しており、事実摘示型には「夕刊和歌山時事」事件判決(最大判昭44.6.25)の考えが妥当するが、論評型にはその考え方がそのままの形では妥当しないとしている。
長崎教師ビラ事件最高裁判決(最判平元.12.21)は、論評型の事案において、「公共の利害に関する事項について自由に批判、論評を行うことは、もとより表現の自由の行使として尊重されるべきものであり、その対象が公務員の地位における行動である場合には、右批判等により当該公務員の社会的評価が低下することがあっても、その目的が専ら公益を図るものであり、かつ、その前提としている事実が主要な点において真実であることの証明があったときは、人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱したものでない限り、名誉侵害の不法行為の違法性を欠くものというべきである」としている。そして、本判決は、真実性の証明については「その前提としている事実が主要な点において真実であることの証明があったとき」として「夕刊和歌山時事」事件判決よりも要件を緩和する一方で、「人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱したものでない限り」という「夕刊和歌山時事」事件判決では言及されていない第4の要件を追加している。本肢は、論評型の得名誉毀損表現について、第4の要件に言及がない点において、誤っている。
「宴のあと」事件 東京地判昭和39年9月28日
概要
②私生活をみだりに公開されないという意味でのプライバシーは、不法な侵害に対しては法的救済が与えられるまでに高められた人格的な利益であり、人格権に包摂されるものではあるけれども、なおこれを一つの権利と呼ぶことを妨げるものではない。
③私生活をみだりに公開されないというプライバシーの侵害に対し法的な救済が与えられるためには、公開された内容が(イ)私生活上の事実または私生活上の事実らしく受け取られるおそれのあることがらであること、(ロ)一般人の感受性を基準にして当該私人の立場に立った場合公開を欲しないであろうと認められることがらであること、換言すれば一般人の感覚を基準として公開されることによって心理的な負担、不安を覚えるであろうと認められることがらであること、(ハ)一般の人々に未だ知られていないことがらであることを必要とし、このような公開によって当該私人が実際に不快、不安の念を覚えたことを必要とする。
判例
②「被告等は私生活をみだりに公開されないという意味でのプライバシーの尊重が必要なことは認めるけれども、それが実定法的にも一つの法益として是認され、したがって法的保護の対象となる権利であるかどうかは疑問であると主張する。しかし近代法の根本理念の一つであり、また日本国憲法のよって立つところでもある個人の尊厳という思想は、相互の人格が尊重され、不当な干渉から自我が保護されることによってはじめて確実なものとなるのであって、そのためには、正当な理由がなく他人の私事を公開することが許されてはならないことは言うまでもないところである。このことの片鱗はすでに成文法上にも明示されているところであって、たとえば他人の住居を正当な理由がないのにひそかにのぞき見る行為は犯罪とせられており(軽犯罪法1条1項23号)その目的とするところが私生活の場所的根拠である住居の保護を通じてプライバシーの保障を図るにあるとは明らかであり、また民法235条1項が相隣地の観望について一定の規制を設けたところも帰するところ他人の私生活をみだりにのぞき見ることを禁ずる趣旨にあることは言うまでもないし、このほか刑法133条の信書開披罪なども同じくプライバシーの保護に資する規定であると解せられるのである。ここに挙げたような成文法規の存在と前述したように私事をみだりに公開されないという保障が、今日のマスコミユニケーシヨンの発達した社会では個人の尊厳を保ち幸福の追求を保障するうえにおいて必要不可欠なものであるとみられるに至つていることとを合わせ考えるならば、その尊重はもはや単に倫理的に要請されるにとどまらず、不法な侵害に対しては法的救済が与えられるまでに高められた人格的な利益であると考えるのが正当であり、それはいわゆる人格権に包摂されるものではあるけれども、なおこれを一つの権利と呼ぶことを妨げるものではないと解するのが相当である。」
③「プライバシー権は私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利として理解されるから、その侵害に対しては侵害行為の差し止めや精神的苦痛に因る損害賠償請求権が認められるべきものであり、民法709条はこのような侵害行為もなお不法行為として評価されるべきことを規定しているものと解釈するのが正当である。…ここにいうような私生活の公開とは、公開されたところが必ずしもすべて真実でなければならないものではなく、一般の人が公開された内容をもって当該私人の私生活であると誤認しても不合理でない程度に真実らしく受け取られるものであれば、それはなおプライバシーの侵害としてとらえることができるものと解すべきである。けだし、このような公開によっても当該私人の私生活とくに精神的平穏が害われることは、公開された内容が真実である場合とさしたる差異はないからである。…そうであれば、右に論じたような趣旨でのプライバシーの侵害に対し法的な救済が与えられるためには、公開された内容が(イ)私生活上の事実または私生活上の事実らしく受け取られるおそれのあることがらであること、(ロ)一般人の感受性を基準にして当該私人の立場に立った場合公開を欲しないであろうと認められることがらであること、換言すれば一般人の感覚を基準として公開されることによって心理的な負担、不安を覚えるであろうと認められることがらであること、(ハ)一般の人々に未だ知られていないことがらであることを必要とし、このような公開によって当該私人が実際に不快、不安の念を覚えたことを必要とするが、公開されたところが当該私人の名誉、信用というような他の法益を侵害するものであることを要しないのは言うまでもない。」
過去問・解説
(H23 共通 第3問 ア)
「宴のあと」事件判決(東京地判昭和39年9月28日)は、いわゆるプライバシー権は私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利であるとし、公開を欲するか否かについては、本人の感受性を基準にして判断するとした。
(正答) ✕
(解説)
「宴のあと」事件判決(東京地判昭39.9.28)は、「プライバシー権は私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利として理解される」としているから、本肢前段は正しい。
しかし、本判決は、プライバシーの侵害に対し法的な救済が与えられるための要件の一つとして、「(ロ)一般人の感受性を基準にして当該私人の立場に立った場合公開を欲しないであろうと認められることがらであること、換言すれば一般人の感覚を基準として公開されることによって心理的な負担、不安を覚えるであろうと認められることがらであること」としており、公開を欲するか否かについては、本人の感受性ではなく「一般人の感受性」を基準にしている。したがって、本肢後段は、「公開を欲するか否かについては、本人の感受性を基準にして判断するとした。」としている点において、誤っている。
ノンフィクション「逆転」事件 最三小判平成6年2月8日
概要
②ある者の前科等にかかわる事実を実名を使用して著作物で公表したことが不法行為を構成するか否かは、その者のその後の生活状況のみならず、事件それ自体の歴史的又は社会的な意義、その当事者の重要性、その者の社会的活動及びその影響力について、その著作物の目的、性格等に照らした実名使用の意義及び必要性をも併せて判断すべきもので、その結果、前科等にかかわる事実を公表されない法的利益が優越するとされる場合には、その公表によって被った精神的苦痛の賠償を求めることができるものといわなければならない。
判例
判旨:「ある者が刑事事件につき被疑者とされ、さらには被告人として公訴を提起されて判決を受け、とりわけ有罪判決を受け、服役したという事実は、その者の名誉あるいは信用に直接にかかわる事項であるから、その者は、みだりに右の前科等にかかわる事実を公表されないことにつき、法的保護に値する利益を有するものというべきである(最高裁昭和52年(オ)第323号同56年4月14日第三小法廷判決・民集35巻3号620頁参照)。この理は、右の前科等にかかわる事実の公表が公的機関によるものであっても、私人又は私的団体によるものであっても変わるものではない。そして、その者が有罪判決を受けた後あるいは服役を終えた後においては、一市民として社会に復帰することが期待されるのであるから、その者は、前科等にかかわる事実の公表によって、新しく形成している社会生活の平穏を害されその更生を妨げられない利益を有するというべきである。
そして、ある者の前科等にかかわる事実が実名を使用して著作物で公表された場合に、以上の諸点を判断するためには、その著作物の目的、性格等に照らし、実名を使用することの意義及び必要性を併せ考えることを要するというべきである。
要するに、前科等にかかわる事実については、これを公表されない利益が法的保護に値する場合があると同時に、その公表が許されるべき場合もあるのであって、ある者の前科等にかかわる事実を実名を使用して著作物で公表したことが不法行為を構成するか否かは、その者のその後の生活状況のみならず、事件それ自体の歴史的又は社会的な意義、その当事者の重要性、その者の社会的活動及びその影響力について、その著作物の目的、性格等に照らした実名使用の意義及び必要性をも併せて判断すべきもので、その結果、前科等にかかわる事実を公表されない法的利益が優越するとされる場合には、その公表によって被った精神的苦痛の賠償を求めることができるものといわなければならない。なお、このように解しても、著作者の表現の自由を不当に制限するものではない。けだし、表現の自由は、十分に尊重されなければならないものであるが、常に他の基本的人権に優越するものではなく、前科等にかかわる事実を公表することが憲法の保障する表現の自由の範囲内に属するものとして不法行為責任を追求される余地がないものと解することはできないからである。この理は、最高裁昭和28年(オ)第1214号同31年7月4日大法廷判決・民集10巻7号785頁の趣旨に徴しても明らかであり、原判決の違憲をいう論旨を採用することはできない。
過去問・解説
(R5 予備 第2問 イ)
ある者が刑事事件について被疑者とされ、被告人として公訴提起されて有罪判決を受け、服役した事実は、その者の名誉あるいは信用に直接に関わる事項であり、その者は、みだりに上記の前科等に関わる事実を公表されないことにつき、法的保護に値する利益を有すると考えられ、この点は、前科等に関わる事実の公表が公的機関によるものであっても、私人又は私的団体によるものであっても違いはない。
長良川事件 最二小判平成15年3月14日
概要
②名誉毀損については、その行為が公共の利害に関する事実に係り、その目的が専ら公益を図るものである場合において、摘示された事実がその重要な部分において真実であることの証明があるとき、又は真実であることの証明がなくても、行為者がそれを真実と信ずるについて相当の理由があるときは、不法行為は成立しない。
③プライバシーの侵害については、その事実を公表されない法的利益とこれを公表する理由とを比較衡量し、前者が後者に優越する場合に不法行為が成立する。
判例
判旨:「原判決は、本件記事によるXの被侵害利益を、(ア) 名誉、プライバシーであるとして、Yの不法行為責任を認めたのか、これらの権利に加えて 、(イ) 原審が少年法61条によって保護されるとする「少年の成長発達過程において健全に成長するための権利」をも被侵害利益であるとして上記結論を導いたのか、その判文からは必ずしも判然としない。しかし、Xは、原審において、本件記事による被侵害利益を、上記(ア)の権利、すなわちXの名誉、プライバシーである旨を一貫して主張し、(イ)の権利を被侵害利益としては主張していないことは、記録上明らかである。このような原審における審理の経過にかんがみると、当審としては、原審が上記(ア)の権利の侵害を理由に前記結論を下したものであることを前提として、審理判断をすべきものと考えられる。
Xは、本件記事によって、ZがXであると推知し得る読者に対し、Xが起訴事実に係る罪を犯した事件本人であること(以下「犯人情報」という。)及び経歴や交友関係等の詳細な情報(以下「履歴情報」という。)を公表されたことにより、名誉を毀損され、プライバシーを侵害されたと主張しているところ、本件記事に記載された犯人情報及び履歴情報は、いずれもXの名誉を毀損する情報であり、また、他人にみだりに知られたくないXのプライバシーに属する情報であるというべきである。そして、Xと面識があり、又は犯人情報あるいはXの履歴情報を知る者は、その知識を手がかりに本件記事がXに関する記事であると推知することが可能であり、本件記事の読者の中にこれらの者が存在した可能性を否定することはできない。そして、これらの読者の中に、本件記事を読んで初めて、Xについてのそれまで知っていた以上の犯人情報や履歴情報を知った者がいた可能性も否定することはできない。したがって、Yの本件記事の掲載行為は、Xの名誉を毀損し、プライバシーを侵害するものであるとした原審の判断は、その限りにおいて是認することができる。なお、…少年法61条に違反する推知報道かどうかは、その記事等により、不特定多数の一般人がその者を当該事件の本人であると推知することができるかどうかを基準にして判断すべきところ、本件記事は、Xについて、当時の実名と類似する仮名が用いられ、その経歴等が記載されているものの、Xと特定するに足りる事項の記載はないから、Xと面識等のない不特定多数の一般人が、本件記事により、Xが当該事件の本人であることを推知することができるとはいえない。したがって、本件記事は、少年法61条の規定に違反するものではない。」
ところで、本件記事がXの名誉を毀損し、プライバシーを侵害する内容を含むものとしても、本件記事の掲載によってYに不法行為が成立するか否かは、被侵害利益ごとに違法性阻却事由の有無等を審理し、個別具体的に判断すべきものである。すなわち、名誉毀損については、その行為が公共の利害に関する事実に係り、その目的が専ら公益を図るものである場合において、摘示された事実がその重要な部分において真実であることの証明があるとき、又は真実であることの証明がなくても、行為者がそれを真実と信ずるについて相当の理由があるときは、不法行為は成立しないのであるから、…本件においても、これらの点を個別具体的に検討することが必要である。また、プライバシーの侵害については、その事実を公表されない法的利益とこれを公表する理由とを比較衡量し、前者が後者に優越する場合に不法行為が成立するのであるから…、本件記事が週刊誌に掲載された当時のXの年齢や社会的地位、当該犯罪行為の内容、これらが公表されることによってXのプライバシーに属する情報が伝達される範囲とXが被る具体的被害の程度、本件記事の目的や意義、公表時の社会的状況、本件記事において当該情報を公表する必要性など、その事実を公表されない法的利益とこれを公表する理由に関する諸事情を個別具体的に審理し、これらを比較衡量して判断することが必要である。」
過去問・解説
(H27 司法 第4問 ウ)
少年法61条が禁止する推知報道に該当するか否かは、少年と面識のある特定多数の者あるいは少年の生活基盤としてきた地域社会の不特定多数の者が、少年を当該事件の本人であると推知することができるかを基準にして判断すべきである。
(正答) ✕
(解説)
長良川事件判決(最判平15.3.14)は、「少年法61条に違反する推知報道かどうかは、その記事等により、不特定多数の一般人がその者を当該事件の本人であると推知することができるかどうかを基準にして判断すべき」とした上で、「本件記事は、被上告人について、当時の実名と類似する仮名が用いられ、その経歴等が記載されているものの、被上告人と特定するに足りる事項の記載はないから、被上告人と面識等のない不特定多数の一般人が、本件記事により、被上告人が当該事件の本人であることを推知することができるとはいえない。」としており、「被上告人と面識等のない不特定多数の一般人が、本件記事により、被上告人が当該事件の本人であることを推知することができる」か否かを基準にしている。
したがって、本肢は、「少年と面識のある特定多数の者あるいは少年の生活基盤としてきた地域社会の不特定多数の者」を基準にしている点において、誤っている。
(R5 司法 第3問 ウ)
少年法61条が禁止する推知報道に当たるか否かは、少年と面識のある特定多数の者あるいは少年が生活基盤としてきた地域社会の不特定多数の者ではなく、不特定多数の一般人が、当該事件報道記事等により、少年を当該事件の本人であると推知することができるかを基準にして判断すべきである。
(正答) 〇
(解説)
長良川事件判決(最判平15.3.14)は、「少年法61条に違反する推知報道かどうかは、その記事等により、不特定多数の一般人がその者を当該事件の本人であると推知することができるかどうかを基準にして判断すべき」とした上で、「本件記事は、被上告人について、当時の実名と類似する仮名が用いられ、その経歴等が記載されているものの、被上告人と特定するに足りる事項の記載はないから、被上告人と面識等のない不特定多数の一般人が、本件記事により、被上告人が当該事件の本人であることを推知することができるとはいえない。」としており、「被上告人と面識等のない不特定多数の一般人が、本件記事により、被上告人が当該事件の本人であることを推知することができる」か否かを基準にしている。
和歌山カレー事件報道訴訟 最一小判平成17年11月10日
概要
②人は、自己の容ぼう等を描写したイラスト画についても、これをみだりに公表されない人格的利益を有すると解するのが相当である。もっとも、人の容ぼう等を描写したイラスト画を公表する行為が社会生活上受忍の限度を超えて不法行為法上違法と評価されるか否かの判断に当たっては、写真とは異なるイラスト画の上記特質が参酌されなければならない。
判例
判旨:①「人は、みだりに自己の容ぼう等を撮影されないということについて法律上保護されるべき人格的利益を有する(最高裁昭和40年(あ)第1187号同44年12月24日大法廷判決・刑集23巻12号1625頁参照)。もっとも、人の容ぼう等の撮影が正当な取材行為等として許されるべき場合もあるのであって、ある者の容ぼう等をその承諾なく撮影することが不法行為法上違法となるかどうかは、被撮影者の社会的地位、撮影された被撮影者の活動内容、撮影の場所、撮影の目的、撮影の態様、撮影の必要性等を総合考慮して、被撮影者の上記人格的利益の侵害が社会生活上受忍の限度を超えるものといえるかどうかを判断して決すべきである。
また、人は、自己の容ぼう等を撮影された写真をみだりに公表されない人格的利益も有すると解するのが相当であり、人の容ぼう等の撮影が違法と評価される場合には、その容ぼう等が撮影された写真を公表する行為は、被撮影者の上記人格的利益を侵害するものとして、違法性を有するものというべきである。
これを本件についてみると、前記のとおり、Xは、本件写真の撮影当時、社会の耳目を集めた本件刑事事件の被疑者として拘束中の者であり、本件写真は、本件刑事事件の手続でのXの動静を報道する目的で撮影されたものである。しかしながら、本件写真週刊誌のカメラマンは、刑訴規則215条所定の裁判所の許可を受けることなく、小型カメラを法廷に持ち込み、Xの動静を隠し撮りしたというのであり、その撮影の態様は相当なものとはいえない。また、Xは、手錠をされ、腰縄を付けられた状態の容ぼう等を撮影されたものであり、このようなXの様子をあえて撮影することの必要性も認め難い。本件写真が撮影された法廷は傍聴人に公開された場所であったとはいえ、Xは、被疑者として出頭し在廷していたのであり、写真撮影が予想される状況の下に任意に公衆の前に姿を現したものではない。以上の事情を総合考慮すると、本件写真の撮影行為は、社会生活上受忍すべき限度を超えて、Xの人格的利益を侵害するものであり、不法行為法上違法であるとの評価を免れない。そして、このように違法に撮影された本件写真を、本件第1記事に組み込み、本件写真週刊誌に掲載して公表する行為も、Xの人格的利益を侵害するものとして、違法性を有するものというべきである。」
②「人は、自己の容ぼう等を描写したイラスト画についても、これをみだりに公表されない人格的利益を有すると解するのが相当である。しかしながら、人の容ぼう等を撮影した写真は、カメラのレンズがとらえた被撮影者の容ぼう等を化学的方法等により再現したものであり、それが公表された場合は、被撮影者の容ぼう等をありのままに示したものであることを前提とした受け取り方をされるものである。これに対し、人の容ぼう等を描写したイラスト画は、その描写に作者の主観や技術が反映するものであり、それが公表された場合も、作者の主観や技術を反映したものであることを前提とした受け取り方をされるものである。したがって、人の容ぼう等を描写したイラスト画を公表する行為が社会生活上受忍の限度を超えて不法行為法上違法と評価されるか否かの判断に当たっては、写真とは異なるイラスト画の上記特質が参酌されなければならない。
これを本件についてみると、前記のとおり、本件イラスト画のうち下段のイラスト画2点は、法廷において、Xが訴訟関係人から資料を見せられている状態及び手振りを交えて話しているような状態が描かれたものである。現在の我が国において、一般に、法廷内における被告人の動静を報道するためにその容ぼう等をイラスト画により描写し、これを新聞、雑誌等に掲載することは社会的に是認された行為であると解するのが相当であり、上記のような表現内容のイラスト画を公表する行為は、社会生活上受忍すべき限度を超えてXの人格的利益を侵害するものとはいえないというべきである。したがって、上記イラスト画2点を本件第2記事に組み込み、本件写真週刊誌に掲載して公表した行為については、不法行為法上違法であると評価することはできない。しかしながら、本件イラスト画のうち上段のものは、前記のとおり、Xが手錠、腰縄により身体の拘束を受けている状態が描かれたものであり、そのような表現内容のイラスト画を公表する行為は、Xを侮辱し、Xの名誉感情を侵害するものというべきであり、同イラスト画を、本件第2記事に組み込み、本件写真週刊誌に掲載して公表した行為は、社会生活上受忍すべき限度を超えて、Xの人格的利益を侵害するものであり、不法行為法上違法と評価すべきである。」
過去問・解説
(H27 司法 第4問 ア)
法廷内における被告人の容ぼう等につき、手錠、腰縄により身体の拘束を受けている状態が描かれたイラスト画を被告人の承諾なく公表する行為は、被告人を侮辱し、名誉感情を侵害するものというべきで、その人格的利益を侵害する。
ヘイトスピーチの差止め 最三小判平成26年12月9日
概要
判例
判旨:「民事事件について最高裁判所に上告をすることが許されるのは、民訴法312条1項又は2項所定の場合に限られるところ、本件上告理由は、違憲及び理由の不備・食違いをいうが、その実質は事実誤認又は単なる法令違反を主張するものであって、明らかに上記各項に規定する事由に該当しない。」
過去問・解説
(R4 司法 第2問 ウ)
最高裁判所は、下級裁判所が、一定の集団に属する者の全体に対して人種差別的な発言をした者に対し、人種差別撤廃条約並びに同条約に照らして解釈される憲法第13条及び第14条第1項は私人相互の関係にも直接適用されるとして、民法第709条の規定により高額の損害賠償を命じた事例において、上告を棄却した。
食糧緊急措置令違反事件 最大判昭和24年5月18日
概要
判例
過去問・解説
(H19 司法 第7問 小問2第1肢改題)
「主要食糧の政府に対する売渡を為さざることを煽動したる者」を処罰する食糧緊急措置令の規定が憲法21条に違反しないとした判決(最大判昭和24年5月18日 犯罪の扇動と表現の自由)の解釈手法は、泉佐野市市民会館事件判決(最判平成7年3月7日)の「このように限定して解する限り、当該規制は、他の基本的人権に対する侵害を回避し、防止するために必要かつ合理的なものとして、憲法第21条に違反するものではない。」と同様である。
(正答) ✕
(解説)
食糧緊急措置令違反事件判決(最大判昭24.5.18)は、「国民はまた、新憲法が国民に保障する基本的人権を濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負うのである(憲法12条)。」とした上で、「食糧管理法…の規定に基く命令による主要食糧の政府に対する売渡に関し、これを為さゞることを煽動するが如きは、所論のように、政府の政策を批判し、その失政を攻撃するに止るものではなく、国民として負担する法律上の重要な義務の不履行を慫慂し、公共の福祉を害するものである。されば、かゝる所為は、新憲法の保障する言論の自由の限界を逸脱し、社会生活において道義的に責むべきものであるから、これを犯罪として処罰する法規は新憲法第21条の条規に反するものではない。」としており、同法所定の「主要食糧ノ政府ニ対スル売渡ヲ為サザルコトヲ扇動」することは「言論…の自由」(憲法21条1項)の保護範囲外であると解している。したがって、本判決は、禁止の対象となっている同法所定の「主要食糧ノ政府ニ対スル売渡ヲ為サザルコトヲ扇動」することが「言論…の自由」(憲法21条1項)として保障されることを前提として、規制範囲を合憲限定解釈により絞り込むことにより食糧緊急措置令11条を合憲としているわけではない。
破防法違反事件 最二小判平成2年9月28日
概要
②せん動は、公共の安全を脅かす現住建造物等放火罪、騒擾罪等の重大犯罪をひき起こす可能性のある社会的に危険な行為であるから、公共の福祉に反し、表現の自由の保護を受けるに値しないものとして、制限を受けるのはやむを得ないものであるから、せん動を処罰対象とする破壊活動防止法39条及び40条は憲法21条1項に違反しない。
判例
過去問・解説
(H30 司法 第3問 ウ)
破壊活動防止法第39条及び第40条のせん動罪は、政治目的をもって、所定の犯罪のせん動をすることを処罰するものであるが、せん動として外形に現れた客観的な行為を処罰の対象とするもので、行為の基礎となった思想、信条を処罰するものではないから、せん動罪が政治思想を処罰するもので憲法第19条に違反するとの主張は前提を欠く。
(R3 予備 第3問 イ)
犯罪ないし違法行為のせん動は、表現活動としての性質を有するが、具体的事情の下、そのせん動が重大な害悪を生じさせる蓋然性が高く、その害悪の発生が差し迫っていると認められる場合であれば、公共の福祉に反し、表現の自由の保護を受けるに値しないものとして、制限を受けるのはやむを得ない。
吉祥寺駅構内ビラ配布事件 最三小判昭和59年12月18日
概要
②伊藤正己裁判官の補足意見は、㋐ビラ配布には社会における少数者の意見を他人に伝える最も簡便で有効な手段の一つとしての意義があるから、これによる侵害が不当であるかは、ビラ配布の意見・主張の有効な伝達手段としての価値とそれを規制することで確保される利益とを具体的状況のもとで較量して判断するべきこと、㋑この利益衡量の際には、一般公衆が自由に出入りできるパブリック・フォーラムは表現のための場として役立つという機能を有するから、そこにおける「表現の自由」の保障に可能な限り配慮する必要があるということを述べた。
判例
補足意見:「憲法21条1項の保障する表現の自由は、きわめて重要な基本的人権であるが、それが絶対無制約のものではなく、その行使によつて、他人の財産権、管理権を不当に害することの許されないことは、法廷意見の説示するとおりである。しかし、その侵害が不当なものであるかどうかを判断するにあたつて、形式的に刑罰法規に該当する行為は直ちに不当な侵害になると解するのは適当ではなく、そこでは、憲法の保障する表現の自由の価値を十分に考慮したうえで、それにもかかわらず表現の自由の行使が不当とされる場合に限つて、これを当該刑罰法規によつて処罰しても憲法に違反することにならないと解されるのであり、このような見地に立つて本件ビラ配布行為が処罰しうるものであるかどうかを判断すべきである。
一般公衆が自由に出入りすることのできる場所においてビラを配布することによつて自己の主張や意見を他人に伝達することは、表現の自由の行使のための手段の一つとして決して軽視することのできない意味をもつている。特に、社会における少数者のもつ意見は、マス・メデイアなどを通じてそれが受け手に広く知られるのを期待することは必ずしも容易ではなく、それを他人に伝える最も簡便で有効な手段の一つが、ビラ配布であるといつてよい。いかに情報伝達の方法が発達しても、ビラ配布という手段のもつ意義は否定しえないのである。この手段を規制することが、ある意見にとつて社会に伝達される機会を実質上奪う結果になることも少なくない。
以上のように、ビラ配布という手段は重要な機能をもつているが、他方において、一般公衆が自由に出入りすることのできる場所であつても、他人の所有又は管理する区域内でそれを行うときには、その者の利益に基づく制約を受けざるをえないし、またそれ以外の利益(例えば、一般公衆が妨害なくその場所を通行できることや、紙くずなどによつてその場所が汚されることを防止すること)との調整も考慮しなければならない。ビラ配布が言論出版という純粋の表現形態でなく、一定の行動を伴うものであるだけに、他の利益との較量の必要性は高いといえる。したがつて、所論のように、本件のような規制は、社会に対する明白かつ現在の危険がなければ許されないとすることは相当でないと考えられる。
以上説示したように考えると、ビラ配布の規制については、その行為が主張や意見の有効な伝達手段であることからくる表現の自由の保障においてそれがもつ価値と、それを規制することによつて確保できる他の利益とを具体的状況のもとで較量して、その許容性を判断すべきであり、形式的に刑罰法規に該当する行為というだけで、その規制を是認することは適当ではないと思われる。そして、この較量にあたつては、配布の場所の状況、規制の方法や態様、配布の態様、その意見の有効な伝達のための他の手段の存否など多くの事情が考慮されることとなろう。
もとより、道路のような公共用物と、一般公衆が自由に出入りすることのできる場所とはいえ、私的な所有権、管理権に服するところとは、性質に差異があり、同一に論ずることはできない。しかし、後者にあつても、パブリツク・フオーラムたる性質を帯有するときには、表現の自由の保障を無視することができないのであり、その場合には、それぞれの具体的状況に応じて、表現の自由と所有権、管理権とをどのように調整するかを判断すべきこととなり、前述の較量の結果、表現行為を規制することが表現の自由の保障に照らして是認できないとされる場合がありうるのである。本件に関連する「鉄道地」(鉄道営業法35条)についていえば、それは、法廷意見のいうように、鉄道の営業主体が所有又は管理する用地・地域のうち、駅のフオームやホール、線路のような直接鉄道運送業務に使用されるもの及び駅前広場のようなこれと密接不可分の利用関係にあるものを指すと解される。しかし、これらのうち、例えば駅前広場のごときは、その具体的状況によつてはパブリツク・フオーラムたる性質を強くもつことがありうるのであり、このような場合に、そこでのビラ配布を同条違反として処罰することは、憲法に反する疑いが強い。このような場合には、公共用物に類似した考え方に立つて処罰できるかどうかを判断しなければならない。」(伊藤正己裁判官の補足意見)
過去問・解説
(H29 司法 第6問 ウ改題)
公務員宿舎である集合住宅の各室玄関ドアの新聞受けに、政治的意見を記載したビラを投かんする目的で同集合住宅の敷地等に立ち入った事案について判示した最高裁判所の判決(最二小判平成20年4月11日)は、本件立入りの場所が自衛隊・防衛庁当局が管理するものであることから、いわゆるパブリック・フォーラムたる性質を持つものであることを前提としつつ、判示したものである。
(正答) ✕
(解説)
吉祥寺駅構内ビラ配布事件判決(最判昭59.12.18)における伊藤正己裁判官の補足意見は、「一般公衆が自由に出入りできる場所は、それぞれその本来の利用目的を備えているが、それは同時に、表現のための場として役立つことが少なくない。…これを「パブリック・フォーラム」と呼ぶことができよう。」とした上で、「パブリック・フォーラム」の例として「道路、公園、広場など」を挙げている。
これに対し、自衛隊官舎ビラ配布事件判決(最判平20.4.11)は、「防衛庁の職員及びその家族が私的生活を営む場所である集合住宅の共用部分及びその敷地」という「一般公衆が自由に出入りできる場所」に当たらない場所におけるビラ投函に関するものであるから、ではないから、被告人が立ち入った場所がパブリック・フォーラムたる性質を持つものであることを前提として判示したものではない。
(R2 予備 第3問 イ)
表現の自由も絶対無制限に保障されるものではなく、公共の福祉のため必要かつ合理的な制限は是認されるものであって、たとえ思想を外部に発表するための手段であっても、その手段が他人の財産権、管理権を不当に害するごときものは許されないといわなければならないから、私鉄の駅構内において、同駅管理者の許諾を受けずにビラ配布や拡声器による演説を行い、駅構内からの退去要求を受けながらそれを無視して約20分間同駅構内に滞留した行為を不退去罪等により処罰することは許される。
(正答) 〇
(解説)
吉祥寺駅構内ビラ配布事件判決(最判昭59.12.18)は「憲法21条1項は、表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく、公共の福祉のため必要かつ合理的な制限を是認するものであつて、たとえ思想を外部に発表するための手段であつても、その手段が他人の財産権、管理権を不当に害するごときものは許されないといわなければならない」とした上で、「駅係員の許諾を受けないで乗降客らに対しビラ多数枚を配布して演説等を繰り返したうえ…駅の管理者からの退去要求を無視して約20分間にわたり同駅構内に滞留した被告人…の本件各所為につき、これを処罰しても憲法21条1項に違反するものでない」とした。
自衛隊官舎ビラ配布事件 最二小判平成20年4月11日
概要
判例
過去問・解説
(H29 司法 第6問 ア)
公務員宿舎である集合住宅の各室玄関ドアの新聞受けに、政治的意見を記載したビラを投かんする目的で同集合住宅の敷地等に立ち入った事案について判示した最高裁判所の判決(最判平成20年4月11日)は、被告人らによる政治的意見を記載したビラの配布は、表現の自由の行使ということができ、その行為を刑法第130条前段の罪により処罰することは、表現そのものを処罰することの憲法適合性が問題となるとした。
(H29 司法 第6問 イ)
公務員宿舎である集合住宅の各室玄関ドアの新聞受けに、政治的意見を記載したビラを投かんする目的で同集合住宅の敷地等に立ち入った事案について判示した最高裁判所の判決(最判平成20年4月11日)は、表現の自由は、送り手の情報が妨げられることなく受け手に受領されることを当然に内包しており、本件で被告人らの行為に刑事罰を科すことは、本件公務員宿舎の居住者が情報に接する機会を奪い、その受領権を侵害することになるとした。
(R2 予備 第3問 ア)
自己の政治的意見を記載したビラを配布することは表現の自由の行使ということができるが、居住者が私的生活を営む場所である集合住宅の共用部分や敷地内に管理権者の承諾なく立ち入り、集合郵便受けや各室玄関ドアの郵便受けに当該ビラを投かんする行為は、管理権者の管理権を侵害するのみならず、そこで生活する者の私生活の平穏を侵害するものであるから、このような立入り行為をもって邸宅侵入の罪に問うことは許される。
(正答) 〇
(解説)
自衛隊官舎ビラ配布事件判決(最判平20.4.11)は、「本件で被告人らが立ち入った場所は、防衛庁の職員及びその家族が私的生活を営む場所である集合住宅の共用部分及びその敷地であり、自衛隊・防衛庁当局がそのような場所として管理していたもので、一般に人が自由に出入りすることのできる場所ではない。たとえ表現の自由の行使のためとはいっても、このような場所に管理権者の意思に反して立ち入ることは、管理権者の管理権を侵害するのみならず、そこで私的生活を営む者の私生活の平穏を侵害するものといわざるを得ない。したがって、本件被告人らの行為をもって刑法130条前段の罪に問うことは、憲法21条1項に違反するものではない。」としている。
(R4 共通 第5問 ア)
ビラの配布のために集合住宅の共用部分及び敷地内に管理権者の承諾なく立ち入って、その管理権やそこで私的生活を営む者の私生活の平穏を侵害したとしても、ビラの内容が政治的意見を記載したものであれば、表現の自由の行使として尊重されるべきであるから、当該立入り行為を刑法130条前段の罪に問うことは憲法21条1項に違反し、許されない。
(正答) ✕
(解説)
自衛隊官舎ビラ配布事件判決(最判平20.4.11)は、、「表現の自由は、民主主義社会において特に重要な権利として尊重されなければならず、被告人らによるその政治的意見を記載したビラの配布は、表現の自由の行使ということができる。」とする一方で、「しかしながら、憲法21条1項も、表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく、公共の福祉のため必要かつ合理的な制限を是認するものであって、たとえ思想を外部に発表するための手段であっても、その手段が他人の権利を不当に害するようなものは許されないというべきである…。」とした上で、「本件で被告人らが立ち入った場所は、防衛庁の職員及びその家族が私的生活を営む場所である集合住宅の共用部分及びその敷地であり、自衛隊・防衛庁当局がそのような場所として管理していたもので、一般に人が自由に出入りすることのできる場所ではない。たとえ表現の自由の行使のためとはいっても、このような場所に管理権者の意思に反して立ち入ることは、管理権者の管理権を侵害するのみならず、そこで私的生活を営む者の私生活の平穏を侵害するものといわざるを得ない。したがって、本件被告人らの行為をもって刑法130条前段の罪に問うことは、憲法21条1項に違反するものではない。」としている。
葛飾政党ビラ配布事件 最二小判平成21年11月30日
概要
判例
本件では、表現そのものを処罰することの憲法適合性が問われているのではなく、表現の手段すなわちビラの配布のために本件管理組合の承諾なく本件マンション内に立ち入ったことを処罰することの憲法適合性が問われているところ、本件で被告人が立ち入った場所は、本件マンションの住人らが私的生活を営む場所である住宅の共用部分であり、その所有者によって構成される本件管理組合がそのような場所として管理していたもので、一般に人が自由に出入りすることのできる場所ではない。たとえ表現の自由の行使のためとはいっても、そこに本件管理組合の意思に反して立ち入ることは、本件管理組合の管理権を侵害するのみならず、そこで私的生活を営む者の私生活の平穏を侵害するものといわざるを得ない。したがって、本件立入り行為をもって刑法130条前段の罪に問うことは、憲法21条1項に違反するものではない。このように解することができることは、当裁判所の判例…の趣旨に徴して明らかである(最高裁平成17年(あ)第2652号同20年4月11日第二小法廷判決・刑集62巻5号1217頁参照)。」
過去問・解説
(H29 共通 第6問 エ)
自衛隊官舎ビラ配布事件(最判平成20年4月11日)の後の判例(最判平成21年11月30日)では、政党のビラを配布するために民間の分譲マンションの各住戸の廊下等共用部分に立ち入った行為につき、表現の自由の重要性に鑑み、当該マンションの管理者が商業的な宣伝・広告のビラのみならず政党のビラを配布することまで禁止するのは合理性を欠くとして、かかる行為を刑法130条の罪に問うことは憲法21条1項に反する旨判示された。
(正答) ✕
(解説)
葛飾政党ビラ配布事件判決(最判平21.11.30)は、「本件で被告人が立ち入った場所は、本件マンションの住人らが私的生活を営む場所である住宅の共用部分であり、その所有者によって構成される本件管理組合がそのような場所として管理していたもので、一般に人が自由に出入りすることのできる場所ではない。たとえ表現の自由の行使のためとはいっても、そこに本件管理組合の意思に反して立ち入ることは、本件管理組合の管理権を侵害するのみならず、そこで私的生活を営む者の私生活の平穏を侵害するものといわざるを得ない。したがって、本件立入り行為をもって刑法130条前段の罪に問うことは、憲法21条1項に違反するものではない。」としている。
軽犯罪法違反事件 最大判昭和45年6月17日
概要
②軽犯罪法1条33号前段にいう「みだりに」とは、他人の家屋その他の工作物にはり札をするにつき、社会通念上正当な理由があると認められない場合を指称するものと解するのが相当であり、その文言があいまいであるとか、犯罪の構成要件が明確でないとは認められないから、憲法31条にも違反しない。
判例
よつて、右論旨を検討すると、軽犯罪法1条33号前段は、主として他人の家屋その他の工作物に関する財産権、管理権を保護するために、みだりにこれらの物にはり札をする行為を規制の対象としているものと解すべきところ、たとい思想を外部に発表するための手段であつても、その手段が他人の財産権、管理権を不当に害するごときものは、もとより許されないところであるといわなければならない。したがつて、この程度の規制は、公共の福祉のため、表現の自由に対し許された必要かつ合理的な制限であつて、右法条を憲法21条1項に違反するものということはできず…、右と同趣旨に出た原判決の判断は正当であつて、論旨は理由がない。」
②「次に論旨は、軽犯罪法1条33号前段は憲法31条に違反すると主張するが、右法条にいう「みだりに」とは、他人の家屋その他の工作物にはり札をするにつき、社会通念上正当な理由があると認められない場合を指称するものと解するのが相当であつて、所論のように、その文言があいまいであるとか、犯罪の構成要件が明確でないとは認められないから、所論違憲の主張は、その前提を欠き、採用することができない。」
過去問・解説
(R1 司法 第5問 ア)
軽犯罪法1条33号は「みだりに他人の家屋その他の工作物にはり札をし」た者を処罰の対象としているところ、はり札をする行為自体は思想を外部に発表する手段の1つであると認められるものの、その手段が他人の財産権、管理権を不当に害することは許されないから、この程度の規制は、公共の福祉のため、許された必要かつ合理的な制限であるというべきである。
大分県屋外広告物条例事件 最三小判昭和62年3月3日
概要
伊藤補足意見は、ビラやポスターを貼付するのに適当な場所や物件についてもパブリックフォーラムたる性質を有するという可能性を示唆した。
判例
補足意見:「一 法廷意見は、その引用する各大法廷判例の趣旨に徴し、被告人の本件所為について、大分県屋外広告物条例(以下、「本条例」という。)の規定を適用してこれを処罰しても、憲法21条1項に違反するものではないと判示している。私も法廷意見の結論には異論がない。しかし、本件は、本条例を適用して政治的な情報の伝達の自由という憲法の保障する表現の自由の核心を占めるものに対し、軽微であるとはいえ刑事罰をもつて抑制を加えることにかかわる事案であつて、極めて重要な問題を含むものであるから、若干の意見を補足しておきたい。
二 本条例及びその基礎となつている屋外広告物法は、いずれも美観風致の維持と公衆に対する危害の防止とを目的として屋外広告物の規制を行つている。この目的が公共の福祉にかなうものであることはいうまでもない。そして、このうち公衆への危害の防止を目的とする規制が相当に広い範囲に及ぶことは当然である。政治的意見を表示する広告物がいかに憲法上重要な価値を含むものであつても、それが落下したり倒壊したりすることにより通行人に危害を及ぼすおそれのあるときに、その掲出を容認することはできず、むしろそれを除去することが関係当局の義務とされよう。これに反して、美観風致の維持という目的については、これと同様に考えることができない。何が美観風致にあたるかの判断には趣味的要素も含まれ、特定の者の判断をもつて律することが適切でない場合も少なくなく、それだけに美観風致の維持という目的に適合するかどうかの判断には慎重さが要求されるといえる。しかしながら、現代の社会生活においては、都市であると田園であるとをとわず、ある共通の通念が美観風致について存在することは否定できず、それを維持することの必要性は一般的に承認を受けているものということができ、したがつて、抽象的に考える限り、美観風致の維持を法の規制の目的とすることが公共の福祉に適合すると考えるのは誤りではないと思われる。
当裁判所は、本条例と同種の大阪市の条例について、法廷意見も説示するように、国民の文化的生活の向上を目途とする憲法の下においては、都市の美観風致を維持することは、公共の福祉を保持する所以であり、右条例の規定する程度の規制は、公共の福祉のため、表現の自由に対し許された必要かつ合理的な制限と解することができるとし、右大阪市の条例の定める禁止規定を違憲無効ということができないと判示しているが(昭和41年(あ)第536号同43年12月18日大法廷判決・刑集22巻113号1549頁)、これも、前記のような通念の存在を前提として、当該条例が法令違憲といえない旨を明らかにしたものであり、その結論は是認するに足りよう。しかし、この判例の示す理由は比較的簡単であつて、その考え方について十分の論証がされているかどうかについては疑いが残る。美観風致の維持が表現の自由に法的規制を加えることを正当化する目的として肯認できるとしても、このことは、その目的のためにとられている手段を当然に正当化するものでないことはいうまでもない。正当な目的を達成するために法のとる手段もまた正当なものでなければならない。右の大法廷判例が当該条例の定める程度の規制が許されるとするのは、条例のとる手段もまた美観風致の維持のため必要かつ合理的なものとして正当化されると考えているとみられるが、その根拠は十分に示されていない。例えば、一枚の小さなビラを電柱に貼付する所為もまたそこで問題とされる大阪市の条例の規制を受けるものであつたが、このような所為に対し、美観風致の維持を理由に、罰金刑とはいえ刑事罰を科することが、どうして憲法的自由の抑制手段として許される程度をこえないものといえるかについて、判旨からうかがうことができないように思われる。
このように考えると、右の判例の結論を是認しうるとしても、当該条例が憲法からみて疑問の余地のないものということはできない。それが手段を含めて合憲であるというためには、さらにたちいつて検討を行う必要があると思われる。
三 そこで、本件で問題となつている本条例についてその採用する規制手段を考察してみると、次のような疑点を指摘することができる。
(1)本条例の規制の対象となる屋外広告物には、政治的な意見や情報を伝えるビラ、ポスター等が含まれることは明らかであるが、これらのものを公衆の眼にふれやすい場所、物件に掲出することは、極めて容易に意見や情報を他人に伝達する効果をあげうる方法であり、さらに街頭等におけるビラ配布のような方法に比して、永続的に広範囲の人に伝えることのできる点では有効性にまさり、かつそのための費用が低廉であつて、とくに経済的に恵まれない者にとつて簡便で効果的な表現伝達方法であるといわなければならない。このことは、商業広告のような営利的な情報の伝達についてもいえることであるが、とくに思想や意見の表示のような表現の自由の核心をなす表現についてそういえる。簡便で有効なだけに、これらを放置するときには、美観風致を害する情況を生じやすいことはたしかである。しかし、このようなビラやポスターを貼付するに適当な場所や物件は、道路、公園等とは性格を異にするものではあるが、私のいうパブリツク・フオーラム(昭和59年(あ)第206号同年12月18日第三小法廷判決・刑集38巻12号3026頁における私の補足意見参照)たる性質を帯びるものともいうことができる。そうとすれば、とくに思想や意見にかかわる表現の規制となるときには、美観風致の維持という公共の福祉に適合する目的をもつ規制であるというのみで、たやすく合憲であると判断するのは速断にすぎるものと思われる。
(2)思想や意見の伝達の自由の側面からみると,本条例の合憲性について検討を要する問題は少なくない。
人権とくに表現の自由のように優越的地位を占める自由権の制約は、規制目的に照らして必要最少限度をこえるべきではないと解されており、原判決もこの原則を是認しつつ、本条例が街路樹等の「支柱」をも広告物掲出の禁止対象物件にしていることには合理的根拠のあること、それが広告物掲出可能な物件のすべてを禁止対象にとりこみ、屋外広告物の掲出を実質上全面禁止とするに等しい状態においているとすることができないこと、行政的対応のみでは禁止目的を達成できないことなどをあげて、本条例が必要最少限度の原則に反するものではないと判示している。
しかし、右のような理由をもつて本条例のとる手段が規制目的からみて必要最少限度をこえないものと断定しうるであろうか。「支柱」もまた掲出禁止物件とされることを明示した条例は少ないが、支柱も街路樹に付随するものとして、これを含めることは不当とはいえないかもしれない。しかし例えば、「電柱」類はかなりの数の条例では掲出禁止物件から除かれているところ、規制に地域差のあることを考慮しても、それらの条例は、最少限度の必要性をみたしていないとみるのであろうか。あるいは、大分県の特殊性がそれを必要としていると考えられるのであろうか。
また、行政的対応と並んで、刑事罰を適用することが禁止目的の達成に有効であることはたしかであるが、刑事罰による抑制は極めて謙抑であるべきであると考えられるから、行政的対応のみでは目的達成が可能とはいえず、刑事罰をもつて規制することが有効であるからこれを併用することも必要最少限度をこえないとするのは、いささか速断にすぎよう。表現の自由の刑事罰による制約に対しては、その保護すべき法益に照らし、いつそう慎重な配慮が望まれよう。
(3)本条例の定める一定の場所や物件が広告物掲出の禁止対象とされているとしても、これらの広告物の内容を適法に伝達する方法が他に広く存在するときは、憲法上の疑義は少なくなり、美観風致の維持という公共の福祉のためある程度の規制を行うことが許容されると解されるから、この点も検討に値する。街頭におけるビラの配布や演説その他の広報活動などは、同じ内容を伝える方法として用いられるが、これらは、広告物の掲出とは性質を異にするところがあり一応別としても、公共の掲示場が十分に用意されていたり、禁止される場所や物件が限定され、これ以外に貼付できる対象で公衆への伝達に適するものが広く存在しているときには、本条例の定める規制も違憲とはいえないと思われる。しかし、本件においてこれらの点は明らかにされるところではない。また、所有者の同意を得て私有の家屋や塀などを掲出場所として利用することは可能である。しかし、一般的に所有者の同意を得ることの難易は測定しがたいところであるし、表現の自由の保障がとくに社会一般の共感を得ていない思想を表現することの確保に重要な意味をもつことを考えると、このような表現にとつて、所有者の同意を得ることは必ずしも容易ではないと考えられるのであり、私有の場所や物件の利用可能なことを過大に評価することはできないと思われる。
四 以上のように考えてくると、本条例は、表現の自由、とくに思想、政治的意見や情報の伝達の観点からみるとき、憲法上の疑義を免れることはできないであろう。しかしながら、私は、このような疑点にもかかわらず、本条例が法令として違憲無効であると判断すべきではないと考えている。したがつて、大阪市の条例の違憲性を否定した大法廷判例は、変更の必要をみないと解している。
本条例の目的とするところは、美観風致の維持と公衆への危害の防止であつて、表現の内容はその関知するところではなく、広告物が政治的表現であると、営利的表現であると、その他いかなる表現であるとを問わず、その目的からみて規制を必要とする場合に、一定の抑制を加えるものである。もし本条例が思想や政治的な意見情報の伝達にかかる表現の内容を主たる規制対象とするものであれば、憲法上厳格な基準によつて審査され、すでにあげた疑問を解消することができないが、本条例は、表現の内容と全くかかわりなしに、美観風致の維持等の目的から屋外広告物の掲出の場所や方法について一般的に規制しているものである。この場合に右と同じ厳格な基準を適用することは必ずしも相当ではない。そしてわが国の実情、とくに都市において著しく乱雑な広告物の掲出のおそれのあることからみて、表現の内容を顧慮することなく、美観風致の維持という観点から一定限度の規制を行うことは、これを容認せざるをえないと思われる。もとより、表現の内容と無関係に一律に表現の場所、方法、態様などを規制することが、たとえ思想や意見の表現の抑制を目的としなくても、実際上主としてそれらの表現の抑制の効果をもつこともありうる。そこで、これらの法令は思想や政治的意見の表示に適用されるときには違憲となるという部分違憲の考え方や、もともとそれはこのような表示を含む広告物には適用されないと解釈した上でそれを合憲と判断する限定解釈の考え方も主張されえよう。しかし、美観風致の維持を目的とする本条例について、右のような広告物の内容によつて区別をして合憲性を判断することは必ずしも適切ではないし、具体的にその区別が困難であることも少なくない。以上のように考えると、本条例は、その規制の範囲がやや広きに失するうらみはあるが、違憲を理由にそれを無効の法令と断定することは相当ではないと思われる。
五 しかしながら、すでにのべたいくつかの疑問点のあることは、当然に、本条例の適用にあたつては憲法の趣旨に即して慎重な態度をとるべきことを要求するものであり、場合によつては適用違憲の事態を生ずることをみのがしてはならない。本条例36条(屋外広告物法15条も同じである。)は、「この条例の適用にあたつては、国民の政治活動の自由その他国民の基本的人権を不当に侵害しないように留意しなければならない。」と規定している。この規定は、運用面における注意規定であつて、論旨のように、この規定にもとづいて公訴棄却又は免訴を主張することは失当であるが、本条例も適用違憲とされる場合のあることを示唆しているものといつてよい。したがつて、それぞれの事案の具体的な事情に照らし、広告物の貼付されている場所がどのような性質をもつものであるか、周囲がどのような状況であるか、貼付された広告物の数量・形状や、掲出のしかた等を総合的に考慮し、その地域の美観風致の侵害の程度と掲出された広告物にあらわれた表現のもつ価値とを比較衡量した結果、表現の価値の有する利益が美観風致の維持の利益に優越すると判断されるときに、本条例の定める刑事罰を科することは、適用において違憲となるのを免れないというべきである。
原判決は、その認定した事実関係の下においては、本条例33条1号、4条1項3号を本件に適用することが違憲であると解することができないと判示するが、いかなる利益較量を行つてその結論を得たかを明確に示しておらず、むしろ、原審の認定した事実関係をみると、すでにのべたような観点に立つた較量が行われたあとをうかがうことはできず、本条例は法令として違憲無効ではないことから、直ちにその構成要件に該当する行為にそれを適用しても違憲の問題を生ずることなく、その行為の可罰性は否定されないとしているように解される。このように適用違憲の点に十分の考慮が払われていない原判決には、その結論に至る論証の過程において理由不備があるといわざるをえない。
しかしながら、本件において、被告人は、政党の演説会開催の告知宣伝を内容とするポスター二枚を掲出したものであるが、記録によると、本件ポスターの掲出された場所は、大分市東津留商店街の中心にある街路樹(その支柱も街路樹に付随するものとしてこれと同視してよいであろう。)であり、街の景観の一部を構成していて、美観風致の維持の観点から要保護性の強い物件であること、本件ポスターは、縦約60センチメートル、横約42センチメートルのポスターをベニヤ板に貼付して角材に釘付けしたいわゆるプラカード式ポスターであつて、それが掲出された街路樹に比べて不釣合いに大きくて人目につきやすく、周囲の環境と調和し難いものであること、本件現場付近の街路樹には同一のポスターが数多く掲出されているが、被告人の本件所為はその一環としてなされたものであることが認められ、以上の事実関係の下においては、前述のような考慮を払つたとしても、被告人の本件所為の可罰性を認めた原判決の結論は是認できないものではない。したがつて、本件の上告棄却の結論はやむをえないものと思われる。」(伊藤正己裁判官の補足意見)
過去問・解説
(H23 司法 第7問 ア)
広告物が貼付されている場所の性質、周囲の状況、広告物の数量や形状、貼付の仕方等を総合的に考慮し、地域の美観風致の侵害の程度と当該広告物に表れた表現の持つ価値とを比較衡量してその規制の合憲性を判断すべきである。
(正答) ✕
(解説)
大分県屋外広告物条例事件判決(最判昭62.3.3)における法廷意見は、「国民の文化的生活の向上を目途とする憲法の下においては、都市の美観風致を維持することは、公共の福祉を保持する所以であり、右の程度の規制は、公共の福祉のため、表現の自由に対し許された必要かつ合理的な制限と解することができる…。」とするにとどまり、「広告物が貼付されている場所の性質、周囲の状況、広告物の数量や形状、貼付の仕方等を総合的に考慮し、地域の美観風致の侵害の程度と当該広告物に表れた表現の持つ価値とを比較衡量してその規制の合憲性を判断すべきである。」(本肢)とは述べていない。
本判決における伊藤正己裁判官の補足意見は、「それぞれの事案の具体的な事情に照らし、広告物の貼付されている場所がどのような性質をもつものであるか、周囲がどのような状況であるか、貼付された広告物の数量・形状や、掲出のしかた等を総合的に考慮し、その地域の美観風致の侵害の程度と掲出された広告物にあらわれた表現のもつ価値とを比較衡量した結果、表現の価値の有する利益が美観風致の維持の利益に優越すると判断されるときに、本条例の定める刑事罰を科することは、適用において違憲となるのを免れないというべきである。」と述べており、本肢の判断手法はこれと整合するものである。
(R2 予備 第3問 ウ)
公共の福祉のため、表現の自由に対し必要かつ合理的な制限をすることは許されるが、政治的表現の自由は、民主政に資する価値を有する特に重要な権利であるから、政党の演説会開催の告知宣伝を内容とする立て看板を街路樹にくくりつける行為について、美観風致の維持及び公衆に対する危害防止の目的のために屋外広告物の表示の場所・方法等を規制する屋外広告物条例を適用して処罰することは、許されない。
(正答) ✕
(解説)
大分県屋外広告物条例事件判決(最判昭62.3.3)は、「国民の文化的生活の向上を目途とする憲法の下においては、都市の美観風致を維持することは、公共の福祉を保持する所以であり、右の程度の規制は、公共の福祉のため、表現の自由に対し許された必要かつ合理的な制限と解することができるから…、大分県屋外広告物条例で広告物の表示を禁止されている街路樹2本の各支柱に、日本共産党の演説会開催の告知宣伝を内容とするいわゆるプラカード式ポスター各一枚を針金でくくりつけた被告人の本件所為につき、同条例33条1号、4条1項3号の各規定を適用してこれを処罰しても憲法21条1項に違反するものでない…。」としている。
灸の適応症広告事件 最大判昭和36年2月15日
概要
判例
補足意見1:「心(意思)の表現が必ずしもすべて憲法21条にいう「表現」には当らない。財産上の契約をすること、その契約の誘引としての広告をすることの如きはそれである。アメリカでは憲法上思想表現の自由、精神的活動の自由と解しこれを強く保障するが、経済的活動の自由はこの保障の外にあるものとされ、これと同じには考えられていないようである。
本法に定めるきゆう師等の業務は一般に有償で行われるのでその限りにおいてその業務のためにする広告は一の経済的活動であり、財産獲得の手段であるから、きゆう局的には憲法上財産権の制限に関連する強い法律的制限を受けることを免れない性質のものである。この業務(医師、殊に弁護士の業務も)往々継続的無料奉仕として行われることも考えられる。しかし、それにしても専門的知識経験あることが保障されていない無資格者がこれを業として行うことは多数人の身体に手を下しその生命、健康に直接影響を与える仕事であるだけに(弁護士は人の権利、自由、人権に関する大切な仕事をする)公共の福祉のため危険であり、その業務に関する広告によつて依頼者を惹きつけるのでなく「桃李もの言わねども下おのづから蹊をなす」ように、無言の実力によつて公正な自由競争をするようにするために、法律で、これらの業務を行う者に対しその業務上の広告の内容、方法を適正に制限することは、経済的活動の自由、少くとも職業の自由の制限としてかなり大幅に憲法上許されるところであり、本法7条にいう広告の制限もかような制限に当るのである。そのいずれの項目も憲法21条の「表現の自由」の制限に当るとは考えられない。
とはいえ、本法7条広告の制限は余りにも苛酷ではなかろうか、一般のきゆう師等の適応症を広告すること位は差支ないではないか、外科医に行かず近所の柔道整復師で間に合うことなら整復師に頼みたいと思う人には整復師の扱う適応症が広告されていた方がよいのではないか、といつたような疑問は起こる。また、本法7条が適応症の広告を禁止した法意は、きゆう師等が(善意でも)適応症の範囲を無暗に拡大して広告し、広告多ければ患者多く集まるという、不公正な方法で同業者または医師と競争し、また、重態の患者に厳密な医学的診断も経ないで無効もしくは危険な治療方法を施すようなことを防止し、医師による早期診断早期治療を促進しようとするにあるようにも思える。とすれば憲法31条に違反する背理な刑罰法規ともいえないのではないか。
とに角、本法7条広告の禁止は憲法21条に違反しない。むしろ同条の問題ではない。だから、この禁止条項が適当か否かは国会の権限に属する立法政策の問題であろう。」(垂水克己裁判官の補足意見)
補足意見2:「原判決の確定した事実関係の要旨は、被告人はきゆう業を営むものであるところ、きゆうの適応症であるとした神経痛、リヨウマチ、血の道、胃腸病等の病名を記載したビラ約7030枚を配付し以て法定の事項以外の事項について広告したというのである。
そこで右認定の証拠となつた押収の広告ビラ…を見るに(一)大津百石町の大野灸と題し、施術所の名称、施術時間等あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法(以下単に法と略称する)第7条1項において許された広告事項の記載が存するの外(二)きゆうの適応症として数多くの疾病が記載され更にその説明が附記されている。例えば「灸の効くわけ」として、「○熱いシゲキは神経に強い反応を起し、体の内臓や神経作用が、興奮する○血のめくりが良くなり、血中のバイ菌や病の毒を消すメンエキが増へる○それ故体が軽く、気持が良くなりよく寝られる、腹がへる等は灸をした人の知る所である◎(注射や服薬で効かぬ人は灸をすると良い)」「人体に灸ツボ六百以上あり、病によつてツボが皆違ふ故ツボに、すえなければ効果はない」等の説明が附記されている。しかして右のようにきゆう業者の広告に適応症としての病名やその効能の説明が(一)の許された広告事項に併記された場合には、その広告は法第7条2項の「施術者の技能」に関する事項にわたり広告したものということができる。蓋しきゆうは何人が施術するも同様の効果を挙げ得るものではなく、それぞれの疾病に適合したツボにすえることによつて効果があるものであるから、施術者又は施術所ときゆうの適応症を広告することは、その施術者の技能を広告することになるものと解し得るからである。されば本件広告は法第7条2項に違反するものというべく、この点の原判示はやや簡略に適ぎる嫌いはあるが、要するに本件ビラの内容には適応症及びその説明の記載があつて施術者の技能に関する事項にわたる広告をした事実を認定した趣旨と解し得られるから、同法7条違反に問擬した原判決は結局相当である。
広告の自由が憲法21条の表現の自由に含まれるものとすれば、昭和26年法律第116号による改正に当り法第7条第1項において一定事項以外の広告を原則的に禁止するような立法形式をとつたことについては論議の余地があろう。しかし、同条2項は旧法第七条の規定の趣旨をそのまま踏襲したものであつて、即ち施術者の技能、施術方法又は経歴に関する事項は、患者吸引の目的でなす、きゆう業広告の眼目であることに着眼し、これを禁止したものと見られるから、第1項の立法形式の当否にかかわりなく、独立した禁止規定として、その存在価値を有するものである。そこで本件被告人の所為が既述の如く右第2項の施術者の技能に関する広告に該当するものである以上本件においては、右第2項の禁止規定が表現の自由の合理的制限に当るかどうかを判断すれば足りるものと考えられる。ところで右第2項の立法趣旨は、技能、施術方法又は経歴に関する広告が患者を吸引するために、ややもすれば誇大虚偽に流れやすく、そのために一般大衆を惑わさせる弊害を生ずる虞れがあるから、これを禁止することにしたものと解せられる。されば右第2項の禁止規定は広告の自由に対し公共の祉福のためにする必要止むを得ない合理的制限ということができるから、憲法21条に違反するものではない。その他右規定が憲法11条ないし13条、19条に違反するとの論旨も理由がない。」(河村大助裁判官の補足意見は次のとおりである。)
過去問・解説
(R6 司法 第5問 ア)
営利的な広告であっても表現の自由の保障の対象となり、虚偽、誇大にわたる広告のみならず、あん摩、はり、きゅう等の施術の適応症に関する真実、正当な広告までをも禁止することは、憲法第21条に反し許されない。
(正答) ✕
(解説)
灸の適応症広告事件判決(最大判昭36.2.15)は、「広告…を無制限に許容するときは、患者を吸引しようとするためややもすれば虚偽誇大に流れ、一般大衆を惑わす虞があり、その結果適時適切な医療を受ける機会を失わせるような結果を招来することをおそれたためであつて、このような弊害を未然に防止するため一定事項以外の広告を禁止することは、国民の保健衛生上の見地から、公共の福祉を維持するためやむをえない措置として是認されなければならない。されば同条は憲法21条に違反せず、同条違反の論旨は理由がない。」としており、あん摩・はり・きゅう等の施術の適応症に関する真実・正当な広告まで禁止することも含めて憲法第21条に違反しないとの考えに立っている。